自分が考えていることは全然深くなかった

──おめでとうございます! すごいアワードを獲りましたね! 大学の専攻は建築でしたよね。コピーライターになろうと思ったきっかけは?
ありがとうございます! 大学院1年生のとき、博報堂のインターンに参加して、広告って面白いなと思ったのがきっかけです。事前課題のフィードバックをいただいたとき、「君、面白いね」と黒澤さんから言ってもらって。それですっかり真に受けて、この道もあるなと思ってしまいました(笑)。建築か広告か、悩んでいましたが、建築専攻で広告に進まれる方も多くて、インターンに参加してみたんです。

──建築を学んだ人は確かに広告業界にいますね。建築と広告は近いと思いますか。
そう思います。プロセスが似ていますかね。建築は、施主さんがいて、敷地条件、空間、金額などの要望からデザインや機能を考える。広告も、クライアントさんの課題があって、予算、メディアなどの条件があって、課題解決をする。あと、正解がないのも似ていますね。一人ひとり考え方によってはいろんな回答があります。

建築で面白いなと思ったのが、正しいことをしても褒められないということです。自分なりの考え方、空間のつくり方が褒められました。大学生のとき、面白い課題がありました。15センチの立方体のなかで光を表現しなさいという課題です。光は、電球を使っても、覗き込むことでかすかな光を表わすでも、なんでもいい。正解は自分の発想力のなかにしかない、そう思いました。

──広告の課題に近いですね。他の人と違うことを考えてやろうという覚悟、決意が褒められる。で、理科系だったわけだよね。コピーライターの勉強はしていました?
していなかったです。インターンのときに知っていたのは宣伝会議賞くらいでした。SKATを見て、こういうふうに書くんだなと思っていたくらい。TCC年鑑を知ったのも入社して、研修が始まってからです。
博報堂 クリエイティブコンサルティング局 コピーライター/クリエイティブディレクター 山﨑博司さん<br />
2021年、クリエイター・オブ・ザ・イヤー受賞。「THE FIRST TAKE」、「みんなで! どう解く?」(日本マクドナルド)、「FRIENDLY DOOR」(LIFULL HOME'S)、「のろーよ! デンドー車いす」(経済産業省)などの業務で社会的課題に挑戦し、圧倒的なムーブメントを生み、広告の新しい可能性を拓いたことが評価された。
博報堂 クリエイティブコンサルティング局 コピーライター/クリエイティブディレクター 山﨑博司さん
2021年、クリエイター・オブ・ザ・イヤー受賞。「THE FIRST TAKE」、「みんなで! どう解く?」(日本マクドナルド)、「FRIENDLY DOOR」(LIFULL HOME'S)、「のろーよ! デンドー車いす」(経済産業省)などの業務で社会的課題に挑戦し、圧倒的なムーブメントを生み、広告の新しい可能性を拓いたことが評価された。
──それで博報堂に入って、ユニークな研修がありました(笑)。
僕のときは入社して12月まで研修でした。6月にコピーライター配属が決まり、半年間、クリエイティブ戦略室に席があって、毎日午後5時半まで研修。黒澤さんのチームでした。現場に配属されずに半年間、毎日、教育を受け続けるといういまでは考えられない研修でした(笑)。いま思えばすごく豊かな時間でしたね。講義が1日2~3個あり課題が出されて、次の1週間で考えてCD(クリエイティブディレクター)含めたいろんな先輩に添削してもらう。営業とかの同期はバリバリ現場で働き始めていて、そのなかで学生みたいな生活をしていました。博報堂のいろんなトップランナーから教えていただき、ものすごく多様な視点を持つことができました。

──そこから、いよいよ現場へ。どうでしたか?
配属は、井口さんの下に配属されました(井口雄大:現・博報堂コピーライター/クリエイティブディレクター)。現場は研修と全然違うなと思いましたね。環境的に厳しいし、全然自分のアイデアが通らない。先輩たちと歴然とした差があると痛切に感じました。要は、一生懸命なつもりなのですが、全然深くないんです、自分が考えていることは。それにコピーが大して書けるわけでもないので、ただ打ち合わせにいるだけみたいな状態が続きました。

まず、クライアントさんのブリーフが読めなかった。難しくて、なにが書いてあるのかわからない。理解できていないので、教えてもらってもよくわからない。で、その状態のまま仕方なく考え始めてしまう。

──だから、課題の答えではなく、表現ばかりを考えてしまうんですよね。
そうなんです。なんの解決にもなっていない、ただ面白げなものばかり出してしまう。しかも、本当に面白いかと問われれば、そんなに面白くもなかったりして…。

──そんな日々のなかで、アイデアや企画はコピーから考えていました?
そうです。井口さんがそうだったので、そうしなさいと教わっていました。でも最初からできたわけじゃないです。取材した方のインタビューを原稿としてまとめる仕事などもしていました。同期はテレビCMやラジオCMをつくったりしているなかで、なんで僕はこんな仕事をするんだろうと正直思っていました、当時は。でも、それをやって本当に良かった。どうしたら相手に伝わるか、文章の構造、言葉の構造を理解できたんです。あとはクライアントさんの長尺のブランドビデオをつくらせてもらったりもしました。その仕事を通して、ブランドへの理解、視点のあり方、論点の持ち方を、構造的に理解することが体に染み付いていったと思います。

──いきなり本質的な質問ですが。表現を考えるとき、論理的、エモーショナル的、どちら?
論理的だと思います。若いときから、相当、ロジック的かもしれません。コピーを書くにしても、どう社会を変えるかという視点を意識しています。そのために、切り口をいっぱい考えるのが好きです。切り口をたくさん考えるときは、エモーションだけでは無理ですよね。ロジックがないと。

社会的視点は気付かされて持つことができた

──いま、言っていた社会的視点がクリエイター・オブ・ザ・イヤーで高く評価されている。いつ頃からその視点がありましたか。
大学で建築をやっていたときからでしょうか。教授がよく言っていたのが、「社会性を大事しなさい!」でした。学生は、いかに自分の設計、デザインが面白いかを目指してしまう。それは意味がない、社会に対してどうあるべきかを考えろ、と言われていました。ただ、当時はっきりと意識していたかと言われると曖昧かもしれません。「桃太郎」も、社会のことをそれほど深くは意識していたわけではありません。あの広告が世のなかに広がったあと、学校教育の現場から授業をしませんかとか、取り上げたいとか、声を掛けられました。そのとき、自分の考えたことは、社会から求められていたことだったんだ! と気が付き、そこからその意識を強めました。だから、自分が気付いたというより、気付かされたと言うべきなのかもしれません
日本新聞協会「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」(TCC賞2014 最高新人賞)
日本新聞協会「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」(TCC賞2014 最高新人賞)
──そういう資質がもともとあったと思いますが、クリエイターって1つの成功事例が目を開かせてくれるみたいなことはあります。
僕にとっての、きっかけは「桃太郎」でしたね。

──「答えのない道徳の問題」の仕事はその延長線上にあるんですね。
入社4年目。桃太郎の広告後、グループ会社のTBWA HAKUHODOに異動したんです。そこで、道徳に関する「ある問い」を発想しました。
「答えのない道徳の問題 どう解く?」ポプラ社(著・やまざきひろし、絵・きむらよう、にさわだいらはるひと)
「答えのない道徳の問題 どう解く?」ポプラ社(著・やまざきひろし、絵・きむらよう、にさわだいらはるひと)
TBWA HAKUHODOへの異動は僕にとって大きな転機でした。本当に、当時、自分はダメなんだと思っていました。博報堂ではよくダメ出しをいただくことが多かったので、その都度、いろいろメモを取っていたんです。TBWA HAKUHODOで悩んだときにはそのメモを必ず見返して、こうしたらいいんだなと思いました。すごく役に立ちました。

一人になってから気付くことってあるんです。4年間、井口さんの下にいたとき、最終的にはトレーナーの井口さんがやってくれるという甘えがあった。でも一人になったら自分で仕上げないといけない。4年間も会社にいて、できないわけないと言われるし、そもそもできなかったら情けなさすぎますよね。

──TBWA HAKUHODOで、異なるクリエイティブ・カルチャーに出会ってどうでしたか。
TBWA HAKUHODOは褒める文化がありました。褒められて、面白いねって言われる。ギャップがすごくて、あんなにダメだと言われていたのに、こんなに褒められるんだ、と思いました。いま思えば、相当井口さんに鍛えてもらっていたんだなと思います。また、オフィスの場所も変わるし、やることも変わるし、カルチャーも変わるし。まったく違う会社に入ったみたいでした。Disruption(創造的破壊)という TBWA HAKUHODOの考え方があって、その文化にも染まりました。同世代が多く、それまでの徒弟制度から、仲間と一緒に水平にものをつくっていくイメージになったのが大きかったです。

──「答えのない道徳の問題」の発想はどこから、どうやって生まれましたか。
絵本が出たのは2018年ですが、つくりはじめたのは2016年でした。TBWA HAKUHODOはグローバルスタンダードの「アート&コピー」の文化があって、二人一組のワークを基本していきます。AD(アートディレクター)とコピーライターがすべての企画をやっていく。博報堂はその文化が崩れはじめていた時期でしたが、TBWA HAKUHODOではCDがやるような戦略的な仕事も、ADと二人で考えて、それはものすごい訓練になりました。

そんななかで自分に子どもが産まれて、桃太郎の続きのような教育関連のプロジェクトができないかなと思っていたんです。打ち合わせをして生まれたのではなくて、話の流れで、こういうのつくったら面白いよね、という感じで生まれました。桃太郎のときから、常識で正しいと思われていることでも、よく考えてみたら、おかしいことはたくさんあるのでは? という「問い」はいつも持っていました。そういう問題意識がベースにあって、子どもが産まれたという「自分ごと」が重なった感じでしょうか。オリエンがあったわけでもなく、企画会議があったわけでもなく、雑談ベースの話し合いのなかで形になっていきました。

──突破力のある発想は雑談のなかでみんなの意識が共通化して、その瞬間に見つかったりする。実は、ルーティン的な会議からは、ルーティン的な考えしか出てこない。ほぼそうですよね。
当時の局長にも、そのアイデアを絵本にして見せたら、「いいじゃん、全然やればいいじゃん」と背中を押してくれて、どんどんと進んでいった。結果、自主プレをポプラ社さんにしていい評価をしていただいて、絵本の出版ということになったんです。そして、大きな反響が生まれた。つくり手の熱意とユニークな思いつきがいろんな壁を超えていく力になるんだなと感じました。

アイデアは、みんなに見せることで強くなる

──アイデアが湧くのはどういうとき? みんなと話していとき? 言葉を考えているとき?
基本的に僕らはクライアントさんからのブリーフがあります。それをいろいろ考えながら答えを出そうとします。しかし、ブリーフだけではうまく考えがつながらない。だから、自分の体験を加味して、コピーを書くところから始めます。それを接着しながら、考えの全体をつくっているって感じですかね。例えば、このデスクにある水なら、それを調べるというよりは、自分だったら、どんなふうにどんな思いで飲むんだろう? と想像する。そんな感覚でしょうか。

─それは、情報を生活者の情報にブレイクダウンしているってことだよね。クライアントや検索の情報にとどまらずに。
ええ、そうですね。リアルな感覚を呼び起こしながら、言葉になっていないアイデアを書き殴る作業はよくしているかもしれません。A4サイズのコピー用紙を真っ黒にぐちゃぐちゃにするくらいビッシリとメモする、自分でも読めないくらい。これなんて書いてあるのかなぁ、みたいな感じ(笑)。そうやって黒くなるまで考えて、打ち合わせに持っていって、みんなの反応やアイデアを見て、こういうの面白いね、こんなふうに進めたらどうかな、と少しずつ形にしていきます。

──博報堂はそういう文化が豊かだと聞きます。営業とか、ストプラとか、みんな一緒になって、打ち合わせで発想を少しずつビルドアップしていくやり方。
僕は、基本みんなで話し合っています。自分一人のアイデアでは絶対、強くならない。独りよがりになるし、客観的に見えてこない。それってこうじゃないかなとみんなんで言い合ったりすると、強いものが出てくる。回り道かもしれないけど、そうだと信じています。もちろん、つまらないアイデアだと全員にボツられたりもしますが(笑)。
──みんなで考えるということで言うと、クライアントの側に、社会課題を一緒に解決していきましょうという雰囲気は感じますか。
それはあります。会社として社会課題解決を掲げていらっしゃるところもありますし、そういう依頼は多くなりました。ものを売るだけでなく、事業を通して社会になにができるか、を深く考えている企業が増えてきていて、それが僕らの仕事の一部になりつつある感じでしょうか。

──広告自体が変わってきた感じがすごくあるよね。
あると思います。一緒にサービスを開発しましょうと言ってくださるクライアントさんの仕事もありますし、一方、ラジオCMもふつうにあります。また、会社が合併して、インナーの行動指針をつくらせていただく仕事もありました。10年前はメディア的には、テレビCM、ポスター広告、交通広告…みたいな感じだった。いまは、やることの幅が広がった。しかし、考えることは変わっていない。エグゼキューションが変わるだけで、根本的なところは変わっていない。そこを間違えてはいけない。

僕だったら、言葉を中心にアイデアを考えていく。で、例えば、「答えのない道徳の問題」だったら、絵本にする? 授業にする? 新聞広告にする? と手段をチョイスしていけばいい。表現の手口がものすごく増えた。クライアントさんの目的も幅広くなった。そういう変化だと思います。

──マスメディアかWebメディアか。広告か広告以外か。対立概念っぽく捉えられていた時期もあった。それも古いということですね。
問題をどう解決するか、のコアを考えるのが僕らの仕事。それをどうやって社会に伝えるか。その手段や手口は変化しました。しかし、自分のなかの意識としてはまったく一緒なんです。あんまりそう言う意識でやっているわけじゃない感じはします。メディアやマーケティングの最新技術だから、いいものができる。それは理由があまりないと思うんです。本質は本質として存在する。それを発見するのが現代のクリエイティブではないでしょうか。

──今後、クリエイターとして社会とどう関わっていきたいですか? 若い人へのメッセージも含めて。
いまは、ブランドや商品をそのまま広告すればいいという時代ではないです。Z世代を含めた若い人は、その会社がなにをしているかに共感する。そのブランドの社会における立ち位置を見ている。僕らは、社会のなかに答えを探し、生活者をリアルに見つめ、彼ら彼女らが好きだと言うブランドになるためのお手伝いをしていく。僕は、そのブランドしか言えないことを考えていきたい。その本質を見つけていきたい。そう強く思っています。

あと、言いたいのは、言葉の力を大事にしようということ。言葉をクライアントさんや社会に提案して、「ああ、こういうことですよ、山﨑さん!」と受け取られる瞬間がやっぱり楽しい。みんな喜んでくれるし、具体的にやるべきことが見えてくる。コピーライターっていま、ちょっと人気がないらしいんです、若い子たちに。しかし、全然、可能性しかないと僕は思っています。言葉がないと、物事は動いていかない。運動体の軸になることを考える仕事、それがコピーライターだと思っています。

──みんな頭のなかでわかっているのに、モヤがかかっている。コピーがそれを、「ほら!これでしょ!」とクリアにしますよね。
そうそうそう。コピーライターは素敵な商売なんです。

コピーを考えていると、やがてA4の紙が真っ黒になる。その言葉が印象的だった。山﨑さんのクリエイティブワークは、社会と深いところで、嘘なく真摯に接続している感じがする。しかし、その接続は、ほとんどがボツになる膨大なコピーが支えている。アイデアとは思いつきではなく、思考や感性を積み重ねた厚い層から滲み出てくる地下水のようなものだと思った。

山﨑くん、おめでとう! ますますのご活躍を!
写真
【インタビュアー】
黒澤晃
元博報堂 クリエイティブディレクター
横浜生まれ。1978年、広告会社・博報堂に入社。コピーライターを経てクリエイティブディレクターになり数々のブランディング広告を実施。受賞多数。2003年から博報堂クリエイターの人事、採用、教育を行う。多くの優れた若手クリエイターを育成した。2013年退社。黒澤事務所を設立。さまざまなライティング、プランニングの領域で活躍している。東京コピーライターズクラブ(TCC)会員。最近の著書「20歳からの文章塾」「これから、絶対、コピーライター」など。ツイッター#ツボ伝ツイート。note「3ステップ・ライター成長塾」。
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