あれもこれもやりたい自分には「営業」が合っていた

──大学を出て、広告業界に就職を決めたのはどうしてですか?
僕は1つの場所にじっとしていられない性分で。旅行先で同じホテルに2泊するのもイヤ。行ったことがないところに行きたいし、多様なことを経験したいんです。学生時代にはバイクで中米を旅したり、ニューヨークで働いてみたりしたこともありました。そのままアメリカで就職する話もあったのですが、世界中から集まったさまざまなキャリアの人が戦っているニューヨークで、まだ経験が足りないひとりの日本人が存在感を出すのは簡単ではないこともわかっていました。だから、まずは日本でちゃんとキャリアを積んで、それから海外へ出ようと思って。

就職先に広告業界を選んだのは、マスコミに勤めていた父親の影響があるかもしれません。それに、当時の電通はオリンピック関連の仕事で、海外経験がある人材を積極的に採用していましたから。きっとグローバルな仕事ができるだろうと期待して入りました。

初めての配属で担当になったのはローカル局の広告枠のバイイングでした。いわゆる局担ですね。その仕事が嫌だったわけではありませんが、僕はやっぱり経験の幅を広げたかった。だから、次の異動で営業に配属されたのは幸運でした

営業って、自分のクライアントに対して、すべての領域の責任を持つ仕事だと思っています。例えば、とある大手電機メーカーを担当したときは、年間100億円ものテレビCM予算を預かる傍ら、広告制作だけではなく、マーケティングや戦略立案も手がけました。社内報の印刷を請け負ったこともありましたね。

社内報は会社の最新情報ですから、非常に重要な仕事です。売り上げとしては小さな仕事ですが、担当営業として金額に換算できない大きな収穫を得られるわけです。営業はモノを売るとか、単純な仕事ではない。情報を駆使して顧客と関係をつくっていく、奥が深い職種なのだと気付いてから、営業の面白さにはまっていきました

──営業局で7年ほど経験したあと、「国際プロジェクトメディア局(当時)」へ異動しています。学生のころに「いずれ海外へ」と考えていたそうですが、これがその第一歩になったのでしょうか。
そうですね。ただ、ここは日本のクライアントの海外展開をサポートする部署で。拠点は日本のまま、海外へ出張する日々がしばらく続きました。欧州や中東、アフリカに行くことが多かったですね。

本格的に日本を出たのは2007年。30代後半のときでした。イギリスの子会社に取締役として行くことになって。赴任中に、ロンドン・ビジネス・スクールでビジネスリーダー向けのプログラムを学んだあと、2013年から1年間、ドバイの子会社で代表取締役CEOを務めました。

──また新しい領域への進出ですね。
もう、広告というジャンルではくくれなくなっていましたね。経営の仕事以外でも、クライアントからある国で植物工場をやりたいと相談を受けて、現地のパートナー企業とタッグを組んでサプライチェーンを考えたこともありました。

──日本の広告会社の最大手に入り、海外へ行くという目標も達成した。ところが、帰国して数年後には転職という道を選ばれています。
日本へは営業部長として戻りました。僕が所属していた営業局は、国内の大手企業を担当することが多かったのですが、僕のチームは海外のクライアントを担当させてもらっていました。

先ほどお話したように、僕は同じところにとどまっていたくないんです。この頃の電通はデジタル分野で遅れを取っていた。今の電通はもちろん違いますよ。でも当時は、僕が海外で過ごした7年間で全然進化していないように思えて。

それで、思い切って、以前から興味があったコンサルティング業界に飛び出してみることにしました。学生のときから興味がありましたし、活動領域を広げたかったんです。

──それで、経営コンサルのEYストラテジー・アンド・コンサルティングへと歩みを進めたわけですね。近年は大手広告会社がコンサルティング機能を持ち始めて、コンサル業界とのすみ分けがわかりづらいという声もあります。
そういう傾向は確かにありますね。電通をはじめ、ポテンシャルを持ったところは幾つか挙げられると思います。

でも、僕は広告会社とコンサルティング会社は明確に違うと思っています。広告会社は消費者の方を向き、コンサルはクライアントの方を向いている。つまり、広告は消費者目線の施策で売り上げを伸ばすことがメインのミッションで、コンサルは経営目線で利益拡大をサポートするため、コスト削減や効率化などの課題に対処するのが仕事。ビジネスの起点が違うと思います。

だから、広告に携わる人にはマーケットや消費者を理解する力が求められます。いま何がはやっていて、どういうメディアが好まれているか、SNSでは何が話題になっているのか。一方、コンサルは、AI技術など、次々に出てくる世界中のビジネスツールやビジネスのユースケースをどんどん吸収する力が求められる。ポータブルスキルとして身に付く力の種類も違うと思いますね。

肩書きや立場の人になりたくなくてスタートアップへ

──2023年、現在のキャディに参画されました。どのような会社ですか?
製造業向けのSaaSを開発するスタートアップで、製造業AIデータプラットフォーム「CADDi Drawer」などを展開しています。今は事業成長期で、2023年7月にはシリーズCラウンドとなる資金調達を実施しました。

──名だたる大手企業に勤めたあと、なぜスタートアップに行こうと思われたのですか?
人生100年時代というのは大げさだとしても、60歳、70歳になってもバリバリ働きたい。だとしたら、今やるべきは肩書きを上げていくことではなく、自分自身が本物のスキルを身に付け、必要とされるプロフェッショナルであり続けることだと思ったんです。

ルを付けるには、現場の仕事を自分でやる必要があるし、何よりも、量をこなさなければなりません。量をこなす原動力になるのって、「好き」という気持ちだと思うんですね。好きじゃないと、寝食を忘れるほどのめり込むのって難しいじゃないですか。好きなことに関する本ならいくらでも読める。好きだから、いくらでも頑張れちゃうんです。

だから、僕は以前からすごく興味があったスタートアップに入ってみました。人数もリソースも限られているなか、ものすごく切迫感をもって頑張っているのがいいなと思っていて。キャディ代表の加藤がよく言うんです。「スタートアップというのは、飛行機から飛び出してから、自分でパラシュートをつくるようなものだ」って。いや、すごい覚悟だなと思いましたよ。刹那の間に自分の力でモノをつくれなければそこで終わりなんだと。こういう話にワクワクするような人は、きっとスタートアップが向くんだと思います。

──では、今はスタートアップのイメージそのままの生活をされている?
エンタープライズ(大企業)の営業担当として全国の製造現場を走り回っています。これまでのキャリアでは行ったことがない、駅から遠い広大な工場に行ったり、1泊で大阪・京都・奈良の会社を6社回ったり、なんてスケジュールもよくあります。この貴重な時間にお客さまに価値を感じてもらえるよう、課題解決のためのたくさんの会話をします。

──キャリアの面ではいかがでしょう。
僕はキャリアを意識するのが遅かったんですよね。海外赴任をした40歳くらいの頃からでしょうか。海外に行ったことで、文字通り世界が広がりました。クライアントの経営層と親しくなりましたし、ビジネススクールでさまざまな国の人と仲良くなった。新しいビジネスを始めようとか、キャリアを変えようと考えている人たちと接するうちに、自分自身を高めていかないとダメだと考えるようになりました。

SaaSのエンタープライズ営業は今、すごくニーズが高いと言われています。自分が5年後にどうなっているかわかりませんが、この経験は絶対に無駄にならないと思っています。

──広告会社での営業からキャリアをスタートし、後々にキャリアを自覚的に積み上げるようになったのですね。今の広告会社で働く若手営業職の方々のなかには、自分の将来に不安を感じている人も少なくありません。最後にぜひアドバイスをお願いします。
そうですね。キャディに入社する前、自分の今後について考えたときに、自分はまだまだ現場にいたい、現場が好きだと思えたのも、広告会社の営業を経験していたからだと思います。

そういう「好き」を探すのに、営業はすごく良い仕事だと思うんですよね。例えば電通のような総合広告会社にいたら、クライアントに関するすべてにタッチできるのは営業しかいません。極端に言えば、制作はクリエイティブのこと、デジタルマーケティングはデジタルメディア運用のこと、SNS担当者はバズらせることを考えるのが仕事。それらに全部まとめてかかわれるのは営業だけなんです。その仕事のなかで、自分が特化したいこと、好奇心が刺激される道を見つけていけばいい。営業ほど面白い仕事ってないと思います。

キャリアをつくるのは自分の意志です。でもその意志の源泉は「好き」ですよね。営業職こそ、自分の「好き」を見つけるチャンスだと思いますよ。

──ありがとうございました。
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