Vol.58 良い意味で「公私混同」 素の自分が情熱を注げる領域で仕事をする キャリアアップナビ
キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、Uber Japan(ウーバー・ジャパン)のマーケティング部でブランド統括を務める鈴木あい(すずきあい)さんに、これまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
──広告業界に入った理由を教えてください。
学生の頃はテレビ局で報道に携わりたいと考えていました。ただ、その背景には、ある広告の存在があります。1997年にアップルが展開したキャンペーン、“Think different.”の「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが 本当に世界を変えている」というコピーに感銘を受けたのです。私自身に何かを変える力はないかもしれない。しかし変革に挑む人たちを取材して、変化の瞬間や、彼らが生み出す素晴らしいモノを広めたいと考えていました。
マスコミ業界の就職面接でそう話したら、「広告業界の方が向いているのでは?」と言われました。それで、授業終わりに博報堂に入社試験の資料をもらいに行く友人に付いていって、私も会社案内を読んでみたら、すごくワクワクしたんです。
すぐに博報堂のリクルーターに面談を申し込み、「広告について勉強させてください」と率直にお願いしました。その方は「こんなに質問攻めにされたのは初めて」と笑いつつ、「広告会社の営業が向いている」と背中を押してくれました。ニーズを聞き出すのがうまそうだって。
営業の仕事は好きでした。いろんなクライアントを担当できて面白かったですね。でも、ずっと走り続けていたので、少し休みたくなって博報堂を辞めたんです。広告から離れ、しばらく充電するつもりでした。
ところが、2カ月も経たないうちに、クリエイティブエージェンシーのワイデン+ケネディ トウキョウに勤める友人から「新婚旅行で休みをとるので、穴埋めでアルバイトに来てほしい」と頼まれて。2週間限定のつもりで引き受けたのですが、すごく楽しくて。それから2年近く、フリーランス契約で働きました。
その途中、東日本大震災が起きて、日本国内が自粛ムードに。広告活動も自粛が続きました。外資の会社でしたから、日本を離れる決断をした同僚もいましたが、私はむしろ「こんな状況だからこそ、日本で、広告の仕事をちゃんとやりたい」という気持ちになりました。それで、日本トップレベルの広告会社であり、大好きな博報堂でまた働きたいと思ったんです。
──古巣に戻るのは大変だったのでは。
タイミングが良かったのだと思います。私が戻る直前に博報堂が獲得した大型の受注が、ワイデンでの経験が生かせるクライアントだったんです。でも、一番大きかったのは、「戻りたい」と言い続けたこと。本気が伝わったのだと思います。
博報堂には営業として再度入社しましたが、第1子の出産を機にクリエイティブプロデューサーに職種転換しました。有限な時間と活力を使って仕事をするなら、情熱を注げる分野に集中したい。その領域はクリエイティブだと思ったんです。
ただ当時、社内にはそれができるロールはありませんでした。私は自分でデザインをしたり、コピーを書いたりすることはできません。でも、制作の現場を円滑に進めるのは得意です。そのような役割を担う「社内プロデューサーのようなことをやりたい」と、営業の上司やクリエイティブの上層部に事あるごとに話していたら、ポジションをつくってもらうことができたのです。
「戻りたい」、「職種を変えたい」という言葉を、それはもう念仏のように唱え続けました。「こうしたい」という自分の思いは自分の中にしか存在しないのですから、叶えたければ、口に出して発信するほかありません。 ──何が転機となって現在のウーバーへ?
2人目の子どもが生まれたことですね。育児をしながら、限られた時間の中で100パーセントの仕事をしてきたつもりではありますが、残業や海外出張は断らざるを得ない。周囲の期待に応えられていないのではないかと悩む日々が続きました。
そんな時、ウーバー・ジャパンの当時マーケティング責任者だった方とランチをする機会があって。「次のステップに進む時期なんじゃない?」「仕事のことだけではなく、自分の人生をどうしたいのか考えた方がいい」とアドバイスをもらったんです。はっとしましたね。それで、自分の中で優先順位を整理して、「仕事では、自分が情熱を注げるひとつのBtoCブランドに集中したい」と考えるようになりました。
2019年にウーバーに転職したのは、その方の影響もありますが、もともと好きなブランドだったから。新米ママ時代、日本でローンチしたばかりのウーバー・イーツにものすごく助けられて、こんなふうに人の生活を変えられるブランドを広めることに携われたら、どんなに素敵だろうと思ったんです。
「ワークライフバランス」と言いますが、ワークはライフの一部であるのが当然だと思います。生活の中で、自然な形で仕事がしたい。だから今、素の自分が好きなブランドに携われていることが幸せです。良い意味で公私混同というか、裏表のない選択ができていると思っています。
学生の頃はテレビ局で報道に携わりたいと考えていました。ただ、その背景には、ある広告の存在があります。1997年にアップルが展開したキャンペーン、“Think different.”の「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが 本当に世界を変えている」というコピーに感銘を受けたのです。私自身に何かを変える力はないかもしれない。しかし変革に挑む人たちを取材して、変化の瞬間や、彼らが生み出す素晴らしいモノを広めたいと考えていました。
マスコミ業界の就職面接でそう話したら、「広告業界の方が向いているのでは?」と言われました。それで、授業終わりに博報堂に入社試験の資料をもらいに行く友人に付いていって、私も会社案内を読んでみたら、すごくワクワクしたんです。
すぐに博報堂のリクルーターに面談を申し込み、「広告について勉強させてください」と率直にお願いしました。その方は「こんなに質問攻めにされたのは初めて」と笑いつつ、「広告会社の営業が向いている」と背中を押してくれました。ニーズを聞き出すのがうまそうだって。
──そこから9年、博報堂で勤められました。
営業の仕事は好きでした。いろんなクライアントを担当できて面白かったですね。でも、ずっと走り続けていたので、少し休みたくなって博報堂を辞めたんです。広告から離れ、しばらく充電するつもりでした。
ところが、2カ月も経たないうちに、クリエイティブエージェンシーのワイデン+ケネディ トウキョウに勤める友人から「新婚旅行で休みをとるので、穴埋めでアルバイトに来てほしい」と頼まれて。2週間限定のつもりで引き受けたのですが、すごく楽しくて。それから2年近く、フリーランス契約で働きました。
その途中、東日本大震災が起きて、日本国内が自粛ムードに。広告活動も自粛が続きました。外資の会社でしたから、日本を離れる決断をした同僚もいましたが、私はむしろ「こんな状況だからこそ、日本で、広告の仕事をちゃんとやりたい」という気持ちになりました。それで、日本トップレベルの広告会社であり、大好きな博報堂でまた働きたいと思ったんです。
──古巣に戻るのは大変だったのでは。
タイミングが良かったのだと思います。私が戻る直前に博報堂が獲得した大型の受注が、ワイデンでの経験が生かせるクライアントだったんです。でも、一番大きかったのは、「戻りたい」と言い続けたこと。本気が伝わったのだと思います。
博報堂には営業として再度入社しましたが、第1子の出産を機にクリエイティブプロデューサーに職種転換しました。有限な時間と活力を使って仕事をするなら、情熱を注げる分野に集中したい。その領域はクリエイティブだと思ったんです。
ただ当時、社内にはそれができるロールはありませんでした。私は自分でデザインをしたり、コピーを書いたりすることはできません。でも、制作の現場を円滑に進めるのは得意です。そのような役割を担う「社内プロデューサーのようなことをやりたい」と、営業の上司やクリエイティブの上層部に事あるごとに話していたら、ポジションをつくってもらうことができたのです。
「戻りたい」、「職種を変えたい」という言葉を、それはもう念仏のように唱え続けました。「こうしたい」という自分の思いは自分の中にしか存在しないのですから、叶えたければ、口に出して発信するほかありません。 ──何が転機となって現在のウーバーへ?
2人目の子どもが生まれたことですね。育児をしながら、限られた時間の中で100パーセントの仕事をしてきたつもりではありますが、残業や海外出張は断らざるを得ない。周囲の期待に応えられていないのではないかと悩む日々が続きました。
そんな時、ウーバー・ジャパンの当時マーケティング責任者だった方とランチをする機会があって。「次のステップに進む時期なんじゃない?」「仕事のことだけではなく、自分の人生をどうしたいのか考えた方がいい」とアドバイスをもらったんです。はっとしましたね。それで、自分の中で優先順位を整理して、「仕事では、自分が情熱を注げるひとつのBtoCブランドに集中したい」と考えるようになりました。
2019年にウーバーに転職したのは、その方の影響もありますが、もともと好きなブランドだったから。新米ママ時代、日本でローンチしたばかりのウーバー・イーツにものすごく助けられて、こんなふうに人の生活を変えられるブランドを広めることに携われたら、どんなに素敵だろうと思ったんです。
「ワークライフバランス」と言いますが、ワークはライフの一部であるのが当然だと思います。生活の中で、自然な形で仕事がしたい。だから今、素の自分が好きなブランドに携われていることが幸せです。良い意味で公私混同というか、裏表のない選択ができていると思っています。