以前視察に行ったスペインのカンファレンスでソフトバンクの孫正義CEOが登場していた。お題は「シンギュラリティ」。機械が人間を超える。そんな意味だろう。30年後には、機械(パソコンなどに搭載されるチップ)の処理スピードは人間の脳の100万倍も速くなり、IQで言えば10,000くらいになるのだという。レイ・カーツワイル氏という人が書いた「シンギュラリティは近い」という本によると、2040年代のコンピュータは、100億人が1万年の間行なった思考の全てを一瞬で処理できるらしい。ここまでいくと、脳全体もテクニカルに再現されてしまうそうだ。

アナログな感性はデジタルでは置き換えられないとアーティストやクリエイターは思うだろう。だが、「美しいと思ってスケッチする」、そんな行動も、脳の中では無数のシナプスがつながったり、つながらなかったりというオンかオフなデジタル的動作で行なわれている。そして、脳をデジタルな情報処理機関とみなせば、コンピュータで代替でき得るものなのだ。カーツワイル氏の本には、ソフトウェアの脳とハードとしての肉体は分離される、といったことも書かれている。

人工知能を扱った映画「トランセンデンス」では、死んでしまった主人公は、その記憶を人工知能に移植され生き続ける。普通の感覚では、脳だって生身だし、それが機械的なコンピュータに置き換わるなんて話は想像がつかないだろう。だが、僕たちはすでに脳の働きを外部のコンピュータに委ね始めている。たとえば、スマートフォンでひらがなを打ち込むと漢字に自動変換される。機械が脳の肩代わりすることを自然に受け入れている。LINEやTwitterのつぶやきも、記憶を機械やインターネットに肩代わりしてもらっているのと同じだ。3年前の今日なにをしていたか、10年前はどうだったか? いつでもその記憶を呼び出せる。生身の脳は忘れることができるが、機械はいい記憶も悪い思い出も忘れることはできない。それに、他の人の記憶にもアクセスできるかもしれない。

eコマースのレコメンド機能は自分だけでなく世間の評判からコレと思った商品を勧めてくる。それを人工知能の意思と捉えたら、僕たちはすでにシンギュラリティの入り口に立っているのかもしれない。これまでのクリエイティブは、多くの人に見られたがゆえに、不朽の名画や名作とされてきた。シンギュラリティな世界では、個人にカスタマイズされたクリエイティブが提示される。30年後、クリエイターの役割は創作することではなく、まだ不完全な人工知能やネットワークから最適な組み合わせを提案するコンセプトメーカーのような仕事になるのではないか
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志村一隆
メディア研究者。早稲田大学卒業後、WOWOW入社。ケータイWOWOW代表取締役を務めたのちに、情報通信総合研究所の主任研究員に。その後ヤフーに入社し、現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシーの取締役に就任。著書『明日のテレビ』(朝日新書、2010)『ネットテレビの衝撃』(東洋経済新報社、2010)『明日のメディア』(ディスカヴァー 携書、2011)、『群像の時代』(ポット出版2015)、『デジタル・IT業界がよくわかる本』(宣伝会議)などで、メディアイノベーションを紹介したメディア・コンテンツ分野の第一人者。2000年米国エモリー大学でMBA、2005年高知工科大学で博士号取得。水墨画家アーティストとして欧米で活躍。
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