Vol.33 「肩書はエンジニアでもずっとデザインをしてきた」CDOを動かす好奇心 キャリアアップナビ
キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、GMOペパボで執行役員CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)を務める小久保浩大郎(こくぼこうたろう)さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
──これまでのキャリアについて教えてください。
初めてプログラミングに触れたのは中学生の時。大学時代に留学したアメリカで、まだ出たばかりのインターネットに出会い、夢中になりました。帰国後は日本の大学を中退し、ミュージシャンを目指してフリーター生活をする傍ら、独学でWeb制作もしていました。HTMLの仕様についてネットの掲示板で質問したところ、なんとビジネス・アーキテクツの設立メンバーでもある森田雄さんからお返事が。そこから交流が始まり、そのご縁でお誘いいただきました。憧れの会社に入れるなら、と一度音楽はお休みして、Webにどっぷり浸かろうと決めました。飽きたらやめようと思っていたのですが、飽きませんでしたね。
2002年に入社したビジネス・アーキテクツでは、フロントエンドエンジニアとしてさまざまな業種の大規模Webサイトを制作。デザインも、見よう見まねで学びました。また、インフォメーション・アーキテクチャ(IA)の最先端を知る佐藤伸哉さんを招いた社内勉強会に参加したことをきっかけに、その分野に強く興味を持つようになりました。
2011年、再びグーグルから声がかかり、選考を受け直してWebマスターとして入社。所属こそエンジニア部門でしたが、Webチャネルでのコミュニケーションの担当者として、Webサイトの企画からコピーライティング、インターフェイスデザイン、実装まで任されました。
会社の成長とともに組織変更があり、私はチームごと、マーケティング部門のGoogle Brand Studioに異動しました。社内での分業が進むなかで、私の専門性の軸足はエンジニアからIAに移行していきました。IAは、曖昧な物事を構造化して整理すること。これはデザインのプロセスを分解すると必ず現れてくるものです。そのため、プロジェクトチーム内のコミュニケーションを引き受けていたこともあります。サイト構成やペルソナ設定など、会議での決定事項や次回までの課題を記録してワイヤーフレームに書き起こし、デザインの意図をすべてビジュアルにまとめることで、齟齬のない意思疎通を目指していました。
グーグルからの卒業にはいくつかの理由が重なりました。インハウス業務を続けることでスキルが停滞することへの不安や、地方創生への興味、実家の自営業のようなスモールビジネス支援への関心など…。2017年にキャンプファイヤーに入社し、デザインチームの立ち上げに取り組みました。
──現在の会社に転職したきっかけを教えてください。
きっかけは旧知の仲だったCTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)の栗林健太郎からの誘いでした。話を聞いて、「インターネットと表現の可能性を追求し、誰でも活躍できる機会を提供したい」というGMOペパボの思いにも、CDOとしてデザイン組織を統率するというミッションにも共感し、コミットしたいと思い入社を決めました。
現在は、全サービス・広告のデザイン、ブランディングを統括しています。同時に、経営陣や社員、デザイナー自身が、デザイナーの仕事に価値を感じ、納得して仕事ができるよう、組織づくりを進めています。
──ターニングポイントはありましたか?
私はその時々の「やりたいこと」にのめり込んできたタイプです。なにかターニングポイントがあったというよりも、先進的でこれからおもしろくなりそうな領域を選んだ結果、キャリアが広がりました。
振り返ると、肩書こそさまざまですが、ずっと「デザインをしている」という意識があります。IAも仕様設計も実装も、すべてデザインの一部だと捉えているからです。
また、IAはマネジメントにも通じます。組織が成果を出すには、所属する個人の適性を見出し、リソースを配分する必要があります。IAの経験や能力は私の仕事の根底にあって、今に生きています。 ──若手クリエイターへのメッセージをお願いします。
好きなことを仕事にできない人がたくさんいるなかで、クリエイティブ職に就けた人はめちゃくちゃラッキーだと思います。その特権を最大限に行使し、楽しんでください。美大などの専門的なバックグラウンドがない私がやりたいことをできているのは、仕事を楽しみ、学び続けているからです。クリエイティブの領域が広がり、アウトプットも多様化して求められるスキルが変わっていっても、好奇心と広いインプットを欠かさずにいれば、好きな仕事をし続けられます。
初めてプログラミングに触れたのは中学生の時。大学時代に留学したアメリカで、まだ出たばかりのインターネットに出会い、夢中になりました。帰国後は日本の大学を中退し、ミュージシャンを目指してフリーター生活をする傍ら、独学でWeb制作もしていました。HTMLの仕様についてネットの掲示板で質問したところ、なんとビジネス・アーキテクツの設立メンバーでもある森田雄さんからお返事が。そこから交流が始まり、そのご縁でお誘いいただきました。憧れの会社に入れるなら、と一度音楽はお休みして、Webにどっぷり浸かろうと決めました。飽きたらやめようと思っていたのですが、飽きませんでしたね。
2002年に入社したビジネス・アーキテクツでは、フロントエンドエンジニアとしてさまざまな業種の大規模Webサイトを制作。デザインも、見よう見まねで学びました。また、インフォメーション・アーキテクチャ(IA)の最先端を知る佐藤伸哉さんを招いた社内勉強会に参加したことをきっかけに、その分野に強く興味を持つようになりました。
その後、6年の経験を積み、同社を退職。グーグル主催のイベントに参加したのがきっかけで、登壇者の方にグーグルに誘われたのですが、当時はリーマン・ショックの影響で入社には至りませんでした。ただ、退職することは決めていたため、転職活動をし直し、IAの分野で世界的に有名なインフォメーションアーキテクツに入社。1年弱働いた後に独立し、引き続きインターフェイスデザイナー兼フロントエンドエンジニアとして仕事をしていました。
2011年、再びグーグルから声がかかり、選考を受け直してWebマスターとして入社。所属こそエンジニア部門でしたが、Webチャネルでのコミュニケーションの担当者として、Webサイトの企画からコピーライティング、インターフェイスデザイン、実装まで任されました。
会社の成長とともに組織変更があり、私はチームごと、マーケティング部門のGoogle Brand Studioに異動しました。社内での分業が進むなかで、私の専門性の軸足はエンジニアからIAに移行していきました。IAは、曖昧な物事を構造化して整理すること。これはデザインのプロセスを分解すると必ず現れてくるものです。そのため、プロジェクトチーム内のコミュニケーションを引き受けていたこともあります。サイト構成やペルソナ設定など、会議での決定事項や次回までの課題を記録してワイヤーフレームに書き起こし、デザインの意図をすべてビジュアルにまとめることで、齟齬のない意思疎通を目指していました。
グーグルからの卒業にはいくつかの理由が重なりました。インハウス業務を続けることでスキルが停滞することへの不安や、地方創生への興味、実家の自営業のようなスモールビジネス支援への関心など…。2017年にキャンプファイヤーに入社し、デザインチームの立ち上げに取り組みました。
──現在の会社に転職したきっかけを教えてください。
きっかけは旧知の仲だったCTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)の栗林健太郎からの誘いでした。話を聞いて、「インターネットと表現の可能性を追求し、誰でも活躍できる機会を提供したい」というGMOペパボの思いにも、CDOとしてデザイン組織を統率するというミッションにも共感し、コミットしたいと思い入社を決めました。
現在は、全サービス・広告のデザイン、ブランディングを統括しています。同時に、経営陣や社員、デザイナー自身が、デザイナーの仕事に価値を感じ、納得して仕事ができるよう、組織づくりを進めています。
──ターニングポイントはありましたか?
私はその時々の「やりたいこと」にのめり込んできたタイプです。なにかターニングポイントがあったというよりも、先進的でこれからおもしろくなりそうな領域を選んだ結果、キャリアが広がりました。
振り返ると、肩書こそさまざまですが、ずっと「デザインをしている」という意識があります。IAも仕様設計も実装も、すべてデザインの一部だと捉えているからです。
また、IAはマネジメントにも通じます。組織が成果を出すには、所属する個人の適性を見出し、リソースを配分する必要があります。IAの経験や能力は私の仕事の根底にあって、今に生きています。 ──若手クリエイターへのメッセージをお願いします。
好きなことを仕事にできない人がたくさんいるなかで、クリエイティブ職に就けた人はめちゃくちゃラッキーだと思います。その特権を最大限に行使し、楽しんでください。美大などの専門的なバックグラウンドがない私がやりたいことをできているのは、仕事を楽しみ、学び続けているからです。クリエイティブの領域が広がり、アウトプットも多様化して求められるスキルが変わっていっても、好奇心と広いインプットを欠かさずにいれば、好きな仕事をし続けられます。