──事業会社でコピーライターをしながら、編集者、ライター、ラジオの放送作家もされており、かなり特殊なキャリアだと思いますが、どのようなきっかけだったのでしょうか?
考えてみると、偶然の重なりなのかな、と…。

──偶然ですか?
生きていくことって、偶然を意味のある形に編集していくという作業だと思っています。ラジオ番組に関しては身近な3人のアーティストとの飲み会で「ラジオやりたいね」ということになって、すぐにJ-WAVEの知人に相談しました。ちょうど平成が終わるタイミングだったので、平成の文化史を当事者の目線から振り返る番組をつくりたくて、それが『HEISEI MOMENTS』というラジオ番組になりました。そこにある偶然を見落とさず、適切につなげて、一つのコンテンツにするという考え方ですね。

──なるほど。ラジオといえば、現在は、クリエイティブディレクターの箭内道彦さんがパーソナリティを務めるTOKYO FMの『ラジオ風とロック』も担当されていますよね。これはどういった経緯だったのでしょう。
カルチャーメディアのCINRA.NETで箭内道彦さんにインタビューさせていただいたことが最初の出会いでした。それからしばらく経って、ある日突然『ラジオ風とロック』の放送作家をやらないか?という連絡を箭内さんのマネージャーさんからいただいて……びっくりしましたね。
──なぜ箭内さんは、長嶋さんに興味を持たれたのでしょうか?
よくわからないんです。ラジオの収録でTOKYO FMのスタジオに行ったのが、箭内さんに会う二度目のタイミングだったんですけど、「え! こんな顔してたっけ!?」と言われました(笑)。

──フィーリングが合った、とか?
そうかもしれません。正直、自分でいいのか?と少しだけ不安になって。「本当に僕で大丈夫ですか?」と箭内さんに話したら、「人に仕事をお願いするときは絶対に間違えない。それだけは自信がある」と言ってくれたんですよね。それで妙な自信と責任感を持つようになりました。箭内さんは人をエンパワーする天才なんだと思います。

生きる実感を持つことができた職業

──改めて、現在のご活躍に至るまでの長嶋さんのキャリアについて教えてください。
2011年に電通に入社し、コピーライターとして広告の企画をしてきました。ただ、「自分はコピーライターに向いていない」とずっと感じていて、苦しかったですね。紆余曲折あって、丸3年経った2015年にスタートアップ企業に転職。ここではプロダクトマネージャー的な働きもしましたが、会社の状況と自分のスキルがマッチせず、活躍できたとは言えず……。

そんな時代に欠かさず読んでいたのが、ファッション・カルチャー・ライフスタイルを扱うWebマガジン「HOUYHNHNM(フイナム)」でした。ちょうどそのフイナムが編集者の募集をしていて即応募。そこから3年ほど勤めました。編集者としてのキャリアがスタートして、この場所ならやっていけるかもしれない、とようやく思えましたね

──編集者のどういった点がフィットしたのでしょうか?
自分の好きなものを、自分なりに取り上げて書き伝え、それが届くべき人に届くという環境は充実感がありました。ブランドのデザイナーやアーティストの取材を通して、尊敬できる個人との関係が築くなかで、“生きている実感”を持つことができましたね。虚像ではなく実像、“手触り”のような感覚というか。

──メディアの仕事には以前から興味があったのでしょうか?
メディアの仕事に興味をもったのは、高校時代のとき。17歳のときにフィンスイミングの日本代表選手として、ユース世界選手権に出場したんですが、そこで報道と現実のギャップを実感したんです。例えば、中国では反日感情が渦巻いているというニュースを見て警戒していたのに、実際に出会った中国人選手がめちゃくちゃフレンドリーで、すごく仲良くなれたりして。メディアは事実の一面だけを取り上げている、ということを若くして実感できたんですよね。

──そこからジャーナリズムを志していくのでしょうか?
いわゆるジャーナリズムの重要性は感じていましたが、より広く、文脈を持って情報を伝えるためにどうすべきか、ということを考えていました。若者が興味を持つファッションや音楽などのやわらかいカルチャーを入り口に、その背景にある文化や社会情勢まで踏み込んで伝えられたらいいな、と想像していました。その考えは現在の仕事にもつながっています。

編集者の未来、メディアの未来

──カルチャーメディアの編集者はまさに念願だったんですね。その後どうして転職されたのでしょうか。
まず、ライター、編集者、メディアというシステム自体を捉え直す必要があると考えるようになりました。旧来のメディアよりも、GoogleやFacebookなどのプラットフォームや、Amazonやメルカリなどのマーケットプレイスの影響力が増しています。これから訪れる未来で編集者としての個人がどうサバイバルしていけるのか、広義のメディア環境の変化にどう対応していくべきか、そしてメディア環境自体をどう導いていくべきか…という観点で考え続けています。

アングラなメディアではなく、メルカリという新たにメインストリームになりうるメディアの内部にいることに大きな意味があると思っています。旧来のメディアのビジネスモデル自体が崩壊しつつあるなかで、「編集」という職能を通してプラットフォームの内部からできることを探っていきたいですね。

この展望は、基本的にはパーソナルな動機に基づいていて、自分の好きなものが失われないようにしたい、というシンプルな願いが根底にあります。小学生の頃からプログレを聴いて村上龍を読んでいました。誰とも話が合わなかったけれど、この経験が自分を活かす原動力になっています。好きなものを生き長らえさせるために、経済(ビジネス)と文化(カルチャー)が共存するための自分なりの道を探っているという感覚です。人のやわらかな領域を豊かにする文化的なものに触れるチャンスを産み出し続けたいという思いもあるし、シンプルに自分がすこやかに飯を食えるだけ稼いでいく方法を模索しているという考えもあります。
──そこで、なぜ本業と副業という働き方を選んだのですか?
ライターは素晴らしい仕事ですが、それだけで食べていくのは難しくなってきています。人の心に光を当て、社会をより良い方向に動かそうとしている人たちと直接対話ができて、それを世の中に発信することには意義があります。けれども、ある意味で誰もがイージーに参入できる領域だからこそ、相対的に市場価値の高い仕事ではなくなっているんですよね。ライターとして食っていくのは、今後数十年を見据えると現実的ではありません。

ビジネスとカルチャーの距離は、とてつもなく遠くなっていると感じています。なぜなら、インターネットとテクノロジーによって、すべてが透明化・可視化され、あらゆる判断が数値化されトラッキングできるようになってしまったから。そこで起きているのは、ビジネスのものさしばかりが重視される、ということ。書店でよく売れるのは、金銭的な利害に直結するビジネス書ばかりで、カルチャーという非合理でやわらかいものをどう守るか、といった観点を持ちながら、メルカリという新しいビジネスの経済圏からサポートしていきたいですね。

──メインストリームとアンダーグランド、ビジネスとカルチャーの架け橋を目指して、本業・副業を行き来しているのですね。最後に個人の時代を迎えているなかで、長嶋さんの見据える未来を教えてください。
まだ模索中ですが、「個人の輪郭」を際立たせながら、さまざまな仲間を増やし、手をつないでいくことが必要なのかなと思っています。

著名な編集者のなかには、自身をタレント化・メディア化している方もいます。編集者の役目のひとつにコンテンツの流通があるとすれば、その手段は有効です。しかし、僕はもっとわかりにくくて複雑で鬱屈した人間なので、そのプロセスには耐えられない。そして、そういう「効率のいい振る舞い」こそが経済至上主義的な判断だと思っています。

人間はもっと曖昧でわかりにくくて複雑で鬱屈していていい。その繊細なわかりにくさを救うのが、文化と芸術なんですよね。具体的なアクションとしては、最近ポートフォリオサイトを立ち上げました。例えば「メルカリ」と「会田誠のインタビュー」がごちゃごちゃに共存しているということが自分のパーソナリティそのもの。このサイトを通じて、不明瞭でわかりにくい生き方に輪郭を与えてみる、ということを試みています。
──“わかりやすくあるべき”がビジネスの世界では正しいかもしれませんが、“わかりにくいまま生きていく”ことを目指しているのですね。分人主義やスラッシャーという言葉が注目を集めていますが、これからの個人の時代に、長嶋太陽さんがどのように歩むか気になりますね。本日はお話いただきありがとうございました!
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