むかしむかし、ではなく、みらいみらい。
 とある東京郊外にあるH大学の研究室から、この物語は始まる。
 どのくらいのみらいなのか、一応言っておくと2033年、ちょうど10年くらい先の世界が舞台であると思っていただきたい。

 一人の男が腕組みをして、自分のデスクで途方に暮れている。
 時刻は早朝8時ほど、季節は冬である。
 男の名前は、岸本勇次。紺のジャケットに青色のシャツを着て、先ほどからスマートデバイスの画面をチラチラと見たり、頭の毛を無造作にかきむしったりしている。顔は細面で、優しい顔つきをしている。
 H大学の情報学部プロダクトデザイン学科准教授。それが彼の肩書になる。デスクの上も、隣にある大きなテーブルの上も、さらには壁の棚の、そこかしこに紙やアルミやプラスチックや金属でできた立体のプロトタイプが散らばっている。部屋の隅には、大きな筐体の最新型3Dプリンターが置かれている。

 さて、何が彼を今、悩ませているか。その話をしよう。
 昨日のことである。岸本ゼミで、卒業制作のプレ審査と呼ばれる構想発表会があった。あと2カ月あまりに迫った卒制の締め切り前に、一度、先生が作品の構想を確認し、GOサイン、あるいはNGサインを出す。もちろんNGだけでなく、親身になって細かいアドバイスもする。この会を経由しないで自分勝手に暴走・迷走して、万が一、提出作品が「不可判定」されれば、内定企業への就職も怪しくなる。取得単位は12で、普通の授業の単位2の6倍もあるのだ。
 去年は20人のクラス全員が未完成だが作品を壊れないように抱きかかえて集まってきた。今年のテーマは「時間」。概念的で茫漠としているだけにアイデアが必要とされる。そんなわけで、学生と先生にとって極めて大事な会なのだ。

 ところが、である。
 授業開始の午後2時10分になっても、大き目のルームには生徒が4、5人しかいなかった。20人のゼミだから、7割近くが来ていない。何事が起こったのか。
 ちょっと遅れてきた学生があり、尋ねてみるとこう答えた。
「ニュースを見たんです。大学の食堂で火事があって、キャンパスの他の校舎に燃え移っていて、消防車がでていて、もうもうとした煙に放水している映像です。学内に入ることも禁止されているとアナウンサーは言ってました」
 岸本はただただ目を白黒させた。言ってることがよくわからない。で、質問した。
「大学ってこの大学?」
「ええ、そうです。このH大学です」
「えっ、何も起きてないよ。何も!!」
 岸本はすっとんきょうな声を出した。
「僕もよくわかりません。でも、テレビのニュース速報をネットで配信していました。僕はそのニュースを構内に入る直前に歩きながら見たんです。ヤバイ!と思って、ウロウロしていると何も起きてないようなので教室に来てみたんです、恐る恐る」
 学生は手に30センチ四方ほどの模型を持ったまま言った。来ていた他の学生たちもざわざわとし始めた。
 何が起きているんだ、と岸本は半ば放心していたが、我に返って、ニュースサイトを立ち上げ、夢中でスクロールした。探している映像はなかなか出て来なかったが、やっと出た。

 赤い消防車の周りを消防士が数人動いている。放水している。そして、次のカットになり、建物から火が出ている。テロップで「12時頃、H大学食堂付近から出火。現在、消火中。けが人はいない模様」と白抜きの文字が貼りつけられている。同じ内容を女性のアナウンサーが緊迫した声でナレーションしていて、右の上にはよく見慣れたAKC放送のロゴがある。次のカットは警察官が現れ、道路の整理をしていて、立ち入り禁止のステッカーが校門らしきところにロープで巡らされているーーー。

 2033年、世界中でフェイク動画が無数に発信されていた。政治家やタレントの声や表情はAIにより学習され、簡単につくり変えることができた。2020年代はナレーションと口の動きをリンクさせることがやや難しかったが、今は完璧だ。フェイクか否かを判定する国のシンクタンクがアメリカやEUや日本で生まれてきてもいる。
 岸本はもう一度、映像を見た。最初は気づかなかったが、食堂だと思った建物はH大学ではないようだったし、目をこらすとAKC放送のロゴもどこか変だった。他のAKC放送のニュースを探し出し、比較すると、明らかに異なる書体だったが、配色が似ていて慌てた心理状態で見ると、「本物」なのだった。
 フェイク動画としてはいい出来映えで、だからこそ、若い学生たちも騙されてしまったんだろう。ちなみに、出席している学生たちに聞いてみたら、SNSでまず「H大学から出火。学内立ち入り禁止中」という書き込みが午後1時ごろ、アップされたそうだ。そして、それをフォローするように30分ほど後に、火事の動画配信。考えてみれば、2時10分スタートの授業を狙い打ちした感があった。
「なぜなんだ?」 
 そうして、岸本はその疑問に取り憑かれ、今朝も自らの研究室で頭をかきむしって、途方に暮れていたのだ。

 まず、来なかった子たちを欠席にするのかどうか。そこに岸本は悩んだ。病気や忌引きが理由の場合は、届け出さえすれば、出席扱いになることが多い。しかし、今度の欠席理由はなんだろう。『フェイク動画に騙されたから』になるのだろうか。
 とにかく、1週間以内に補講をするしかない。しかし、学生たちは日々の決まったカリキュラムでタイトに動いているし、急に明日、補講!と言っても、出席できる子は数少ないだろう。一番空いているのは土曜だろうが、休日の予定の子も多いはずだ。卒制の締め切りは待ってくれない、デッドラインは近づいている・・・とにかく補講をいつにするか。最悪、オンラインで土曜にやるか・・・。

 出欠をどうするか、補講をいつにするか。岸本は教務課に早速、相談することにした。
 途中、フェイクのネタにされた食堂のある建物の前を通ったとき、思わず大きな舌打ちをしてしまった。教務課に話をした後、すぐに学科の主任教授から彼の研究室に呼ばれた。フェイク事件は、大したことではないようであり、しかし、そうでもないようなことでもあって、情報がすぐに学内を飛びまわったのだった。

 その結果、さまざまな意見が出たが、おおよそ次の3つに集約されるだろう。それぞれに角度が違う見方で、ある意味、真実はどこにあるか、と考えさせられる。近い将来、起こる類のことでもある。岸本のみならず、さて、読者のあなたはどの意見に賛成だろうか。

教務課の主任:
そんなフェイク動画に騙されるやつが悪いんですよ。こんだけフェイクにあふれている社会なのに、リテラシーがなさすぎです。「騙されない」はもはや教養の一つと言ってもいい。そもそもです、出てきている子がかわいそうだと思いませんか、模型抱えてきて。努力したその子たちの出席はチャラですか。さらに言うと、欠席理由になっていませんよ。ルールにないんです。フェイクで学校来ないと言うのは。

学生課の主任:
困りましたね。フェイクニュースで学校に来られないなんて、初めてかもしれません。でも、今後増えてゆくのかも・・・。しかし、欠席にしてしまうと<3分の2出席で単位取得>の3分の2に足りなくなる子もいるかもしれません。ここは先生、あまり厳しく考えないで、寛容な気持ちで、授業自体を休講扱いにされてはどうでしょうか。こんなに少子化になってしまったら、もう学生にサービスするしかないんです、大学というものは。

学部の主任教授:
聞きましたよ。あのー、以前から言おうと思ってたんですが・・・先生の授業は対面、つまりリアルが多すぎないでしょうか。今時、プロトタイプもデータでもらえば、先生のお部屋にある3Dプリンターでアウトプットできますし。シミレーション・ソフトも進化しています。大学もDXを整備して、莫大な投資をしてるんです。なるたけ学生をさまざまなリスクにさらさないためにも、リアル授業の割合を20%くらいにしていただけると助かるのですが・・・。

 岸本はそれぞれの意見を理解しながらも、正解感を持てなかった。自分が責められているような気もして、嫌な気持ちに追い込まれるようだった。
 しかし、補講はやらないといけないのは確かだ。大切な卒制に関わることだ。アドバイスのように、他の授業が入っていて出られない子はデータを送ってもらえさえすれば今回はいいことにしよう。大事なのはそれぞれの学生たちへのアドバイスの質なのだーーー岸本は頭の毛をかきむしるのをやめて、事態を前に進めることにした。まだ胸の奥でモヤモヤしたものをもちろん、抱えながら。



 アドバルーンは、SNSを見ていた。
 このところ、ある女性のつぶやきを毎日、チェックしている。
『アドバルーン』は、ハンドルネーム。彼はまだ20代半ばだが、10万人のフォロワーを持っていた。<面白い・笑える・ギリギリ>の動画を作成するAIアーティストだった。会社には勤めず、ミドルインフルエンサーとしてかなり多額の広告収入を稼ぎ、同年代の若者より優雅に生きていた。
 ある女性とは、ハンドルネーム<アッコ>。
 アドバルーンは、アッコとマッチングアプリで知り合った。今は、カップルの70%はマッチングアプリがきっかけで生まれ、サイトはマスに準ずるメディアにまで成長していた。大手広告会社が運営するものもいくつかあり、それぞれがユーザーにも広告発信企業にも超絶人気だった。
「明日のプロダク・ゼミ、プロトできてな~い。ホント才能な~い」
 アッコは短い投稿だが、いつも心の中をさらしがちだった。プロフには、<H大学情報学部>と書かれてあった。毎日のアッコのつぶやきを見ながら、アドバルーンは復讐にも似た、いたずら心を起こした。
 なぜ復讐なのか。
 それはアドバルーンに、アッコが「つれなかった」からだ。
 二人はマッチング後、1回だけリアルで会っていた。アッコは画面以上に美しかった。小柄だったが、プロポーションもよく、何よりも明るく笑うと、彼女の周り2、3メートルの空間が花の咲いたように華やいだ。アドバルーンは、まるで実在するかのようなAI美女を数多く作成し、収入の一部にしてきたが、目の前のアッコはプロンプトを駆使して『完璧に作られた美しさ』よりも、キラキラと輝いていた。アドバルーンはその魅力に引き込まれ、カフェで自分でも想像以上にしゃべり、おどけた表情さえ、さらけ出した。
 しかし、2度目はなかった。「忙しい」とアッコはメールをつれなく返した。「忙しくなくなったら、会いましょう」と次もダメ押すように返した。
 優雅に生きる高額所得者のアドバルーンは自分が低く見られたことに傷ついた。しかし、自分の容姿がさほどイケてないことを自覚していた彼は、なんとか自分に興味を持ってもらうことを「企画」し、才能を見せつけようと考えた。
 それが、H大学を燃やすことだった。
 もちろん、リアルではなくバーチャルで。冬の乾燥した大気の中、それらしく燃える建物、消防士の消火、消防車のランプの点滅、立ち入り禁止の現場、それらの映像を膨大なフリー素材のストックから探し出し、編集した。AKC放送のロゴはフォントを変え、カラーリングだけを似せてつくった。すべてはさして難しいことではなく、AIアーティストであるアドバルーンには3時間のオペで済んでしまうことだった。
 そして、アッコの過去のつぶやきから授業の始まる時間をチェックし、ちょうどいいタイミングを逆算して、自作ニュースを映像サイトにアップした。結果は、上々だった。「なんか、大学が燃えてるって!!」と、アッコのSNSにすぐに短い書き込みがあって、アドバルーンは机を何度も叩いて、満面の笑みを浮かべた。
 ちなみに、アドバルーンに罪の意識はなかった。こんなフェイク映像は今時、ネット上にいくらでもころがっているし、アップして数時間で削除すれば、刻々と変化するタイムラインに痕跡も残らない。これは、ほんのイタズラのジャンルでしかないだろう。もっとヤバいことをやって金を稼いでいるAIアーティストはいることだし、フェイク動画をビジネスとするフェイカーもどんどん生まれている・・・・そんなふうにしか思わなかった。
 さて、次は、アッコにメールでもしてみよう。
 それが今回の企画の締めだ。アドバルーンは、フェイク映像をつくっている時は冷静だったが、アッコの顔を思い浮かべると心の奥がぽっと熱くなっていくのを感じた。



「大学、火事になったんだね、ニュースで見たよ」
 数日後の午後、そうアドバルーンが打つと、すぐにレスがツツツと表れた。
「そうなのよ、ゼミに行けなくて大変だった」
「ミーティングモードにしていい?」と彼が聞くと彼女が反応した。
「いいわよ」
 アッコの映像が現れた。可愛かった。外光を受けた白い顔も、ふわっと揺れるボブヘヤも。
「久しぶりね」と言った。クルマが通る音が聞こえるから街中にいるんだろう。
「うん、でも、フェイクだったみたいだね」
「そうなのよ、ハイ! 騙されました!って感じ」
「食堂から火と黒い煙が上がっていたもんね、消防士が動き回って、警察官まで出て立ち入り禁止にしてた。AKC放送だった」
「そうそう・・・・ところで、なんで、そんなに詳しいの?」
 アドバルーンは5秒無言になった。いや、正しく言うと無言にした。
「・・・やったわね。あなたがつくったのね、あのニセモノ」
「よくできてただろ」
「もー、騙されたじゃないの」とアッコは屈託なく笑った。
「遊びだよ。すぐに削除したし、著作権も侵害してない」
 アドバルーンは本当に久しぶりにアッコの笑顔が見られてよかったとだけ思った。
「卒制のプレ審査だったから困ったわ。でも、まだなーんにもできてないから、困った以前の話かもしれないけど・・・」
 今度はアッコが5秒無言になった。そして口をおもむろに開いた。
「ねぇねぇ、私の卒制、手伝ってくれないかしら?」
「いいよ」
 アドバルーンはすぐに承諾した。
「ありがとう、10万人のフォロワーを抱えるクリエイターさん」
「AIを使いこなせれば、なんでもできる時代なのさ」
「お願いね、明後日、補講だからそれまでに」
 そう言って、アッコはとびきりの表情で無邪気に笑った。


 さて。
 物語はここで、めでたしめでたし(本当にめでたいのかはさておき)で終わるのだが、ちょうどそのころ、岸本研究室で起こっていたこともあるので、付け加えておこう。

 岸本准教授が、3Dプリンターにデータを入力している夕方。部屋の外から、声が小さく聞こえた。「村田、君から、入れよ」「アタシ、作品持ってるから無理」「じゃ、僕が持つよ」「いいから、結城くんが開けてよ」
 岸本はドアを開けた。
 ゼミ生の二人がいた。結城は何も持っていないが、村田は模型を腕いっぱいに必死な面持ちで抱えている。
「あ、先生、こんにちは」
 女性の村田が言って、「すいません、お時間ありますか」と続けた。
「いいよ、さ、入って」
 岸本がどうぞと手を動かすと、二人は「お邪魔します」と入り、村田は模型を大きなテーブルに「よいしょ!!」と声を出して置いた。
「こいつ、この前、フェイクニュースに騙されてゼミ休んだんです」
 結城の言葉を受けて、
「見て欲しくって、プロト持ってきました。方向性を確認していだいていいですか?」
 村田が、そう申し訳なさそうに頭を下げて言った。
 この二人は付き合っている。ゼミの授業中、いつも二人は並んで座っている。意外かもしれないが教える側はそういう学生の人間関係をかなり正確に感じ取っている。
 三人は大テーブルのまわりに座った。岸本は厚紙でできた模型を丁寧に見ながら、村田の説明を聞いた。
「いいじゃないか、針のない時計台がモチーフなんだね」
 岸本は言った。
「やったぁ!! 先生に直に見てもらえて、自信つきます!」
 結城も村田の隣で嬉しそうに微笑んでいる。
「もちろん、ちょっと改善した方がいいところもあるよ、例えば・・・」
 岸本はプロトタイプをくるっと1回転させた。すると、時計台の尖塔っぽいパーツがぽろっと取れて、テーブルの下にころっと転がった。
「ああ~」
 三人は大きな声をユニゾンのように上げ、テーブルの下に潜り込んだ。
「もっとちゃんと接着しとけよ」
「したよ、したから」
「本物なら大事故だな」
 結城が尖塔部分をいち早く見つけ、宙にかざし、模型の元あった部分にちょんと嵌めた。
「ああ、よかったぁ」と村田が言う。
 しかし、うまくはまって直立したのは一瞬で、すぐにヘタっとなって、斜塔になってしまった。
 その感じが、間が抜けていて面白く、三人は声を立てて笑うのだった。気がつくと、キャンパスに夕焼けが迫っていて、研究室の外がオレンジ色に光り始めている。
 岸本は窓の外を、目を細めて見ながら、言葉が心に湧いて出るのを感じている。
「みんなの近くにいよう。近くにいることが教えるということなのだ」
 時計のない時計台に夕陽が射して、美しく燃えている。


 
【written by】
クロックムッシュ
コピーライター。博報堂にいたらしい。妄想を言葉にして生きている。人間という生物に感動している。
写真
未来のエモーション
時代は203X。いまから10数年先のちょっとさきの未来。テクノロジーは想像を絶するほどではないけど、想像を少し超えて進化した社会。その時代に生きる人間の感情はどのように揺れるのか。advanced by massmedianでは、未来の感情(エモーション)をテーマにしたショートショート小説をはじめます。
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