Vol.52 自分の未来像をいつも想像しているから思いっ切りアクセルを踏める キャリアアップナビ
キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、アース製薬でマーケティング総合企画本部 執行役員 本部長を務める織田大介(おだだいすけ)さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
──社会に出たのはちょうど就職氷河期ですね。
当時からマーケティングに興味はあったのですが、1995年頃は、広告業界は新卒の求人が少なくて。将来像を描くこともできないまま、興味のある業界を順に受けていき、名古屋のスポーツ用品販売企業、アルペンに店舗の販売員として入社することに。週休3日制だったことが入社の決め手になりました。
仕事が楽しくなったのは31歳の頃。プライベートブランドの商品企画部門への異動がきっかけでした。企画を進める中で、協力会社である素材メーカーやキャラクタービジネスの会社で働く同年代の人たちの活躍に、ものすごく刺激を受けたんです。奮起した私は、以前から興味のあったマーケティング担当の社内公募に手を挙げました。アメリカの大手コンサルティング会社から来た、やり手の上司のもとで働くことができましたが、かなり厳しかったですね(笑)。でも、おかげでマーケティングの基礎が身に付きました。妻に頭を下げ、PC教室や英会話教室に250万円もつぎ込むなど、自己投資に励んだのもこの頃です。
今とは違って、当時の経済や文化の中心は完全に東京でした。大阪も名古屋も元気がなかった。東京でなければビジネスパーソンとして成功できないのではないかという葛藤をずっと抱えていたんです。
そこで上京し、カタログ通信販売会社のアスクルに入社。職務内容は何度か変わりましたが、長く担当したのはオリジナル商品の開発です。中国や東南アジアで開発・製造することが多く、多いときは年に15回も海外出張に出ていたので、会社にいるほうが珍しいくらいでした。
その後、転機が訪れたのは41歳のとき。円安で海外での仕事が激減してしまったのです。私が海外に出張に行かず、ずっと会社にいることが社長にばれて、LOHACO(ロハコ)専任担当への異動を言い渡されました。「アスクルが立ち上げた個人向け通販サイトの日用品仕入れ部門の責任者をやってくれ」と。
「えーっ?」と思いましたよ。eコマースのノウハウなんてないわけですから。私が異動する前の1年間はなかなか良い結果が出ていなかった。でも、社長が「ためらわずアクセル全開でやれば良い」と言ってくれて。レビュー投稿キャンペーンや、まとめ買い値引きなど、今でこそ王道の手法ですが、当時としては型破りな企画を次々に仕掛けました。すると、怒涛の勢いで注文が入るようになって。物流部門の手が回らなくなり、梱包を手伝いに駆け付けたことも。
ロハコ事業では、中国のアリババが運営する越境ECサイトにも出店しました。中国向けのプロモーションのために、日本ではまだ浸透していなかったSNSマーケティングにも取り組みました。具体的には、中国の消費者たちを集めた商品説明会を開催したり、中国人インフルエンサーを会社に招いて「この商品のここが好き」と話し合って発信してもらったり。それが奏功して年間数十億円以上を売り上げたことは、強烈な成功体験として、今も私のよりどころになっています。
──現在のアース製薬でのお仕事を教えてください。
マーケティング部門の責任者として80人ほどのメンバーを束ね、商品企画からマーケティングコミュニケーションまで一連の改革に取り組んでいます。SNSの活用はだいぶ進んだと自負しています。2022年6月から始めた「もしもゴキブリがInstagramをやったら」という奇抜な設定の投稿をバズらせることもできました。
実は当初、テレビCMに比較して影響力の低いSNSマーケティングをやる意味を疑う声もありました。でも私には、ロハコ時代の経験に基づく自信があった。中国はデジタル分野の先進国。中国での潮流は、遅れて必ず日本に入ってくる。だから「日用品メーカーのなかで、SNSマーケティングのナンバーワンになろう!」とメンバーを励ましながらやっていました。 ──キャリアを積む上で大切にしていることはありますか。
言葉で未来像を示すことです。自分がこの先どうなりたいのか、いつも未来を想像しながら言語化するようにしています。
初めての転職を決めたとき、正直なところとても不安でした。「なぜ東京に行くのか」、「なぜ愛着のある会社を辞めるのか」、思っていることをすべて書き出して頭の中を整理したかった。それで、「将来の設計図・スケジュール」をつくったんです。「40歳でマネジメントに移る」、「50歳までに役員になる」…。年収や転職のタイミングも書きました。他人の目には、私はぐいぐい挑戦しているように映るかもしれない。でも実際は、設計図に書いたことを一つひとつ実現している、そんな感じなんです。
「スピード感がある」とよく言われますが、ちゃんと未来の行き先を自分で決めているから、思いっ切りアクセルを踏めるんだと思います。そうじゃないと、メンバーも怖くてついてこられないですよね(笑)。
当時からマーケティングに興味はあったのですが、1995年頃は、広告業界は新卒の求人が少なくて。将来像を描くこともできないまま、興味のある業界を順に受けていき、名古屋のスポーツ用品販売企業、アルペンに店舗の販売員として入社することに。週休3日制だったことが入社の決め手になりました。
仕事が楽しくなったのは31歳の頃。プライベートブランドの商品企画部門への異動がきっかけでした。企画を進める中で、協力会社である素材メーカーやキャラクタービジネスの会社で働く同年代の人たちの活躍に、ものすごく刺激を受けたんです。奮起した私は、以前から興味のあったマーケティング担当の社内公募に手を挙げました。アメリカの大手コンサルティング会社から来た、やり手の上司のもとで働くことができましたが、かなり厳しかったですね(笑)。でも、おかげでマーケティングの基礎が身に付きました。妻に頭を下げ、PC教室や英会話教室に250万円もつぎ込むなど、自己投資に励んだのもこの頃です。
──その後、東京に新天地を求めたのはなぜですか?
今とは違って、当時の経済や文化の中心は完全に東京でした。大阪も名古屋も元気がなかった。東京でなければビジネスパーソンとして成功できないのではないかという葛藤をずっと抱えていたんです。
そこで上京し、カタログ通信販売会社のアスクルに入社。職務内容は何度か変わりましたが、長く担当したのはオリジナル商品の開発です。中国や東南アジアで開発・製造することが多く、多いときは年に15回も海外出張に出ていたので、会社にいるほうが珍しいくらいでした。
その後、転機が訪れたのは41歳のとき。円安で海外での仕事が激減してしまったのです。私が海外に出張に行かず、ずっと会社にいることが社長にばれて、LOHACO(ロハコ)専任担当への異動を言い渡されました。「アスクルが立ち上げた個人向け通販サイトの日用品仕入れ部門の責任者をやってくれ」と。
「えーっ?」と思いましたよ。eコマースのノウハウなんてないわけですから。私が異動する前の1年間はなかなか良い結果が出ていなかった。でも、社長が「ためらわずアクセル全開でやれば良い」と言ってくれて。レビュー投稿キャンペーンや、まとめ買い値引きなど、今でこそ王道の手法ですが、当時としては型破りな企画を次々に仕掛けました。すると、怒涛の勢いで注文が入るようになって。物流部門の手が回らなくなり、梱包を手伝いに駆け付けたことも。
ロハコ事業では、中国のアリババが運営する越境ECサイトにも出店しました。中国向けのプロモーションのために、日本ではまだ浸透していなかったSNSマーケティングにも取り組みました。具体的には、中国の消費者たちを集めた商品説明会を開催したり、中国人インフルエンサーを会社に招いて「この商品のここが好き」と話し合って発信してもらったり。それが奏功して年間数十億円以上を売り上げたことは、強烈な成功体験として、今も私のよりどころになっています。
──現在のアース製薬でのお仕事を教えてください。
マーケティング部門の責任者として80人ほどのメンバーを束ね、商品企画からマーケティングコミュニケーションまで一連の改革に取り組んでいます。SNSの活用はだいぶ進んだと自負しています。2022年6月から始めた「もしもゴキブリがInstagramをやったら」という奇抜な設定の投稿をバズらせることもできました。
実は当初、テレビCMに比較して影響力の低いSNSマーケティングをやる意味を疑う声もありました。でも私には、ロハコ時代の経験に基づく自信があった。中国はデジタル分野の先進国。中国での潮流は、遅れて必ず日本に入ってくる。だから「日用品メーカーのなかで、SNSマーケティングのナンバーワンになろう!」とメンバーを励ましながらやっていました。 ──キャリアを積む上で大切にしていることはありますか。
言葉で未来像を示すことです。自分がこの先どうなりたいのか、いつも未来を想像しながら言語化するようにしています。
初めての転職を決めたとき、正直なところとても不安でした。「なぜ東京に行くのか」、「なぜ愛着のある会社を辞めるのか」、思っていることをすべて書き出して頭の中を整理したかった。それで、「将来の設計図・スケジュール」をつくったんです。「40歳でマネジメントに移る」、「50歳までに役員になる」…。年収や転職のタイミングも書きました。他人の目には、私はぐいぐい挑戦しているように映るかもしれない。でも実際は、設計図に書いたことを一つひとつ実現している、そんな感じなんです。
「スピード感がある」とよく言われますが、ちゃんと未来の行き先を自分で決めているから、思いっ切りアクセルを踏めるんだと思います。そうじゃないと、メンバーも怖くてついてこられないですよね(笑)。