掲載情報|Vol.64 勤め先の倒産で憧れのサントリーに転職するチャンスが到来 キャリアアップナビ
第一線のマーケター・クリエイターが明かす、キャリアアップの奥義。今回は、Suntory Beverage and Food Europe(サントリー食品ヨーロッパ)でDesign Headを務める児島薫(こじまかおる)さんに、マスメディアンの荒川がこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
マスメディアン荒川が取材をした「キャリアアップナビ」記事が、宣伝会議「AdverTimes.」に掲載されました。
子どもの頃から写真や絵が好きだったこともあり、視覚的に情報を伝える、いわゆるビジュアルアーツを学びたいと考え、アメリカの大学に進学しました。留学を選択したのは、英語を手段として使えるようになりたいと思ったからです。
大学ではグラフィックデザインを専攻しました。当時、アメリカではiMacが発売されたことで、グラフィックデザインという仕事の裾野が大きく広がった時期でした。現地の友人もグラフィックデザイナーやイラストレーターが多く、面白そうだと思ったんです。安直かもしれませんが、デザイナーという職業があることも高校生のときには知らなかったので、「なんだか熱いぞ」とワクワクしたんですよね。それで、卒業後は、ニューヨークのクリエイティブブティックで働き始めることになりました。
──その後、日本へ戻り、就職したのはなぜですか?
留学したことで、日本の良さを改めて感じられて、日本に興味が湧いたんです。だから、英語力が身に付いたところで、「日本でデザインの仕事を続けたい」という気持ちが固まり、帰国を決めました。転職活動には少し苦労しました。日本企業を中心に応募していたのですが、書類選考すら通らなかったんです。
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──海外の大学への進学はいつ決心したのですか?子どもの頃から写真や絵が好きだったこともあり、視覚的に情報を伝える、いわゆるビジュアルアーツを学びたいと考え、アメリカの大学に進学しました。留学を選択したのは、英語を手段として使えるようになりたいと思ったからです。
大学ではグラフィックデザインを専攻しました。当時、アメリカではiMacが発売されたことで、グラフィックデザインという仕事の裾野が大きく広がった時期でした。現地の友人もグラフィックデザイナーやイラストレーターが多く、面白そうだと思ったんです。安直かもしれませんが、デザイナーという職業があることも高校生のときには知らなかったので、「なんだか熱いぞ」とワクワクしたんですよね。それで、卒業後は、ニューヨークのクリエイティブブティックで働き始めることになりました。
──その後、日本へ戻り、就職したのはなぜですか?
留学したことで、日本の良さを改めて感じられて、日本に興味が湧いたんです。だから、英語力が身に付いたところで、「日本でデザインの仕事を続けたい」という気持ちが固まり、帰国を決めました。転職活動には少し苦労しました。日本企業を中心に応募していたのですが、書類選考すら通らなかったんです。
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