プロダクトじゃなく「文化」を創造したい 新価値創造マーケティング本部が発信する新しい価値のつくり方 資生堂ジャパン 新価値創造マーケティング本部 本部長 北原規稚子さん
「常識を変えるアイデアで、新市場をつくる」。資生堂ジャパンの新価値創造マーケティング本部を率いる北原規稚子(きたはらみちこ)さんは、「資生堂 表情プロジェクト」や「ファンデ美容液」など、新たな価値を提供するプロジェクトを牽引してきた方です。生活者の「本当の欲しい」に寄り添うその手法は、どのように生み出されたのでしょうか。新価値創造マーケティング本部での取り組みと、今後の挑戦について伺います。
「じゃない方市場」から生み出す新市場
──新価値創造マーケティング本部とは、どんな部署なのでしょうか。新価値創造マーケティング本部は、2024年7月にスタートした資生堂ジャパンの新たなマーケティング組織です。技術革新だけではなく、生活者の変化を読むイノベーションによって新しい価値をつくり、新文化や新市場を生み出すことが目的です。
最近のイノベーションは「じゃない方」市場の変化を捉えたものではないかと、私は着目しています。 例として、アルコール飲料市場に対する「お酒を飲まない方」。乗用車市場に対して「車を持たない方」。そういった「じゃない方」が大きくなるなど、変化が起きた背景となる事象や生活者の心理を捉えて、新しい価値を提案することで新市場が生み出した、という考え方です。 お酒を飲まない若者が増えている。その変化にそのままリアクションするならば、高年齢層をターゲットにする、若者にお酒の楽しみを啓発する、となるかもしれません。ただ、変化の裏にあるのは、「コミュニケーションは取りたいけど、飲みニケーションは嫌だ」「飲み会の後も、勉強や趣味など自分への投資の時間がほしい」という生活者の心理。つまり、「若者は酔っ払いたくないけど、飲み会そのものは嫌じゃない」と想像できます。その心理を捉えたのが、「お酒を飲む人も飲まない人もコミュニケーションを楽しめる、ビールテイスト飲料」という新市場だと考えられます。
乗用車も同じです。今の若者には、所有する車で自分のステータスを見せるという感覚はあまりないかもしれませんが、移動のためのニーズがないわけではない。そんな若者の心理を捉えたからこそ、カーシェアという新市場がつくられたと考えられます。
そして、資生堂でも「じゃない方」市場の変化をきっかけに生み出したのが、「ファンデ美容液」のプロジェクトです。実は、美容液効果のあるファンデーション自体はすでに世の中に存在していました。当社にも既存の商品がありましたが、新価値創造によって新しいお客さまの獲得に成功したのです。
──「ファンデ美容液」自体は元からある商品だったとは驚きです! 一体どのように生まれ変わらせていったのでしょうか。
ここ数年、メイクアップ市場は、コロナ禍の影響で大きく落ち込みました。5類移行後は復調しつつありますが、ファンデーションを使わない「ノーファンデ派」や、週4日以上ファンデーションを使わない「レスファンデ派」という人が増え、いわゆる「じゃない方」が大きくなっていました。なぜ生活者に変化が起きたのかを調べていくと、この背景で、コロナ禍で自分に向き合う時間が増えるとともに「ご自愛意識」が高まり、同じ化粧品でありながらも「スキンケアは未来の自分への投資だが、ファンデーションは人のために今の自分を装うもの」という心理(インサイト)が生まれていたことを捉えました。
そんな変化に対して、従来のファンデーションのメリットを啓発したり、代替商品である色付き下地などを訴求したりすることでは、売り上げは補完できても新市場は生まれません。お客さまの「ご自愛意識」から生まれた、ファンデーションへのネガティブな印象を拭う提案が必要でした。
そこで、美容液効果のあるファンデーションとしてすでに好評だった「SHISEIDO エッセンス グロウ ファンデーション」と「マキアージュ ドラマティックエッセンスリキッド」 に着目。開発を担当した研究員に話を聞くと、驚くべきことがわかりました。普通のリキッドファンデーションに美容液成分を配合するには限界がある、そのため逆転の発想をして、資生堂が得意とする美容液でファンデーション成分を包むという新技術によって開発された商品だったのです。実際にSNSを見てみると「もはや色付き美容液」、「ファンデのふりした美容液」などの声が。それら生活者の声から発想して付けた新カテゴリー名が「ファンデ美容液」です。
研究員から聞いた新技術をわかりやすく伝えるために、「彩る美容液。美容液でファンデーションを包むから、美容液が肌にずっと触れる。メイクをする一瞬が未来の美しさを育む」というコンセプトを作成し、プロモーションを展開しました。そして、スキンケア商品に強い資生堂の新カテゴリーという信頼も相まって、「ファンデ美容液」は爆発的に広まっていきました。
──その成功を受けて設立されたのが、新価値創造マーケティング本部なんですね。
今後、新価値創造を加速させるため、部署として設立されることになりました。新市場は、競合がいないため利益を上げやすく、先駆者は長く市場をリードできます。人口が減少に向かう国内市場だからこそ、私たちは新価値の創造を仕掛け続けていくのです。
自分のコンセプトは「常識を変えるアイデアで新価値をつくるマーケター」
──ご自身では、なぜ現在の部署への声がかかったのだと考えていますか?「こうありたい」と思う自分のコンセプトを決めて、社内外で一貫して体現してきたからだと思います。
私、学生の頃からずっと資生堂に憧れていたんです。2010年に念願かなって中途で入社しました。だから仕事は楽しくて仕方なかったですね。入社当初に担当した「TSUBAKI」では中国ローンチを担当。2013年から担当した「エリクシール」では、ブランドマネージャーとして、リブランディングをリードしました。
ただ、「エリクシール」を長年担当していたころ、自分が何をやりたいのか、自分の強みは何か、よくわからなくなってしまって……。先輩から「自分を商品だと仮定して、そのPOPに何が書いてあるのか考えてみたら」とアドバイスを受けて、自分のコンセプトは何なのかを考えてみました。 それまでの自分は、マーケティングのロジックも考えれば、企画アイデアも出すし、ファイナンシャル面も管理するし、社内の調整事にも携わるというように、「私は何でもやれます!」と説明していました。でも、それでは「全部盛り」すぎたのです。たとえば台所洗剤だって、除菌もできて油汚れも落とせて、手肌に優しくていい香りもして、キュッと仕上がる、なんて全部盛りの商品は選びにくいですよね。除菌ならあの商品、油汚れならこの商品と、人は商品の得意を見て選択します。自分自身のブランディングができていなかったことにようやく気づいたのです。
私が一番やりたいのは、ゼロからイチのブランディングや、窮地でのリブランディングです。「自分は常識を変えるようなアイデアで、新価値をつくる人」とコンセプトを決めました。そして、その領域で実績を出すのはもちろん、さまざまな場面でコンセプトを体現し続けました。2020年には、資生堂No.1ブランドである「マキアージュ」などのメイクアップブランドのヴァイスプレジデントに就任。その後、副CMO、マーケティング本部長を歴任し、今回の新価値創造マーケティング本部に声がかかったのです。コンセプトを体現し続けていると、自分の強みが生きる場所に自然と引き寄せられるのだなと感じています。
──メイクアップブランドを担当されて以降は、どんな新価値創造のプロジェクトを手がけられてきましたか。
メイクアップの担当になってすぐコロナ禍に入ってしまい、大きく変化したニーズに合わせてプランニングを見直しました。
2020年はマスク着用や外出自粛、仕事もリモートワークという生活になり、メイクをする機会が減った方が多くいらっしゃいました。変化するニーズにいち早く新価値で応えようと、「マスクにつきにくいジェリーBB(マキアージュ ドラマティック ヌードジェリーBB)」を着想から4カ月で準備し発売。「ジェリーBB」はヒット商品となり、コロナ禍中に資生堂はBBクリームを含む下地シェアNo.1となりました。
そして、次に企画したのが、資生堂の美容部員がインフルエンサーとして発信するInstagramアカウント「マキアージュ ビューティージャンクション」です。美容部員は感染対策のためにタッチアップや店頭での接客に制限があり、店頭で試せないお客さまはデジタルで美容情報を得るようになってきた状況でした。そこで、メイクアップ技術や知識を価値として届けるために、インフルエンサーのようなデジタル上での新たな活動を提案したのです。美容部員が自宅にいながら、お客さまのニーズに合わせたコンテンツの作成・投稿を行えるようサポート。さらに、服装や髪型も自身の好きなスタイルでOKとし、お客さまに親近感を持ってもらえるようにもしました。現在ではデジタルチャネル専門で活躍する美容部員「オムニPBP(Personal Beauty Partner)」などの活動へと拡大させています。
その他にも、「Hand in Hand Project」として、正しい手洗い「手守り習慣」で医療現場への負担を減らそうという啓発プロジェクトや、コロナが5類になったタイミングで、ささやかな表情が行き交う毎日の喜びを呼びかけ、化粧の力を思い出していただく「みんな、いい顔してる。」キャンペーンなどのプロジェクトをリードしてきました。
──今、新たに価値を生み出したいと思っているプロダクトなどはありますか?
プロダクトというよりも、新しい「化粧文化」と呼べるような新価値創造を、日本から起こしたいと思っています。 実は、化粧品市場でスキンケアが多くを占めている状況は日本特有なのです。日本では化粧水で肌を育む文化が根付いていますが、例えばヨーロッパでは化粧品市場の大半をフレグランスやメイクアップが占めるなど、化粧文化が異なっています。私は、この日本が生み出したスキンケアの文化やその価値を世界に広めたい。そして、それができるのは日本のトップランナーである資生堂だと、確信しています。
今はプレッシャーも感じていますが、まだまだやれることはあると思っています。日本から新しい文化の創造、発信をしたい。それが私のパーパスです。
──北原さんが全力を注ぎ続ける、新しい価値や常識の創造。そのきっかけは、資生堂の商品「マシェリ」にありました。後編へ続きます。
この記事は前後編です:後編は12/25公開予定
「『常識を変える価値を生み出すマーケターになる』私の挑戦を支えた学生時代の出会い」