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「トップ営業から経験ゼロの人事へ 30代半ばでキャリアチェンジを決意させたもの」

会社の環境が、今の僕を育ててくれた

──理想の自分になろうと教員への道を踏み出したものの、教育実習で感じてしまった違和感から迷いが生じてしまったそうですね。その後、どういう経緯でkiCkへ行くことに?
もやもやが度重なったとき、前職から時々お会いしていたクリエイティブエージェンシーのkiCk代表の藤川と会う機会がありました。僕が悩みを打ち明けると、「kiCkに来ないか?」と誘ってくれたんです。「いずれお前と一緒に仕事をすることになるって、ずっと思ってたんだよ。俺、そういう勘は外したことないから」って。

──kiCkの何にそんなに惹かれたんですか? だって、大企業を辞めて、時間もお金も使って、せっかく教員免許を取ったのに。
以前の僕は、人からの見え方ばかり気にしていました。仕事の会食の場でも、誰かのグラスが空いたら「次いかがですか?」なんて、すかさず声をかけて。僕の振る舞いで相手はいい気分になったし、それが自分の仕事だと思っていたんです。

でも、藤川は違いました。初対面の時に「グラスは見なくていいよ。今ここに一緒にいるんだから、話をしようよ」と言われて、はっとしました。「僕も自分の話をしていいんだ」と思えたんです。その衝撃がずっと僕の中に残っていて。藤川がkiCkに誘ってくれたとき、「この人と一緒なら、自分のやりたいことを口にできるし、実現できる」って確信が持てたんですよね。当時のkiCkはまだ3期目で、メンバーは7人しかいませんでした。それでも不安はありませんでした。
──実際に入社してみて、「自分を出す」ことはできました?
できました。この会社に変えてもらったと自信を持って言えます。

クリエイティブプロデューサーとして入社しました。平たく言うと営業です。僕は人の考えを先読みして自分が合わせることでうまくやってきた人間だったので、入社当初は制作物に自分の意見を言うなんて恐ろしくて、なかなかできませんでした。でも、この会社では営業がクリエイターと一緒に企画を考えたり、自分のクリエイティビティを発揮したりすることが求められます。クリエイティブディレクターやアートディレクターが、当然のように僕にも「ケンケン(藤原さん)はどう思う?」って聞いてくるんです。「制作の独りよがりになりたくないから教えてほしい」って。

そういったやりとりを2、3年続けるうち、思っていることを少しずつ口に出し始めたら、どんどん言えるようになって、「本音を伝えないのは相手に失礼」と思うまでになりました。最近出会った人が以前の僕を知ったら、きっと驚くでしょうね。以前は打ち合わせ中も、本当にずっと黙っていたので。kiCkの環境が、今の僕を育ててくれたんです。

──その後、クリエイティブプロデューサーとして、具体的にはどんなお仕事を?
kiCkは、企業やブランドの課題抽出から、戦略の立案、ターゲットの調査や効果検証、メディアの選定、実制作からその後の運用まで。kiCkのクリエイティブをつくる工程は、企業のマーケティング活動全体に関わる仕事です。クリエイティブプロデューサーは、川上から川下まで企業のパートナーとして伴走するので、知見がどんどんと溜まって成長できましたし、一つひとつの案件にじっくりと携われるので思い入れを持てて、やりがいにもつながっていましたね。僕はクリエイティブプロデューサーとして、会社の売り上げを索引するようになっていきました。

ヘーベルハウスの外壁のブランディングでは、高い性能を伝えるために「比類なき壁」というネーミングを行い、プロモーションを展開していきました。その後、自分でもヘーベルハウスで家を建てた際に、店舗の方に「『比類なき壁』という言葉を武器として与えてもらって、本当に心強かった」と言ってもらえて。自分の仕事がきちんと届いていたことが実感できて、力をもらえました。

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メンバーの育成を考え始めたら、楽しくて止まらなくなった

──ちなみに、その頃は社内で「軍曹」なんて呼ばれていたとか(笑)。
いや、本当にそうなんです。入社1年後に部下を持つようになりました。仕事の相談を受けたとき、アドバイスというより、こうしてああしてって指示をしていたんです。クライアントに出す見積りやメールでさえも、すべて事前に添削していました。細かく厳しく指示をするタイプだったので、それで「軍曹」と……(笑)。

そして、あるとき気付いたんです、「あれ、最近ちっとも部下から相談されないな」って。誰も気軽に聞きに来ないのはなぜだろうって。そこから、マネジメントの本をむさぼるように読みました。
──マネジメントについて猛烈に勉強したあと、藤原さんは誰の目にもわかるほど変わった、と広報の方にお聞きしましたよ。部下に対して、問い詰め型ではなく、聞き出すコミュニケーションを取るようになったと。
もちろん、すぐにはうまくいきませんでした。1on1ミーティングとか、チームマネジメントのフレームワークを1つずつ試して。メンバーみんながよく付き合ってくれました。1年ほど経って、相談される回数がすごく増えたというわけではないですけど、明らかにメンバーの対応や話し方が良い方向に変わっていきました。業務の面では、それぞれが自走するメンバーに変わって、組織としてもむしろ良くなったんです

それで僕も自信が持てて、さらにメンバー一人ひとりのことを考えるようになりました。この人はこれをやっていくといい、チームはこうなっていくといいって、それを考えるのが楽しくて楽しくて。まさに筆が進む感じです、いくらでも資料をつくれちゃう。

次第に、独学では物足りなくなりました。社外のセミナーに出たり、ヘッドハンターや人材エージェントら人事の専門家と熱心に話をするうちに、僕は「人」に興味があるのだとわかったんです。個人を覚醒させること、組織を覚醒させること。それがより良い社会づくりにつながると思ったら、めちゃくちゃワクワクしました。僕がずっと追い求めてきた「人生をかけてやりたいこと」なのだと、はっきり見えたんです

──それでトッププロデューサーから、人事へとキャリアの舵を切ることになったのですね。
葛藤はありました。会社は僕にプロデューサーとしての活躍を期待してくれていましたから。それに、人事の勉強はたくさんしたけれど、実務経験はゼロ。どんなにやりたい気持ちがあっても、会社に対して何も貢献できないかもしれません。

転職も考えましたし、実際にそういう誘いもあったんです。でも、できませんでした。青臭いかもしれませんが、僕はkiCkがめちゃくちゃ好き。半端なく好きなんです。それで、気付きました。好きになれるかわからない別の会社で人事をやるより、好きなkiCkで人事をやる方がいいに決まってるじゃんって。

それで、上司にあたる担当役員に話してみたら、「そこまで思っているなら、もうやるしかないんじゃないの。来年とか言ってないでもっと早く動いてみたら。」とハッパを掛けてもらいました。それですぐ役員全員に時間をもらって、自分がやりたいことを誠意を持って伝え、チャンスをくださいとお願いしました。

──そんなふうに藤原さんを駆り立てる、この会社の魅力を教えてください。
僕にとっては、やはりCEOの藤川と、副社長の市川という存在です。僕をkiCkへ導き、育ててくれた恩師です。2人は創業当時からのステートメントである「GET YOUR KICKS! 『ワクワク』で世界を変えていく。」を体現しようと、ずっと自らのアップデートを繰り返していて。僕は2人の背中を追いながら、ちょっと近付けたかなと思ったら、またずっと先へ行ってしまう。遠くから、「お前、もっと来れんだろ」と言われているようです。そうやって引っ張られているから、僕は人事の仕事でも絶対に成果を上げられると疑わず、走り続けることができているんだと思います。
──藤原さんの会社に対する思い、そしてご自身のありたい姿がよくわかりました。ありがとうございました。
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