Vol.59 今の自分に足りない経験を考えれば、目指す場所への道は自然と見えてくる キャリアアップナビ
キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、JTBで執行役員 ブランディング・マーケティング・広報担当(CMO)を務める風口悦子(かざぐちえつこ)さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
──日本IBMに新卒で入った経緯を教えてください。
大学ではドイツ語学科で、就職先は語学力を活かせる、海外との接点がある仕事がよいと考えていました。ただ文系でしたから、IT企業は選択肢に入れていませんでした。
当時はWindows 95が発売されたばかり。一般の大学生にとって、パソコンは大学のコンピューター室で使うものでした。教授との面談を待つ間にネットを眺めていたある日、たまたま日本IBMの新卒採用サイトを目にしました。珍しくWebエントリーができたので、応募してみたんです。あの日、コンピューター室に行っていなかったら、今ごろは別の仕事をしていたと思います。
──入社後はSEからのスタートだったとか。
総合職採用ですから、どの部門でも頑張るつもりではいたものの、「メモリーもCPUも知らない私がシステムエンジニア?」と、さすがに驚きました。
そんな私がエンジニアとして急成長できたのは、研修でしっかり学んだことに加え、最初にグローバルに展開するクライアントを担当した経験が大きかったと思います。シカゴ、シンガポール、アムステルダムなどの拠点を飛び回ってお客さまと向き合いました。社外では、新卒でも先輩社員と同じ価値を発揮することを求められます。最初は先輩の真似から始め、背伸びしながらお客さまの要求に応えることで、ITの基礎から先端テクノロジーまで、知識や視点を身につけていきました。入社4年目には、お客さまのニーズを整理してシステムに仕上げる「ITスペシャリスト」に。当時、IBMが新たに進出した領域のアプリケーション開発プロジェクトを任されるまでになりました。
入社して8年後、営業に異動になりました。新規顧客開拓、中でも他社製品からの乗り換え提案を専門とする新設の部署でした。技術への深い理解に基づく提案が必要ですから、技術者から適任を探していたそうです。
打診を受けた時、ハードルはとても高いと感じました。ですが、その仕事が巡ってきたのは、私への期待の表れと考え、「ありがとうございます!」と引き受けました。結果、挑戦して正解でした。数年後、今の私の根幹となる経験ができたからです。
その部署では、社内では特殊な領域ですが、アライアンス営業として、私が担当するハードウエアと、提携企業のソフトウエアを組み合わせて提供していました。社内のソフトウエア部門からは、「なぜ競合製品を売るのか?」と疑問の声もありました。でも、お客さまの視点になれば、ベンダーの垣根を超えて最適な製品を組み合わせ、システムを構築する「ベスト・オブ・ブリード」こそが最良だと信じていました。
アライアンス営業で成果を伸ばしていくと、次第に周囲が理解を示してくれて、後押しも得られるようになりました。お客さまを第一に考えて挑戦すれば必ずうまくいくと確信できたのは、大きな転機でした。
マーケティング部門への異動もここで成果を出せたことがきっかけです。提携企業の営業と一緒に2社合同でのイベントやキャンペーンを成功させた実績が買われ、ハードウエア事業のマーケティング担当に。その後、ソフトウエア、クラウドサービスなどと担当領域を広げ、プロダクトマーケティングを統括する立場になりました。
2016年、組織改編でCMOの下に全事業のマーケティング機能が一元化されました。それからしばらくして、CMOから「いずれあなたを後任にする」と言われたんです。「それにはパフォーマンスマーケティングを経験すべき。だから異動してみないか」と。この言葉に奮い立ち、得意領域だったプロダクトマーケティングから新しい領域に踏み出す決心をしました。
何かを目指すには、足りない経験を考えること。そうすれば、やるべきことはおのずと見えてくる。今でもよくチームに話しています。
──昨年、JTBに転職した思いを聞かせてください。
「マーケティングのヘッドをやってほしい」と打診を受け、JTBを知れば知るほどぜひやりたいと思いました。JTBはツーリズム領域で強力なブランドを築いていますが、実は法人向けの事業も多彩です。35カ国に拠点を置くグローバル企業として、今後、拠点や事業の壁を超えた相乗効果を生むため、コーポレートレイヤーでのマーケティング、リブランディングが必要な段階にある。そのJTBに、グローバルやBtoB領域での経験を重ねてきた私が出合えたことに運命を感じました。まるで就活生時代の、あの時のように。
それに、キャリアの最後は日本の企業でと決めていました。日本企業、特にBtoB企業は、マーケティングの組織にもやり方にも改善の余地がある。マーケティングにはビジネスを変える力と、少しの工夫で大きな成果を出せる面白さがある。だから私は、日本の企業がマーケティングで世界に広がっていく、そのモデルづくりをリードしたいのです。
大学ではドイツ語学科で、就職先は語学力を活かせる、海外との接点がある仕事がよいと考えていました。ただ文系でしたから、IT企業は選択肢に入れていませんでした。
当時はWindows 95が発売されたばかり。一般の大学生にとって、パソコンは大学のコンピューター室で使うものでした。教授との面談を待つ間にネットを眺めていたある日、たまたま日本IBMの新卒採用サイトを目にしました。珍しくWebエントリーができたので、応募してみたんです。あの日、コンピューター室に行っていなかったら、今ごろは別の仕事をしていたと思います。
──入社後はSEからのスタートだったとか。
総合職採用ですから、どの部門でも頑張るつもりではいたものの、「メモリーもCPUも知らない私がシステムエンジニア?」と、さすがに驚きました。
そんな私がエンジニアとして急成長できたのは、研修でしっかり学んだことに加え、最初にグローバルに展開するクライアントを担当した経験が大きかったと思います。シカゴ、シンガポール、アムステルダムなどの拠点を飛び回ってお客さまと向き合いました。社外では、新卒でも先輩社員と同じ価値を発揮することを求められます。最初は先輩の真似から始め、背伸びしながらお客さまの要求に応えることで、ITの基礎から先端テクノロジーまで、知識や視点を身につけていきました。入社4年目には、お客さまのニーズを整理してシステムに仕上げる「ITスペシャリスト」に。当時、IBMが新たに進出した領域のアプリケーション開発プロジェクトを任されるまでになりました。
──それからどのようにしてCMOになられたのでしょうか?
入社して8年後、営業に異動になりました。新規顧客開拓、中でも他社製品からの乗り換え提案を専門とする新設の部署でした。技術への深い理解に基づく提案が必要ですから、技術者から適任を探していたそうです。
打診を受けた時、ハードルはとても高いと感じました。ですが、その仕事が巡ってきたのは、私への期待の表れと考え、「ありがとうございます!」と引き受けました。結果、挑戦して正解でした。数年後、今の私の根幹となる経験ができたからです。
その部署では、社内では特殊な領域ですが、アライアンス営業として、私が担当するハードウエアと、提携企業のソフトウエアを組み合わせて提供していました。社内のソフトウエア部門からは、「なぜ競合製品を売るのか?」と疑問の声もありました。でも、お客さまの視点になれば、ベンダーの垣根を超えて最適な製品を組み合わせ、システムを構築する「ベスト・オブ・ブリード」こそが最良だと信じていました。
アライアンス営業で成果を伸ばしていくと、次第に周囲が理解を示してくれて、後押しも得られるようになりました。お客さまを第一に考えて挑戦すれば必ずうまくいくと確信できたのは、大きな転機でした。
マーケティング部門への異動もここで成果を出せたことがきっかけです。提携企業の営業と一緒に2社合同でのイベントやキャンペーンを成功させた実績が買われ、ハードウエア事業のマーケティング担当に。その後、ソフトウエア、クラウドサービスなどと担当領域を広げ、プロダクトマーケティングを統括する立場になりました。
2016年、組織改編でCMOの下に全事業のマーケティング機能が一元化されました。それからしばらくして、CMOから「いずれあなたを後任にする」と言われたんです。「それにはパフォーマンスマーケティングを経験すべき。だから異動してみないか」と。この言葉に奮い立ち、得意領域だったプロダクトマーケティングから新しい領域に踏み出す決心をしました。
何かを目指すには、足りない経験を考えること。そうすれば、やるべきことはおのずと見えてくる。今でもよくチームに話しています。
──昨年、JTBに転職した思いを聞かせてください。
「マーケティングのヘッドをやってほしい」と打診を受け、JTBを知れば知るほどぜひやりたいと思いました。JTBはツーリズム領域で強力なブランドを築いていますが、実は法人向けの事業も多彩です。35カ国に拠点を置くグローバル企業として、今後、拠点や事業の壁を超えた相乗効果を生むため、コーポレートレイヤーでのマーケティング、リブランディングが必要な段階にある。そのJTBに、グローバルやBtoB領域での経験を重ねてきた私が出合えたことに運命を感じました。まるで就活生時代の、あの時のように。
それに、キャリアの最後は日本の企業でと決めていました。日本企業、特にBtoB企業は、マーケティングの組織にもやり方にも改善の余地がある。マーケティングにはビジネスを変える力と、少しの工夫で大きな成果を出せる面白さがある。だから私は、日本の企業がマーケティングで世界に広がっていく、そのモデルづくりをリードしたいのです。