──佐々木さんは「和火師」として活動をされていらっしゃいますが、「和火」とはどういったものなのでしょうか?
「和火」は、江戸時代から伝わる日本の伝統的な花火です。原料は硝石、硫黄、木炭の3種類のみで、炭火の火の粉が特徴です。戦国時代に鉄砲や狼煙用に使っていた火薬を黒色火薬と呼ぶのですが、その黒色火薬をそのまま使用したものが和火です。洋火は明るい色で興奮作用や覚醒作用があるので、盛り上がったり楽しんだりするのには適しています。一方で和火はオレンジ色の線を引く薄暗い花火なので副交感神経が働き気持ちを鎮めます。祭り事や厳粛な神事で、粛々と打ち上げるようなイメージの花火です。
──そもそも花火師になったきっかけはなんだったのですか?
高校生くらいのときに、なにか日本の伝統的な職業に就きたいなと思っていました。指物師やたたら師を目指すことも考えていたときに、ふと花火大会に行き、花火師もいいなと気づいたんです。もともと花火が好きだったこともあって、花火師になったら一番近くで花火が見られるんじゃないかなと。一般的な職人は、工芸品と利用者が個々に関わることが多いと思います。けれども花火はみんなが見上げていて、多くの人と関わり合うことができます。そしてみんなの視線の中心という感覚が面白そうと思い、花火師の道に進みました。

表彰台に立って見えた景色

──確かに、職人がつくったものを、多くの人が同時に見ることってなかなかないですよね。花火師になってからはどのように働かれていたのでしょうか?
大学を卒業してから、花火の製造と打ち上げ、両方できる会社に入社しました。芸術性を求める、職人気質な花火業界に入り、技術を磨きながら、競技大会で優勝すること、表彰台に立つことを目標として、花火師のキャリアがスタートしました。

──その後2014年に独立をされて「MARUYA」を立ち上げていらっしゃいますが、独立するきっかけや経緯を教えていただけますか?
最初に入社した会社で5年目のときに、秋田県の全国花火競技大会「大曲の花火」で総合演出に携わり、そこで準優勝をすることができました。花火師になったときから、競技大会での優勝を目標にやってきたわけですが、いざ表彰台に上ってみると、すごく寂しくなってしまいました。空虚感というか、このまま技術を磨いて競技大会に挑戦し続けるのはどうなのかな、このままでいいのかなって、自分の中で考えるようになりました。そのような中で、これまでいろんな花火をつくってきて、感覚的に和火に惹かれていることに気づいて、2014年に和火を専門にしたブランドを立ち上げました。

花火を生きていくために必要なものに

──和火に惹かれた理由を詳しく聞かせていただけますでしょうか?
花火師としての今後について考えている時期に、東日本大震災がありました。花火大会が次々と中止になっていき、「こんな大変なときに花火って本当に必要なのかな」と思ったのです。生きていくのに必要なものを考えたときに、花火ってこれから先も残っていくのかなと。当時は自分の中で、「花火=エンターテインメント」というイメージがありました。

それから花火について資料館を回ったり、いろいろ調べたりする中で、花火の原点にたどり着きました。なぜ花火を打ち上げるのか、それはもともと鎮魂や感謝の意味合いがあったから。徳川家康公が観た花火を再現したと言われる静岡まつりの手筒花火も、五穀豊穣の祈りとお礼がルーツになっています。その鎮魂と感謝が、もともと自分の好きだった和火とリンクしました。震災後に、被災地で3年ぶりに復活した花火大会を見に行ったのですが、カラフルな花火が打ち上がっている様を見て、どうも自分の中ではしっくり来なくて。もちろん、復興に向けて前向きなイメージを持ってもらうためのセレクトだとは思うのですが、やっぱり鎮魂には洋火より和火のほうがベストではないかと感じました。自分はエンターテインメントというよりは、神事になるような花火をしていきたいと思ったんです。

──「遊び事」ではなくて「神の事」なのですね。
そうですね。先ほど生活に必要なものという話をしましたが、祈りやお礼というコミュニケーションは私たちが生活していく上で、絶対に必要な部分だと私は思っています。本当になくてはならないものとして花火を残していくためには、原点に立ち返って、そういった人間のコミュニケーションと密接した関係の花火を伝播していくことを自分は目指そうと。
──例えば、お盆の迎え火・送り火も、人間の生活とつながっていますし、コミュニケーションの場にもなっていますよね。そういった背景があって、佐々木さんが今掲げている「火で繋げる」といったミッションに通じるわけですね。
和火を知るには、まず「火」を知りたいと思い、神道や自然信仰を勉強しました。火には、祓(はらい)といった呪術的な役割があります。五山の送り火や護摩行など、いろんな行事や文化として現在にも残っています。「火と神事と花火」が自分の中では大きなテーマで、それを意識した花火を提案していきたいですね。

──「和火」専門でやられていらっしゃる方はほかにいるのでしょうか? 
「和火師」という肩書きは、もともとあるものではなくて、私が勝手に付けたものです。自分はこれ一本でやっていくという覚悟も込めて、そう名乗るようにしています。

──いわゆる花火業界の主流から外れて、不安などはありますか?
今のところ不安は一切感じないですね。和火は原点だと思っているから。鎮魂や感謝といったコミュニケーションはおそらく人間からはなくならないですし、焚き火を見ると落ち着くとか、そういった原始的な感覚はずっと残っていくのだろうなという確信があります。

花火の未来

──確かに、焚き火を見ると落ち着きますよね。和火は人間に必要不可欠で、だからこそ後世にも残る、ということですね。では、花火の今後についてお伺いできればと思いますが、花火業界としては、なにか変わってきていることはありますか?
今までは、地場の花火会社がその土地の花火大会を請け負う、というような形がほとんどでした。しかし最近は、全国展開する花火会社も増えてきています。地域の垣根がなくなったことによって、どういうコンセプトで、どこに焦点を合わせて花火をやるのか、それぞれが企画して営業する、といった感じです。その中で、私は「神事としての和火」を選んだということですね。

──佐々木さんは打ち上げ花火はやらないのですか?
これまで、火とはなにか、和火とはなにか、を追求して、それを線香花火に落とし込んできました。線香花火の製造・販売や線香花火づくりのワークショップなどを通して、和火の魅力や、火に想いを乗せることを伝えてきました。しかし、今後はもっとわかりやすく、大勢の方に伝えられるような打ち上げ花火も展開していきたいですね。感謝の気持ちを込めて捧げるようなイメージの花火をつくっていきたいですね。まさに今年着手しているところで、来年には皆さんにお届けできるかと思います。楽しみにしていてください。

──祈りを捧げる、神に願う、佐々木さんの花火にはそのような思いが込められていたのですね。ちょうど今、打ち上げ花火も計画中とのことで、引き続き佐々木さんの花火を楽しみにしています! 本日はありがとうございました。
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