ソーシャルグッドの実現を株式会社が普通にやる。そんな時代が来ている 社会の広告社 代表取締役 山田英治さん

社会は今、かつてないほどさまざまな困難や問題を抱えています。人権侵害、暴力・戦争、フェイク、環境汚染……それらは深刻に私たちの生活を不安にし、脅かしています。この「生きづらい社会」を広告の力で変えられないか。山田英治(やまだえいじ)さんはそう発想し、2018年に博報堂を退社、社会テーマ専門の広告エージェンシー・社会の広告社を起業。多様な難しさと戦いながらの毎日です。元博報堂・クリエイティブディレクターの黒澤晃が、これまでのキャリアと、社会の広告社設立のきっかけについてお聞きしました。
きっかけは東日本大震災、CMプランナーとしての毎日が突如消えた
──実は僕と山田さんは新人時代のトレーナー・トレーニー関係でもあるんですけど、今日は僕のあまり知らない、「社会の広告社」の山田さんを知りたいと思います。まずは起業までのキャリアを教えてください。早稲田大学時代にミニコミ雑誌を創刊したりして、将来は文章を書く仕事がしたいと思っていました。その後、広告業界でコピーライターになりたいと就活をして、1993年に博報堂へ入社しました。運良くコピーライターの名刺をもらい、黒澤さんのトレーニーとして1年半~2年ぐらい、新人時代を過ごしました。仕事のやり方は結構自由な時代だったので、楽しみながら成長できましたね。それからしばらくして制作現場に入り忙しく働いていましたが、プランナー職に興味を持ち、コピーライティングではなくCMのプランニングをメインにやるようになりました。
──2005年には映画監督もやっていて、劇場公開作品『鍵がない』は、今はDVDも出ている。CM制作をはじめ、活動の幅を広げていった時期ですね。
ええ、博報堂では自動車、ビール、電力会社などいろいろなジャンルのCMを200本以上つくらせていただいて。2000年からは映画制作やテレビドラマの脚本制作、ラジオの構成などにも携わるようになって。すごく忙しかったけど、めちゃめちゃ面白くやっていました。
そんななか2011年に東日本大震災が起こりました。テレビCMはすべてACジャパンのCMに差し替わり、僕のCMプランナーとしての毎日も急に消滅し。会社に行く用事がなくなり、地震による悲惨な被害も日々伝えられる中で、なんか心にすっぽり穴が空いてしまったような感じでした。
このとき、会社に入って初めて「僕にできることはなんだろう」と自問自答をしました。被災地には多くのNPOが救援活動に行っていたんですけど、みんなドネーションの広報に困っていて。助けが必要なのにお金が集められない切迫した状況がありました。「そうか、僕はCMがつくれるんだから、CMで寄付金を募る広報をしたらいいじゃないか!」と思いついたんです。

──大きな転機というか、自己発見でしたね。それまでは、忙しさに流されて本当にやりたいことが見えなくなってしまっていたのかもしれません。
そうかもしれませんね。実際に被災地へ行ってみると、僕が今まで磨いてきた映画制作と広告クリエイティブのスキルの2つがとても活かせるとわかったんです。僕はコピーライターだし映画を撮っていたので、自分でカメラを回せるし、編集もできるし、ナレーションコピー、キャッチコピーもつけられるし、脚本もできる。それらのスキルを総動員して、チャリティを目的とした動画チャンネル「チャリTV」(現在は「メガホンch」)をYouTube上で始めました。それから自分の中でスイッチが入ったように、被災地発のCMをボランティアでつくっていきました。

「チャリTV」サイトページ
──山田さんが被災地に飛び込んで行ったのは当時、博報堂社内でも話題でした。東京の博報堂のクリエイターの間でも、被災地のために何かできないかという機運はありました。
被災地では本当にありとあらゆる社会テーマに直接触れて、あることにふと気づいたんです。大震災があったから被災地に問題が起きたというより、むしろ元々あった問題が見える化されたんじゃないかと。「チャリTV」の活動を続けるうちに、僕の中でもその事実がはっきりと形になっていき、自分がこれからやるべきことがインプットされていくようでした。
博報堂でつくっていた大企業の広告は、制作費もあるし、携わる人も多いので、もう僕がやらなくてもいいんじゃないかと思って。それよりも僕は、予算や環境は厳しくても、応援しなきゃいけない問題、社会に救いを求めなければいけない問題を解決するために生きていくと決めたんです。
「会社の広告」をずっとやっていましたけど、会社と社会をひっくり返して「社会の広告」という視点でこれからはやっていきたい──。そして、社会の広告社を2018年に設立しました。
いずれ企業が社会課題に向き合う時代が来る、信じて博報堂を退職
──ただ、震災後もすぐには博報堂を退社せず、新たな活動をしていましたよね。ええ、震災後は自分でもNPOを立ち上げて支援活動をしながら、博報堂でできることはないかと探っていたんです。
たまたまそれと同時期に、「SDGs」の前身として「CSV(Creating Shared Value)」という経営価値が注目されるようになって。経営学者のマイケル・ポーター氏が「企業は社会問題を解決することで経済的な利益を創出できる、社会と共有の価値を生み出すことが求められる」と提唱していました。僕は「企業がCSVを知ることで変わっていけば、社会も変わるんじゃないか」と思って、多くの企業にプレゼンしに行き、NPOと共創するワークショップや、商品開発に活かす方法などを提案しました。
実際にCSVを事業につなげた企業もいくつかありましたが、どうしても社員のお勉強会やボランティアレベルで終わってしまうことも多かった。企業を変えるのは時間がかかると思い直して、今困っている人を優先しようと社会の広告社を立ち上げました。

NPO立ち上げ時に活動を行う山田さん
そうですね、でも僕はいずれ、絶対に企業は社会課題と向き合わざるを得ないだろうと信じていました。「いつか僕の時代が来る」というように。今、SDGsは企業経営の根幹に位置付けられるなど、事実そうなってきましたよね。
被災地に腰を据えて制作するとなると、どうしてもクライアントワークをやめなくてはなりません。当時、一緒に仕事をしていたメンバーや協力会社の方、そして家族には、本当に申し訳ないことをしたなと思います。
──今まで制作していた企業CMは予算もスタッフもある分、効果も大きい。でも、ソーシャルなクリエイティブの制作はそうじゃないと思います。昨年、自社で独自開発したクラウドファンディンサービスグを始めたのは、広告予算の確保のためですよね。
そうです。「予算は全然ないんですけど、この問題なんとかなりませんか」みたいな相談が僕の会社にはよく来ます。例えば、ある法改正に反対するNPO団体から相談を受けて、団体の意見を主張するために新聞15段の意見広告を出そうと提案をしました。ただ団体には予算がない。クラファンサイトなどを利用すると手数料がかかりますが、少しでも制作費に回したい。
そこで、社会の広告社でクラファンの運営までやろう!となり、クリエイティブサポートまで行うソーシャルキャンペーン専門のクラファンサービス「Megaphone(メガホン)」を立ち上げました。本格的な運営はこれから予定しています。

クラウドファンディンサービス「Megaphone(メガホン)」サイトページ
株式会社にしないと続かないなと思ったんです。妻に「社会もいいけど、家族も救え」と言われたこともありまして(笑)。ずっとボランティアばっかりやってましたけど、ソーシャルな活動でもきちんとビジネス化や利益化を目指さないといけないと思いました。その決意としての「株式会社」です。
だから今の僕の仕事はコンテンツより、むしろお金をつくるところをやっていますね。予算がなくても、行政の助成金を得たり、国や地方の入札に参加したり、いろいろやり方はあります。また、弊社は少人数なので、身軽に行動できるメリットもあります。
──根本的なことですけど、企業の商品やサービスを扱う広告と、社会の問題を扱う広告では向かいあう気持ちや意識は変わるものですか。
僕の中では意外と違わないかもしれません。企業クライアントでもまずは大体オリエンで「こんなこと悩んでます」という話があるじゃないですか。例えば、売り上げがイマイチ伸びないとか、若い人の好感度が低いとか、古い企業イメージを新しいものにしたいとか。同じように社会課題に関わるイシューも、「こういう課題があって、こういうことを悩んでるんです」という相談が来るので、最初の向き合い方も、その後提案をして実施していくという流れは一緒です。
──ではなぜ、社会の広告を山田さんはしているのか、という質問が次に出てきますが(笑)。
社会課題に関わっているゆえに「困っている人を助けたい」という、正義感みたいなアドレナリンが出る点が違うところでしょうか。もちろん企業の課題解決もアドレナリンは出るんですけど、それ以上に、困っている人や悩んでいる人が今すぐそこにいて、このクリエイティブをつくることでその人が救われるという反応が見えやすいので、やはり喜びが大きいですね。だから、そこは社会課題に携わるうえで面白いところですね。
──後編では、実際に社会の広告社ではどんな制作を行っているのかお聞きします。
この記事は前後編です:後編は3/19公開予定
「困っている人を救いたいけど、ビジネスにならない。そんな社会をなんとかしたい」