他者との比較

──<ぼく・わたしたちの時代>特集として、新社会人と同世代で活躍する方々にエールをいただいています。
実力が伴っていないと、どうしても自分を周囲と比べてしまう。「アイツより年収が低い」や「アイツより小さい仕事しかできていない」といったことが気になりだしてくる。けれども、僕は成長のためには嫉妬が必要だと思っています。周りの比較対象より良くなろうと、ひたすら努力を重ねる。すると、「もう比べても仕方がないな」と思える域に達する瞬間があるんです。

実際、僕自身、周りと比較する性格でした。「アイツより売れてやる」「アイツよりすごいことやってやる」という感情は、人一倍強かった。けれども、そういうコンプレックスや悔しさをバネに成長するうちに、ある時から「自分は周りの人たちより豊かな人生を送っている」と確信をもって思えるようになりました。

──多様性が叫ばれるなかで、あえて他者との比較は必要だと。
「他人は他人。自分は自分」と多様性が謳われようとも、他者を意識してしまうものです。だからこそ、積極的に他者を嫉妬できる環境をつくることもありなのではないでしょうか。自分自身を引っ張ってもらえるような優秀な人と付き合い、環境を変えることで意識も変わっていく。もしくは、SNSアカウントのフォローする人を変える、セミナーやイベントに足を運ぶ。環境を変えるためのさまざまな手段があります。

こうやって自分のレベルを上げていき、「他者との闘い」に打ち勝った先に待っているのが「自分との闘い」です。僕も、やっと自分と向き合っている感覚を持つようになりました。

本来あるべき映像ディレクターとは

──新たなフェーズに突入したYPさんですが、そもそも映像に興味を持ったきっかけを教えてください。
高校生のとき、友人とB’zのパロディー動画をつくったことがきっかけです。友達をびっくりさせるためのドッキリとして、撮影した動画をYouTubeにアップしたところ、再生回数がどんどん伸び、世界中から反響がありました。いままでの自分の接するコミュニティといえば、家族や友人、地元ぐらいだったのですが、インターネットを通じて、いきなり世界の人とつながったことが衝撃的でした。それ以来、映像制作を通じて、誰かを楽しませることにハマっていきました。

その後、YouTube上で「SOUND be SOUND」という音楽番組を始めました。もともと音楽が好きで、自分で発信できる場所を持てたら楽しいのではと思ったのがきっかけです。そこでできたつながりから、ミュージックビデオの制作も引き受けることになりました。

シンガーソングライターのあいみょんも高校の同級生でした。あいみょんがつくった曲に映像をつけてほしいと在学時に相談があって、一緒にミュージックビデオを制作したり、音楽番組に出演してもらったりしていました。

──その後、どのようにして森永乳業リプトンのテレビCMのディレクションを手がけるに至ったのでしょうか。
ミュージックビデオやライブビデオを撮影しているうちに、関西の音楽インディーズ界隈だけでなく、東京でも挑戦しようと決意しました。

東京でストリートミュージシャンを探していたときに、偶然にエイベックスのアイドルレーベルの代表と知り合いました。その人からリプトンを紹介いただき、CMディレクターに初めて挑戦することになったんです。それからはテレビCMやアーティストのMVなど、多くのご依頼をいただき、ここまでひた走ってきました。

しかし元号が令和に変わったタイミングで、大きな時代の変化を感じるようになりました。意識的に仕事をセーブして、時代の流れを読み、これからの活動の方向性を改めて練る時間をとりました

──どのような内省があったのでしょうか。
頼まれた仕事をただこなすだけの映像ディレクターに価値はあるのか? これをひたすら考えていました。企業やアーティストの価値を、映像を通して拡大していくこと。それが映像ディレクターの仕事です。

ひとつのブレイクスルーになったのが、YouTuberである水溜りボンドとのコラボ企画でした。彼らと一緒に映像作品をつくり上げていく過程で、アーティストのビジョンを見据えて自分が企画して、自分でディレクションする映像ディレクターがいても良いのではと感じました。

さらには、映像がどこで配信されて、どのように見られるか、視聴者とのコミュニケーションまでを設計してこそ、本来あるべき映像ディレクターの姿だということに気が付きました。

軽やかに遊ぶ

──単純に依頼されたとおりに映像をつくるだけでは生き残れないということでしょうか。
さらに、毎回同じことを繰り返していては、映像ディレクターとして成長もできません。成長のためには「遊び」が必要だと思います。「挑戦」だと仰々しいですが、「遊び」だと気楽に楽しく実践できそうではありませんか? もちろん、プロとして問題が起きないように入念に実験してから臨みますが、自分がいままで取り組んだことのないものに毎回遊びながらチャレンジしてみる。それがクリエイターとしての表現のアップデートにつながります。

僕自身もまだまだ無名だったときから、作品のなかにワンポイントで遊びを取り入れてきました。あるアーティストのMVの撮影では、電車のセットを制作して、車窓の風景をグリーンバックで合成してみました。さらに照明もプログラミングして、風景に同期させる。セット撮影も、CG撮影も、プログラミングも初めてだったけど、「ちょっと試してみよう」と赴くままに遊んでみました。
小さな遊びでもいいんです。例えば、使ったことのないカメラやエフェクトを試してみようとか、自分の遊びによって、クライアントの持っている価値がさらに倍増される可能性もありますよね。どんなに小さいことでも良いので、クリエイターは意識的に新しいことにチャレンジしていったほうがいいと思います。

──YPさんが主宰するコミュニティ「YP映像大学」も遊ぶ場なのでしょうか? 
そうです。MVをつくる人、CMをつくる人、Vlogをつくる人、TikToker、YouTuber、映像を仕事にしたい人たちが集まる、ゆるい遊び場ですね。

映像大学の取り組みの1つとして、「MV監督祭」があります。コミュニティメンバーが、同一アーティストの同一楽曲のミュージックビデオを制作するというものです。現役の映像ディレクターや、まったくの素人まで、自分なりの遊びを取り入れて、チャレンジしています。

このコミュニティを通して、つくり手を増やしていきたい。裾野が広がり、チャレンジングな映像クリエイターが増えることで、さらに熱量が増す。そのさきに、確固たる「映像文化」が醸成されると信じています。

──<ぼく・わたしたちの時代>特集として、最後に、今後の時代がどのように変化していくか、YPさんの目にはどのように映っていますか。
見る時代から学ぶ時代へ、学ぶ時代からつくる時代へ、つくる時代から遊ぶ時代へと移り変わっていくと予想しています。

これまでは制作者がつくった映像を一方的に見るだけの時代でした。しかし今は、YouTubeやTikTokで誰もが発信できる。全員が発信できる時代になったことで、皆がスキルを共有して学べる時代になりました。オンラインなども含めて学べる機会はたくさんあります。同時に、多くの人が学んだことを参考に、映像をどんどんつくっていく。それがまさに昨今の状況です。

この先の未来について、僕は消費されてしまうことに辟易してしまう映像クリエイターが溢れると思っています。そういった未来を回避するためにも「遊ぶ」ことが大事。遊ぶからこそ継続できるし、文化が醸され、文化が豊かになる。

──最後に新社会人に対して一言お願いします。
映像クリエイターに限らず、新社会人の方々には仕事のなかに「遊び」を見つけてください。なんて使い古された言葉を送るつもりはありません。

仕事を楽しむのも、楽しまないのも自由。人生には仕事よりも大事なことはたくさんある。けれども、仕事と遊びが共存するなにかに出会えたらそれは天職です。僕は「つくること」が人生をかけて楽しめる遊びなのです。

ただ一言、仕事や人生を楽しんでるやつのことが羨ましいって思ってしまう人生にはなるなよと、そう思います。

──外発的な動機、つまり他者視点だと「消費されている」と感じてしまいますよね。しかし、内発的な動機である「遊ぶ」だからこそ、熱量を高く挑戦することができます。「遊ぶ時代」という新たなフェーズへと移行し、ますます働き方も変わっていきそうです。本日はお話ありがとうございました。
 
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