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「俺は、つくる側にいなきゃ駄目じゃん」

大のゲーム好きのハヤカワさんは、糸井さんが過去に手がけた名作RPG『MOTHER』シリーズ誕生のきっかけに興味津々。第1作目が発売された1989年当時、売れっ子コピーライターとして名を馳せていた糸井さんが、ゲームを手がけることになった理由について、「いろいろな原因があるんだけどね」と笑いつつ、語り始めます。

「僕は、喘息持ちだったから(横に)寝ちゃうと苦しい。それで、ゲームは起き上がってやるから、喘息のためにはゲームって最高に良かったんですよ」と話します。

そして、たまたまRPGの『ドラゴンクエスト』を触ったところ、「どんどん面白くなって…本当に寝ないくらい夢中になってやっていた。でもそのとき、“俺は、つくる側にいなきゃダメじゃん!”と思ったの。特にエンドロールに、自分の名前がないことがすごく寂しかった。“俺だったらもっとこうするのにな”って」と告白。

そんな思いから、自身のアイデアをノートに書き溜めていった糸井さんは、偶然にも別件で任天堂の社長と会う機会があり、「その用事じゃなくて、“これ(ノート)を見せてやれ!”と思って、(社長に会いに)行ったのがきっかけです」と振り返ります。

「自分の名前を消して発言したかった」

続いて、1998年に開設した“ほぼ日”こと「ほぼ日刊イトイ新聞」の話題に。当時、「ゲームの制作もまだ続けていたから、常にコンピューターが身近にある場所にいたの。初期インターネットも普及しつつあったけど、アシスタントが、全然知らない人と(ネット上で)情報交換しているのを見て“なんだこれは!?”と思った」と衝撃を受けたそう。

そして、“自分もできるかも”との思いに駆られ、49歳の誕生日に、秋葉原でMacを購入したそう。「仲間たちと、昼間会ったときには話さないことを、夜中にメールでいっぱい出して、みんなが相手をしてくれるのが面白くてたまらなくて。それで、“こういうことってなにか(ほかの方法)でもっとできるな”と思って…。毎年、自分がちょっと思ったことを、年賀状に書いて出していたんだけど、“それを、インターネットでやればいいんだ!”と思ったのが、“ほぼ日”のスタート」と経緯を語ります。

また、それまで“糸井重里”という自身の名前で仕事をしてきましたが、インターネットでは「自分の名前を消して発言したかった」と言います。「“俺のこと知ってね”っていうのはもういい。それよりは、“俺がやっているこのチームを知ってね”と言いたかったし、自慢したくてしょうがなかった。そのための仕組みをつくった」と話します。

“ほぼ日”開設後に生まれた「夢」

フリーで活動してきた糸井さんにとって、チームで仕事をする憧れが強かったそう。「1にも2にも、チームで仕事をしていく時代になるだろう」と予見しつつも、“ほぼ日”を立ち上げた当初は、「従業員の給与などもあるし、食えないんですよ。でも、3~4万人のお客さんがつけば“なんとかなる!”と思っていた」と言います。

あるとき、従業員から野球チームがユニフォームをつくるような感じで「Tシャツをつくりましょう」とアイデアが。糸井さんは“売れ残ったらどうしよう…”と不安ばかりが先立っていたそうですが、そんな心配をよそに、およそ2000枚も売れて驚いたのだとか。

そんな試行錯誤を重ねていくうちに、糸井さんは、「フリーのときのように、頼まれた仕事をやるのもいいんだけど、これからは、こっちから頭を下げてお願いする仕事ばかりをやろうと思った。『お願いします』って、“自分がやりたいこと”じゃないと言えない」と仕事に対するスタンスの変化を洞察します。

また、「だんだんと強い会社にしていきたくなって、次の新しい人と、新しいプロジェクトを生んでいって、また新しい人が入ってきて…っていう循環が、“ほぼ日にいたらできるんだ!”って、(個人事務所ではなく会社として)今度は別の夢を持ってみたかった」と思いを語っていました。

次回3月21日(土)の放送も、引き続き糸井さんをゲストに迎えてお届けします。どうぞ、お楽しみに!


<2020年3月21日更新>イラストレポートを掲載しました。

番組概要

番組名:マスメディアン 妄想の泉
放送日時:毎週土曜 24:30~25:00
パーソナリティ:ハヤカワ五味
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/mousou/
番組Twitter:@mosonoizumi_TFM

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