背中を押した「好き」と「無力」

──石井さんは2020年8月にニッポン放送へ入社されましたが、前職の制作会社であるサウンドマン(現:ミックスゾーン)では、約9年間ディレクターとして活躍されていましたよね。当時はどのような番組を担当していたのですか?
幼い頃からお笑い芸人さんのラジオ番組が好きだったこともあり、この業界で働く以上は、お笑い番組を担当したいと思っていました。それで入社してから半年ほど社内アピールを続けた結果、オードリーさんがパーソナリティーを務める「オードリーのオールナイトニッポン」をAD(アシスタントディレクター)として参加できることになりました。この番組は退職するまで携わり、途中でディレクターにも昇進しながら、およそ9年間に渡って担当することができました。特に印象に残っているのが、2019年3月に開催した「オードリーのオールナイトニッポン 10周年全国ツアー in 日本武道館」です。これは来場者1万2000人、ライブビューイングでも1万人ものリスナーが参加したトークイベントで、オードリーのお二人によるフリートークや漫才、番組内での名物企画などを実施しました。

日本武道館という大舞台にこれほどたくさんのリスナーが集まってくれて、そこで担当番組のパーソナリティーがトークをして、みんなが笑ってくれる。普段はリスナーの顔が見えず実感が持てませんでしたが、このイベントを通じてラジオという音声コンテンツの価値を再認識できたし、ラジオをさらに発展させたいと強く思えるようになりました。

──入社半年であっという間にオールナイトニッポンのADデビューですね! やはり、お笑い番組への思いが原動力になったのでしょうか?
それだけではありません。私が入社したのは、東日本大震災が発生した2011年。社会全体が混乱しているなか、先輩社員たちは不眠不休で災害情報を提供し続けていました。一方で、研修期間中だった私は何一つ貢献することができず、自分の無力さを痛感しました。その悔しさをバネに一日でも早く戦力になろうと、震災が起きた翌週に「ADになりたい!」と強く思うようになりました。

通常であれば、経験の浅い新米社員がいきなりADになるのは難しいことだったと思います。実際、私もはじめはわからないことが多すぎて、先輩に毎日怒られ続けていました。それでも必死に仕事を覚えていくなかで、徐々にADとして独り立ちすることができるようになりました。2011年4月に行われたチャリティー番組「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン スペシャル 『I'm with U キミと、24時間ラジオ』」では、福山雅治さんをパーソナリティーに迎え、被災地復興支援を目的とした24時間の特番にもADとして参加することができました。自分の「好き」を実現したいという思いも根底にありましたが、最初に自分の無力さを味わったことも大きな糧となり、ディレクターとしていち早く成長することができたと感じています。

ラジオの未来のため、プロデューサーへ転職

──番組ディレクターとして充実したキャリアを歩んでいる印象ですが、なぜニッポン放送への転職を決意したのでしょうか?
ラジオ業界の今後を考えたときに、一人のディレクターとして、できることに限界を感じるようになったからです。ラジオ番組はリスナーの存在があってこそですが、そのリスナーを最も悲しませることになるのは、大好きな番組が終了してしまうことだと思います。それを防ぐためには、我々スタッフが全力を注ぎ、より良い番組をつくり続ける姿勢が求められます。しかし、私はディレクターとして担当番組が増え続けていくなか、仕事量が膨大になり、一つひとつの番組に全力を注ぐことができなくなっていました。リスナーとしてラジオを愛していた私にとって、番組としっかり向き合えないことは、最大のストレスでした。

そのなかで、「ラジオ業界に関わる道は、ディレクター以外にもあるのではないか」と考えるようになりました。ディレクターという仕事は業界を目指す人なら誰もが憧れるポジションの一つですが、ラジオ番組はほかにもさまざまな仕事で成り立っています。9年間のなかでディレクターとしてやりたいことは実現できたし、後輩たちも成長し、力をつけてきた。今こそ番組の内側でクオリティーを求めるのではなく、新規事業やスポンサー獲得など、外側からラジオを支える側に行くときかもしれない。そう考えた結果、新たなステージへ進むタイミングだと思い、中途採用試験を受けて、2020年8月にニッポン放送へ入社することになりました。

──新たな角度からラジオ業界にアプローチすることを決めた石井さんですが、ニッポン放送では、具体的にはどのような業務を行っているのでしょうか?
私が所属しているエンターテインメント開発部では、業務はイベントや舞台の企画・運営、コラボグッズの制作など幅広い領域を手がけており、メンバー全員がプロデューサーとして個々に活動しています。なかでも特徴的なのが、企画内容がプロデューサー個人の裁量に委ねられていることです。

私はオールナイトニッポン時代のディレクター経験を活かし、「オールナイトニッポン0(ZERO)」のパーソナリティーであるテレビ東京プロデューサー 佐久間宣行さん、人気動画クリエイター 水溜りボンドさんの番組イベントを企画しました。さらに「オードリーのオールナイトニッポン」のグッズの制作も行っており、前職での経験をプロデューサーとしての新たなチャレンジにも還元できています。

※2021年1月7日に発令された緊急事態宣言を受け、1月11日に予定されていたイベントは中止。代替企画として、オンラインイベント「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO) リスナー小感謝祭2021~Believe~」が同日開催されました。 
──ディレクター時代の経験を活かしながらも、自由な発想で取り組むことができているのですね。
とはいえ、どんなに面白いアイデアであっても、利益を得られなければ企画として成立しません。ニッポン放送において、私たちエンターテインメント開発部は、社内における収入セクションの一つを担っています。業界の未来のためにも、しっかりと利益を得られる企画を生み出さなくてはならない。「好き」を追求してばかりではいけないです。反対に、大きな利益を得られる企画であったとしても、リスナーが損をしたと感じてしまうような企画では、番組に対する信頼が失われ本末転倒です。プロデューサーとして自由度高く活動できる分、これまで以上にラジオという音声コンテンツの在り方を考え続ける姿勢が求められています。

ラジオの変化、普遍的な魅力

──近年はラジオをはじめ、メディアを取り巻く環境も大きく変化しています。石井さんは業界の変化をどのように感じているのでしょうか?
この10年間で起こった変化は大きいですね。特に衝撃的だったのが、2010年に開始されたインターネットラジオサービス「radiko」の登場です。それまでのラジオは、専用機器を持つ人たちだけが、オンタイムでのみ聴けるコンテンツでした。インターネットラジオの登場以来、いまではスマートフォンで誰でもラジオを楽しめるし、気軽に聴けるコンテンツになったことで、リスナーの全体数も増加しています。

もう一つの大きな変化は、「リスナーがコンテンツを選ぶ時代」になっていること。近年のラジオではタイムフリーなどの配信機能が拡張され、番組をオンタイムで視聴する人は少数派となりました。Apple PodcastやSpotifyをはじめ、こうしたポッドキャスト形式の楽しみ方が、これからの音声コンテンツの主流になっていくのは間違いないでしょう。

ニッポン放送でもこの流れを盛り上げていこうと、2019年に日本初の音声コンテンツアワード「JAPAN PODCAST AWARDS」を開催しました(2020年も開催が決定)。また、社内のデジタルビジネス部ではオリジナルのポッドキャスト番組「ビジネスウォーズ 任天堂 対 ソニー」を企画・プロデュースしています。これは1990年代を舞台に、総合家電メーカーのソニーが次世代型ゲーム機プレイステーションを開発し、世界的シェアを誇る任天堂に戦いを挑むドキュメンタリードラマです。番組は世界7カ国でも配信され、ニッポン放送のポッドキャストコンテンツのなかでも人気を集めています。
──アーカイブコンテンツを楽しむ流れが、ラジオの主流になりつつあるのですね。
とはいえ、ラジオならではの魅力は何かと考えると、やはり「生放送であること」だと考えています。聴き方を選べる時代だからこそ、リスナーと同じ時間を共有していくことが、ラジオ業界にとっての活路になるのです。

私は現在、パーソナリティーや番組とのコラボグッズを制作し、番組と連動させながら販売する仕組みを検討中です。またリスナーが会員になれる月額制ファンコミュニティーをつくり、過去の放送回や撮りおろし音源の視聴、限定グッズのプレゼント、イベント参加券の優先購入など、いわゆるファンクラブのようなサービスもつくりたい。これらが実現すれば、パーソナリティーとリスナーの距離をさらに縮められるし、たとえスポンサー企業がいなくなったとしても、リスナーに支えられながら番組を続けることができると考えています。

──リスナーとのつながりは、ラジオ業界の普遍的な魅力なのですね。最後に、石井さんの今後の展望を教えてください。
私は、とにかくラジオが大好きなんですよ。昔からリスナーの一人として、つらいこと、苦しいことがあるたびに、ラジオから発信されるメッセージに心を救われてきました。だからこそ、ラジオというコンテンツを終わらせないために、業界全体を発展させるために、あらゆる角度からアプローチをしていきたい。だからこそディレクターとして直接番組に携わるだけではなく、ラジオ局の社員として、放送局全体に影響を与えていく道を選んだのです。

改めて言いますが、音声コンテンツは、リスナーの存在があってこそ。なかには私と同じように、ラジオに救われている方もたくさんいます。そんなリスナーのためにも、より良いコンテンツをつくり、メッセージを届けていきたい。リスナーからの声がコンテンツを成長させ、コンテンツを通じたメッセージで、リスナーへ恩返しする。両者による相乗効果を促進させる環境づくりを進めていきたいと考えています。

大手プラットフォーマーをはじめ、競合となる音声コンテンツも続々と現れています。しかし、ラジオならではの魅力が奪われることはありません。突破口となるのはイベントコンテンツかもしれないし、ファンコミュニティーになるかもしれない。「これをやれば大丈夫」はどの業界にもないからこそ、模索も続きます。私なりにラジオの未来を切り開きながら、これからもリスナーと一緒に年を重ねていきたいですね。

──ラジオとリスナーの架け橋となることが、石井さんの夢なのですね。これからニッポン放送のプロデューサーとして、石井さんがどのような施策を仕掛けていくのか、とても楽しみです! お話いただきありがとうございました!
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