Vol.49 視点を変えれば突破口が見つかる 異色キャリアの原点 キャリアアップナビ
キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、YUMMY SAKE(ヤミーサケ)でCCOを務めながら、デザインファームのtactoを経営する中島琢郎(なかじまたくろう)さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
──広告界に入ったきっかけを教えてください。
高校3年生の時、熱中していた部活を引退した途端、自分が何をしたいのかわからなくなってしまったんです。大学付属の高校だったので受験勉強も必要ない。いわゆる燃え尽き症候群だったのかもしれません。渋谷のツタヤで立ち読みばかりしていた時、雑誌『広告批評』(現在休刊)に出合って、広告やデザインってカッコいいなと思うようになりました。
だから、大学に進学して「デザイナーズコミュニティ シトロン」というサークルに勧誘された時、すぐに入部を決めました。創部したばかりのサークルで、フリーペーパーをゼロからつくったんです。取材や制作、広告営業、お店への設置の交渉まで全部やりました。新たに打ち込むものが見つかり、すっかり気力を取り戻しました。
就職活動は本当に行きたい企業だけに絞って臨みました。電通、博報堂、リクルート…夢見る就活生のリストですよね(笑)。厳しいのはわかっていて、どの会社ともご縁がなかったら旅に出よう、と思っていました。その中からご縁があったのが、外資系広告会社のビーコンコミュニケーションズでした。渡辺Nick英輝さんというデジタルマーケティングの第一人者が面接官で、話がはずんだことを覚えています。ただ生意気な発言をしていただけですが、当時の採用基準であった「アントレプレナーシップ」を見出してもらえたのかもしれません。
そうです。でも僕はCD(クリエイティブディレクター)になりたかったんです。通常、CDになるにはコピーライターかアートディレクターからステップアップしていきますが、僕が重視していたのはプランニングで、広告表現ではなかった。そこで、今の自分は、CDと対等に会話できるよう、全体観を磨くべきだなと。それで、まず営業の経験を積もうと決めました。
営業で学びながらも、クリエイティブ部への道を開くための努力も重ねました。例えば、お客さまから依頼を受け、クリエイティブに対するブリーフを書くとき。必要事項に加え、「中島案」を付けていました。ブリーフが長いと怒られたりもしましたが、クリエイティブの領域に踏み込んでくることを喜んでくれる人も。企画会議に頻繁に呼んでもらえるようになりました。
でも、僕に営業に集中してほしい上司との間に溝が生まれてしまって。転職を考えていたら、当時の社長に「まずストラテジックプランナーをやりなさい」と言われました。戦力になれる場所で結果を出して周囲を説得しろ、と。
ストプラになって程なく、僕はヤングカンヌ(※1)の日本代表に2年連続で選ばれ、その翌年にカンヌライオンズでショートリストに入賞しました。誰もが納得する結果を出したことで、クリエイティブ部への切符を手にできました。
──ヤングカンヌ日本代表が大きな転機だったんですね。
実は、僕の転機はそれより前にあったんです。営業をやっていた頃、ヤングロータスワークショップ(※2)の国内選考に参加した時のこと。最後の講評で、審査員の佐藤カズーさんが「ここにいる99パーセントの人は『アイデア』が何なのかわかっていない」と強い口調で言い放ちました。
僕はアイデアって、面白いもの、カッコいいものくらいにしか考えていませんでした。一方、トップクリエイターは、僕とは全然違う角度からアイデアの本質を捉えている。激しいショックを受けました。同時に、面白い!と思いました。まさに無知の知。この時を境に、自費でカンヌに行ったり、業界内外の講座を受けたりと、多角的な視点を身に付ける努力をするようになりました。
サウス・バイ・サウスウエスト(※3)に行ったのもそれが理由でした。よりよい未来をつくる方法を、人道的、法律的、技術的観点から本気で議論をしている人たちがいる。それに強い衝撃を受け、広告以外の視点から人の行動を変えることに挑戦したくなりました。そこで「R&D部門のプランナー」を求めていた博報堂アイ・スタジオに転職を決めました。他者から見れば、エージェンシーからプロダクションへの転職は異色です。自分の新しい視点を信じて前へ進みました。 ──現在はどんなことをしていますか。
博報堂アイ・スタジオで立ち上げたYUMMY SAKEというサービスをスピンアウトさせた会社でCCOを務めています。並行して、2020年に共同創業したtactoというデザインファームを経営しています。
tactoのパーパスは“UNLOCK ANOTHER ANGLE”。別の角度からやってみようよ、という意味です。視点を変えれば、行き詰まったときにも突破口を見つけることができる。固定観念にとらわれないことがますます重要な時代において、僕を支えてくれる、大切な言葉でもあります。
※1:世界最大の広告祭「カンヌライオンズ」の中で行われる若手クリエイター向けのコンペ「ヤングライオンズ」の通称。
※2:アジア最大級の広告祭「アドフェスト」で開催される若手クリエイター向けワークショップ。
※3:世界最大級のビジネス・クリエイティブのカンファレンス。優れた新規事業を評価するイノベーションアワードなど、さまざまなイベントが開催される。
高校3年生の時、熱中していた部活を引退した途端、自分が何をしたいのかわからなくなってしまったんです。大学付属の高校だったので受験勉強も必要ない。いわゆる燃え尽き症候群だったのかもしれません。渋谷のツタヤで立ち読みばかりしていた時、雑誌『広告批評』(現在休刊)に出合って、広告やデザインってカッコいいなと思うようになりました。
だから、大学に進学して「デザイナーズコミュニティ シトロン」というサークルに勧誘された時、すぐに入部を決めました。創部したばかりのサークルで、フリーペーパーをゼロからつくったんです。取材や制作、広告営業、お店への設置の交渉まで全部やりました。新たに打ち込むものが見つかり、すっかり気力を取り戻しました。
就職活動は本当に行きたい企業だけに絞って臨みました。電通、博報堂、リクルート…夢見る就活生のリストですよね(笑)。厳しいのはわかっていて、どの会社ともご縁がなかったら旅に出よう、と思っていました。その中からご縁があったのが、外資系広告会社のビーコンコミュニケーションズでした。渡辺Nick英輝さんというデジタルマーケティングの第一人者が面接官で、話がはずんだことを覚えています。ただ生意気な発言をしていただけですが、当時の採用基準であった「アントレプレナーシップ」を見出してもらえたのかもしれません。
──入社時は営業職ですよね。
そうです。でも僕はCD(クリエイティブディレクター)になりたかったんです。通常、CDになるにはコピーライターかアートディレクターからステップアップしていきますが、僕が重視していたのはプランニングで、広告表現ではなかった。そこで、今の自分は、CDと対等に会話できるよう、全体観を磨くべきだなと。それで、まず営業の経験を積もうと決めました。
営業で学びながらも、クリエイティブ部への道を開くための努力も重ねました。例えば、お客さまから依頼を受け、クリエイティブに対するブリーフを書くとき。必要事項に加え、「中島案」を付けていました。ブリーフが長いと怒られたりもしましたが、クリエイティブの領域に踏み込んでくることを喜んでくれる人も。企画会議に頻繁に呼んでもらえるようになりました。
でも、僕に営業に集中してほしい上司との間に溝が生まれてしまって。転職を考えていたら、当時の社長に「まずストラテジックプランナーをやりなさい」と言われました。戦力になれる場所で結果を出して周囲を説得しろ、と。
ストプラになって程なく、僕はヤングカンヌ(※1)の日本代表に2年連続で選ばれ、その翌年にカンヌライオンズでショートリストに入賞しました。誰もが納得する結果を出したことで、クリエイティブ部への切符を手にできました。
──ヤングカンヌ日本代表が大きな転機だったんですね。
実は、僕の転機はそれより前にあったんです。営業をやっていた頃、ヤングロータスワークショップ(※2)の国内選考に参加した時のこと。最後の講評で、審査員の佐藤カズーさんが「ここにいる99パーセントの人は『アイデア』が何なのかわかっていない」と強い口調で言い放ちました。
僕はアイデアって、面白いもの、カッコいいものくらいにしか考えていませんでした。一方、トップクリエイターは、僕とは全然違う角度からアイデアの本質を捉えている。激しいショックを受けました。同時に、面白い!と思いました。まさに無知の知。この時を境に、自費でカンヌに行ったり、業界内外の講座を受けたりと、多角的な視点を身に付ける努力をするようになりました。
サウス・バイ・サウスウエスト(※3)に行ったのもそれが理由でした。よりよい未来をつくる方法を、人道的、法律的、技術的観点から本気で議論をしている人たちがいる。それに強い衝撃を受け、広告以外の視点から人の行動を変えることに挑戦したくなりました。そこで「R&D部門のプランナー」を求めていた博報堂アイ・スタジオに転職を決めました。他者から見れば、エージェンシーからプロダクションへの転職は異色です。自分の新しい視点を信じて前へ進みました。 ──現在はどんなことをしていますか。
博報堂アイ・スタジオで立ち上げたYUMMY SAKEというサービスをスピンアウトさせた会社でCCOを務めています。並行して、2020年に共同創業したtactoというデザインファームを経営しています。
tactoのパーパスは“UNLOCK ANOTHER ANGLE”。別の角度からやってみようよ、という意味です。視点を変えれば、行き詰まったときにも突破口を見つけることができる。固定観念にとらわれないことがますます重要な時代において、僕を支えてくれる、大切な言葉でもあります。
※1:世界最大の広告祭「カンヌライオンズ」の中で行われる若手クリエイター向けのコンペ「ヤングライオンズ」の通称。
※2:アジア最大級の広告祭「アドフェスト」で開催される若手クリエイター向けワークショップ。
※3:世界最大級のビジネス・クリエイティブのカンファレンス。優れた新規事業を評価するイノベーションアワードなど、さまざまなイベントが開催される。