報道機関のデザイナーの役割

──新聞社では記者やデスクといった職種が連想されますが、デザイナーがどのような仕事をするのかイメージしにくい部分もあります。日本経済新聞社ではデザイナーはどのような業務を行っているのでしょうか?
基本的には、時事に合わせた企画の持ち込みや自部署での立案をベースとして、記者やエンジニア、デスクと打ち合わせを行いながらスケジュールを決めて各コンテンツの制作を行っています。制作スケジュールは題材によってさまざまで、当日のうちに制作するものから、数カ月単位で取り組む場合もあります。

業務のなかで特に重視しているのが報道コンテンツとしての「透明性」です。報道において情報の裏付けは根底の要素。視点に偏りが出ないように、あらゆる角度から立体的に物事や事実を捉えなければなりません。ほかにも、ミスリードを誘発するような内容になっていないか、根拠となる情報ソースの引用元が明記されているか、などにも常に気を配る必要があります。また、いかに「わかりやすくニュースを読者へ伝えるか」という点で、ビジュアル表現や読者に刺さる可視化の工夫を絶えず検討する必要もあります。信頼性のあるデザインを基軸として、表現にも一歩踏み込んだデザインとして昇華する。この業界ならではの堅実さを持ち、当社の理念である「中正公平」のもとコンテンツ制作することを心がけています。
入社当初の私はサービス設計に関するデザインを担当しており、カンプデザインをつくる業務が中心でした。当時は社内にデータビジュアライゼーションのノウハウがまったくなかったので、なにもかもが手探り状態。しかし、多彩なスキルセットを持つメンバーが一体となってコンテンツをつくる体制を当初から理想のイメージとして持つことができていたので、最初期からチーム構築に関わることができたのはやりがいでもありました。そうして試行錯誤を重ねては、制作フローや必要な人材のニーズを洗い出していき、現在の体制をみんなで構築していった経緯があります。

──具体的に日本経済新聞社では、これまでどのようなコンテンツを制作してきたのですか?
報道の内容を視覚的に理解できるような「インフォグラフィックス」や「データビジュアライゼーション」のコンテンツ制作を行ってきています。コンテンツ自体は分野から見せ方まで多岐に渡るので、私にとって印象深いコンテンツを2つ紹介させてください。

一つは私がデザイナーとして関わったもので、ライブ記事コンテンツ「米大統領選2016 開票ライブ」です。これは2016年に行われたアメリカ大統領選挙において、当時の大統領候補であった共和党のドナルド・トランプ氏と、民主党のヒラリー・クリントン氏の投開票の模様をまとめたものです。
 
 「米大統領選2016 開票ライブ」

当時、世間への普及率が高く伸び始めていたスマートフォンでの視聴を考慮して画面設計し、読者体験を構築するのに四苦八苦したのを覚えています。このサイト内ではタイムラインに沿って両者の動向を掲載したり、現地住民へのインタビューなどを盛り込んだりと、あらゆる角度から現地の熱狂を読者へ伝えています。また、開票当日には州ごとの投票結果を画面上でカウントアップしていくことで、激闘の様子をよりリアルに感じられるようなコンテンツへ仕上げています。その甲斐もあって、選挙当日はサイトへのアクセスが集中し、一時はサーバーがダウンするほどの反響を得られました。

いまは私の役割も転じているので、実質的なコンテンツ制作は優秀なデザイナーが支えてくれています。コンテンツのバリエーションも広がっているので、当時といまではまた雰囲気も違っていますが、当時経験した報道デザイナーとしてのノウハウを今年の「米大統領選2020」のディレクションで活かすことができています。

もう一つは、2020年2月から毎日更新し続けており、いま現在も大きな反響をいただいている報道コンテンツ「新型コロナウイルス感染 世界マップ」です。こちらは世界規模での感染状況を一目見てわかるように、国ごとの状況や感染者数の推移をヒートマップやグラフによる表現方法で発信しています。
 
 「新型コロナウイルス感染 世界マップ」

先の「米大統領選2016 開票ライブ」のように、制作するビジュアルコンテンツは決められた一定の期間がありますが、新型コロナウイルス感染症に関してはそのような期間はありません。そのため、日々の状況や伝えたい切り口に対して迅速に対応し、よりスピード感のあるコンテンツ開発を行うバランス感覚や調整がとても重要になるのです。当社では、記者やデザイナー、エンジニアなど異なる職種のメンバーでチームをつくることでそれらの対応を行っています。当然、それぞれの職種で役割が異なるので足並みをそろえる必要はありますが、いかに「わかりやすいニュースを読者へ伝えるか」を軸に手を取り合って制作を進めています。

──データビジュアライゼーションを意識したコンテンツは、そのほかの新聞社でも積極的に制作され注目を集めていますよね。報道業界のこうした変化には、どのような背景があったのでしょうか?
業界全体がデータビジュアライゼーションの重要性に気づいたのは、2013年にアメリカのオバマ大統領が発令した、政府情報のオープンデータ化に対する大統領令がきっかけです。当時のオバマ政権では「オープンガバメント(開かれた政治)」を掲げ、国民の信頼回復に向け積極的に動いていました。そのなかで、インターネットを活用する動きも推進され、ポータルサイトなどを通じて政府情報を公開するオープンデータ化の取り組みが活発になったのです。データ活用の重要性が社会に広がるなか、米新聞社のニューヨークタイムズは、ワシントン州で起きた雪崩の情報をまとめたWebコンテンツ「Snow Fall」を公開しました。この記事では文字情報だけでなく、モーショングラフィックスや動画、音声ファイルを活用した内容となっていました。この特集記事が世界中に大きなインパクトを与え、報道機関がデータビジュアライゼーションに取り組むことになる大きな転換点となりました。

この「Snow Fall」が起こした大きな波を受け、日本国内の報道機関もデータビジュアライゼーションを活用したコンテンツ制作に次々と動き出しました。日本経済新聞社としてもデータビジュアライゼーションの領域に挑むべく、社内に専門チームを発足。データと報道をかけ合わせたコンテンツ制作に取り組む流れができたのです。

──つまり、報道機関のデータビジュアライゼーションに関するコンテンツの制作は、まだまだ取り組み始めたばかりというわけですね。
そうなんです。報道とデザインのかけ合わせは、イメージしにくい人もまだまだ多いかと思います。しかし、データと報道をかけ合わせた「データジャーナリズム」という考えの普及が進むなかで、報道業界におけるデザイナーの価値はとても大きくなってきています。多量な情報を正確にわかりやすく届けるためには、中身だけでなく見せ方もコンテンツの質を大きく左右します。だからこそ、覚伝達や情報設計を生業とするデザイナーの需要は、この業界でも今後さらに高まっていくのではないでしょうか

私自身、日本経済新聞社に就くまでは住宅設計やWeb制作の仕事をしていました。それらで培ったデザイナーとしての視点は、報道機関である当社でも求められている視点だと、強く実感しています。データジャーナリズムという調査報道の手法、それを報道機関としてデータビジュアライゼーションの形として落とし込み、読者へ伝えていく技術や体制はまだまだ発展途上ではあります。しかし、だからこそデザイナー個人の経験を活かしたアプローチができる。新聞社のデザイナーは、今後大きく飛躍する可能性を秘めた、とてもやりがいのある仕事だと考えています
──それでは最後に、清水さんが今後デザイナーとしてどのようなキャリアを歩んでいきたいと考えているか教えてください
私はデザイナーが既存の領域を飛び越えることで、より魅力的なコンテンツを生み出せるようになると考えています。例えば、先述の新型コロナウイルス関連のコンテンツの場合。私は日頃から自身の視点の発掘と仮説検証を兼ねて、個人用のWebサイトで創作研究する趣味があります。新型コロナウイルス感染症に対してもデータ収集をしていたので、Webサイトでデータビジュアライゼーションを個人でつくっていました。この経験があったので、仕組みやデータの理解がそのままコンテンツ制作に活かせました。そのため「新型コロナウイルス感染 世界マップ」の作成の際、デザインとエンジニアリングの両方を加味しながら、ディレクションを進めることができました。

役割の境界線を自分で引いてしまうと、身動きが取りづらくなりキャリアとしても面白くありません。今後、当社のコンテンツとサービスの連携をより強化させていく上でも、貪欲に経験値を積み上げながら、デザイナーとしてあらゆるコンテンツの制作に深く関わり続けていきたいと思います。

──テクノロジーがジャーナリズムを変化させているからこそ、読者への見せ方をデザインする力が求められている。データジャーナリズムが社会に浸透していくなかで、デザイナーの価値もより高まっていきそうですね。本日はありがとうございました!
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