なにもない田舎。だからこそ、カルチャーのエクストリームを目指す さのかずやさん
北海道遠軽町出身・フリーランスでBizDev(Business Development/事業開発)として活躍するさのかずやさんが2012年に投稿した1件のブログが大きな反響を呼びました。その内容は「体を壊した父にもできる仕事を田舎につくることはできるか?」というもの。田舎と仕事について、大きな論争を巻き起こしたこのエントリー。そこから、さのさんが北海道の田舎と向き合った7年間の記録が記された『田舎の未来 手探りの7年間とその先について』(タバブックス)が2019年4月に発行されました。今回advanced by massmedianでは、「田舎の未来」について改めてお聞きし、さのさんが田舎と向き合い続ける理由について追いました。
都会と田舎。二軸の生活
──さのさんの本、『田舎の未来 手探りの7年間とその先について』読ませていただきました。父親が体調を崩したことをきっかけに、北海道の田舎と向き合う、さのさんの活動がまとめられた内容でした。現在は、北海道と東京の二拠点で活動しているんですよね。はい、今年の4月から、北海道清里町で「オホーツクハウス」という宿泊施設を開業しました。民家を改築して民泊のような形で提供しています。現在は清里町でオホーツクハウスの運営をしながら、東京でもフリーランスのBizDevとして仕事を受けていて。この二軸を中心にして、北海道と東京を行き来する生活をしています。本にも書きましたが、田舎の中でお金を稼ぐのではなく、いかにして田舎の外からお金を稼ぐかということを考えた結果、このようなライフスタイルにたどり着きました。
──それはなぜなのでしょうか?
一番は、やはり効率が良いからです。僕の経験上、田舎では「お金をもらうこと=悪」という風潮が根強いです。都会ほど仕事があるわけではないし、賃金も高いわけではない。だから大変な仕事なのにお金にならない、なんてことが多くあります。仕事のしんどさとその代価の相関関係が極めて希薄なんです。それならば、仕事も多くて賃金も高い都会で、自分が面白いと思えてかつ納得できる報酬を得られる仕事をする。そこで稼いだお金を北海道での活動に充てる。僕はその方が面白いと思ったんです。
それに昨今は、海外から北海道に来てくれるインバウンドの観光客もかなりの数がいます。この流れも活かすべきで、田舎のなかで田舎の人から稼ぐのではなく、田舎に来てくれる人たちに田舎を使って、おもてなしをする。そこからお金を稼ぐ仕組みをつくることが重要だと感じています。 ──確かに外貨を稼ぐような発想のほうが建設的ですね。
そもそも田舎にはお金がないということが前提にあります。だから、都会ほど選択肢も多くないし、ジリ貧になってしまう。それに田舎は平均年齢が高くなりがちです。そこに住む人もそうですし、自治体職員の年齢層も年々高くなっています。この2つの要因を北海道の田舎は抱えているところが多い。田舎のリソースだけでは、都会と比べてどうしても埋められないギャップがあるんです。そのため、北海道で新しいことをするのなら、どうしても外の要因が必要になります。外からお金を入れて、僕らみたいな若者がもっと中心で動くことができるような状態をつくっていかなければなりません。
──北海道のなかで完結してしまう行動には限界があるわけですね…。さのさんは「オホーツクハウス」の以前にも、「オホーツク島」というWebメディアを立ち上げていますよね。こちらは北海道オホーツク海側地域にまつわるクリエイティブ活動を促すことを目的にしているとのことですが、現状あまりアクティブには記事の更新をしていませんよね。地方をメディアとして取り上げるのにも難しい部分があったのでしょうか?
オホーツク島は、僕が大学院に通っていたころに、修士論文の研究活動の一環で作成したものでした。当時はバイラルメディア全盛期だったこともあって、北海道の田舎を発信するメディアをつくってみようと思い、始めたんです。「オホーツク島」を通して、なにか新しいことをしたいと思っている田舎に住む人たちを巻き込んで、一緒になにかできれば良いなと。そして2016年からメディアの運営を始めました。
そこで実際にメディアを運営してみて、記事を上げるだけではその後の行動に結びつけるのは難しいということに気づいたんです。記事を見て、面白いとか関心を持ってもらったり、取材を通して新しいつながりができたりはしたのですが、そこから先には進めませんでした。田舎では、「なにかやりたいと思っている人」を巻き込むまでには都会以上に大きな壁があると感じたんです。
──それはまたどうしてですか?
ここも結局、お金と人手が足りないからだと思います。都会に比べて、それらの数が少ないから、新しいことに取り組む人は都会よりも当然少なくなる。この活動で得た知見もいまの僕の活動には活きています。
また、現在「オホーツク島」のリニューアルを検討しています。「発信」というところから、「活動そのもの」にスライドしていきたいと思っています。Webで記事を公開するだけに留まるのではなく、実際にその人を呼んで話す場を設けるとか。より共感を得やすい形で、田舎のリアルを発信していけると思いますし、具体的な活動にもつながりやすくなると思っています。
なぜ田舎にこだわるのか
──そもそも、さのさんはいつから北海道で活動をしていきたいと思うようになったのでしょうか? やはり学生のころにブログで書かれた体調を崩された父親と田舎の仕事についてのエントリーである、「無職の父と、田舎の未来について」が要因ですか?確かに、そのエントリーの反響はとても大きかったです。でも初めから北海道のための活動をしたかったというわけではありませんでした。よく、僕の活動を知ってくれた方から「地域おこしをやっていて偉いね」と言われるのですが、僕自身はそんなつもりは全然ないんです。自分ができることで、一番面白そうで、まだ誰もやっていないことを考えて取り組んだら、気が付いたらいまの場所にいたというか。結果として、北海道のことをやっている感じなんです。
大学卒業後には広告会社の博報堂に新卒で入社して、営業職で2年間働いていました。僕が入社したときに、割と異常だと思うのですが、田舎出身の人が周りにいなくて。だからよく、「君の地元はどこにあるの?」とか「君の地元にはなにがあるの?」って聞かれるんです。それに対して僕は「別になにもないです」と答えていました。このやり取りをいろいろな人と会うたびに繰り返していたら、「そんなに言われるか!?」という気持ちがだんだんと強くなってきたんです。そこから、「なにもないのなら、新しく始められることもいろいろできそうな気がする」と思うようになりました。
──私も北海道出身なのでよくわかるのですが、実際に住んでいるときには自分が住んでいるところが田舎であるという実感ってあまり湧かないんですよね。だから東京に来て、質問攻めにあうことで、「田舎出身」だということを痛いほど自覚しました。
「地元にはなにがあるの?」に対して、「なにもないです」って答えることって、あまり良いことではないと思っています。その地元にとってもそうですし、その人自身にもあまり良いことではない。そこで「〇〇な人がいます!」とか「〇〇が美味しい場所です!」みたいに言えるような場所になることを目指すべきだと思うんです。その姿勢が、自分の地元を改めて見つめる機会にもなるし、そういう人が増えていくことは地元の盛り上がりにもつながっていきます。
僕もその答えられなかった経験から、改めて地元のことを調べて、地元の山奥で農業を営んでいる人に会いに行きました。そこで話を聞いて、自分の地元でめちゃくちゃ面白いことやっている人がいることを初めて知ったんです。自分が知らなかったことを知るのは面白いと思うし、そのことを周りに知ってもらうことも面白いんですよね。
──地元の誇りを見つけることがさのさんのモチベーションなんですね。
僕が目指しているのは、「地域のためになにかをする」ことではなく、「地域を一番面白くする」ことです。よく北海道に住む人たちから、「北海道に帰ってこないの?」とか「ゆくゆくはこっちに住む予定なの?」と言われるのですが、僕はあまり気にしていません。僕もそうですけど、「地域をおこしたい」と思って、地域をおこしている人ってあまりいないと思っています。もちろん、地域をより良い形にできれば良いと思いつつも、動機は別にある。僕の場合は、北海道になにもない状況がとても嫌でした。だから、北海道をもっと面白いことが自然発生するような場所になれば良いと思ったんです。そうならないとみんな住んでいても面白くないですから。
カルチャーのエクストリーム
──地元が面白いことをしていると誇りになりますよね。いわゆるシビックプライドと呼ばれるものですが、北海道の田舎町がシビックプライドを醸成していくためには、なにが必要だと佐野さんは考えていますか?一つ上げるなら、カルチャーをつくっていくことが必要だと思っています。例えば、僕が大学院に通っているころに住んでいた岐阜県。ここには400年以上続いている祭りがあるんです。4日間徹夜で踊り続ける「郡上おどり」や、花みこしと呼ばれる100万枚の和紙を使いつくられた神輿が30余基も街を練り回る「美濃まつり」。岐阜県では、これらの祭りのために地元に帰る人も多くいるし、「地元にはこんな祭りがあるんだ」と言える一つの象徴にもなっています。
このような長い時間をかけてできた地元の誇りは、エクストリームなカルチャーによって築き上げられたと、僕は思うんです。一念発起して個人でできるものではなく、地元と密接に関わることででき上がるとても強いカルチャー。こういうカルチャーが田舎にあれば、大きな武器になりますし、これをつくっていくこと自体がとても面白いと思っています。
──エクストリームなカルチャー、つまり極端で強固な文化が必要だと。
そもそも北海道自体がまだ150年の歴史しかないですからね。なかでも僕の地元である遠軽町を含むオホーツク地域や北海道の東側地域の道東では、まだまだ独自のカルチャーが根付いていない。そういう地域だからこそ、エクストリームなカルチャーが求められるし、新しいなにかをつくっていく必要があると考えています。これは北海道に限らず、どこの地域でも言えることかもしれません。
──なにもない田舎だからこそ、独自のカルチャーが必要ということですね。
そうです。そしてカルチャーをつくるためには、前提条件として安定した生活が必要です。安定しているからこそ、静かに暮らすという選択もできるし、芸術に投資することもできるので。現状北海道でなにかをするためには、外資や外から入る人材が必要になっていますが、結局内資が良くならなければ根幹の問題の解決にはならないんです。だから、北海道の内資を整えて、エクストリームなカルチャーをつくり上げる。これをこの先かなえられるよう、僕は活動していきたいと思っています。 ──先が見えない途方も無い展望ですね…。
そうですね。だから僕は、この活動を全国各地で展開していくつもりはありません。一口に田舎と言っても、各地域によって状況が違いすぎるんです。北海道でうまくいったことを、よそで真似をしても、まったくうまくいかないことだって十分にありえます。だから、「地方創生の伝道師」みたいなものはあまり意味をなさないと思います。
僕が一番重要だと考えているのは、誰がどこに住んでいようと「自分のできる範囲でできることをやる」、「関われることをつくって増やしていく」ことです。だから別に、フルコミットでなにかするだけでなくても良いし、半端な覚悟だって良い。田舎で、なにかをやりたいと思っている人が楽しくやれるのであれば、どんな方法でも良いと思っています。人と地域が向き合うには、それが一番望ましい。この考えは、全国のどこの地域でも一緒だと思います。
──「決まった形」はないんですね。各々自分が思う形で、地域に向き合うことが大切であると。
自分だけが持つ思いから、生まれていくカルチャーやサービス、ビジネスもきっとあると思いますから。だから僕自身も僕の理想を信じて、できることをやるしかないですし、一歩ずつでも確実に、前に進んでいきたいと思っています。その道中で同じ思いを持つ人たちを巻き込んで、一緒に田舎を盛り上げられる。そんな仲間もつくりながら、田舎の生活を楽しみたいと思います。
──今日明日で変えていけない問題だからこそ、向き合うことの厳しさもあるかと思います。しかし、地道に取り組むしかないんですよね。それがどのような向き合い方であれ、自分なりの方法で、自分が持つ思いを地域に向けていく。その積み重ねがいつか、田舎の未来が変わる「いつかの明日」を手繰り寄せるのだと思います。これからもさのさんの活動を応援しています。お話いただき、ありがとうございました!