メタバースの時代に問われるマーケターの倫理と道徳 KDDI 事業創造本部 革新担当部長 三浦伊知郎さん
2020年、新型コロナの影響でイベント開催が相次いで中止になりました。そんな中、突如出現した「バーチャル渋谷」。東京・渋谷のスクランブル交差点を緻密に再現した仮想の街は、人々を大いに驚かせました。リアルがダメなら、メタバースに集まろう。そんな呼び掛けが、暗く沈んだ社会を明るく照らしてくれました。あれから3年、仕掛け人の1人、KDDIの三浦伊知郎(みうらいちろう)さんは、これから本格的に訪れるメタバース時代に、どのように向き合おうとしているのでしょうか。
世の中に問題提起を促す存在でありたい
──大学を出て最初に入ったNTTでは、どんな仕事をしていたのですか?法人営業です。主に各国の大使館を担当していました。学生の頃にバックパッカーをやっていて。独学ですが、せっかく英語を覚えたので、それを活かせる仕事がしたかった。それで「大使館を担当したい」と自分から申し出たんです。
──その後、広告会社を経てアパレル業界に転職されたんですね。まったくの異業種ですが、何か思うところがあったのでしょうか。
営業を一通り経験したら、次はマーケティング・コミュニケーションをやりたいと思っていたんです。ちょうどDIESEL(ディーゼル)が人材を探していると聞いて。アパレルは未経験でしたが、身近なプロダクトなので、なんとかなるだろうと。在籍した8年の間、ものすごい数のキャンペーンやイベントをやりましたよ。ほかのブランドとのコラボレーションには特に力を入れました。
──コラボレーションですか?
ディーゼルとターゲットがかぶっている異業種ブランドとのコラボです。同じターゲットにアプローチしているのに、それぞれで多額の予算をかけるのがもったいないと思って。ディーゼルに近いブランドイメージのところと一緒にやれば、予算は半分になり、顧客は倍になる。いいことずくめじゃないですか。車のMINI(ミニ)、エナジードリンクのレッドブル、ヴァージン・アトランティック航空…。ふと気付いたらマーケターの一大ネットワークを築いていましたね。 ──それで独立しようと(笑)?
まぁ、自分で会社をやれるんじゃないかとは思いました(笑)。
でも独立した一番の動機は、ディーゼルにいると、当然ながらディーゼル抜きのコラボ企画を立てられないこと。ミニとレッドブルとか、ミニとヴァージンとか、そういう組み合わせを実現できないのがもどかしかった。せっかくオポチュニティ(受注機会)が得られるのにもったいないなと。それでマーケティング支援の会社を立ち上げました。
でも、僕はやっぱり組織の中にいる方が合っていると思いましたね。だって、時間が余って家にいるとめちゃくちゃ焦るんです。「やばい、こんな昼間にテレビ見てる場合か?」って。会社員時代は暇な時間ができるとうれしくて仕方がなかったのに。
何より、社員を雇わずアウトソースでやっていたのが、だんだんこたえてきた。同じ釜の飯を食う仲間がいないというのが、自分にとってこんなにつらいことだとは思いませんでした。組織の良さを再認識させられましたね。
──原点回帰のつもりで、KDDIに入ったと言えそうですね。
業種としてはそうですね。大手通信インフラ特有の企業体質を知っているので不安もありました。でも、顧客との接点がスマホ中心のauから、「イベントを使ってリアル接点を強化したいから、イベントを主軸とした事業を立ち上げてほしい」というオーダーがあり、とても興味を持ちました。それも「革新担当部長」という有期雇用枠採用。通常の中途採用とは違い、課されたジョブに対して約3年間で成果を出すことを求められていました。短期間のうちにイベント×デジタルでauのプレゼンスを上げるというミッションに僕はチャレンジしてみたくなったのです。
──「革新担当部長」という制度で入社したのですね。
革命家みたいなすごいタイトルですよね。社内ワードなのですが、面白いので、そのまま対外的にも使っています(笑)。
「革新担当部長」は、与えられたミッションに対し短期間で成果を出してくださいという究極のジョブ型雇用だと思うのですが、僕はとても気に入っています。そして、外部からカルチャーバックグラウンドの違うエキスパートを迎い入れようとしているKDDIの懐の大きさを感じています。自ら変わらなくちゃいけないと切実に思っていて、その1つの表れが「革新担当部長」制度だと。
だから、僕はこの「革新担当部長」を世の中に普及させたい。いろんな企業が導入したら日本は活性化すると思っています。なぜなら、どの会社にも良いところと悪いところがあるからです。僕のような、片足をKDDI、もう片方を外に置く社員は、優れたカルチャーは尊重しながらも、無駄に思うものは「やらなくていいじゃん」と率直に言えるんです。いい意味で会社の中をかき回す。それが社員の刺激になればいいし、彼らの障壁になっているものがあれば、何もしがらみのない「革新担当部長」が取っ払ってあげられるかもしれない。旧態依然とした組織でがんじがらめになっている企業こそ、必要なんじゃないかな(笑)。
ピンチがもたらしたメタバースの急展開
──三浦さんに課されているミッションを教えてください。今の世の中、顧客はオンラインとオフラインの購買を行き来しています。企業は片方のチャネルに偏ったアプローチをしていると、顧客はどこかで離脱してしまう。KDDIとしても、それが課題でした。ですから、「顧客とのリアル接点を増やすイベント興行の事業化」を目指した。そのミッションを担う人材として僕が選ばれたというわけです。
──例えばどのようなイベントが形になりましたか。
渋谷未来デザインという渋谷区の外郭団体と一緒に、東京・渋谷を舞台にした体験型イベントを企画しました。そこの事務局長の長田新子さんは元レッドブルのマーケティング責任者。前職でコラボして以来のお付き合いで、また一緒に何かやりたいと話していたんです。この時に考えたイベントは、SFアニメ『攻殻機動隊』の世界と現実の渋谷の街を重ね合わせたXR(クロスリアリティ)を、渋谷のさまざまなランドマークで体験できるというものでした。KDDIの「5G通信」の訴求と、渋谷の街が課題としていた「回遊性」を高めることを目指したんですね。ところがちょうど2020年。コロナの影響で計画はすべてストップしてしまいました。
──2020年は、あらゆるイベントが中止になりました。三浦さんもそのあおりを受けたんですね。
はい。でも、ピンチはチャンスとよく言います。イベント内容をそのままオンラインコンテンツ化することを思いついたんです。ひらめいたのが「電脳渋谷」という言葉。バーチャル空間に『攻殻機動隊』の世界観と渋谷を再現してみようと思いました。メタバースに渋谷スクランブル交差点の風景を再現し、アバターとしてステージイベントに参加したり、街歩きをしたり、『攻殻機動隊』のオリジナルストーリーを360度VR(仮想現実)で体験できたり。ただ、「電脳渋谷」では次の広がりがないと思い、ネーミングは「バーチャル渋谷」に変えました。
この「バーチャル渋谷」の構想が浮かんだとき、「絶対に類似サービスが出るだろう」と思いました。そこで、長田さんを通して渋谷区長に「このコンテンツを渋谷区公認にしてください」と直談判したんです。
──すごい(笑)。なんと言って頼んだのですか?
「これからはメタバースで経済が動く。それを現実の世界にちゃんと還元する仕組みを考えます」って言いましたね。 ──「現実の世界に還元する」というのは、例えば、「バーチャル渋谷」に来た外国人が、実際に渋谷を訪れてくれるとか?
そのとおりです。メタバースで楽しむもよし、経験するもよし。けれど、それで完結させてはダメ。人は常に現実世界のコミュニケーションが増え、暮らしが豊かになることを目指すべきだし、テクノロジーはそのために使われるべきだと、僕は思っています。
「もうひとつの世界」から「もう、ひとつの世界」へ
──メタバースの分野で、KDDIが新たに取り組んでいることはありますか。今年3月、「αU(アルファユー)」というブランド名で、メタバースやライブ配信、バーチャルショッピングなどWeb3(ウェブスリー)時代のサービスの提供を始めました。「バーチャル渋谷」はイベント特化型のメタバースですが、αUは日常のコミュニケーションが体験できる場にしていきます。
メタバースはアナザーワールド。「もうひとつの世界」です。僕らはαUのローンチの広告で「もう、ひとつの世界。」と表現しました。読点を付けるだけで、リアルとバーチャルの境界がなくなり、すでに1つの世界になっているという意味になる。ここに、僕らの哲学が詰まっています。もはや仮想空間をつくっているのではない。両方の経済がリンクした都市連動型メタバースをつくっているのだと宣言したんです。
──リアルとバーチャルの境界がなくなり、都市連動型メタバースの活用が進むとどのようなことが起きるのでしょうか。
人々がメタバースにアバターとなって入り、友人と会話を楽しんだり、ショッピングをしたりする。それがすべてデータとして蓄積されます。
マーケターにとってはメリットかもしれない。インサイトを探り、顧客接点をつくるためにはデータが必要ですから。しかし、一歩でも使い方を誤れば、強烈に恐ろしいことになります。いまAIがビッグデータをどう使うかという問題が取りざたされていますが、いずれメタバースでも同じ議論が起きる。人としてこうあるべき、データはこう使うべきという基軸を持っていないと最悪の方向へ転がっていく。これは、現実世界の倫理と道徳を抜きには語れない話なんです。
実は僕、今でもバックパッカーを続けています。世界の多様な価値観をインプットすることがメタバースの面白い企画につながるというのもありますが、マーケティングをやる人間として、世界基準のリアルの倫理感と道徳感を自分の中にちゃんと持っておきたいからなんです。 ──それはなぜでしょうか。
メタバースで得られる膨大なデータを使えば、消費者のインサイトが赤裸々にわかってしまいます。それはもう、SNSが興隆したWeb2時代の比ではない。いらないものを押し売りすることだって、理論上は可能になります。企業はもうかる。でも、本当にそれでいいのかと思うわけです。
世の中の人たちは、実はもう気付いています。企業は新しいテクノロジーでひたすら利益を追求し、一方で世の中にはいらないものもあふれ、自然環境がどんどん破壊されていく。そんな経済はどこかおかしいんじゃないか、みんなのためになっていないんじゃないかって。
Web3時代のマーケターは、そういった社会の気運に敏感でなければなりません。そして、利益一辺倒ではなく、新しいテクノロジーをいかに正しく使うのか、本当に人のためになる経済活動とは何か、そんな倫理的、道徳的な問いかけを、自らに向け続けなければならない。それには哲学という学問が良いツールになるような気がしています。
メタバースやAIなどでユーザーデータのほぼ全てが可視化される時代。マーケティングのツールとしては非常にいいことですが、ユーザーの行動が可視化されるということは、ユーザーの「均一化」をもたらすと思っています。ユーザー、すなわち僕たちが均一的な行動をとることであたかも正しい方向に向かっているように見える反面、個々人の差分がなくなるとも言えます。だからこそ、多様な文化を受け入れ、自らが「体験」することで得られる「アナログ」な感覚と考え方、そして、「倫理と道徳」がこれからの時代、テクノロジーの発展以上に重要なことだと考えています。
──私たちは現実世界の中で、倫理観、道徳観を軸に社会をつくってきました。だから、どんなにテクノロジーが発達しても、一線を越えずにやってこられたのだと思います。その軸をメタバースにまで広げ、正しく使っていくためには、リアルとメタバースを別物とするのではなく、境界のない「ひとつの世界」ととらえることが大切だということがわかりました。KDDIが主導しているガイドラインの提言(バーチャルシティコンソーシアム)が、良い方向へ進むことにも期待したいと思います。本日はありがとうございました。