──そもそもは博報堂で働かれていたんですよね。どのような経緯で入られたんですか?
大学生の頃は「繊維研究会」というところで、一人一人の生活から着想した服づくりを行っていました。卒業後どう生きようかなと思った時、たまたま博報堂の人と出会い、生活を提案するのは服じゃなくてもできるなっていうことに気づき、それからですね。

──どのような業務をしていたんですか?
2010年当時は、TwitterやFacebookなどソーシャルメディアの勃興期で、それらを活用したインタラクティブなキャンペーンを企画する仕事でした。これからは絶対にソーシャルメディアの時代だと思って、自ら志望して、いろんなSNS企画を立ち上げてましたね。当時はまだみんなマスをやりたがっていて、そのポジションはガラ空きだったので。

──ですが、わずか1年で博報堂を辞めてしまったんですよね。それはどういった経緯だったのでしょうか?
原発をPRする案件をやっていたんです。2011年4月リリースで。ただソーシャルメディアなので、フラットに是非を問いかけるキャンペーンのはずが答えを押し付けるようなものにさせられて…。広告代理店というのは結局下請けなんだなと感じて、そこで違和感を覚えました。そのタイミングで東日本大震災も起き、辞めてしまおうと。

──そこが起点だったのですね。
そうなんです。自分の思想に嘘をついてまで仕事をやるのは不健康だと気づきました。一回自分をごまかしちゃうと言い訳はうまくなるけど、誰でもいい人間になってしまう気がして。いま思えば、広告代理業というビジネスへの理解が甘かったんだと思います。

時代の潮流に乗って

──その後はフリーランスとして活動を始めたんですか?
いえ、急に家だけを解約しちゃったので、まずは生活基盤を整えようと。ただお金を借りることもできなかったので、同じような境遇の仲間を5人集めて「トーキョーよるヒルズ」というシェアハウスを始めました。そしたら、それがすごく盛り上がってシェアハウス野郎になっていましたね。

──それが、コンセプト型のシェアハウスの走りですよね。
3.11の後だったこともあって、居場所やコミュニティ論などが盛り上がり始めた時期でした。安い家賃で都心に住め、サードプレイスにもなる。それがSNSやライブストリーミングとの相性も良く、一気に広がったんだと思います。だから僕はシェアハウスを単なる家ではなく、メディアとして捉えていました。だから実際に、2~3年は「よるヒルズ編集長」として仕事していましたね。

──生きるために始めたシェアハウスがビジネスになることにやりながら気付いたんですね。
その当時はまだ20代前半だったので、生きていくことに必死でした。でもマーケットとして盛り上がっていることは事実だから、「リバ邸」などさまざまな名前でシェアハウスを全国展開しました。

撮影場所は、恵比寿にあるNEWPEACEオフィス
撮影場所は、恵比寿にあるNEWPEACEオフィス
──そこから、現在のNEWPEACEを起業されたのはどういったきっかけがあったのですか?
自分に飽きてしまったんですよね。それで海外に出たんですが、選挙出るからと家入一真さんに呼び戻されてしまい、3週間どっぷり東京都知事選のキャンペーンをやった後には、気力も仕事もぜんぶ無くなっていました。ただ、そのタイミングでいまの妻と出会って、さすがにニートじゃダメだと思い、結婚とともに起業することを決めました。

昭和をぶち壊す

──結婚のタイミングで就職する方も多いですが、それは考えなかったんですか?
一瞬考えました。でも僕は、世の中に問いを設定すること自体が好きなので、真っ当なビジネスパーソンにはなれないだろうなと。じゃあ、どういう問いを立てたいかと考えたら、それは僕らの生きる社会を昭和的なものからアップデートすることだなと思ったんです。

──「昭和からアップデートする」という発想はどのように思い至ったのでしょうか?
平成の時代って、失われた時代と言われるじゃないですか? 実際、歴史の教科書になんて書かれるかって考えても、「平成は、日本の経済成長がストップし、震災などの災害やテロが各地で発生した。PCやスマホとともにインターネットが普及したが、生き方や社会システムは昭和を引きずった」みたいな感じだと思うんですよ。とても悔しいじゃないですか。原因は、新しいビジョンが欠落してるからなんじゃないかと。でも大きな物語が一つあって国民みんなが乗っかる時代じゃないので、いろんな領域で同時多発的にビジョンが更新していくのが大事だと思い、いまの仕事をやっています。

──その悔しさが起点だったんですね。いまでは自社の事業もやっていますが、元々はクライアントとのお仕事から始まったんですか?
NEWPEACEは、VISIONINGを仕事にしようという核だけ決めているので、やることは毎年変わっています。1年目は制作会社でCIやWebの制作、2年目は、エージェンシーとして外の制作会社と組んで仕事をするようになり、3年目で完全フィーモデルの企画会社にし、自社事業を2つ立ち上げました。いまは投資案件も含めて共同事業もいくつか手がけ、さまざまな事業を企画・運営している会社になりつつあります。自社事業も海外展開を見据えてやっているのですが、クライアントワークもグローバル案件が増えてきました。

鵜呑みにするな。自分なりの仮説を

──ここまで、高木さんのキャリアを振り返ってきたのですが、いまの31歳の高木さんから見て、若手のビジネスパーソンに対して、いまだからこそ言えることってなにかありますか?
まず、大人の言うことは信じるなっていうことですね。もちろん、僕のこのアドバイス自体も含めて。結局、人が言う「うまくいく」って、その人にとってはそうでした、という話でしかないからあまり意味がない。それを前提として言わせてもらうと、焦らなくていいと思います。いまは変化が激しい時代だから、人のドヤ顔インタビューとか読むと、「そっちか!」なんて焦っちゃうけど、ファッションショーだと思えばいちいち間に受けるのも馬鹿らしいでしょ? 僕もシェアハウスを仕掛けていた時に、かなりメディアに出てチヤホヤされる機会があったのですが、ただ運が良かっただけでした。行動はしていたけど思考が浅く蓄積もなかったので、このままメディアに消費されつづけると終わるなと気付き、25歳の頃に一度表に出るのを辞めたんです。

──浅くて、言えることに限りがあったと。
有名な動画で、島田紳助さんが若手芸人に説く、「売れる芸人の法則」というのがあるんです。XとYがあって、Xは自分の強みで、Yは時代の流れ。Xを真に理解してないまま、Yを探し飛び乗るのが一発屋と言われる人たち。それに当てはめると、当時の僕もXをわかっていなかったですね。一発屋は蓄積がないからYが変わってしまったら終わるんです。一方で30歳中盤からは、地道に研究をやっていたり大きな組織で揉まれていたりしてきた人がどんどん出てくる。

──時間が経つにつれて、周りも力をつけていくわけですもんね。
もちろん、いまあるチャンスを掴むのは良いんです。でも世の中の流行りに最適化し続ける必要はまったくない。むしろ、自分が信じる未来に最適化した方が良いんです。いま盛り上がっている人を見て、勝負に焦っている人は多いと思うんですよ。僕もそうでした。昔、糸井重里さんと対談させてもらったことがあるのですが、その時に「君はいま人生を前向きに保留しているんだね」って言われたんです。それは「超保留宣言」というタイトルで記事になったんですが、今でも良い言葉だなと思います。変化が激しい時代だからこそ、ぶれない人が勝つ。私自身もいまは答えを保留していて、2020年や2025年に向けて仕込みをしています。

──いまは結果ではなく、それを得るための仕込みをしているんですね。
難しいんですけどね。仕込んだらすぐにリアクションが欲しくなるから、いまに最適化したくなる。一般的に起業家はやることをいまに最適化をしていて、現在のマーケットで有利なことをやっている方が多い。逆に、経済云々に左右されず、自分の好きなことをやっている起業家はあんまりいないと思います。そういう人もいていいじゃないですか。自分の価値観を信じて自由にやり続けることは、一番強いと思っていますから。もちろん、自分にとってそれが何かは、考えていて見つかるものじゃないので、知るためにいろいろなアクションをすることは重要だと思います。動いていないから、無駄に傍観者になってしまって焦ることもありますし。

──自分を信じてアクションは起こすべきということですね。
アクションをしろって、みんな言いますよね。でもそれだけじゃ足りない。自分の好きなことや本質的な興味関心に仮説を立てて、アクションをすべきなんですよね。たとえ結果が出るのが少し先だとしてもやらなきゃいけない。そうやって見つけた部分をずっとやって、それを最適化し続けている人は強いんです。時代に合わせてチューニングしている。そういう人たちはXがわかる中でYをチューニングしている。

──自分だけの武器になっていくわけですもんね。
いま例えば、AIやブロックチェーンがきてるからといって、ぱっとやって成功してもそこだけならすぐに消耗します。もちろん、最初の入り口がそういった時代のニーズにあって、そこから長期的に活躍する可能性もありますけどね。ロールモデルなんてなおさら良くない。だから、若手へのアドバイスの結論としては、こういうインタビューとかはあんまり読まない方が良いです

──ここにきて驚きの結論ですね(笑)。
近すぎる事例は良くないんです。そっちに引っ張られてしまうから。もっと昔の歴史や他の国の文化など、遠くて参考にならないモノ、それこそ、逆に良いアナロジー、類推になると思います。結局は、自分の価値観に正直に生きることが大事なんです。そこから、みんなそれぞれ社会に対して役割を持って、いろいろな価値観が生まれてくる。

──そうやって、ダイバーシティが生まれていくわけですね。なので、あまりこのインタビューは参考にしない方が良いと…。
でもこれを読んで、他のモノに囚われていた発想がちょっとでも自由になれば嬉しいし、意味があったかもなと思います。中身はあまり参考にしない方が良いです(笑)。やっぱり自分の価値観で考えていろいろ検証しないと身にならないですからね。

──自分の価値観、考えをしっかりと育てて、保っていくことが大事ということですね。本日はありがとうございました!
SHARE!
  • facebookfacebook
  • twittertwitter
  • lineline