──ではまず初めに、森下さんが広告業界を志したきっかけを教えていただけますか?
学生のころに、ジブリの映画広告で糸井重里さんを知ったのがきっかけです。コピーライティングだけでなく、ゲームの開発やWebメディア「ほぼ日」の運営など、幅広い領域でご活躍されている糸井さんを見て、コピーライターという仕事に憧れを抱くようになりました。そこから徐々に広告業界に関心を持つようになっていき、気がつくと夢中になっていました。

その後私は新卒で、外資系クリエイティブエージェンシーに営業として入社しました。そこで3年間勤めたあと、制作会社に転職し初めて「コピーライター」という肩書を得ました。そして2018年に、クリエイティブスキルをより磨くために、Wieden+Kennedy Tokyo(ワイデン+ケネディ トウキョウ)が主催する「次世代クリエイティブ増強プログラム」に選抜され参加。約8カ月間のプログラムを終え、2019年5月にエードットグループのカラスへ入社し、現在へ至ります。
──2019年12月に、こくみん共済coopのWebメディア「ENJOY たすけあい」にて森下さんが執筆された「ドラえもんがのび太をたすけ続けるワケと、未来をより良く変える方法」というコラムがSNS上で話題になっていましたよね。その内容については森下さんの憧れである糸井重里さんもコメントを残していました。
糸井さんがこの記事を褒めてくれたのが本当にうれしくて。私のコピーライター人生のなかでも最も衝撃的な出来事でした。
また、糸井さん以外の人たちの反応も私が想定していないくらい多くて、驚きました。コラムはタイトルのとおり「なぜドラえもんはのび太を助けたすけ続けるのか?」について考察したものです。

この「ENJOY たすけあい」は、こくみん共済coopが自分たちのバリューとして掲げている、「たすけあい」を楽しむためのヒントとなるようなコンテンツを発信するオウンドメディアです。そのコンテンツの一つとして、今回はドラえもんとのび太の関係を取り上げた原稿を書きました。だから、私はこれを広告として意図し、文章を書いたわけではありませんでした。

それなのに、SNS上で多くの人がこの記事を広告として評価していただいたこと、もっというと「広告らしくない広告」として受け取っていただいたのは、とても興味深いことでした。

──確かに、「広告らしくない広告」という意見が多く見られましたよね。前述の通り、森下さん自身は広告をつくったつもりではなかったとのことですが、送り手である森下さんと受け手の間で、このようなギャップが生まれたのはなぜだと思いますか?
広告という受け取り方になってしまったのは、コピーライターである私の名前が公開されていたからだと思っています。多くのCMやグラフィックでは、クリエイターの名前が出ることは滅多にありませんよね。けれども、今回の記事では著者として、私の名前と肩書が公開されていました。もともと、私自身もSNS上で実名での発信をしていたこともあり、著者名と肩書を見た方が、文章だけでは得られないメタ的な情報を得たために、企業の広告だと捉えられたのだと思います。

私がこの案件で一番興味深いと思ったのは、この「広告上で広告クリエイターの存在を隠さないこと」でした。広告クリエイターは制作物に対して、黒子に徹することが普通です。手がけた広告にわざわざ自分の名前を残すなんてことは、あまり考えないと思います。でも今回のこのコラムは、期せずして広告となり、「クリエイターがあらわになっている広告」となりました。そこに私は「いままでとは違う広告の認識」を意識させられました。いまはまだ模索中ですが、未来の広告クリエイターの在り方や仕事のヒントが今回の現象にはあると見ています。
──昔からコピーライターに憧れを持っており、こくみん共済coopの案件ではいままでなかった広告の現象に触れたとのことですが、過去に憧れていたコピーライターの仕事が現在ではどのように変化してきているとお考えですか?
昔は広告というとテレビや新聞が中心でしたが、今は個人が発信する方法も増えてメディアのパワーバランスが全然違う。考え方も多様化しています。もちろん広告も昔より圧倒的に増えていますが、私が好きな広告は今よりも昔の広告が多いんです。言葉や感覚では手が届かない部分まで刺激しているようなコピーが過去は多くて、私が目指すコピーの完成形だと思っています。

なぜそう思うのか。その理由を考えたときに、とても感覚的ですが、昔の広告には「人の気持ちを長い時間かけて考えた痕跡」がある気がしました。
現代は、発信できるスピードや届く距離の長さが向上したと思います。しかしその一方で、なにかを考える時間が減っていて、人の気持ちを置いてけぼりにすることが増えているなと日々の業務で感じることがあります。いくら発信するスピードが速くなり、大量の広告を届けることが可能になっても、一日が24時間であることは昔と変わりません。そのため、便利さにかまけて、人に向き合い続けることに時間をかけない広告を発信するのは、前進ではなくむしろ後退しているのではないでしょうか。もちろん、次々と起こる技術革新についていき、新しい広告をつくることにもコピーライターは苦心しなければいけませんが、それ以上に私が一番大切にしているのは人へのリスペクトです。汚く言うと、「人を舐めない」こと

──最先端のテクノロジーを追い続けつつも、プリミティブな人の気持ちを考えることもし続けなければいけないと。
いくら最先端を走って、人よりも高いところに先について、そこで「こっちだよー」と声を上げるだけでは、誰も後ろについてきません。だから、コピーライターの仕事は、全速力で前に進みつつも、前だけではなく後ろも見なければいけないという状況にあるのです。少なくとも私は、「人の気持ちを置いてけぼりにしないこと」をすごく気にかけて、この仕事をしています。

──そう考えると、コピーライターの仕事というのは日々、やるべきことが拡張しているように思います。言ってしまえば、時代とともに高いスキルを求められ、難易度が日々高くなり続けている印象です。
そうかもしれません。そもそもコピーライターの定義が昔といまでは変わっているのかもしれない
情報が溢れる時代に、ブログを書くことが得意な人もいれば、SNSを中心に発信する人や紙媒体で言葉を届ける人など、さまざまです。そしてそれぞれの領域すべてが日々拡張されています。領域が広がり続けているため、昔に比べて「コピーライターの仕事はこれ」ということが言いにくくなっているのは間違いないです。

──もし「コピーライター」という言葉が再定義されるのなら、どのような意味を持つ人たちを指すと思いますか?
とても難しいですが、現代では「言葉」よりも「言語化」という概念が上位にあると思います。さきほど話したとおり、情報量が日々増えていく状況であるため、どんなコピーを考える場合もすべてを貫く、強く太い軸が必ず必要になります。それはあらゆる情報が言葉で定義される限りは、絶対にゆるがないことです。そのようなパワーワードを、企業や商品に込められた思いからくみ取り、言葉で生み出すこと。言い換えれば「思想を定義する」こと。これに専門性を持って取り組むことが、私の考えるコピーライターの仕事です。

コピーライターの仕事は拡張し続けるため、「企画屋」や「なんでも屋」のような側面もあります。いろいろなことを器用にやり続けることはもちろんいいことですが、コピーライターである以上は「言語化のプロフェッショナル」と確固たる意志を持っているべきなのかもしれません。もしかすると、そういう人こそがコピーライターとして突き抜けていくのかもしれませんね。私は普段CMを考えたりPR施策を企画したり、さまざまな業務に取り組んでいますが、根底にあるその軸は常にぶらさないようにしています。

──広がり続ける世界のなかで、プロフェッショナルとしての軸をしっかりと持つことが重要というわけですね。
あとはなにより、「広告が好き」であること。これを前提に持つことが、私は一番欠かせない要素であると思います。こくみん共済coopのコラムを「広告らしくない広告」として受け取っていただいた反応を見たとき、興味深かった反面、「広告なのにスラスラ読めた」や「広告なのに面白かった」など「広告なのに」という反応を見て、少し寂しくも感じました。もちろん常に意識していますが、やはり広告は嫌われ者だなと

広告業界にいる人たちは誰しも突き詰めると、自分を否定することになると思っています。モノやサービスを売るために広告という手法が使われますが、そもそも良い商品しかなくなってしまえば広告がなくても消費者はそれを納得して購入しますし、企業もより一層繁栄していきます。そうなると、広告って不要なんですよね。突き詰めると広告会社は、ビジネスとして広告費をもらいつつも企業の繁栄のために仕事をしていくという矛盾を抱えているのです。それに気づいてしまったときに、それでも誰かが広告を信じてあげなければ広告業界は衰退していきます。 

広告会社が衰退しつつも存在している状況でも、私は広告を信じられる人でありたいと思います。なぜなら、広告クリエイティブの力を信じてますし、広告が好きだから。イノベーションが起こり、さまざまな業界の産業構造が変化していくことはとても健全なことですが、それでも私は広告をつくることにこだわっていきたいと思います。昔から抱えてきた、憧れをいつまでも大切に、これからも広告をつくっていきたいです。
──コピーライターへの憧れ。それを胸に、時代と向き合い、未来へと進んでいく森下さんのお考えをお聞かせいただきました。昔憧れた仕事につく。それは必ずしも同じ状況で仕事ができるとは限りません。人や街、すべてが時間とともに変化した現実に向き合った上で、仕事をしなければいけません。そこで変わる部分と変わらない部分を見出して、今度は自分がその仕事をアップデートしていくことが必要なのだと思います。そうして今度は自分が誰かの憧れになり、次世代へつながっていくのでしょう。森下さんの今後のご活躍も応援しています。お話いただき、ありがとうございました!
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