子どものために実現したいのは「個のサステナビリティ」が大事にされる社会 Mentally 代表取締役CEO 西村創一朗さん
CtoCは個人間で行われる商取引や、個人間の取引を仲介するサービスのことを言います。フリマアプリやネットオークションが代表的ですが、ほかにも家庭教師やベビーシッターなど、無形のスキルや価値を売買するマッチングサービスも増えています。2022年春にサービスの事前登録がスタートした「mentally(メンタリー)」もその1つ。心の不調を抱える人が、同じ経験をして乗り越えてきた先輩に悩みを聞いてもらえるというものです。実にコロナ禍らしい時流をとらえたサービスに見えますが、誕生の裏には、明快で壮大なビジョンが広がっていました。Mentally代表取締役CEOの西村創一朗(にしむらそういちろう)さんが「mentally」開発に至るまでのストーリーと、その先に見据える理想の社会とは?
子どもにいまより良い社会を残したくて
──西村さんは大学在学中に結婚して、子育てもされてきました。どのようなお考えを持ちながら、就職活動を進められたのでしょうか。もともとは公務員になりたかったんです。僕は、親が経済的に苦労する様子を見て育ちました。それで「安定した職業」に就きたくて。
でも、子どもができたことで考えが変わりました。NPO法人ファザーリング・ジャパンの活動に参加するようになって、そこで出会った先輩パパたちが、「安定は与えてもらうものではなく、自らつくり出すものだ」と教えてくれたんです。「若いうちにスキルをつけて、実績をつくり、会社が明日なくなっても生きていかれるようにしなくちゃいけない」と。確かに、自分に力をつける以上の「安定」はないのではないかと思うようになった。それで、公務員への興味が一気に冷めてしまいました。
一方で芽生えたのが、子どもたちに明るい未来を渡す責任感です。「仕事を通じて、いまより良い社会をつくりたい」という思いを実現できる会社に就職しようと考えるようになりました。
──子どもたちのためにより良い社会をつくるには、解決しなければならないことが山積みです。
僕が注目したのは「雇用」や「働き方」の問題です。当時の日本は「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」といった言葉がメディアで使われ、働いても報われない社会の現実が浮き彫りになりつつありました。さらにリーマン・ショックが追い打ちをかけ、派遣労働者が一斉に雇止めされる、いわゆる「派遣切り」がいっそう暗い影を落としていました。それらが起因する陰惨な事件も起きていて、「雇用」や「働き方」の問題を解決することが、いまより良い社会をつくっていくためのセンターピンになる気がしました。それでリクルートエージェント(現在のリクルートキャリア)に入社することを決めました。この領域の大手企業でスキルを学び、問題解決につながる新しい事業をつくりたいと思ったんです。 ──最初は営業からのスタートだったのですね。
はい。法人営業に配属されました。でも、新規事業開発部門に早く行きたかった。その気持ちを行動で示そうと、入社3年目から副業でブログを始めました。プライベートの時間を削ってまで取り組む姿勢を見せれば、僕が本気で事業をやりたいことが会社に伝わると思ったのです。その甲斐あって、翌年に異動希望がかない、転職支援サービスの開発に携わることになりました。
いくつか新しいサービスをつくったのですが、一番のヒットはリファラル採用支援サービス「GLOVER Refer」(グラバーリファー)です。リファラル採用とは、自社の社員から人材を紹介してもらう手法のこと。あくまで母集団形成の手段ですから、縁故採用とは異なります。僕は、この言葉を世の中に定着させるところから手がけ、社内でも「リファラル採用と言えば西村」と一目置かれるようになりました。おかげで新規事業をやりながら自社の採用担当にも任命されてしまった。大変でしたけど、リファラルでの採用人数を25倍に増やすという自分の実績をつくることができたので、兼務をがんばってみて良かったと思っています。
一方の副業も順調。ブログメディアの運営にとどまらず、スタートアップに採用や働き方のアドバイスをするなど守備範囲を広げていました。仕事と副業を良いバランスで両立できていると自分では思っていました。ところが新規事業開発部門に異動して2年目、上司から「副業ばかりやっていないで、もっと本業に集中しろ!」と叱責されたのです。僕のためを思って厳しいことを言ってくれたのだと思います。でも、そのときは素直に聞けずカッとなってしまった。「うちのメンバーは専業禁止」と言って副業を推奨したのは、ほかの誰でもないあなたじゃないか、と。
怒られて本業に専念する…とはならなかった。「チクショー!」と叫んで、逆に起業を宣言してしまったんです。それもTwitterで(笑)。なんの計画もなかったけれど、後には引けなくて。ツイートを見た友人がサポートを買って出てくれたのもあり、リクルートキャリアに在籍しながら、2カ月後には企業に副業制度の推進をアドバイスする会社を立ち上げていました。目指したのは「二兎を追って二兎を得られる世の中をつくる」です(笑)。
育児のため「半分しか働かない」と決めた
──西村さんは、収入が主目的の場合を「副業」、自己実現や社会貢献を目指すものを「複業」と定義されています。リクルートキャリアに所属しながら、明確な理念を掲げて会社を立ち上げた。きっかけはともかく(笑)、まさに「複業」を始めたわけですね。そして1年半後に会社を辞めて独立した。なにが後押しとなったのでしょうか。27歳のとき、娘が生まれたんです。3人目にして初めての女の子。生まれる前から、絶対に溺愛(できあい)するだろうと思っていて、周りにも「育休を取って子どもと過ごす時間を最大化する」と話していました。でも、育休が明けて職場復帰したあとのことを冷静に考えてみたんです。当時はいまと違って出社が前提の働き方です。往復3時間かけて会社に行き、最低でも1日8時間、週40時間仕事をする。これからが子育ての本番というときに、そんな生活は絶対に嫌だと思いましたね。好きな時間に好きな場所で仕事をして、子どもの具合が悪いときは休む。たとえ病気じゃなくでも、「かわいくて離れたくない」という日だってあるじゃないですか(笑)。そういう自分の理想を実現するには、誰にも雇われずに働くしかないと思いました。
──それで、会社を辞めて独立したことを「育休的起業」と呼んでいるわけですね。
「育休」と「起業」って、一見すると矛盾しているように思えるかもしれません。起業って普通はばりばり働くイメージですからね。でも、このときの僕にとっての起業はそうではなかった。会社員の半分、つまり1日4時間、週20時間しか仕事をせず、家族と過ごす時間を最大化する。起業はそのための手段だったのです。
「複業研究家」と本格的に名乗るようになったのは、このころからです。独立するにはなにか肩書があった方がいいだろうと。「複業コンサルタント」とか「複業アドバイザー」という表現も考えましたが、なんだか、めちゃくちゃ偉そうじゃないですか(笑)。研究家なら、好きでやっている感じが出ていいかなと思った。そうしたら政府の勉強会に呼ばれたり、メディアからの出演依頼がすごく増えたりしました。肩書ひとつでこんなに変わるものかと驚きましたね。
「未来差分が大きい」ことに挑戦したくて方向転換
──複業研究家として、あちこちから声が掛かるということは、それだけ社会に求められているということだと思います。ですが現在は「ウェルビーイング」の領域に軸足を移しています。どんな心境の変化があったのでしょうか。働く時間を半減させる「育休」は、娘が小学校に上がるまで。その先は、新規事業開発という自分が好きなことにあらためて本腰を入れようと最初から決めていました。
「育休」が終盤に差し掛かったころ、どの領域で事業開発に取り組むかを考えるようになりました。それまで副業や働き方、人事採用の支援をさんざんやってきましたので、複業研究家としての経験と実績を活かせば、最短ルートでいくつかの新しい事業を生み出せると思いました。でも、多くの企業で働き方改革や副業解禁が進み、富士山に例えると、すでに5合目まで登ってきています。僕は自分の行動を決めるのに、「未来差分が大きいところで勝負する」という基準をもっています。僕が行動してもしなくても、あまり未来が変わらないことには興味がありません。たとえ荒地の開拓から始める必要があっても、大きく未来を変える挑戦がしたい。それで、これまでとは違う領域にギアチェンジしようと決意したのです。
僕の出発点は「子どものために、いまより良い社会をつくりたい」という思いです。この課題に絶大なインパクトを与えるものがなにかを考えたとき、浮かんだキーワードが「ウェルビーイング」でした。
──なにか原体験が?
実は、「育休」中に3度のメンタルダウンを経験しました。働けない期間が、長いときは半年間も続きました。「サステナブル(持続可能)な社会」なんてよく言いますが、それを実現するには、一人ひとりがいきいきと働き、より良く生きることが前提です。「個のサステナビリティ」こそ大事にされるべきだと、僕は身をもって知りました。その体験から、ウェルビーイング、特にメンタルヘルスについて真剣に考えるようになったのです。
僕が社会復帰できたのは、同じ心の病を経験して、それを乗り越えた先輩との出会いがあったからです。それまで「クリニックなど絶対に行くものか」と思っていましたが、彼が背中を押してくれたから、適切な治療を受け、再び仕事ができるようになりました。もしこの出会いがなかったら、いまも復帰できずにいたかもしれません。
相談できる人を持つことは、最良の治療だと思います。しかし、心理カウンセリングの利用経験者が、アメリカでは50%近くに上るのに対し、日本はたったの6%です。「精神疾患は隠すもの」という思想がいまなおはびこり、カウンセリングの大衆化を阻んでいます。日本の若い世代の死因1位は自死だというのに、多くの人は誰にも相談できずに1人で苦しんでいるのです。
僕は運が良かった。でも、運とか縁ではなく、自分と同じ経験をして乗り越えた先輩に誰でも相談できるプラットホームをつくったら、何百万人もの人を救うことができるのではないかと思いました。それでMentallyという会社を立ち上げ、「mentally」というアプリをつくりました。心の悩みを1対1で相談できるサービスです。聞き手はメンタルダウンを経験した先輩たち。医師やカウンセラーのような専門的なアドバイスではなく、経験者だからこそできる共感と傾聴で相談者に寄り添います。
たった1つのアプリが社会を変えると信じている
──ウェルビーイングな世の中って、どういうイメージですか?日本はメンタルヘルスを特別に考えすぎています。採用で敬遠されたり、職場の上司や同僚の理解を得にくい。だから「嫌われたくない」とか「評価が下がったらどうしよう」という不安が先に立ってしまって、つらい気持ちをオープンにすることができません。
でも、野球にしてもサッカーにしても、一度もけがをしないアスリートはいません。リハビリで乗り越えて、痛みとうまく付き合いながら、復活してまた活躍しています。ビジネスパーソンも同じだと思う。気分が落ち込まない人はいないし、悪化すればうつ病にだってなります。トレーニングのし過ぎで疲労骨折するのと同じで、心が弱いからではなく、がんばっているから心の骨が折れてしまうのです。
浮き沈みはダメなことではないし、心のけがもゼロにはできない。大事なのは、失敗して落ち込んでも、「そういうこともあるよね」と自分も周りも肯定できること。そしてその経験をばねに、もう一度挑戦するしなやかさを持てるようになることです。アップダウンは繰り返されるけれど、ちょっと引いて見れば、大きな矢印は上へ向かっている。それって、とても彩りある人生じゃないですか。
──「未来差分が大きいことがしたい」と言って「mentally」を開発しました。このサービスを提供することで、どういう社会に変えようとしているのでしょうか。
「mentally」は、心の不調を抱える人を救うためのサービスですが、本質はもっとずっと先にあります。誰にも言えなかったことを「mentally」でオープンにすることで、少し心が楽になる。すると、自分と同じように悩んでいる誰かに手を差し伸べることができるようになります。
そうやって、優しさの連鎖を起こすことができれば、それだけ、社会のなかでウェルビーイングに生き、働ける人が増えていきます。失敗を恐れずに挑戦して、アイデアがわき出て、面白いサービスや画期的なプロダクトが生み出される。社会全体に活力がみなぎり、結果的に日本経済が元気になる。僕が「mentally」を通じて目指しているのは、個のサステナビリティの実現、そしてその集合体としての、真に持続可能な社会の実現なのです。
今年(2022年)娘が小学校へ上がりました。僕の「育休」も明け、これから「mentally」の本格リリースを目指して活動していきます。勝手に使命感を覚えているだけかもしれません。でも、「自分がやらなくちゃ誰がやるんだ」という衝動に駆られています。いま僕が動く未来と、そうでない未来とでは差分が大きいと本気で思っているのです。
──「オーセンティック・リーダーシップ」というように、いまの時代は、強くたくましいリーダーではなく、弱さをさらけ出し、自分らしいスタイルでチームを束ねる人が組織に求められています。心の病を当たり前に許容する世の中に変われば、むしろメンタル不調に苦しんだ経験がある人こそ、高いパフォーマンスを発揮できるのではないかと思いました。本日はありがとうございました。