企画という仕事の面白さ

──大学のサークル活動でWeb制作を経験したことから、広告業界への就職を決めたそうですね。それにしても、なぜカヤックだったのですか?
自分で「面白法人」と名乗っているところに惹かれたんです。ハードワークを推奨する意味合いではないですが、僕が入社した当時のカヤックは「24時間遊び、24時間働く」という標語を掲げていました。こうした「仕事」と「遊び」の境目をつくらないという考え方が、自分にすごく合うと思いました。僕はずっと遊んでいたい。暮らしと仕事を一体化させるというか、遊ぶように仕事がしたかったんです。

──実際に入社してからはどうだったのでしょう。仕事は面白かったですか?
デザイナー志望として入社したので、しばらくは先輩デザイナーのアシスタントをしていました。その後、上司の推薦もあって、自社事業として展開していた「koebu(こえ部)」(※現在はサービス終了)の運営に関わることになりました。

「koebu」は音声コンテンツを投稿するコミュニティサイトです。一般ユーザーのクオリティの高い投稿も集まり、コミュニティ機能もあり、アニメファンや声優志望者に支持されていました。僕自身は、元々は声オタクではないので、どこまでいっても本当に好きな人たちの求めているものを想像をするしかなくて苦労しました。ですが、携わった2年間で、デザインをしながら事業を大きくするための戦略を考えて、キャンペーンを仕掛けたり、新しい機能を追加してユーザーの声をダイレクトにもらうという経験をたくさん積みました。プランニングという仕事の面白さに目覚めた、すごく大きな転機だったと思います。

──それがプランナーに転向するきっかけだったんですね。しかし元々はデザイナーで、ほとんどプランニング経験がなかったわけですよね?
そのとおりです。だから、まず企画書を書いてみようと、宣伝会議の「販促会議 企画コンペティション(販促コンペ)」にチャレンジしました。実在する商品のプロモーションアイデアを競うそのコンペで、初めて書いた企画書がシルバーを受賞したんです。世の中に認められたことで、ちょっと自信がつきました。そして、「自社事業ではなく、クライアントワークの企画をやりたい」と異動希望を申し出ました。

販促コンペ シルバー受賞作品「偉人に“楽”ガキ」<br />
課題:パイロットコーポレーション・消えるペン「フリクション」をもっとたくさんの人に手に取ってもらうためのプロモーション
販促コンペ シルバー受賞作品「偉人に“楽”ガキ」
課題:パイロットコーポレーション・消えるペン「フリクション」をもっとたくさんの人に手に取ってもらうためのプロモーション
念願叶って異動したクライアントワーク事業部企画部で、最初はディレクターを務めました。ディレクターになってからも販促コンペやヤングライオンズコンペティションなどに応募していて、その時につくった企画が社内で評価され、プロデューサーに抜てきされたと聞いています。その後、クライアントワーク事業部に3人いる事業部長の1人となりました。今はマネジメント職を離れ、クリエイティブディレクターをしています。

──クライアントワーク事業部全体を見る管理職から、再び制作の現場に戻ってきたということでしょうか?
事業部長時代はいわゆるプレイングマネージャーで、現場の仕事はしていましたが、マネジメントの仕事が多くなっているのが実情でした。正直に言うと、管理職はあまりやりたくなくて(笑)。企画や制作に専念したいと思っていました。

この状況は、自分にとっても会社にとっても、もったいないのではと思っていました。そんなタイミングで、僕よりもプランニングもマネジメントも経験がある人が入社し、事業部長の職をバトンタッチしてもらえることになったんです。

──現場で企画の仕事をするのが好きだったんですね。どんなところが魅力ですか?
自分が考えたアイデアを世の中に向けて実行して、狙い通りの反応が返ってきた時にすごく楽しさを感じます。

僕は釣りが好きなんですが、その日の条件から、魚がいそうなポイントを見定めて、どのルアーを使い、どんなふうに動かすか決めたりします。それで「ほら、やっぱり釣れた!」って時は、世界の仕組みを見つけた気がして、ものすごく楽しいんです。

自分の広告のつくり方やその楽しみも、だんだんそういうふうに変わってきた気がします。昔は誰かに言われたものを一生懸命勉強して、こういうのが好きなんじゃないかと想像してつくっていましたが、今は自分が好きなもの、つくりたいものをつくっています。そうしてつくったものを、同じように好きだと思ってくれそうな人たちに見せて、バズったら「やっぱりみんなも好きだよね!」って。そういう感覚でやっています。

──クライアントからのオリエン待ちではなく、いわゆる「自主提案」で仕事をつくっていくわけですね。
そうです。まさにその一例がサウナです。僕はサウナも好きなんですが、クライアントとして付き合いの長かったサントリーの方に「サウナ、いいんですよ!」と、ことあるごとに言い続けていたんです。そうしたら、ある時、向こうから「サウナブームみたいだし、そろそろやりましょうか」と言ってもらえて。サウナを絡めて、同社商品である炭酸飲料ペプシのSNSキャンペーンが実現しました。これがサウナ好きの人たちを中心に、めちゃくちゃ拡散されてすごく反響があったんです。こんなふうに、自分から提案することがだんだん増えてきましたね。

「#ペプシサウナ」キャンペーン
「#ペプシサウナ」キャンペーン

キャリアの軸足は複数持つといい

──サウナといえば、好きが高じて事業を立ち上げたんですよね。
そうなんです。事業化に至る大きなきっかけは「テントサウナ」に出会ったことでした。

テントサウナは、テントの中で薪ストーブをたき、その熱を使ってサウナを楽しむアイテムです。日本でサウナブームが起こる前に、僕は山梨県の本栖湖で初めて体験しました。目の前には富士山がそびえ、最高の景色が広がっていました。サウナで体を温めたあと、湖にドボンと飛び込んで水面に顔を出した時、一緒にやった友達と思わず顔を見合わせた。「これを広げたい! 日本中で誰もが楽しめるように、日本の新しいカルチャーにしたい!」って、その時に決心しました。それぐらい衝撃的な体験で。帰りの車で友達とアイデアを出し合い、その場で「SaunaCamp.(サウナキャンプ)」というネーミングまで決めました。家に着いてすぐロゴもつくっちゃいましたね。

──それでダブルワークをするようになったわけですね。
好きで始めたことなので、この遊びをみんなに知ってもらいたい気持ちの方が大きく、ビジネス化しようというつもりはありませんでした。そんなある時、SaunaCamp.として運用していたInstagramに、アーティストのサカナクションさんから「いつも見てます」「"森、道、市場 2019"という音楽フェスの会場で、テントサウナが体験できるようにしてもらえませんか?」とメッセージが届いたんです。うれしくて、愛知県蒲郡市の会場に海外製のテントサウナをドンと10台持って行って並べました。そうしたら、そのテントサウナメーカーの社長が現地視察のために来日してくれて。「君たちが日本の販売代理店としてテントサウナを広めてくれ」と言ってくれたんです。
「森、道、市場 2019」開催時の様子
「森、道、市場 2019」開催時の様子
それ以来、テントサウナや関連グッズの販売、イベントの企画プロデュース、情報発信、最近では地方創生の相談にも乗るようになり、サウナキャンプをカルチャーとして根付かせる活動を続けています。

始めた頃はテントサウナなんて誰も知らなかったのに、いまや「ととのう」という言葉とともに大流行しています。すごくたくさんのテレビや雑誌にも取り上げられました。僕たちのプロモーション企画が、この流行の1つのピースとしてうまくはまったんだと思っています。テントサウナが日本でここまで広まってくれてすごく嬉しいです。

──自分で事業をやってみて、カヤックのクリエイティブチームを引っ張る立場としての考え方に、何か変化はありましたか?
軸を複数持つのは大事だなと感じています。経験を相互に活かせるだけでなく、自信や心の安定につながりますから。だから、僕がメンバーの強みをどう活かすかを考えるとき、カヤックという会社を俯瞰で見て、別の事業や別の分野でも活躍できることはないだろうかと考えるようになりました。

僕はクリエイティブディレクターですが、「テントサウナの人」とか、「釣りの人」とか、「企画を考えられる人」とか、いろんなふうに呼ばれています。肩書きなんて何でもいいんです。メンバーにも、いろんなことに手を出して、自分の軸となるものを増やしてほしいと思っています。

自分の中の「面白い」こそ、ユニークな企画の源

──誰もがクリエイターになれる世の中で、広告制作が難しい時代になってきたと思います。若いクリエイターやプランナーは、そんな中で新しい広告づくりを模索しているのですが、なかなか苦戦しているようです。
最近すごく思うのは、本当に自分が面白いと思うことをもっとやってみた方がいいんじゃないかということ。SNSの功罪と言えるかもしれませんが、あらゆる反応が可視化されました。それによって、人からどう見られるかが気になってしまったり、本当に好きでやっているというより、どこかの成功例と似たような企画やクリエイティブに走りたくなる瞬間が増えているのではないでしょうか。そうではなく、本当に自分が心の底から面白いと思うことをちゃんとやることが大事です。

──兼康さんは、なぜそこまでアクティブに「面白い」を追求できるのでしょうか。
20代の頃は、寝てもさめても毎日めちゃくちゃ働きました。それは、僕にとっては、それが楽しかったからです。自分が楽しいと感じる方へ、尻込みせず進んでみようという気持ちが大事なのかもしれません。

ちなみに僕は、30歳になって自分に残された年月を考えた時、ここからは未来のためではなく、今「人生を楽しむ方向」にかじを切ってみようと思いました。そこで、「毎年何か新しいことを始める」と決めたんです。釣りやサウナも、そうやって着手してみたことのひとつです。
Sauna Camp.としての活動時の写真(左:兼康希望さん、右:Sauna Camp.を共に立ち上げた大西洋さん)
Sauna Camp.としての活動時の写真(左:兼康希望さん、右:Sauna Camp.を共に立ち上げた大西洋さん)
──最近はどんな新しいことをしましたか?
僕は、年齢ごとに標語もつくっていて、35歳だった2022年の標語は「生き急ぐ」にしていました。その年に結婚して、いつでも釣りができるように目の前に海が広がる家を買いました。そして36歳になる2023年は「つくってあそぼ」にしました。標語のとおり家のリノベーションを妻と一緒にやってみたり、仕事でも家庭でも、何かしらを「つくる」ことをテーマに楽しんでいます。

──そのテーマが仕事にも及んでいくわけですね。どうすれば、兼康さんのように自分が心の底から面白いと思うことを仕事に持ち込むことができますか。
“やりすぎる”ことが重要だと思っています。僕は普通のサウナでは飽き足らず、当時まだほとんど誰も持っていないテントサウナをやってみました。それが、今こうして事業になっています。植物にはまった時は、部屋を埋め尽くすくらいまで集めました。それで雑誌の取材を受けたこともあるんです。

どんな分野でも、それを愛好する人はたくさんいます。でも、“やりすぎる”ところまでいくと、自分が1歩出て、2歩出て、どんどん周りに人がいなくなっていくんです。そうすると、誰もいない境地に到達できて、誰も見たことのない景色が見えるものです。

もちろん「その先は崖だった」というリスクもあります。それでも、好きなことはブレーキを踏まずにやってみた方が絶対にいいと思っています。僕は30歳からずっとそうしてきました。これからも自分が面白いと思うことをとことんやって、それが仕事になるやり方をもっと追求しようと思います。40歳までには、遊ぶように暮らすスタイルを確立したいですね。

──毎年新しい何かにチャレンジして、しかもそこに標語をつけて楽しんでしまう。兼康さんはクリエイターとして、そして元々のマインドがユニークな人なのだと思います。「面白い広告をつくらなきゃ」と構えれば構えるほど、クリエイティブは画一化していく。そうではなく、クリエイター一人ひとりが、自分の人生において面白いと思えることを追求すると、それが源泉となって個性あふれる企画や表現につながっていくのではないかと思いました。今日は楽しいお話をありがとうございました。
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