広告業界からスポーツの世界へ。20年越しに夢を叶えたスポーツマーケティングへの道 サンロッカーズ渋谷 事業統括部 部長 宮野陣さん
バスケットボールの国内トップリーグ「B.LEAGUE(Bリーグ)」。バスケットボールの試合自体の面白さに加え、試合開始前のド派手な演出、チアリーダーによる会場盛り上げ、選手との一体感を味わえるコートと観戦席の近さ……など、エンターテイメント性の高さから、生観戦に魅了される人が続出しています。
そこで今回はB.LEAGUEに所属している「サンロッカーズ渋谷」の運営会社である「日立サンロッカーズ」へ取材。事業統括部の責任者である宮野陣(みやのじん)さんにキャリアについてお話を伺いました。スポーツ業界を目指す、マーケターは必見です!
そこで今回はB.LEAGUEに所属している「サンロッカーズ渋谷」の運営会社である「日立サンロッカーズ」へ取材。事業統括部の責任者である宮野陣(みやのじん)さんにキャリアについてお話を伺いました。スポーツ業界を目指す、マーケターは必見です!
──日立サンロッカーズではどのような事業を行っていますか?
日立サンロッカーズは日立製作所のグループ会社で、2016年にB.LEAGUEが発足するタイミングで設立されました。B.LEAGUEのトップリーグB1に所属する男子プロバスケットボールクラブ「サンロッカーズ渋谷」を運営しています。サンロッカーズ渋谷は、東京都渋谷区に本拠地を置き、青山学院大学内の青山学院記念館をホームアリーナに定めています。「日立サンロッカーズ」「青山学院大学」「渋谷区」という産学官連携が実現し、プロスポーツ業界における新しい取り組みとしても注目を集めています。
──そのなかで、宮野さんはどのようなことをされているのでしょうか?
私はサンロッカーズ渋谷のマネタイズを担う事業統括部の責任者で、部署全体のマネジメントをしています。法人営業、チケット販売、ファンクラブ運営、グッズ販売、広報活動などが主な役割です。
なかでも私がこだわっているのが、スポンサー集め(法人営業)です。スポーツは公共性の高いビジネスなので、そこに「サンロッカーズ渋谷」らしさをプラスして、スポンサー企業にどのような体験価値を提供できるのか。企業のニーズに合わせて、一つひとつカスタマイズをしながらソリューションを提案しています。
──スポーツマーケティングに憧れている人は多いと思います。宮野さんは具体的にいつごろから目指されたのでしょうか?
幼いころから野球に熱中していて、大学では男子ソフトボール部の主務をしていました。そこで計らずも東京都大学ソフトボール連盟の広報担当に。PR用の冊子をつくるのが楽しくて、スポーツマーケティングというよりは、まずスポーツ広報に興味を持ちました。
大学卒業後はアメリカの大学院に進学し、広報学を専攻しました。それは、至福の時間でしたね。自分の好きなことだけ勉強して、ひたすら突き詰めればいい。実は、修士論文のテーマがスポンサーシップだったんです。いままさにスポンサーを集めている身ですから、役に立っているというか、自信につながっています。
──学生のころから目指されていたのですね。そこからどのようなキャリアステップで、スポーツマーケティングのポジションにつかれたのでしょうか。
大学院在学中に、アメリカで就職活動を行いました。アメリカは日本と違い、新卒一括採用という概念がありません。そのため、初めのキャリアステップである未経験からの就職活動が一番難関と言われています。未経験の場合、インターンに参加した企業に就職するケースが多いので、まず私も大学の近くに本拠地を置くメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスに問い合わせしましたが、インターンの申し込みは2年待ちと言われてしまい……。マイナーリーグの球団など、大小問わずさまざまなスポーツ運営会社にアプローチしましたが、どこも同じような状況で……。スポーツ業界はアメリカでも人気なので、競争が激しく、業界へ入る厳しさを目の前に突きつけられました。
そこで、大学院で専攻していたコミュニケーション業界にひとまず方向転換することにしたんです。とはいえ、就職が簡単になったわけではありません。大げさに聞こえるかもしれませんが、Webサイトや電話帳などからひたすら広告会社やPR会社を調べて、片っ端からアプローチをしました。おそらく200社以上に書類を送ったと思います。ただ履歴書を送るだけでは、面接へ進めなくて、履歴書を見てもらうために封筒を装飾したり、履歴書を新聞記事風にしたり、かなり趣向を凝らしていましたね。それでも箸にも棒にもかからなくて、諦めて別の業界へ就職しようと最終面接に向かおうとしていたとき、とある広告会社から電話がかかってきて、面接に呼ばれたんです。これは千載一遇のチャンスという気持ちで面接に挑み、どうにかこうにか広告会社へ就職することができました。
──アドパーソンとしてのキャリアが始まるのですね。
結局、アメリカでは合計3社で働きました。1社目はアジア系アメリカ人向けの広告会社。PR・イベントマネージャーとして、地域イベントなどを企画・進行する仕事でした。働くうちに、広告会社の営業(アカウントエグゼクティブ)に興味を持つようになり、2社目に転職。ジェイ・ウォルター・トンプソン出身の日本人クリエイティブ・ディレクターが立ち上げた広告会社に就職し、営業の経験を積みました。さらなる高みを目指し、3社目は別の広告会社へ。約7年間キャリアを重ねたのち、日本に帰国しました。
帰国後は、外資系広告会社のディーディービー・ジャパン(以下DDB)に入社しました。8年弱のキャリアのなかで一番長く関わっていたのが石油会社の案件です。CRMから大型キャンペーンのタイアップまで、広告コミュニケーションはすべて経験しました。終盤は飲食店の案件にも携わりました。そこでデジタル領域の広告コミュニケーションの実績をつくり、マッキャンエリクソンに転職しました。
──どのようにしてスポーツの世界へ進んだのでしょうか?
マッキャンエリクソンを退職し、離職していた期間があったのですが、そのときに今後のキャリアについていろいろ考えるなかで、“スポーツ”というキーワードが頭のなかに再びちらつき始めていました。帰国以来、プライベートでもいいからスポーツの近くにいようと考えて、地域のバスケットボールクラブで通訳ボランティアをしていました。サンロッカーズの運営に携わっている知人経由で、「スポーツ好きで英語が堪能な奴がいる」ということが日立製作所のバスケットボールを統括している方に伝わり、「サンロッカーズのバスケットボールオペレーションディレクターとして来ませんか」と、打診をいただいたんです。自分には願ってもない話だったので、迷わずお引き受けしました。
日立製作所にバスケットボール担当として入社したのは2015年7月ごろのことで、まだ日立サンロッカーズという会社が立ち上がっていない時期でした。とはいえ、日立製作所の電機メーカーとしての仕事に携わることはなく、仕事内容は入社直後からバスケ一色。まずは千葉県柏市にある練習体育館に通い、サンロッカーズの空気感をつかむことからのスタートでした。もちろん遠征にもすべて同行。チームの活動を体感でき、良い準備期間となりました。入社から約半年後、2016年のB.LEAGUE発足に合わせて日立サンロッカーズが設立し、私は事業統括部の部長に就任しました。
──希望されていたスポーツ業界でマーケティングをされて、どのような感想をお持ちですか。
広告会社時代にはエンドユーザーの反応がわかりづらいのがフラストレーションだったのですが、観戦に来られたお客さまの反応を直で確かめられることがいいですね。「良い試合だった」、「とても楽しい演出だった」など、帰り道にお客さま同士で会話されている様子を見られたときはとてもうれしいです。
あと、サンロッカーズ渋谷というスポーツチームのブランドを守り育てながら、スポンサー企業と関係をつくれることもいいですね。広告会社出身者の性(さが)なのかもしれませんが、スポンサーとの関係値が深まれば深まるほど喜びを感じます。
──今後、サンロッカーズ渋谷でどのようなことをしていきたいですか?
やはりスポーツって、生の感動なんですよね。僕にはすごく大切にしている言葉があります。「スポーツとは、観戦客が一瞬の感動を共有するサービスである」。大学院時代に参加した講演会で、ロサンゼルス・エンゼルスのメディアリレーションディレクターが話してくれたことです。例えば、3万人の観戦客が、逆転ホームランの一瞬を見て、一斉に「わー」と歓声を上げる。その感動を観戦客全員が共有するのがスポーツだと言われました。なので、いまも昔もこれからも、観戦客が一瞬の感動を共有することを大切にしていきたいです。
そのために、コロナの状況にもよりますが、「いつも応援しています」と直接ファンの方から選手に伝えられるタイムリーな関係づくりの場をつくりたいです。具体的には子ども向けのバスケ教室やお祭りなどに積極的に参加しようと考えています。地域とのつながりを深めて、新しいファンやスポンサーを増やしていきたいです。
最終的な目標は、さまざま選択肢のある東京で、仕事終わりの楽しみや休日の過ごし方に、「バスケ観戦」を選んでもらえるようにすることです。そのためにもサンロッカーズ渋谷だけでなく、バスケ全体の人気の底上げに貢献したい。日々の生活とバスケがより近い存在になったらうれしいです。そんな未来のために、これからもがんばっていきます。
──最後にスポーツ業界を目指す方に向けて一言お願いします。
スポーツ業界のマーケティング職の採用枠が少ないのは事実です。私も志望してから20年くらいかかったのですが、狙ってこのポジションに入れたわけではなく、ご縁でした。ですから、来るべきチャンスのためにスポーツの近くにいること、あるいは近くにいられるようなプロジェクトをつくり出すように意識するのをお勧めします。本当に好きだったら近くにいる努力、近くに行ける準備をする。それを続けていれば、仮にスポーツ業界で働けなかったとしても、将来の役に立つはずです。
また、デジタル技術がどんどん進歩する世の中で、つい私たちはテクノロジーなど新しいものに目が移りがちですが、マーケターは、常に人を見続けることが重要だと思います。時代が変わっても人間の本質は変わりませんから、マーケターはその本質を知るべきです。そうすれば、よいマーケティングができると思います。これは、DDB創業者のウィリアム・バーンバックの言葉ですが、なにが人間を衝動的にして、なぜ本能的な行動を取るのか。言葉の裏に隠された本質を読み解くことが、特にスポーツに人を集める仕事には大切だと実感しています。
──スポーツビジネスにマーケティングの力は必須ですね。そして、コロナ禍によって忘れかけていたスポーツの感動を生で体験する楽しさを思い出しました。近々、サンロッカーズ渋谷を応援しに行こうと思います!
日立サンロッカーズは日立製作所のグループ会社で、2016年にB.LEAGUEが発足するタイミングで設立されました。B.LEAGUEのトップリーグB1に所属する男子プロバスケットボールクラブ「サンロッカーズ渋谷」を運営しています。サンロッカーズ渋谷は、東京都渋谷区に本拠地を置き、青山学院大学内の青山学院記念館をホームアリーナに定めています。「日立サンロッカーズ」「青山学院大学」「渋谷区」という産学官連携が実現し、プロスポーツ業界における新しい取り組みとしても注目を集めています。
──そのなかで、宮野さんはどのようなことをされているのでしょうか?
私はサンロッカーズ渋谷のマネタイズを担う事業統括部の責任者で、部署全体のマネジメントをしています。法人営業、チケット販売、ファンクラブ運営、グッズ販売、広報活動などが主な役割です。
なかでも私がこだわっているのが、スポンサー集め(法人営業)です。スポーツは公共性の高いビジネスなので、そこに「サンロッカーズ渋谷」らしさをプラスして、スポンサー企業にどのような体験価値を提供できるのか。企業のニーズに合わせて、一つひとつカスタマイズをしながらソリューションを提案しています。
──スポーツマーケティングに憧れている人は多いと思います。宮野さんは具体的にいつごろから目指されたのでしょうか?
幼いころから野球に熱中していて、大学では男子ソフトボール部の主務をしていました。そこで計らずも東京都大学ソフトボール連盟の広報担当に。PR用の冊子をつくるのが楽しくて、スポーツマーケティングというよりは、まずスポーツ広報に興味を持ちました。
大学卒業後はアメリカの大学院に進学し、広報学を専攻しました。それは、至福の時間でしたね。自分の好きなことだけ勉強して、ひたすら突き詰めればいい。実は、修士論文のテーマがスポンサーシップだったんです。いままさにスポンサーを集めている身ですから、役に立っているというか、自信につながっています。
──学生のころから目指されていたのですね。そこからどのようなキャリアステップで、スポーツマーケティングのポジションにつかれたのでしょうか。
大学院在学中に、アメリカで就職活動を行いました。アメリカは日本と違い、新卒一括採用という概念がありません。そのため、初めのキャリアステップである未経験からの就職活動が一番難関と言われています。未経験の場合、インターンに参加した企業に就職するケースが多いので、まず私も大学の近くに本拠地を置くメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスに問い合わせしましたが、インターンの申し込みは2年待ちと言われてしまい……。マイナーリーグの球団など、大小問わずさまざまなスポーツ運営会社にアプローチしましたが、どこも同じような状況で……。スポーツ業界はアメリカでも人気なので、競争が激しく、業界へ入る厳しさを目の前に突きつけられました。
そこで、大学院で専攻していたコミュニケーション業界にひとまず方向転換することにしたんです。とはいえ、就職が簡単になったわけではありません。大げさに聞こえるかもしれませんが、Webサイトや電話帳などからひたすら広告会社やPR会社を調べて、片っ端からアプローチをしました。おそらく200社以上に書類を送ったと思います。ただ履歴書を送るだけでは、面接へ進めなくて、履歴書を見てもらうために封筒を装飾したり、履歴書を新聞記事風にしたり、かなり趣向を凝らしていましたね。それでも箸にも棒にもかからなくて、諦めて別の業界へ就職しようと最終面接に向かおうとしていたとき、とある広告会社から電話がかかってきて、面接に呼ばれたんです。これは千載一遇のチャンスという気持ちで面接に挑み、どうにかこうにか広告会社へ就職することができました。
──アドパーソンとしてのキャリアが始まるのですね。
結局、アメリカでは合計3社で働きました。1社目はアジア系アメリカ人向けの広告会社。PR・イベントマネージャーとして、地域イベントなどを企画・進行する仕事でした。働くうちに、広告会社の営業(アカウントエグゼクティブ)に興味を持つようになり、2社目に転職。ジェイ・ウォルター・トンプソン出身の日本人クリエイティブ・ディレクターが立ち上げた広告会社に就職し、営業の経験を積みました。さらなる高みを目指し、3社目は別の広告会社へ。約7年間キャリアを重ねたのち、日本に帰国しました。
帰国後は、外資系広告会社のディーディービー・ジャパン(以下DDB)に入社しました。8年弱のキャリアのなかで一番長く関わっていたのが石油会社の案件です。CRMから大型キャンペーンのタイアップまで、広告コミュニケーションはすべて経験しました。終盤は飲食店の案件にも携わりました。そこでデジタル領域の広告コミュニケーションの実績をつくり、マッキャンエリクソンに転職しました。
──どのようにしてスポーツの世界へ進んだのでしょうか?
マッキャンエリクソンを退職し、離職していた期間があったのですが、そのときに今後のキャリアについていろいろ考えるなかで、“スポーツ”というキーワードが頭のなかに再びちらつき始めていました。帰国以来、プライベートでもいいからスポーツの近くにいようと考えて、地域のバスケットボールクラブで通訳ボランティアをしていました。サンロッカーズの運営に携わっている知人経由で、「スポーツ好きで英語が堪能な奴がいる」ということが日立製作所のバスケットボールを統括している方に伝わり、「サンロッカーズのバスケットボールオペレーションディレクターとして来ませんか」と、打診をいただいたんです。自分には願ってもない話だったので、迷わずお引き受けしました。
日立製作所にバスケットボール担当として入社したのは2015年7月ごろのことで、まだ日立サンロッカーズという会社が立ち上がっていない時期でした。とはいえ、日立製作所の電機メーカーとしての仕事に携わることはなく、仕事内容は入社直後からバスケ一色。まずは千葉県柏市にある練習体育館に通い、サンロッカーズの空気感をつかむことからのスタートでした。もちろん遠征にもすべて同行。チームの活動を体感でき、良い準備期間となりました。入社から約半年後、2016年のB.LEAGUE発足に合わせて日立サンロッカーズが設立し、私は事業統括部の部長に就任しました。
──希望されていたスポーツ業界でマーケティングをされて、どのような感想をお持ちですか。
広告会社時代にはエンドユーザーの反応がわかりづらいのがフラストレーションだったのですが、観戦に来られたお客さまの反応を直で確かめられることがいいですね。「良い試合だった」、「とても楽しい演出だった」など、帰り道にお客さま同士で会話されている様子を見られたときはとてもうれしいです。
あと、サンロッカーズ渋谷というスポーツチームのブランドを守り育てながら、スポンサー企業と関係をつくれることもいいですね。広告会社出身者の性(さが)なのかもしれませんが、スポンサーとの関係値が深まれば深まるほど喜びを感じます。
──今後、サンロッカーズ渋谷でどのようなことをしていきたいですか?
やはりスポーツって、生の感動なんですよね。僕にはすごく大切にしている言葉があります。「スポーツとは、観戦客が一瞬の感動を共有するサービスである」。大学院時代に参加した講演会で、ロサンゼルス・エンゼルスのメディアリレーションディレクターが話してくれたことです。例えば、3万人の観戦客が、逆転ホームランの一瞬を見て、一斉に「わー」と歓声を上げる。その感動を観戦客全員が共有するのがスポーツだと言われました。なので、いまも昔もこれからも、観戦客が一瞬の感動を共有することを大切にしていきたいです。
そのために、コロナの状況にもよりますが、「いつも応援しています」と直接ファンの方から選手に伝えられるタイムリーな関係づくりの場をつくりたいです。具体的には子ども向けのバスケ教室やお祭りなどに積極的に参加しようと考えています。地域とのつながりを深めて、新しいファンやスポンサーを増やしていきたいです。
最終的な目標は、さまざま選択肢のある東京で、仕事終わりの楽しみや休日の過ごし方に、「バスケ観戦」を選んでもらえるようにすることです。そのためにもサンロッカーズ渋谷だけでなく、バスケ全体の人気の底上げに貢献したい。日々の生活とバスケがより近い存在になったらうれしいです。そんな未来のために、これからもがんばっていきます。
──最後にスポーツ業界を目指す方に向けて一言お願いします。
スポーツ業界のマーケティング職の採用枠が少ないのは事実です。私も志望してから20年くらいかかったのですが、狙ってこのポジションに入れたわけではなく、ご縁でした。ですから、来るべきチャンスのためにスポーツの近くにいること、あるいは近くにいられるようなプロジェクトをつくり出すように意識するのをお勧めします。本当に好きだったら近くにいる努力、近くに行ける準備をする。それを続けていれば、仮にスポーツ業界で働けなかったとしても、将来の役に立つはずです。
また、デジタル技術がどんどん進歩する世の中で、つい私たちはテクノロジーなど新しいものに目が移りがちですが、マーケターは、常に人を見続けることが重要だと思います。時代が変わっても人間の本質は変わりませんから、マーケターはその本質を知るべきです。そうすれば、よいマーケティングができると思います。これは、DDB創業者のウィリアム・バーンバックの言葉ですが、なにが人間を衝動的にして、なぜ本能的な行動を取るのか。言葉の裏に隠された本質を読み解くことが、特にスポーツに人を集める仕事には大切だと実感しています。
──スポーツビジネスにマーケティングの力は必須ですね。そして、コロナ禍によって忘れかけていたスポーツの感動を生で体験する楽しさを思い出しました。近々、サンロッカーズ渋谷を応援しに行こうと思います!