定住をやめて、見えた未来。常識を疑い、本質を捉える Address Hopper 代表 市橋正太郎さん
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家を持たない、新しいライフスタイルを営む人たち「アドレスホッパー」。彼らは特定の拠点に住まず、国や地域を問わず、場所にとらわれない生活をしています。多様性が認められる社会の中で、このような生活様式が生まれたのも、一つの時代の変化の象徴といえるでしょう。このアドレスホッパーという言葉の発起人として知られているのは、市橋正太郎さん。そんな市橋さんがアドレスホッパーを新しいカルチャーとして定着させていくために新会社「Address Hopper Inc.」を設立しました。今回は、新しいカルチャーを定着させるための取り組みについて市橋さんにお聞きしました。インタビューでは、定住生活という社会通念を捨てたからこそ見えた市橋さんならではの視点が光ります。
アドレスホッパーという選択肢をつくる
──2019年3月に新会社「Address Hopper」を設立したとのことですが、これにはどのような意図があったのでしょうか?会社を設立した目的は、アドレスホッパーという生き方が誰にでも手の届くライフスタイルやカルチャーとして浸透して欲しいという思いからです。アドレスホッパーの移動生活の様子やコミュニティ活動について多くのメディアで話題にしていただきましたが、今後さらにカルチャーを広げていくためには、様々な企業や自治体、政府などと手を組んでいかなければならないと考え、法人化しました。
──「アドレスホッパー」という概念を浸透させることが目的ですか。現在はどのような事業をしているのでしょうか?
一番力を入れているのは、オリジナル雑誌『HOPPING MAGAZINE』の創刊です。アドレスホッパーのカルチャーを伝えることを目的にしています。さらに、その編集作業を通して僕たち自身が、よりアドレスホッパーに対する思考を深めていきたいという思いもあります。それ以外にも「お試し!アドレスホッパー体験」という、初めての方にも体験しやすいプログラムも開発するなど、さまざまなことを試しています。
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──確かに、現代は「土地に住む人々から税金を徴収する」ことが前提で社会が形成されていますので、その根幹を見直すとなると多くの部分で異なる点が見つかりそうです。
国によっては現代でも遊牧民など移動生活をしている人々はいますが、定住生活をしている人々の方が圧倒的に多い。だからこそ、移動生活をしてみることで定住生活の上で築き上げられている社会を俯瞰して見ることができ、社会への理解がより深まります。昔は移動生活をし続けることはさまざまな面でデメリットが多かったのかもしれませんが、いまはテクノロジーの発展や多様なサービスのおかげで、移動コストも下がっています。それにリモートワークも当たり前になりつつあるため、アドレスホッピングは時代の変化によって生み出されたライフスタイルなんです。
近い例で、「バックパッカー」というライフスタイルがあります。もともと地球一周旅行はお金持ちしかできないものでしたが、バックパッカーというカルチャーが生まれたことによって、地球一周旅行はお金持ち以外の人にとっても選択肢の一つになりました。僕はアドレスホッパーという概念もバックパッカーと同じように、選択肢の一つにしたいんです。
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そうです。いまは、アドレスホッパーが一過性のブームで終わるか、カルチャーに変わるかの瀬戸際なのです。メディアが取り上げやすいキャッチーでユーモアな表層部分しか注目されないと、どんなに可能性があるものでも死んでしまう。未成熟なままの拡大は死を招くんです。もし僕のせいで、アドレスホッパーが一過性のブームとして死んでしまったのなら、死んでも死にきれない。ブームではなく、ムーブメントにしていくためにも、根底にある哲学をしっかりと伝えていくこと。そして周りを巻き込みながら哲学の強度を上げていき、しっかりとしたカルチャーとして築き上げていきたいです。それが、いま僕がクリアするべきミッションであり、会社を立ち上げた一番の理由です。
──そもそも市橋さんは転職に伴って、2018年からアドレスホッパーとしてのライフスタイルを始めたんですよね。始めた当初はここまで発展性があることだと思っていたのでしょうか?
全然思っていなかったですね(笑)。転職先はスタートアップ企業でこの先どうなるかわからなかったこともあって、フレキシビリティを担保したかったんです。そこでいろいろ考えた結果、Airbnbに一旦住んでみることに行き着きました。まさかそれが自分の人生を懸けるほど熱中するものになるとは…(笑)。
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僕の人生において実現したい目標は社会通念の変化にコミットしていくことでした。世の中の芯、つまり本質を捉えて、人間の生活がいまよりも前進するものを残していきたい。漠然とそう思いながら、多種多様な事業やサービスについて考えていたのですが、自分の人生を懸けられるものには出会えなかったんです。そのような中でAirbnbに住む生活をし始めて、いままでの定住生活では気付かなかったことが見え、多くの可能性を感じたんです。
──アドレスホッパーというライフスタイルが生まれた要因の一つに“時代の変化”が挙げられるかと思います。市橋さんが一番変化を感じた部分はどこかありますか?
一番大きな変化は、変化のスピードが上がっていることだと思っています。イノベーションが起こるスピードがこれまでは数十年かかかっていたことも、いまでは5~10年など短い期間で起こっています。このスピードに対して僕らはどのように環境や思考をアップデートしていくのかを考えなくてはいけません。その過渡期にいままさに直面しており、この先より一層不確実さ、不透明さが増すなかで、これまでと同じ思考では置いていかれてしまう。その中で僕の出した答えが「柔軟に動ける環境」でした。
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常識を疑え
──とはいえ移動生活を続けていくには負担も多いかと思うのですが、市橋さんの中で移動生活における問題点などについてはどのように考えているのでしょうか?おっしゃる通り、この生活を続けるためには越えなければいけないハードルはいくつかあります。体を壊してしまえば移動にかかる負荷も増します。それにリモートワークができない状況になれば、この生活を続けることは難しくなると思います。でもこれらよりも難しいのは家族や子どもについてですね。いま僕が一番考えているのはこの問題です。
──その部分は非常に難しそうですよね。自分一人の問題ではなくなるわけですから。
特に子どもの教育については非常に難しい。僕は、子どもの教育において一番大切なことはアイデンティティがなにに基づいて形成されたかだと思っています。日本の教育は小中学校に通うことで、社会常識や役割を果たすことを学び、自分のアイデンティティを形成していく。これが当たり前になっています。その一方で、テクノロジーが発達した時代なら、学校に通わなくてもよいという意見もあります。ネット上にはさまざまなコミュニティが存在し、それらに参加することでもアイデンティティが形成できるということです。過去にはなかった選択肢が現れてきて、時代も環境も昔とは違う。だからこそ、思考停止していまの常識を選ぶことが必ずしも正解とは限らないのではないかなと。
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──システムが昔のままで、現代に適した形にはなっていないと。
それもあって、事実婚や内縁という新しい関係も生まれているし、熟年離婚も増えている。いまの結婚システムは60~80年もの長い間、誰かといることを想定していないんですよ。だからこそ、現状のシステムを一度見直して新たな時代に合わせて構築していく必要があると思います。結婚とはどういう状態を指すのかを再定義する。一つの例として、家事の役割や資産運用について詳しく決めて、弁護士に間に入ってもらう個人間契約を結んで10年間ごとに更新していくとか。そしてこの契約自体を「結婚契約書」と呼んでしまう。婚前契約や事実婚ではなく。このように、結婚という既存の司法システムに相乗りせず解決する方法は存在すると思います。
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そうです。自分の人生をより良くするためにも、常識にとらわれず本質を捉えていくことは本当に大切ですよ。それが自分の生きた証にもなるし、他の誰かの人生をいまより豊かなものにできるかもしれない。僕が定住生活を脱したことで、アドレスホッピングという概念を生み出したように、いまの常識や当たり前を変えていくことで時代に適切な新しいカルチャーが生まれる可能性がありますから。だから僕はこれからも、アドレスホッパーが新しいカルチャーとして世の中に浸透していけるように、これからも尽力していきます。
──目の前にある常識をなにも考えずに受け入れるのではなく、その本質を突き詰めていく。そうやって自分自身をアップデートしていかなければいけない時代になっているのですね。アドレスホッパーの行く末も非常に楽しみです。本日はありがとうございました!