Vol.40 『自助論』に学んだ、自分を変え続けること、とどまらないこと キャリアアップナビ
──キャリアのスタートは千葉県警だそうですね。
警察官になりたかったわけではないんです。もともとはクリエイティブ志向で、パッケージデザイナーやCMプランナーに憧れていましたが、当時は就職氷河期で先が見通せない時代。安定を求めて公務員試験を受け、千葉県警の事務職に就くことになりました。
就職したときに「デザインは趣味でやっていこう」と割り切ったつもりでした。でもやっぱり未練があったんでしょうね。同じような毎日を繰り返すのが、とてもつまらなくて。趣味としてSNSに作品を載せたりもしていましたが、それだけでは飽き足らなくなっていきました。
そんなふうにモヤモヤとした日々を過ごしていたとき、「天は自ら助くる者を助く」という一節で有名なサミュエル・スマイルズの『自助論』を読んだんです。そこには、自らを助ける者、つまり人に頼らず自分で努力する人は必ず強くなれる、ということが書かれていました。
その言葉は、惰性で過ごしてしまっていた私を奮い立たせるものでした。なぜ就職難という外部環境のせいにしてクリエイティブ職を諦めてしまったのだろうと後悔の念を抱くように。そこで、いまからでも行動を起こし、今度こそやりたい仕事をしようと決意を固めました。
──不安定な選択をすることに周囲も驚いたのでは。
私が4年間勤めた警察を辞めると言ったときは、周りからずいぶんと心配されて、「どうしちゃったの?」とか「幸せになれないよ」なんて言われました。当時はまだ「公務員最強説」が一般的な時代。周囲の心配も理解できました。
それでも決心は揺るがず、派遣社員としてレタッチャーの仕事をしながら、デザイナーになるための情報を集め始めました。ある広告業界のセミナーに参加したとき、講師が「いまは国内の広告費の多くをマスメディアが占めているが、いずれインターネットメディアがシェアを奪うだろう」と言ったんです。それを聞いて進路が定まりました。Webデザイナーになることを決め、すぐに学校に入ってWebデザインやコーディングを学びました。
それから実務の修業に出たわけですが、これには4年という期限を付けました。最初の1年は小さなアパレル会社のWebマスターとして、Webサイトのリニューアル、Webショップの運営、PR、SNSの運用を1人で担当しました。あとの3年はWeb制作会社に入り、デザイナー兼ディレクターとして客先に常駐していました。どちらも給料は警察時代からは下がってしまったのですが(笑)、経験と実績を積む期間だと覚悟を決めていたので、不安はなかったです。
Webショップの売上や、修業期間の実績が評価されて入社することになりました。
実店舗を持たない楽天カードにとって、お客さまとの接点になっているのが、コーポレートサイトや会員サイト(楽天e-NAVI)、アプリです。最初に配属された編成部は、これらを企画、制作、運用管理する部署。私の仕事は、UXデザインチームのリーダーとして、WebサイトにUXデザインの考え方を導入し、顧客満足度を向上させることでした。
2014年の当時、楽天カード社内ではまだUXという考え方が浸透しておらず、理解の促進が最初の3年間のミッションになりました。例えばWebサイトでは、バナーを出せば出すほど効果があるとみんな信じていたんですね。ですから関連部署に「UX向上のためにバナーを消したい」と交渉するのがすごく難しかった。アイトラッキング(視線計測)やWeb解析ツール、ユーザーテスト、ユーザーインタビューなど、あらゆる手法を用いて、「やみくもにバナーを貼っても見られない」という根拠を示しました。そうやってUXの効果を実感してもらい、「確かにそうだ」という空気を粘り強くつくっていきました。
──ご自身はどうやってUXの勉強をされたのですか?
実はこのときも学校で、UXデザインを体系的に学んだんです。『自助論』に「自らの汗と涙で勝ち取った知識ほど強いものはない」とあります。時代や外部環境は変わります。それに合わせて学び続け、自分を変化させていくことが重要です。
その後、編成部内異動、戦略部への異動を経て、この4月にマーケティング統括部長に就任しました。もしいまだにWebデザイン学校で学んだことだけを看板に掲げていたら、この道は開けませんでした。
若いころはお金がありませんよね。でも、「資金が貯まってから」「来年でいいや」と先延ばしするのは時間がもったいない。いま目の前の成果を出すのに必要なこと、興味があることにしっかりと投資する。それが将来、自分のキャリアの幅を広げることになります。
年齢を重ねると、新しい知識をインプットして、新しい挑戦をするのが面倒になります。でも現状維持はダメ。私もこれまで通り、泥臭くやっていこうと思っています。