十一度めまして! さつまです!

世田谷美術館にやってきました!
世田谷美術館にやってきました!
ART FUN FANをご覧の皆さん、こんにちは! もしかしたら、こんばんは。さつま瑠璃です。

さて、やって来たのは東京都の世田谷美術館。ここでは1階展示室で企画展を、2階展示室でコレクション展を開催しています。このような美術館を取材するとき、通常は企画展のフィーチャーが多いのですが、今回は広告やクリエイティブに関心が高い皆さまのために、コレクション展を取り上げました!

1986年に開館した世田谷美術館は、国内外の近現代の作品を中心に約1万8000点の美術作品を収集しています。なかでもコレクションの大きな柱のひとつとなっているのが、世田谷区ゆかりの作家の作品です。実は、アートディレクターの大貫卓也さんは世田谷区在住なのだとか。

また、同館は以前から花森安治さんとも縁が深く、過去にも表紙画やカット画をテーマに紹介する展示を開催してきました。今回は『暮しの手帖』の交通広告や新聞広告などに焦点を当てています。

「アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」はここが面白い!

「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」入り口
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」入り口
2階展示室の壁面の片側には、大貫卓也さんの手がけたポスターがずらり。思わず「なんだこれ!?」と言いたくなるような、強烈なビジュアルが目を惹きつけます。反対側に並ぶのは、花森安治さんの手がけた広告。素朴ながらも個性の強いデザインが印象的です。
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より

時代の先を捉えていた、大貫卓也さんの目

大貫さんが若くして注目されるきっかけとなったのが、博報堂に入社して携わった遊園地「としまえん」の広告です。「プール冷えてます」のなんとも言えない愛らしい手書きのような文字に、ゆるかわいいペンギンのイラスト。シンプルながらもインパクトは抜群で親しみやすさ満点です。夏の風物詩である「冷やし中華始めました」の店主の貼り紙を想起させるようで、これを見たらとしまえんの冷たいプールに飛び込みたくなりませんか?
大貫卓也《ポスター「としまえん プール冷えてます」》1986年, クリエイティブディレクター 宮崎晋・笠原伸介, アートディレクター 大貫卓也・増田秀昭, コピーライター 岡田直也, イラストレーター 森本美由紀, エージェンシー 博報堂, クライアント 豊島園 世田谷美術館蔵
大貫卓也《ポスター「としまえん プール冷えてます」》1986年, クリエイティブディレクター 宮崎晋・笠原伸介, アートディレクター 大貫卓也・増田秀昭, コピーライター 岡田直也, イラストレーター 森本美由紀, エージェンシー 博報堂, クライアント 豊島園 世田谷美術館蔵
今でこそ、ユーモラスに商品を宣伝する広告はよく見かけるようになりましたが、実はこの作品が世に出た当時はそうではありませんでした。「広告はとにかくカッコよくオシャレに仕上げるのが、当時の主流。しかしそのムーブメントの中で、広告が本来すべき商品やサービスの良さを伝える役割が忘れ去られ、ただデザイン性が強くカッコいいだけ、のビジュアルが世に溢れていたのも事実でした」と教えてくれたのは学芸員の矢野さん。大貫さんはいち早くこの現状に気づき、当時の広告デザインの常識をくつがえす仕事で、その後の広告のあり方を変えていったのです。

としまえんの広告だけでもかなりのバリエーションがあり、「これが遊園地の広告!?」と驚くような発想力や、クスッと笑えるような表現は、今の時代のクリエイターにとって学びになる部分も多いはずです。
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
本展会場では、大貫さんが目を通した解説リーフレットを無料で配布しています。「そのときの時代背景や、どういう社会状況下でつくられたかは、広告を見る上で大切なこと。大貫さんが当時どんなことを考えていたかがよくわかります」と、矢野さんもおすすめの資料は必見です。

花森安治さんをアートディレクターとして見るのが、本展の新しい視点

「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
『暮しの手帖』は、1948年から刊行されている家庭向け総合生活雑誌です。衣食住をはじめ、ライフスタイルに関するさまざまな提案をするこの雑誌は、創刊75周年を迎えた今でも根強いファンによって支えられています。

花森さんはこの雑誌の初代編集長を務めながら、自ら広告クリエイティブも手がけていました。「新聞広告や電車の中吊り広告まで、何から何まで全部自分でつくる姿勢はかなりクレイジーで、現代でいう一般的なアートディレクターともまたちょっと違うのが面白いところ」と矢野さんは話します。
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
「ミュージアムコレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」会場風景より
その広告はなかなかにエキセントリックです。「天ぷら油とサラダ油はじつはおなじものではないだろうか」——赤い背景にでかでかと手書き文字で主張する謎の(?)メッセージ。一見しても生活雑誌の宣伝だとすぐにはわからないけれど、ある日電車に揺られてふとこれを見たら、なんだか『暮しの手帖』という雑誌に興味が湧いてはきませんか?
花森安治《ポスター「『暮しの手帖』II世紀3号中吊り広告」》1969年 世田谷美術館蔵
花森安治《ポスター「『暮しの手帖』II世紀3号中吊り広告」》1969年 世田谷美術館蔵
「花森さんは編集者であり、文章を書く文学者とも評されますが、デザインもやるし絵も描くし、雑誌そのものが作品といえるほど本当に多才です」と矢野さんが紹介するように、花森さん自ら、表紙画もカットも描き、『暮しの手帖』のタイトル文字も毎回書いていたというから驚きです。広告の版下には自ら写植を貼り、細部にまでこだわっていたとか。アナログが当たり前だった時代の、今ではなかなかお目にかかれない制作物は見逃せません。

「花森さんがアートディレクターとして紹介されることは今まであまりなく、編集長やイラストレーターと称されることが一般的でした。だからここで、アートディレクターとしての側面を紹介したいんです」という矢野さんの思いが、この展示には詰まっています。
花森安治《新聞広告(版下)『暮しの手帖』2世紀3号》1969年
花森安治《新聞広告(版下)『暮しの手帖』2世紀3号》1969年
花森安治《新聞広告(版下)『暮しの手帖』2世紀3号》1969年
花森安治《新聞広告(版下)『暮しの手帖』2世紀3号》1969年

大貫さんと花森さん、ふたりの共通点は?

「大貫さんと花森さんはなんとなく似ている気がします。クレイジーというか、徹底的にとことんやるところです。あとやっぱり、広告はコミュニケーションが大切じゃないですか。伝えるためのアイデアをあの手この手で捻り出して、時には常識を疑ってみる。普通やらないよね、とみんなが二の足を踏むものをクリアしてしまう。クリエイティブには、大変だけどやったら面白いことはいくらでもあって、それを現実にするには多くのハードルを超えなければいけないはずです。そんな中で、こういう情熱も仕事人としてすごく大事というか、見習うべき部分のひとつでもありますよね」と矢野さんは語ります。

なぜ広告をつくるのか。広告で何を表現するのか。常に原点に立ち返り、本質を見定める力は、クリエイティブの技術やトレンドが進化しても変わらない大切なことだと実感します。

ふたりそれぞれの、平和への願い

一見異なるふたりのクリエイターをつなぐ本展。その要素として、平和への願いが挙げられます。

大貫さんが制作した「ヒロシマ・アピールズ」ポスター展の作品は、AR(拡張現実)の技術を取り入れたものです。「スノードームって、なんだか楽しく懐かしい思い出を感じるものですよね。それを広島の原爆ドームと重ね合わせている。一瞬真っ暗になって死の灰が舞う光景は残酷で、でもそれぐらいインパクトがないと広島の悲惨さは伝えられないのだと思います」と矢野さん。

原爆を経験した世代が高齢化する中で、戦争を知らない人たちにどうやって戦争を伝えるべきなのか。大貫さんの思いを感じられます。
大貫卓也《ポスター「HIROSHIMA APPEALS 2021」》2021年, アートディレクター 大貫卓也, デザイナー 吉岡峻・中橋弘珠, クライアント 広島国際文化財団, ヒロシマ平和創造基金, 日本グラフィックデザイン協会 世田谷美術館寄託
大貫卓也《ポスター「HIROSHIMA APPEALS 2021」》2021年, アートディレクター 大貫卓也, デザイナー 吉岡峻・中橋弘珠, クライアント 広島国際文化財団, ヒロシマ平和創造基金, 日本グラフィックデザイン協会 世田谷美術館寄託
専用のARアプリを使って鑑賞できる
専用のARアプリを使って鑑賞できる
花森さんはかつて、戦時広告を作る大政翼賛会の仕事を担っていました。戦後は、人々を戦争に導くような仕事に加担してしまったと深く悔いていて、暮しの手帖社にこもって一生懸命働いていたといいます。

そのため、戦争中に付き合いのあった報道技術研究会のメンバーとも距離を置き、同会のメンバーが興した東京アドアートディレクターズクラブ(東京ADC、現在の東京アートディレクターズクラブ)にも入りませんでした。でも東京ADCのメンバーは、花森さんの新聞広告と雑誌表紙の仕事に、ADC賞の銅賞を贈りました。そして花森さんは、報道技術研究会が戦中に使っていた作業机をもらい、生涯大切にしていたそうです。

なお、展示室を出た先の小コーナーでは、そうしたふたりの平和への願いをつなぐように、写真家・川田喜久治が撮影した広島の写真が公開されています。
川田喜久治《〈地図〉原爆ドームと太田川》1960-1965年
川田喜久治《〈地図〉原爆ドームと太田川》1960-1965年

おわりに

大貫卓也さんと花森安治さん、その意外な共通点を楽しめるのはこの展覧会ならでは。ひとりだけを見ていたり、ひとつの仕事だけを見ていたりしてもわからないことが、工夫された視点で発見とともに見えてくる。そんな鑑賞体験を、ぜひお楽しみくださいね!

また、今回展を機に暮しの手帖社から『花森安治の広告デザイン 暮しの手帖のポスターと新聞広告』が販売されています。ミュージアムショップで購入できるので、ぜひお手に取ってご覧ください。
『花森安治の広告デザイン 暮しの手帖のポスターと新聞広告』暮しの手帖社
『花森安治の広告デザイン 暮しの手帖のポスターと新聞広告』暮しの手帖社
緑豊かな砧公園の一角に位置する世田谷美術館は、お散歩をしても気持ちの良い場所。田園都市線・用賀駅からのアクセスが便利でおすすめです! オフィシャルの道案内動画にさつまが出演しているで、ぜひ参考に足を運んでみてくださいね!
イベント情報
「ミュージアム コレクションⅠ アートディレクターの仕事―大貫卓也と花森安治」
会期:2024年7月20日~10月14日
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日(9月16日、23日、10月14日は開館。9月17日、9月24日は休館)
会場:世田谷美術館 2階展示室
主催:世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)
写真
さつま瑠璃
文筆家(ライター)。芸術文化を専門に取材執筆を行い、アートと社会について探究する書き手。SNSでも情報を発信する他、さつまがゆく Official Podcastでは取材執筆にまつわるトークを配信中。Web: https://satsumagayuku.com/ X:@rurimbon
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