──三浦さんのnoteの投稿、拝見しました。未来のマーケティングや未来の社会について、いろいろと言及されていましたが、今後の時代を担っていく若手のクリエイターたちは三浦さんにとってどのように映っていますか?
器用貧乏な人が多い印象があります。

──どういうことでしょうか?
若くして「クリエイティブディレクター」を名乗っている人を見かけるのですが、そういう人には基礎的な訓練や技術が足りてないこともあるように思います。僕は、クリエイターの能力には3つのパラメータがあると思っていて。技術力の「高さ」、技術を応用できる「広さ」、人間としての「深さ」。若くて一丁前の面をしているやつらは、広さしかない。スキルが身についたと勘違いして、横展開しているけど、高さも深さもない。言うなれば、幅がでかいだけのテントで、高さがないから窮屈だし、さらに問題なのは、深く根ざしていないから風が吹いたらすぐに倒れる。そういう人が多いから心配になりますね。
──人間としての深さとは具体的にどのようなものなのですか?
要は人間的な泥臭い部分ですね。仕事でピンチやトラブルがあるのって当たり前で、いつだってグッドコンディションではできない。だからこそ、逃げずに戦い続けられるか。それには覚悟が必要で、これまでに何度も何度も挫折したり、失敗したり、裏切られたり、泣きそうになったりと、そういった経験を乗り越えてきたかによって覚悟が生まると思っています。もういっそ300回挫折したら、クリエイティブディレクターになれる、みたいな指標をつくったらいいと思いますね。

──それだけ「深さ」を重要視するのは、どうしてなのでしょうか?
僕自身も失敗した経験があるからです。勘違いをして、昔「クリエイティブディレクターごっこ」をして失敗しました。

──それはいつ頃の話でしょうか?
博報堂にいた頃で、入社4年目です。今思うと笑っちゃうんだけど勝手にクリエイティブディレクターを名乗っていた時期がありました。入社後、マーケティングとPRの両方を経験しました。この2つの領域がわかっていると結構いろいろとできたので勘違いをして、クリエイティブディレクターを名乗っていました。けれども連戦連敗で全然ダメでした。このときの僕はまさに広さしか持っていなかったんです。高い技術も知識も持ち合わせていなかったし、命を預けられるくらいの人間的深さもなかった。だから周りからは、自分のために仕事をしている人間に見えただろうし、自分で振り返ってみてもそうだったなと。

──三浦さん自身の経験談でもあったのですね。では勘違いしないように、クリエイターに求められる「高さ」の基準は、どのように判断すればよいのでしょうか?
自分の代表作を持つことだと思います。1個でもいいので代表作をつくって、名刺代わりにする。当社にも、僕のことは知らないけれど、僕が手がけた案件を知って入社してきた人が多くいます。そして代表作があるからこそ、初めて広告クリエイターのプロとして他の領域のプロフェッショナルと対等に仕事をすることができます。日本の文化における「守破離」という言葉を借りるなら、師や流派の教えを忠実に守り、広告クリエイターとしてコアスキルを身につけるわけです。その上で、自らの流派を越境して、他の師や流派と対等に通じ合い、学び、高みを目指します。そして最後に、独自の新しいものを生み出し、確立させていきます。

──コアスキルをベースにした代表作を持つことが、ある種のスタートラインになるわけですね。
僕も若い頃には、今の時代、クリエイティブディレクターにはデジタルをはじめとした最先端のテクノロジーや情報をわかっている若い人材がなるべきだと思っていました。けれども、やっぱりそれは違って、クリエイティブディレクターはクライアントの経営者たちが人生を共にしたいと思えるような人間ではないと務まらない。そうでないと、年単位のマーケティング予算を安心して預けられない。クリエイティブディレクターに、ある程度の経験や年齢が必要なのは、合理的なことだと思いますね。

広告業界のパラダイムシフト

──では次に、若手に限らず広告業界全体について感じることはありますか? 
GOの年頭所感を書いたnoteで「人類史上最大の予測不能の時代」と書きましたが、劇的な変化の時代に、次々とゲームチェンジが起こっています。例えば、自動運転が当たり前になると、ずっと部屋にいるようなものなので部屋着と外着の概念が曖昧になる。都市設計も既存のものでは通用しなくなる。このように、社会の前提が覆り、既存の市場がなくなるわけです。先に待つのは、既存のビジネスやマーケティング戦略が通用しない世界です。まったく違う性質のものにいつの間にか変わっているのです。この変化に気付いていない人が多い。もっとわかりやすく言うと、サッカーをしていたのにいつの間にかアメフトをしていたというぐらいのパラダイムシフトが続々と起きるわけです。だからこれからのマーケティングに求められるのは、「市場に対応する競争戦略」ではなくて、「社会に対応する変化戦略」なのです。自動車会社の競合は同業の自動車会社だけではありません。すでに取り沙汰されていますが、自動運転技術の根幹であるAIを開発しているアップルやグーグルが脅威になりつつありますよね。このような変化にいち早く対応していくことが重要になるのです。

──競争市場で勝ち抜くのではなく、変化する社会へ適応していくわけですね。
それともう一つ、広告業界を「業界」から「産業」に変えていかなければいけないと思っています。

──「業界」から「産業」に変えるとは、具体的にどういうことでしょうか?
要するに、産業はその市場の裾野が広がっていくことを意図しています。対して広告業界は、どれだけ広告ビジネスの成長を考えているのか。クリエイティブ界隈では、作品と称され、それを評価する賞があります。そこを目指して仕事をしているクリエイターも多いのですが、それって業界のことしか考えていない。そうではなくて、産業として、広告という技術を使ってどれだけ世の中に価値を創造・提供していけるかを考えていくべきだと思います。
こういうふうに考えている人たちがあまりにも少ない。これは広告業界全体の課題ですね。僕自身も業界ではなく産業として、広告の価値を拡大していきたいと思っています。僕が知る限り、過去にこうした取り組みをしてきたのは、電通の吉田秀雄さんと博報堂ケトルの嶋浩一郎さん、この2人だけですね。吉田さんは広告枠の取引という事業を、嶋さんはWebPRという事業モデルをつくり、そのビジネスで生活できる人たちを増やしました。つまりこの2人は新しいお金を生む仕組みをつくることで広告ビジネスの可能性を広げたのです。僕らGOも事業クリエイティブという考え方でスタートアップのイグジット支援など、これまでの広告業界が手を出してこなかった領域へ裾野を広げていきます。業界の内輪受けではない、社会に貢献する事業として、広告の領域を広げていくことを多くのプレイヤーが考えるようになれば、広告は産業としてまだまだ発展していけると思います。

──広告の価値の拡大、この業界にいる一人ひとりが考えるべき課題ですね。お忙しい中お話、ありがとうございました!
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