平和を実現するのはアイデア。電通Bチーム「平和」担当の思い 電通 コピーライター/平和活動家 鳥巣智行さん
2014年に設立された、電通社員たちによる「オルタナティブアプローチ」チームである、電通Bチーム。本業としての「A面」以外に、DJや小説家、編集者などの「B面」を持つメンバーで構成され、正攻法では突破できない企業や組織のさまざまな課題を、独自のアイデア思考で解決しています。
今回は同チームにて「平和」をテーマに活動している、コピーライターの鳥巣智行(とりすともゆき)さんにインタビュー。B面である「平和活動」とコピーライターの仕事で培われた「アイデア発想」をかけ合わせた、鳥巣さんの取り組みに迫ります。
今回は同チームにて「平和」をテーマに活動している、コピーライターの鳥巣智行(とりすともゆき)さんにインタビュー。B面である「平和活動」とコピーライターの仕事で培われた「アイデア発想」をかけ合わせた、鳥巣さんの取り組みに迫ります。
平和活動への歩み
──電通Bチームの「平和」担当とのことですが、具体的にどのようなプロジェクトを運営しているのでしょうか?直近で取り組んでいるのが、新しい平和学習プログラム「Peace Game」です。これは平和をつくるために必要なコミュニケーション力や課題解決力を、楽しみながら身につけることができるものです。ゲームを通じて課題解決力やコミュニケーション力を養うだけでなく、歴史や社会についての理解も深められるプログラムになっています。昨年から修学旅行生を中心に提供をはじめました。
例えば、プログラムの一つである「PEACE OF CAKE」というゲームでは、1個のホールケーキを5人で平和的に分けるための方法を考えていきます。ゲームの途中にはキャラクターカードやハプニングカードといったカードが配られ、ケーキを切るための新たな条件が次々と加えられていくなか、最終的に考えたケーキの切り方を発表します。このゲームでは、地球上で起きている問題をケーキに見立てて体験することができます。立場や意見が異なる人たちとどう建設的に議論をするかといったことや、ルールや状況が変化することによって人の意見や価値観も変わってしまうということを、ゲームを通して学ぶことができるのです。
電通Bチームは、アイデアのつくり方や発想のプロセスそのものを自分たちで生み出すことをモットーの一つにしています。外から持ってきた手法を使ってコンサルティングするのではなく、手法そのものを自分たちで生み出し、商品開発やサービス開発の支援をする。そのノウハウを研修プログラムなどの形で企業や自治体にサービスとして提供もしています。これらのノウハウを平和学習という分野に活用し、新たな学習プログラムを展開したのがPeace Gamesです。
──鳥巣さんはいつから平和活動を始めたのでしょうか?
平和活動に目覚めるきっかけとなったのは、高校時代に地元の長崎市で始まった、「高校生一万人署名活動」という活動に参加したことでした。これは高校生が主体となり、核兵器廃絶のための署名を集めるというものです。参加した当初の私は、平和活動にあまり関心がありませんでした。平和の実現よりも、その活動が地元のメディアに取り上げられるため、ただ目立ちたい一心で参加したのです。しかし、その活動を通して、自分が被爆3世であることを知り、さまざまな人と出会いを重ねるなかで、自分なりの平和活動に取り組むようになりました。
イラク戦争開戦直前にアメリカで撮影した人々の写真をもとに写真展を開催するなど、高校卒業後も個人で平和活動を続けていきました。なかでも特に印象に残っているのが、2007年に開始したバンド活動です。当時は第一次安倍内閣が発足されたころで、憲法9条改正についての議論が行われているタイミングでした。そこで私は大学の友人たちを誘って3ピースバンドを結成し、政治に関心の低い人たちに「もっと議論をしよう」というメッセージを届けたいと考えました。とはいえ、自分たちには楽曲をつくるスキルはなかったので、せっかくなら著名なアーティストに曲をつくってもらおうと、尊敬するジョン・レノンに作曲を依頼することにしたんです。
──ジョン・レノンさんはすでに故人ですが、具体的にどのように作曲を依頼されたのですか?
おっしゃるとおり、既に亡くなっている方なので、東北地方にいるイタコの方にジョン・レノンの魂をおろしてもらって、作曲を依頼しようと考えました。そして、実際に青森県に足を運び、イタコの方にジョン・レノンの魂をおろしてもらいました。そこで作曲を依頼したのですが、断られてしまい、「妻も息子も青森まで来てくれたことはなかったのに、わざわざ会いに来てくれてうれしい。だが、君たちに言うことはなにもない」「世界を変えるよりも、まずは自分たちの親を大切にしなさい」と言われてしまいました。きっとご本人が生きていたとしても、同じことを言われていたでしょうね。 ──とてもユニークな活動をされていたのですね。学生時代から平和活動に注力されてきたなかで、なぜコピーライターとして働く道を選んだのでしょうか?
私は大学進学を機に上京し、千葉大学工学部デザイン工学科にてデザインを学んでいました。そこで学んでいるうちに広告業界に興味を持ち、アートディレクターの仕事に就きたいと考えました。しかし、大学院1年生のときに参加した、電通主催のインターンシップ「電通クリエーティブ塾」で、デザインだけでなくアイデアの活かし方や企画提案までのプロセスを体験したのです。その際に、プランナーやコピーライターなどの「企画を考える職業」に魅力を感じ、コピーライターを志望するようになりました。
また同時に、大学でも平和活動を続けていくなかで、このままでよいのかという疑問を抱いていました。なぜなら、個人的に取り組む平和活動の、広がりの限界を感じていたからです。そこで、広告の仕組みを活用するスキルを身につければ、平和に関するメッセージをより広く伝えることができるのではないかと考え、広告業界を中心に就職活動を行い、電通へ入社することを決意しました。
──電通Bチームにはどのような経緯で参画されたのでしょうか?
入社後は一年間の営業職を経て、コピーライターとしてクリエーティブ局へ配属されました。広告の企画制作を担当しつつ、一方で個人活動として長崎の原爆投下の実情を世界に伝えるデジタルアーカイブズ「Nagasaki Archive」の制作なども並行して行っていました。その後、2012年に広告制作のスキルを広告以外に活かすことをミッションとする部署「ビジネスデザインラボ」に配属されたことが、大きな転機となりました。
この部署では、まちづくりのコンセプトを考えたり、いろいろなサービス開発やプロダクト開発を手伝ったりと、現在の活動の土台となるようなプロジェクトを数多く経験しました。それらの仕事をするなかで、後に電通Bチームを立ち上げる倉成英俊さん(現Creative Project Base代表)と仕事をする機会も増えていきました。倉成さんが電通総研に異動したことがきっかけで、2014年に「電通総研Bチーム」という新チームが発足し、2017年に現在の「電通Bチーム」へと改名されました。当初は8人だったメンバーも56人にまで拡大し、私は平和担当として自分の持つB面を、積極的に仕事に活かすようになりました。
平和活動と仕事の接点を考えるようになってから、広告などを考えるアイデア発想のプロセスと平和をつくるプロセスは、非常に似ていると感じるようになりました。例えば、世界では日常のささいないさかいから、国同士の対立まで、さまざまな争いが起きています。あることを主張する人と、それに反する主張をする二者が争っているときに、どちらかが妥協や我慢をして妥協案をつくるだけでは、本質的な解決にはなりません。 私は、本当の平和に導くための解決策とは、どちらの要求も満たして解決してしまう第三の選択肢をつくることにあると考えています。その両者の要求を満たす解決策をみつけ出すプロセスは、広告をつくるときのアイデアを生み出す過程にとても似ていると気づいたんです。
アイデアによる平和実現
──現在、仕事としても個人としても平和活動を展開している鳥巣さんですが、今後はどのような活動を展開していきたいと考えているのでしょうか?Peace GamesやBチームが提供するプログラムを通して、より多くの人にアイデア発想の楽しさを体験してもらいたいと考えています。アイデアを生み出すことはアーティストやクリエイターと呼ばれるような一部の人だけが持つ才能だと思われがちですが、実際はすべての人が持っている能力であり技術です。苦手意識を持つ人の多くは、「自分はアイデアを考えるのが苦手である」と思い込んでいるだけです。アイデアを生み出すことが技術なのだとしたら、何度も反復したり、アイデア発想が得意な人に教えてもらったりすれば、誰でもアイデアを楽しく考えられるようになると思っています。練習をすれば補助輪なしで自転車に乗れるようになるのと同じです。
アイデアには一つの正解はありません。それは裏を返せば間違いも存在しないということであり、考えた人の数だけ正解があるのです。このマインドが浸透していけば、アイデアを考えることに対して、前向きに取り組める人も増えていくはずです。「Peace Games」を多くの子どもたちに使ってもらうことが、その第一歩になればと考えています。まずはゲームでもいいから、アイデアで課題を解決するおもしろさを体験してほしい。勉強やスポーツが苦手でも、アイデア発想の力を褒められることで、自信を持つことだってあるはず。アイデアを出すのが好きな子どもたちが増えれば、将来の世界はより良くなるのではないでしょうか。
──その一方で、鳥巣さんは2016年に長崎県の五島列島・福江島にて、古民家を改装した図書館「さんごさん」をオープンされていますよね。これも平和活動への取り組みの一つなのでしょうか?
地元にいたころから五島列島が大好きで、学生時代も友人たちと何度も五島列島の一つの福江島を訪れていました。毎年足を運ぶうちに、みんなが集まれる場所をつくりたいと考えたのです。街の人たちにも協力を仰ぎ、福江島の富江町にある古民家を利用した施設を運営することにしました。
この企画には、初めから明確なコンセプトがあったわけではありません。地元の方々の話を伺っていくなかで行き着いたのが図書館でした。それまで富江町には、大きな本屋や図書館が存在しておらず、図書館が欲しいという意見が出たのです。その声に素直に従い、民家を改装した図書館はおもしろそうだと考え、さんごさんは私設図書館としてオープンしました。さんごさんの館内の本棚に並んでいるのは、誰かの人生ベスト3の本です。大学教授や漫画家、五島のバスガイドや農家の方々など、いろいろな人の「人生の3冊」が収蔵されています。
──人生の3冊というコンセプトはどうやって生まれたのでしょう?
オープン前に、多くの方から「いらなくなった本を提供します」と声をかけていただきました。ありがたいと思う一方で、もともとが民家の施設なので、置ける本の量にも限りがあります。不要になった本をすべて受け入れてしまうと、誰かの不要な本で本棚がすぐにいっぱいになってしまう。そんなことをチームメンバーと話すなかで、「人生ベスト3の本」を寄贈していただくというアイデアが生まれました。この条件がつくことで、一冊一冊の本との出会いが特別なものになります。「人生の3冊」を通して、さまざまな価値観に触れられる場所になってほしいとも考えました。そうやって2016年にオープンし、多くの友人や地域の人々に協力してもらいながら、現在の形ができあがっていきました。
──さんごさんでの活動も、電通Bチームの案件の一つなのでしょうか?
いえ、これは私的活動です。面白いからやっています。地域には面白いことにチャレンジするチャンスがたくさんあります。地域独自の資源がありますし、課題もたくさんありますから。
それに五島だけでなく、長崎も面白いですよ。長崎は2021年で開港450周年を迎えます。異国のカルチャーがミックスされた文化の土壌を持ち、近年ではまちの変革にも積極的に取り組んでいます。そんな文化と変化が両立している長崎には、大きなポテンシャルがあると、私は考えています。一方で、そんな土地の魅力や資源をうまく発信できていないという課題もあります。
そういった課題を持つまちは、長崎だけではないでしょう。都市部で身につけた技術やネットワークは、地域にこそ活用の機会がある。これからは「上京」した人が、そこで身につけたものを携えて地域で新しいことにチャレンジする「上郷」が増えてくるのではないでしょうか。そうやって自分の好きな地域での活動に取り組むことも、課題解決や平和をつくるアプローチの一つになるのではないかと、私は考えています。
2020年は新型コロナウイルスの影響によって、働く場所を見直す人も増えていきました。それに伴い、多くの企業がテレワークなどの新しい働き方を導入し、「都会でなければ仕事ができない」という考えは以前よりも減ってきました。地方都市にとっても大きなチャンスが到来していると言えます。私も東京で働きながら、長崎に関する仕事が増え、働く場所についても考える機会が増えました。こうした選択肢が多様化していくことは、さらに面白い未来につながるのではと思いますね。 ──実現させたいのは個人の成果ではなく、多くの人々がアイデアを活用できる社会。アイデアによる平和活動がこの先どのような未来を実現していくのか、鳥巣さんの活動に今後も注目していきたいと思います。お話いただきありがとうございました!