下浜:seccaは、伝統的な工芸技術とプロダクトデザインの手法を融合させて、器やアートピースをつくっていますが、具体的にはどのように制作しているんですか?

上町:器であれば、多様なつくり方があるなかで一例を挙げると、プロダクトデザインの業界でよく使われる3Dプリンターを活用し造形した素材に、伝統工芸技術の漆塗りを施したりしてます。これから出てくる新しい素材と過去から継承されている技能をかけ合わせ、手仕事の延長線上になにがつくれるかを追求しています。

同じ漆でもまったく別のつくり方もあります。まず伝統的に用いられてきた木材を材料にして、プログラミングして造形した3Dデータを基に3D切削機で木材を加工します。そして、その後の工程はこれまでと変わらない方法で漆を塗り重ねていくことでで作品をつくることもできます。扱う素材は過去と同じであっても、プロセスでデジタルの特性を取り入れるなど、これまでできなかった表現にも挑戦しています。

つくり方は、目的に応じて多様な選択肢があります。けれども一貫してやってきたのは、過去の伝統的な技能を見直し、そこからすばらしい技能を抽出した上で現代的に解釈していくことです。

下浜:一般的に「工芸」というと、ろくろを回したり、手で造形したりするイメージが強いのですが、seccaでは3DCADというアプリケーションをつかってデジタルで造形しているんですね。

柳井:そうですね。3DCADを使って型をつくる手法自体は始めた当時、焼き物業界では実用レベルで誰もチャレンジしていませんでした。自分にしかできないものってなんだろうと考えたときに、もともとメーカー所属時代に製品のデザインで学んだことを活かさない手はないなと。

上町:以前、seccaで経営していたお店で使うハヤシライス専用の器をつくったときには、ご飯のサイズやルー、肉などの具材の体積も3DCADでモデリングしてシミュレーションしました。何cc入るかを計算して器の容積を決めて、焼き物は焼き縮むからそこも計算して…というようなことをやりました(笑)。

下浜:確かにそんな陶芸家はいない(笑)。

柳井:3DCADも、包丁とかノミなんかと同じ道具の一つで、デジタルを扱うことも手仕事なんです。僕らがもともといた業界からしたらなにも違和感ないんですよね。デジタルでつくっている=簡単につくっていると、当初は批判的に言われたこともあったけど、そこは本質ではない。「デジタルな手仕事」が自分たちの信念です。
secca 代表 上町達也さん
secca 代表 上町達也さん
secca 取締役 柳井友一さん
secca 取締役 柳井友一さん
下浜:「Landscape」というシリーズ、おもしろいですね。

柳井:「Landscape」は読んで字のごとく風景の器です。建物を建てるときって、土地を選んで、その地形に合った建物を建てますよね。この作品では料理を盛り付けるとき、器を大地の起伏と捉えて、シェフが器のどの場所を選んでどう盛り付けるのか…というコラボレーションが一つのテーマになっています。器をステージに見立てて、シェフがインスパイアを受けて、料理を盛り付ける。新しい料理のアイデアを引き出す器を目指しています。
料理:Restaurant L’aube 写真:高橋俊充
料理:Restaurant L’aube 写真:高橋俊充
上町:逆に「自分の思い描く料理に合う最適な盛り付けができる器をつくりたい」というオーダーもあります。お客さんであるシェフのむちゃぶりから新しい器ができたりもします。

下浜:オーダーメイドではなく、たくさん製造するラインも?

上町:これまでプロの料理人を対象としてやってきましたが、一般向けにもつくっています。万単位の量産から比べれば超小ロットですが、種類やサイズもいろいろあります。ビームスさんなどのセレクトショップでも売っていますが、金沢市内だと八百萬本舗というお店にテナントで入って販売したり、金沢のホテルのギャラリーで扱ってもらったりもしています。

インハウスデザイナーの葛藤

下浜:二人とも、以前は大手メーカーのプロダクトデザイナーをやっていましたよね。何年前くらいに独立して合流したんですか?

上町:2013年に辞めて同じ年に起業して、2015年4月に柳井が参画したかな。

下浜:柳井さんはどうしてseccaに参画したんですか?

柳井:僕は、オーディオメーカーに所属していました。音の再生メディアが、アナログレコード、CD、MD、SD、クラウド…と、どんどん物質的なデザインをする場所がなくなって、実態のないものになってきた時期でした。そうなった時に企業の先が見えないと感じていました。そんな時に、焼き物を見る機会があって、自分は手を動かすのが好きだったこともあり、「これだ!」と直感的に思って、退職しました。27歳のときですね。岐阜県にある多治見市陶磁器意匠研究所という焼き物に特化した研究所に入所したのですが、この研究所に入れる年齢制限が27歳までだったので、このタイミングで辞めるしかないと思ったんです。知人も誰もいない土地でしたが、一から勝負しようと思って身一つで移りました。昼間は研究所に通い技術を習得した後に、夜間は製陶所でひたすらいろんな形の器に釉薬をかける仕事をやっていました。多いときには1日1000個近く塗るといったアルバイト生活で技術の実践をしていました。凝縮した2年間でできるところはすべてマスターして、学校を出たらすぐに独立しようと、その時は思っていました。

2年間かけて基礎はマスターできたと思ったタイミングで、焼き物づくり以外も見てみたいなと思って、金沢の金沢卯辰山工芸工房に移ることにしました。金沢市だけなんですよ、行政からお金をもらいながら勉強できて、かつ文化的なお茶や書道のお稽古を付けてもらえるなんて。そんなところはほかになくて、他の地域や海外からも見学に来るくらい稀有な場所でした。選択肢は1つしかなかったですね。

下浜:柳井さんは金沢卯辰山工芸工房で焼き物づくり以外も学んで、なにを感じましたか。

柳井:やっぱり器は一番プリミティブな道具というか、自分の手に収まる範囲でものづくりをやっていくとなると、器が一番しっくりきました。

下浜:上町も、メーカーのインハウスデザイナー特有のモヤモヤを抱えていたんですよね?

上町:自分はカメラメーカーに所属していました。同社が社運をかけてつくる新規格のカメラの開発の初期メンバーに選んでもらえて、社内では珍しい一から組み立てることができる機会に恵まれました。ただ、カメラは発売してから1年後には値崩れが起きるから、価格を戻すためのマイナーチェンジを求められました。それで「シャッターボタン周りを加飾してくれ」とか「ボディーの高級感を出してくれ」など、本質的でないデザインへの要求が多くて……。理想の映像体験を話しあってつくったにも関わらず、これがデザインか?みたいなモヤモヤが頭に浮かんで。高価に見せるためのデザインなんて、カメラにおいて全然本質的ではない。理想の道具をつくれば、その人の映像体験に自ずと浸透していくはずなのに。

ディーラーが強い日本では、継承することよりも明らかに以前の機種と顔つきや機能が変わっているようにしてほしいというオーダーばかりで、それに対してメーカーは従うしかない業界の構図がありました。

下浜:わかる……流通が強いもんね、日本は。

上町:Appleがそのアンチテーゼをやってくれたから悔しいけどスカッとしたりもしたけど(笑)。

下浜:ふたりとも、もとは大量生産の製品に対する疑問があって、最終的に金沢で合流したんですね。

金沢という文脈の力強さ

下浜:実際、金沢に拠点を構えてどんなよい点がありましたか? まだまだ東京で発生する仕事が多い中で、金沢という場所で自分たちの思想が入った製品を出し続けるということが大事なのかな?

上町:「意味のない常識にとらわれるな」とは思っていますね。例えば「モノを売るのは東京だ」という考え方は、今の時代では古い。地方であってももっと身近に魅力的なモノやコトはあるはず。それをもう一回丁寧に見直す時代になっているんじゃないかなと思っています。「ローカル」と今まで呼ばれていた場所が、東京などの大都市と横並びにフラットに価値を世界に向けて発信できる場所になっていくのが、次の世代だなっていう肌感覚があります。この土地の文脈の上でしか発信できないモノやコトを、この土地から世界に発信したいぜ、っていう。その土地にある文脈を自分たちなりにどうアップデートしたかっていう、系譜も含めた全体感がたぶん価値になって、新たな文化となっていくのではないかなと。

下浜:めっちゃ大人なこと言ってる(笑)。

上町:金沢はものづくりによって生まれた文化が脈々と受け継がれている場所だから、そこで発信するというのは合っているんじゃないかな。

柳井:金沢は、焼き物以外にも本当にさまざまなものづくりをしている人たちがいて、自分には一番居心地がいい場所でした。なにもないところから、ものづくり文化って生まれないので。

下浜:金沢の工芸文化のパトロンは前田藩。前田藩がいたからこそ、これだけ多種多様なものづくりする風土が根付いたよね。

上町:そうそうそうそうそう!そういうこと! 過去の金沢の工芸はヤバいもんね。今、こんな手のかかったものつくれる人いるの?みたいな。圧倒的な手数があるってことは、それを生業にできる環境があったってことで。今はそれがないから、明日の飯を食うために、小さくてすぐに売れるものとかつくるしかないというか。スゴイものができやすい環境があれば、結果的に後世に残りやすいものができるという、ロジックがあると思います。安価な中途半端なものは、やっぱり数多くのものの中に埋もれていってしまう。いかに数少なく価値あるものをつくれる組織になっていくかっていうのは、自分のめちゃくちゃ大きい目標になっています。

そのためには、投資してくれる人たちにリーチして、自分たちが際限なく今の技術を出し切れる状況をつくることが大事です。「何年かかけてもいいからお前ら最高のものをつくれよ」って言える理解のあるパトロンがいたら、妥協という選択が排除される。ほかにはない価値が生み出せれば結果的に、後世に残るものができやすい。いわゆる富裕層になっちゃうけど、ちゃんと価値に投資できる、そういうパトロンたち。文化を残したいなら、いかにパトロンに共感してもらうかは本当に重要だなと……。

柳井:seccaでの最近のわかりやすい事例は、レストランに納品した「白山喜雨」というインスタレーションがあります。ほかにも2mほどの焼き物のシャンデリアをつくったこともあります。

下浜:それは一点物ですか?

上町:一点物です。こういう工芸品はめちゃくちゃ可能性があると思っていて、設計技術もないとできないし、陶芸のことはもちろんプロダクトデザインの要素もわかってないとできない。このメンバーでないと到底到達できないゴールだからこそ、ものすごく価値を感じています。

動画:森崎和宏 写真:高橋俊充
動画:森崎和宏 写真:高橋俊充

下浜:メーカーで量産品のデザインをしていたころは、たくさんの人が使うので、世の中に影響を与えやすかったんじゃないかなと。でも、今取り組んでいる方向は、その逆を進んでいる。そのあたりはどうなんでしょう?

上町:極端な話、インフラとして必要なもの以外は量産なんて別にいらないぐらいだと思っています。薄っぺらく広くっていうのは実は影響を与えられてないかもしれない。ニーズを平均化した一つのプロダクトを全世界の人があまねく使っている状況よりも、尖ったニーズを満たすそれぞれのプロダクトにコアなファンがいるみたいな状況のほうがハッピーだなと。そういったファンに、高濃度で関わっていくっていうのがすごくやりたい。濃い要求にねっちり濃く関わっていくつくり手が増えたほうが、結果的に、世の中にインパクトを与えられるんじゃないかな。

下浜:これからも、引き続き地元からとがった製品を世界に発信してほしいです。

柳井:「〇〇焼き」ってよく焼き物でありますよね。あれはもともと焼き物の素材がその地域でとれていたから文化として発展したんです。けれども最近は産地から素材自体が消えてきて、原料をその地域でとっていなかったりします。でもいまだに、その場所でつくっていること自体が「〇〇焼き」という個性になっていますね。だから、金沢のここでやってること自体を「secca焼き」と呼ぶとか(笑)。ムーブメントを起こす、そんな思いでやっています

下浜:secca焼き(笑)。地域に根ざして、その土地の文脈とシンクロしながら、テクノロジーでつくり方をアップデートしていく。その結果、ほかのどこにもないプロダクトやアートピースができあがるというのは非常に納得できます。これからどんなものをseccaがつくっていくのか、とても楽しみです。

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【ナビゲーター】
下浜臨太郎
グラフィックデザイナー。1983年東京都生まれ。電通を経て、2017年よりフリーランス。金沢美術工芸大学デザイン科の講師も務め、主に東京と北陸の二拠点で活動する。ポスター、新聞広告、Webサイト、アプリケーション、展示空間なとメディアを限定せず、幅広くデザインに携わりながらも、路上で見つけた看板をフォント化する「のらもじ発見プロジェクト」、町工場を音楽レーベル化する「INDUSTRIAL JP」などの活動や、デザインミュージアムでの展覧会や地方芸術祭への出品も積極的に行う。著書に『おとなのための創造力ドリル』『のらもじ』(共著)など。受賞歴に、TDC賞RGB賞、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞、東京ADCグランプリ、グッドデザイン金賞など。
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