身体をシェアするロボットで、障がい者の出会いを生み出す オリィ研究所 代表取締役所長 吉藤健太朗さん、コピーライター/世界ゆるスポーツ協会 代表理事 澤田智洋さん
忍者モチーフの肩乗せロボット「NIN_NIN」。テクノロジーの力を使って、身体の機能を他人とシェアすることを可能にします。このボディシェアリングロボットは、分身ロボットOriHimeの開発を手がけるオリィ研究所・代表取締役所長の吉藤健太朗(よしふじけんたろう)さんと、大手広告会社のコピーライター、世界ゆるスポーツ協会・代表理事でもある澤田智洋(さわだともひろ)さんの出会いにより生まれました。フィールドの異なるお二人がなぜタッグを組むことになったのか、そして、ロボットとともに歩んでいくコミュニケ―ションの未来についてお話いただきました。
──はじめに「NIN_NIN」とはなにか、簡単に教えていただけますか?
澤田:「身体機能のシェア」をコンセプトに開発された、忍者型のボディシェアリングロボットです。例えば、目の不自由な人にカメラを通じて視覚をシェアすることができるなど、人々が身体機能をシェアし合う分身ロボットです。昔から行われてきた「手を貸す」という行為だけでなく、「耳を貸す」、「目を貸す」、「足を貸す」、「口を貸す」といった行為も可能にする、これまでにない社会を実現することを目指しています。
──お二人はどういう経緯でタッグを組むことになったのですか?
澤田:オリィさん(編集部注、吉藤さんの愛称)と親交のある会社の先輩から、僕と間違いなく波長が合うから会ってみないかと声をかけてもらったのが最初のきっかけです。仕事絡みでもなければ、特に目的もなく、ただ会ってみたいなという気持ちだけでしたね。実際にお会いすると、たしかに波長が合うな、とても面白いなと感じたのですが、すぐになにかを一緒にやろうと動いたわけではありませんでした。
吉藤:私が視覚障がい者向けのロボットの実験をするという話を持ちかけてから、具体的に動き始めましたよね。
澤田:そうですね。僕は年齢・性別・運動神経に関わらず、だれもが楽しめる新スポーツを生み出す「世界ゆるスポーツ協会」に取り組んでいたので、そこにオリィ研究所のOriHimeを活用できないかという話をずっとしていたんです。それでオリィさんと何度かお会いするうちに、視覚障がい者向けの展開も考えているという話を聞いて、僕も同じようなことを考えていたので驚きました。実は、僕の息子には視覚障がいがあります。親として息子の自立を考えたときに、現在テクノロジーの波が来ているとはいえ、どのアイデアも根本的な解決の糸口にはならないと感じていたんです。例えば、RFID(編集部注、無線ICタグの一種)という新たなテクノロジーを搭載した自動販売機があったとして、私たちにとっては便利になるかもしれないけど、目が見えない人はそもそも商品を選ぶことができないんです。では、商品を読み上げる自動販売機を開発してみても、根本的な解決にはつながらない。点ではなく線で、もっと全体の仕組みをソリューションしたいと思い、アテンドロボットをつくろうと考えました。視覚障がい者の方々は外出する際にガイドヘルパーに頼むことが多いのですが、依頼できるのが最短で何時間からと決まってたりと、ふらっと自由に出かけることがなかなか難しい。ロボット相手なら気を遣う必要もないので、そこも良いなと思いました。構想段階から肩に乗せるということも、ボディシェアリングというコンセプトも、すべて決めていたんです。誰と一緒につくろうかと画策していたときにオリィさんから話を聞き、波長だけでなく企画も合致していたので驚きましたね。 ──ビジネスイメージが合致していたんですね。
吉藤:同じことを考えていたけど、発想の起点が逆だったんですよね。私の場合は、寝たきりの親友・番田がきっかけでした。実は1年半ほど前に亡くなってしまったのですが、彼は外出することで新たな発見と出会いがあり、どんな人と出会ったかで人生が大きく変わるという考えを持っていました。しかし、誰かに頼まないと外出ができないので、その出会いの場がなかったんです。彼が外出できる方法として分身ロボット「OriHime」をつくってみたものの、ちょっと街に繰り出したいなというときには、やはり誰かの手助けが必要だったんです。そこで、ひらめきました。誰かにお願いして出会うのではなく、彼自身が誰かの役に立つ形で出会いの機会を得られるのではという発想に至りました。もっと小さなロボットをつくって肩に乗せてみることで、視覚障がい者の方が歩き、ロボットを介して見えたものを番田が読み上げてサポートをしたり、二人で話し合って行き先を決めて新しい出会いを生み出したりすることができるのではないかと。それで、実際に試してみようと思い、澤田さんにお声がけして一緒に実験を開始しました。
──「肩乗せ」という点もお互いに一致していたんですね。
澤田:僕も以前から研究を重ねており、2014年頃Google Glassが盛り上がっていた時期には、スマートグラスのような形が良いのではと考えていました。ただ、視覚障がい者の方にヒアリングをすると、中には、メガネを装着することで情報量が減ってしまう、だからそれはやめてくれと言う方もいました。皮膚や髪でちょっとした温度や湿度の差、風や香りなどを感じ取っているので、人によってはマスクや帽子もしないそうです。そこで、ほかの案を検討するなかで、視覚障がい者の動きを観察すると、右手に白杖を持っていて左肩が空いていることに気づいたんです。そのうえ、あまり揺れずに安定していたので、ここだ!と思いましたね。 澤田:また、「忍者」というコンセプトですが、忍者は殿様に仕える存在であることに由来しています。敵の情報を伝えることで情報格差を埋めるという役割も担っていたので、視覚からの情報が得られにくい、情報障がい者とも言える彼らの情報ギャップを埋めたいという意味も込められています。僕は視覚障がい者のアテンドという観点から入って、ボディシェアリングシステムで誰かが目をシェアしてくれたら面白いなと思っていたので、番田さんの話を聞いて、視覚障がい者も逆に番田さんに足をシェアできるんだという発見がありました。オリィさんの話と同じで、視覚障がい者も人に助けてもらうだけでなく、能力や価値をシェアする立場になれるということに気づき、うまくパズルのピースがハマったなと思いましたね。
吉藤:会社関係なく自由研究みたいに、「こんなことをやってみよう」と周りを巻き込んで開発していった結果、肩乗せロボット「NIN_NIN」が生まれたんです。澤田さんもそうだと思いますが、自由研究という余裕があるからこそ、本来はくっつかないようなところがパチンとつながって、新しいものが生まれてくるのかなと感じますね。
澤田:遊びは超大事です! 今の社会は関節不足だと思うんですよね。骨と骨だけでは接続できないんです。関節があるから動ける。それぞれが遊びを持っていないといけないですよね。
吉藤:骨太は多いけど、多関節じゃないんですよね。私はこの仕事をライフスタイルとして取り組んでいるので、365日24時間隙なく働いていますが、本当に楽しくやっています。それで喜んでくれる人がいるので、これ以上の生きがいはないですね。寝食の時間すらもったいないので、1日1食で平均睡眠時間が4時間程度なのですが、周りから大丈夫かと心配されることも多いです。ただ、一般的なルールと違うからといって正されるのは違和感がありますね。
澤田:日本人は悪い意味で固定観念にとらわれすぎていますよね。「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は「ワーク」部分に結局縛られているし、「家族サービス」という言葉も「サービス」に意識が引っ張られています。結果的に家族に対してサービスしているだけで、単純に家族が好きで一緒に休日を過ごしているだけですよね。だから、言葉の概念を優先するのではなく、情動や衝動を優先していくべきだと感じます。
吉藤:今の時代、自分がどうしてもやりたいことや、自分だけが持っている価値観が重要なのに、いつのまにか失ってしまうんですよね。組織の枠にとらわれて摩耗するのではなく、波長が合う人同士の個人ベースのマッチングが必要だと思います。人生で何万人と名刺交換しても、その中で連絡を取り合う人、さらに友だちになって食事をする関係になる人はほんの一握りですよね。出会うべき人とどれだけ出会えたのだろう、人生に転機を与えてくれるような人に出会えているのだろうかと考えたときに、運命的だった出会いというものを破壊したかったんです。それで出会いを意図的に創出するために、これまで絶対に出会うことのなかった人同士が出会える場を用意しました。
澤田:僕が世界ゆるスポーツ協会を設立した理由とまったく同じですね。最近はタグの時代と言われたりもしますが、僕は逆でタグを外したほうがいいと思っていて。タグを外して、素で向き合ったほうが仲良くなれる。スポーツは素になれるので、会社では部長さんでも、ボールを蹴っているときは、ただの「〇〇さん」なんです。また、本来は仕事というもの自体、友達をつくる最良のツールだと思うんです。自分の分身のような、内面から発露された仕事は、個人の人間性が多面的にうかがえます。僕はオリィさんと初めてお会いして、これまでの取り組みからオリィさん像が24面体みたいに見えてきたんですよ。
吉藤:人を肩書きで覚えるのではなくて、なにをやっているかで覚えたほうがいいのは同感です。「広告会社の澤田さん」ではなく、「ゆるスポーツをやっている澤田さん」というように。そして、友だちから一歩深まってパートナー、親友になるためには、「二人でなにかをすること」です。この「誰かとなにかを一緒にする」というコンセプトは、OriHimeやNIN_NINの基本的な理念でもあります。目が見えない人と歩けない人が、二人で一緒になにかをするということが大事なんです。 澤田:ボディシェアする2人の関係性の話で言うと、NIN_NINがスマホではなくロボットなことにも理由があります。スマホで情報を共有するだけでは距離は縮まらないんです。ロボットが触媒として間に入ることで、2人でなにかをするんだというミッションのような空気感が増し、親密になるのだと思います。
また、日本人は他国に比べると目と目を介したコミュニケーションが苦手だと感じます。これはあくまで僕の仮説ですが、目の色や瞳孔の大きさが似ているからお互いの感情を読みやすく、目を合わせることで心の内を透かされているような気持ちになるからではないでしょうか。他方で、日本人は犬を介した会話が非常に多いんです。犬の散歩をしていて、飼い主同士が会話をしている光景をよく目にしますよね。ロボットも同じで、間に入ることでコミュニケーションが円滑になると思うんです。
吉藤:老人ホームにも導入されているアザラシ型の癒やしロボット「パロ」というものがあるのですが、ただ可愛がるだけではなく、食卓に置いておくことで、パロを介した会話が生まれるそうです。こういう触媒を介したコミュニケーションが日本では大事なのかもしれないですね。
吉藤:私が「テクノロジー・ファースト」ではないからでしょうね。車椅子を見たときに、車椅子を改造したいというよりは、車椅子に乗っている人の人生をどう変えられるかという発想しかなかったので、その違いだと思います。取材などで、「今後OriHimeをどうしていきたいですか?」「この先どんな機能を搭載する予定ですか?」などと聞かれるのですが、あまり興味がないんですよね。もちろんモノづくりに携わる人は、そういう想いがあるでしょうし、私もまったくないわけではありません。けれども、使う人の人生にどう影響するかの方が重要だし、そのためにテクノロジーを使うべきというのが私の考えです。
澤田:私たちは「フレンド・ファースト」なんでしょうね。特に病気や障がいのある友だちの役に立つものを提供していきたいんです。
吉藤:波長は合うけど寝たきりで動けない彼らを、どうしたら楽しい空間に連れてくることができるか。彼らも来たいと思っているけど、車椅子で行くのが大変なので、そのコストをいかに下げられるかを考えていくわけです。
澤田:僕のライフコンセプトは「あらゆる弱者をなくしたい」で、人生を賭けて成し遂げたいと思っています。「フォー・フレンド」は一生涯のものです。だから、仕事を通じて、このコンセプトに共感してくれる友だちを見つけて、一緒に楽しみながら新しい仕事を生む、というサイクルをつくっていきたいです。
澤田:自分のことを人に伝えるとき、編集して良い部分ばかり伝えてしまいがちですが、人生には陰陽や裏表があり、もっと両面を出すべきだと思っています。僕の光の部分は、ずっと広告会社にいるので、言葉を使うことやマーケティングを得意としています。一方で影の部分は、スポーツが圧倒的に苦手ということです。走ると必ず笑われるくらいなんです。それなのに「僕は広告人だ」ということだけを打ち出してもつまらないじゃないですか。得意な部分を活かしながらも、運動が苦手だと言ったら、そこに共鳴する人がたくさん集まってきました。
吉藤:どんな人でも得手不得手がありますよね。苦手なことがあってもほかに魅力的であれば、ほかの人と組むことで苦手な箇所の穴は埋まります。みんなが得意な部分しか発信しないと、凸部分しか見えず、凹部分が見えません。そうなると、パズルをうまく組み合わすことができない状態になってしまいます。だから、自分ができないことは、恥ずかしがらずに言うべきで、その穴を埋めてくれる存在こそが“友だち”なのです。
澤田:できないことリストをつくっていくと、結果的にできることが見つかります。なにもできない人なんていないし、必ずなにかできるはず。また、できないことをどう伝えるかという能力も大事ですね。卑屈に伝えてしまいがちですが、ポジティブに堂々と言うと、周囲の人はなにか力になれないかなという気持ちになるものです。
吉藤:できないことが自分のなかで明確になると、それに対する創意工夫も考えますよね。なんとかしようと知恵を絞るし、どのように克服したかはみんなが聞きたい話なので、価値の高いものに変わります。 澤田:僕も、自分が苦手でなければゆるスポーツを生み出していないし、息子に視覚障がいというある種の弱みがなければNIN_NINを企画していないわけです。弱点のまま放置しておくか、周囲の手も借りながらオセロのようにひっくり返して強みに変えられるかは、その人次第だと思います。
吉藤:“障がい”という言葉の捉え方もそうです。先日、乙武洋匡さんとお会いする機会があったのですが、乙武さんに「“障がい”はないですよね?」と聞いたところ、「うん、あまりないね」と答えてくれました。補足しますと、障がいとは、自分がしたいことがあったときに、それが実現できないハードルのことなのです。もし乙武さんがどうしてもギターを弾きたいと思っていたら、障がいがあると捉えられますが、彼の現在の活動は不自由なく成し遂げているので、「障がいはあまりない」という回答だったわけです。だから、障がい者というものは、障がい者手帳を持っているかではなく、なにかに困っているかどうかなのです。
澤田:10年後や20年後に、身体障がいや知的障がい、精神障がいは、テクノロジーでカバーされて、障がいではなくなるかもしれません。一方で、新しい障がい者がどんどん生まれていくと予想しています。例えば、暇なことがとても苦痛な人は暇障がいかもしれない。次にどういう障がい者が生まれるのか、今から取り組んでおく必要があると思っています。僕の仮説では、「人類は暇で孤独で無力になっていく」と予想しています。そういう意味で、OriHime やNIN_NINは、会話を生み出し、誰かに身体をシェアすることで、社会に役立っていることも実感できます。だから、とても理にかなっているんです。 ──お二人が生み出したロボットは、人類が今後直面するかもしれない、新たな障がいを解決する存在なのですね。貴重なお話ありがとうございました!
澤田:「身体機能のシェア」をコンセプトに開発された、忍者型のボディシェアリングロボットです。例えば、目の不自由な人にカメラを通じて視覚をシェアすることができるなど、人々が身体機能をシェアし合う分身ロボットです。昔から行われてきた「手を貸す」という行為だけでなく、「耳を貸す」、「目を貸す」、「足を貸す」、「口を貸す」といった行為も可能にする、これまでにない社会を実現することを目指しています。
澤田:オリィさん(編集部注、吉藤さんの愛称)と親交のある会社の先輩から、僕と間違いなく波長が合うから会ってみないかと声をかけてもらったのが最初のきっかけです。仕事絡みでもなければ、特に目的もなく、ただ会ってみたいなという気持ちだけでしたね。実際にお会いすると、たしかに波長が合うな、とても面白いなと感じたのですが、すぐになにかを一緒にやろうと動いたわけではありませんでした。
吉藤:私が視覚障がい者向けのロボットの実験をするという話を持ちかけてから、具体的に動き始めましたよね。
澤田:そうですね。僕は年齢・性別・運動神経に関わらず、だれもが楽しめる新スポーツを生み出す「世界ゆるスポーツ協会」に取り組んでいたので、そこにオリィ研究所のOriHimeを活用できないかという話をずっとしていたんです。それでオリィさんと何度かお会いするうちに、視覚障がい者向けの展開も考えているという話を聞いて、僕も同じようなことを考えていたので驚きました。実は、僕の息子には視覚障がいがあります。親として息子の自立を考えたときに、現在テクノロジーの波が来ているとはいえ、どのアイデアも根本的な解決の糸口にはならないと感じていたんです。例えば、RFID(編集部注、無線ICタグの一種)という新たなテクノロジーを搭載した自動販売機があったとして、私たちにとっては便利になるかもしれないけど、目が見えない人はそもそも商品を選ぶことができないんです。では、商品を読み上げる自動販売機を開発してみても、根本的な解決にはつながらない。点ではなく線で、もっと全体の仕組みをソリューションしたいと思い、アテンドロボットをつくろうと考えました。視覚障がい者の方々は外出する際にガイドヘルパーに頼むことが多いのですが、依頼できるのが最短で何時間からと決まってたりと、ふらっと自由に出かけることがなかなか難しい。ロボット相手なら気を遣う必要もないので、そこも良いなと思いました。構想段階から肩に乗せるということも、ボディシェアリングというコンセプトも、すべて決めていたんです。誰と一緒につくろうかと画策していたときにオリィさんから話を聞き、波長だけでなく企画も合致していたので驚きましたね。 ──ビジネスイメージが合致していたんですね。
吉藤:同じことを考えていたけど、発想の起点が逆だったんですよね。私の場合は、寝たきりの親友・番田がきっかけでした。実は1年半ほど前に亡くなってしまったのですが、彼は外出することで新たな発見と出会いがあり、どんな人と出会ったかで人生が大きく変わるという考えを持っていました。しかし、誰かに頼まないと外出ができないので、その出会いの場がなかったんです。彼が外出できる方法として分身ロボット「OriHime」をつくってみたものの、ちょっと街に繰り出したいなというときには、やはり誰かの手助けが必要だったんです。そこで、ひらめきました。誰かにお願いして出会うのではなく、彼自身が誰かの役に立つ形で出会いの機会を得られるのではという発想に至りました。もっと小さなロボットをつくって肩に乗せてみることで、視覚障がい者の方が歩き、ロボットを介して見えたものを番田が読み上げてサポートをしたり、二人で話し合って行き先を決めて新しい出会いを生み出したりすることができるのではないかと。それで、実際に試してみようと思い、澤田さんにお声がけして一緒に実験を開始しました。
──「肩乗せ」という点もお互いに一致していたんですね。
澤田:僕も以前から研究を重ねており、2014年頃Google Glassが盛り上がっていた時期には、スマートグラスのような形が良いのではと考えていました。ただ、視覚障がい者の方にヒアリングをすると、中には、メガネを装着することで情報量が減ってしまう、だからそれはやめてくれと言う方もいました。皮膚や髪でちょっとした温度や湿度の差、風や香りなどを感じ取っているので、人によってはマスクや帽子もしないそうです。そこで、ほかの案を検討するなかで、視覚障がい者の動きを観察すると、右手に白杖を持っていて左肩が空いていることに気づいたんです。そのうえ、あまり揺れずに安定していたので、ここだ!と思いましたね。 澤田:また、「忍者」というコンセプトですが、忍者は殿様に仕える存在であることに由来しています。敵の情報を伝えることで情報格差を埋めるという役割も担っていたので、視覚からの情報が得られにくい、情報障がい者とも言える彼らの情報ギャップを埋めたいという意味も込められています。僕は視覚障がい者のアテンドという観点から入って、ボディシェアリングシステムで誰かが目をシェアしてくれたら面白いなと思っていたので、番田さんの話を聞いて、視覚障がい者も逆に番田さんに足をシェアできるんだという発見がありました。オリィさんの話と同じで、視覚障がい者も人に助けてもらうだけでなく、能力や価値をシェアする立場になれるということに気づき、うまくパズルのピースがハマったなと思いましたね。
吉藤:会社関係なく自由研究みたいに、「こんなことをやってみよう」と周りを巻き込んで開発していった結果、肩乗せロボット「NIN_NIN」が生まれたんです。澤田さんもそうだと思いますが、自由研究という余裕があるからこそ、本来はくっつかないようなところがパチンとつながって、新しいものが生まれてくるのかなと感じますね。
固定観念にとらわれるな
──お互いに余白の部分があって、自由にやっていたからこそピースがはまったんですね。澤田:遊びは超大事です! 今の社会は関節不足だと思うんですよね。骨と骨だけでは接続できないんです。関節があるから動ける。それぞれが遊びを持っていないといけないですよね。
吉藤:骨太は多いけど、多関節じゃないんですよね。私はこの仕事をライフスタイルとして取り組んでいるので、365日24時間隙なく働いていますが、本当に楽しくやっています。それで喜んでくれる人がいるので、これ以上の生きがいはないですね。寝食の時間すらもったいないので、1日1食で平均睡眠時間が4時間程度なのですが、周りから大丈夫かと心配されることも多いです。ただ、一般的なルールと違うからといって正されるのは違和感がありますね。
澤田:日本人は悪い意味で固定観念にとらわれすぎていますよね。「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は「ワーク」部分に結局縛られているし、「家族サービス」という言葉も「サービス」に意識が引っ張られています。結果的に家族に対してサービスしているだけで、単純に家族が好きで一緒に休日を過ごしているだけですよね。だから、言葉の概念を優先するのではなく、情動や衝動を優先していくべきだと感じます。
吉藤:今の時代、自分がどうしてもやりたいことや、自分だけが持っている価値観が重要なのに、いつのまにか失ってしまうんですよね。組織の枠にとらわれて摩耗するのではなく、波長が合う人同士の個人ベースのマッチングが必要だと思います。人生で何万人と名刺交換しても、その中で連絡を取り合う人、さらに友だちになって食事をする関係になる人はほんの一握りですよね。出会うべき人とどれだけ出会えたのだろう、人生に転機を与えてくれるような人に出会えているのだろうかと考えたときに、運命的だった出会いというものを破壊したかったんです。それで出会いを意図的に創出するために、これまで絶対に出会うことのなかった人同士が出会える場を用意しました。
澤田:僕が世界ゆるスポーツ協会を設立した理由とまったく同じですね。最近はタグの時代と言われたりもしますが、僕は逆でタグを外したほうがいいと思っていて。タグを外して、素で向き合ったほうが仲良くなれる。スポーツは素になれるので、会社では部長さんでも、ボールを蹴っているときは、ただの「〇〇さん」なんです。また、本来は仕事というもの自体、友達をつくる最良のツールだと思うんです。自分の分身のような、内面から発露された仕事は、個人の人間性が多面的にうかがえます。僕はオリィさんと初めてお会いして、これまでの取り組みからオリィさん像が24面体みたいに見えてきたんですよ。
吉藤:人を肩書きで覚えるのではなくて、なにをやっているかで覚えたほうがいいのは同感です。「広告会社の澤田さん」ではなく、「ゆるスポーツをやっている澤田さん」というように。そして、友だちから一歩深まってパートナー、親友になるためには、「二人でなにかをすること」です。この「誰かとなにかを一緒にする」というコンセプトは、OriHimeやNIN_NINの基本的な理念でもあります。目が見えない人と歩けない人が、二人で一緒になにかをするということが大事なんです。 澤田:ボディシェアする2人の関係性の話で言うと、NIN_NINがスマホではなくロボットなことにも理由があります。スマホで情報を共有するだけでは距離は縮まらないんです。ロボットが触媒として間に入ることで、2人でなにかをするんだというミッションのような空気感が増し、親密になるのだと思います。
また、日本人は他国に比べると目と目を介したコミュニケーションが苦手だと感じます。これはあくまで僕の仮説ですが、目の色や瞳孔の大きさが似ているからお互いの感情を読みやすく、目を合わせることで心の内を透かされているような気持ちになるからではないでしょうか。他方で、日本人は犬を介した会話が非常に多いんです。犬の散歩をしていて、飼い主同士が会話をしている光景をよく目にしますよね。ロボットも同じで、間に入ることでコミュニケーションが円滑になると思うんです。
吉藤:老人ホームにも導入されているアザラシ型の癒やしロボット「パロ」というものがあるのですが、ただ可愛がるだけではなく、食卓に置いておくことで、パロを介した会話が生まれるそうです。こういう触媒を介したコミュニケーションが日本では大事なのかもしれないですね。
フレンド・ファーストの精神で
──ドラえもんなどでロボットを介したコミュニケーションを目の当たりにしてきたからこそ馴染み深いのかもしれないですね。ちなみに吉藤さんは、ロボットを技術目線ではなくコミュニケーションツールとして捉えていらっしゃいますよね。なぜそのような発想に至ったのですか?吉藤:私が「テクノロジー・ファースト」ではないからでしょうね。車椅子を見たときに、車椅子を改造したいというよりは、車椅子に乗っている人の人生をどう変えられるかという発想しかなかったので、その違いだと思います。取材などで、「今後OriHimeをどうしていきたいですか?」「この先どんな機能を搭載する予定ですか?」などと聞かれるのですが、あまり興味がないんですよね。もちろんモノづくりに携わる人は、そういう想いがあるでしょうし、私もまったくないわけではありません。けれども、使う人の人生にどう影響するかの方が重要だし、そのためにテクノロジーを使うべきというのが私の考えです。
澤田:私たちは「フレンド・ファースト」なんでしょうね。特に病気や障がいのある友だちの役に立つものを提供していきたいんです。
吉藤:波長は合うけど寝たきりで動けない彼らを、どうしたら楽しい空間に連れてくることができるか。彼らも来たいと思っているけど、車椅子で行くのが大変なので、そのコストをいかに下げられるかを考えていくわけです。
澤田:僕のライフコンセプトは「あらゆる弱者をなくしたい」で、人生を賭けて成し遂げたいと思っています。「フォー・フレンド」は一生涯のものです。だから、仕事を通じて、このコンセプトに共感してくれる友だちを見つけて、一緒に楽しみながら新しい仕事を生む、というサイクルをつくっていきたいです。
弱点を活かす逆転の発想
──それでは最後に、今後の生き方について、どのようにお考えでしょうか?澤田:自分のことを人に伝えるとき、編集して良い部分ばかり伝えてしまいがちですが、人生には陰陽や裏表があり、もっと両面を出すべきだと思っています。僕の光の部分は、ずっと広告会社にいるので、言葉を使うことやマーケティングを得意としています。一方で影の部分は、スポーツが圧倒的に苦手ということです。走ると必ず笑われるくらいなんです。それなのに「僕は広告人だ」ということだけを打ち出してもつまらないじゃないですか。得意な部分を活かしながらも、運動が苦手だと言ったら、そこに共鳴する人がたくさん集まってきました。
吉藤:どんな人でも得手不得手がありますよね。苦手なことがあってもほかに魅力的であれば、ほかの人と組むことで苦手な箇所の穴は埋まります。みんなが得意な部分しか発信しないと、凸部分しか見えず、凹部分が見えません。そうなると、パズルをうまく組み合わすことができない状態になってしまいます。だから、自分ができないことは、恥ずかしがらずに言うべきで、その穴を埋めてくれる存在こそが“友だち”なのです。
澤田:できないことリストをつくっていくと、結果的にできることが見つかります。なにもできない人なんていないし、必ずなにかできるはず。また、できないことをどう伝えるかという能力も大事ですね。卑屈に伝えてしまいがちですが、ポジティブに堂々と言うと、周囲の人はなにか力になれないかなという気持ちになるものです。
吉藤:できないことが自分のなかで明確になると、それに対する創意工夫も考えますよね。なんとかしようと知恵を絞るし、どのように克服したかはみんなが聞きたい話なので、価値の高いものに変わります。 澤田:僕も、自分が苦手でなければゆるスポーツを生み出していないし、息子に視覚障がいというある種の弱みがなければNIN_NINを企画していないわけです。弱点のまま放置しておくか、周囲の手も借りながらオセロのようにひっくり返して強みに変えられるかは、その人次第だと思います。
吉藤:“障がい”という言葉の捉え方もそうです。先日、乙武洋匡さんとお会いする機会があったのですが、乙武さんに「“障がい”はないですよね?」と聞いたところ、「うん、あまりないね」と答えてくれました。補足しますと、障がいとは、自分がしたいことがあったときに、それが実現できないハードルのことなのです。もし乙武さんがどうしてもギターを弾きたいと思っていたら、障がいがあると捉えられますが、彼の現在の活動は不自由なく成し遂げているので、「障がいはあまりない」という回答だったわけです。だから、障がい者というものは、障がい者手帳を持っているかではなく、なにかに困っているかどうかなのです。
澤田:10年後や20年後に、身体障がいや知的障がい、精神障がいは、テクノロジーでカバーされて、障がいではなくなるかもしれません。一方で、新しい障がい者がどんどん生まれていくと予想しています。例えば、暇なことがとても苦痛な人は暇障がいかもしれない。次にどういう障がい者が生まれるのか、今から取り組んでおく必要があると思っています。僕の仮説では、「人類は暇で孤独で無力になっていく」と予想しています。そういう意味で、OriHime やNIN_NINは、会話を生み出し、誰かに身体をシェアすることで、社会に役立っていることも実感できます。だから、とても理にかなっているんです。 ──お二人が生み出したロボットは、人類が今後直面するかもしれない、新たな障がいを解決する存在なのですね。貴重なお話ありがとうございました!