「きゅんくん」と「松永夏紀」

──これまでロボティクスファッションクリエイターとして活躍されてきたきゅんくんですが、ご自身にとって2020年はどのような時期と考えていますか?
これまではクリエイターである「きゅんくん」としてものづくりを行ってきましたが、同時にエンジニアの「松永夏紀」としても活動を続けてきました。そんな私にとって、今年は松永夏紀として経験してきたことを、きゅんくんに還元するタイミングなのかなと考えています。

──きゅんくんと松永夏紀さん、それぞれのキャラクターを分けている理由はなんなのでしょうか?
活動を続けていくなかで、「できること」と「やりたいこと」を切り分けて考える必要があったからです。

私はこれまで、きゅんくんとして数多くの作品を手掛けてきました。代表作のひとつとなったのが、ウエアラブルアームロボット「MECALF(メカフ)」です。これは大学学部時代に、ロボットをファッションとして身に付けたいと考え生まれたものです。直接的に人の役に立つことを目的としておらず、あくまでファッションとしてロボットと人間の物理的距離をゼロにすることを目的に制作しました。2015年には「SXSW2015」などで発表したことが大きな反響を呼び、私自身についても数々のメディアに取り上げていただけるようになりました。
model: 近衛りこ photo: 荻原楽太郎
model: 近衛りこ photo: 荻原楽太郎
メディアへの露出が増えたおかげで、さまざまな研究者やエンジニアと交流でき、とても良い刺激になりました。ウエアラブルロボットについて発信できる貴重な機会もいただけたと思っています。一方で、当時の私には「このままで良いのか」という焦りもありました。それは、きゅんくんの活動すべてが「やりたいこと」ではなかったからです。

クリエイターとして作品をつくり表舞台で話をすることは、私にとっては周囲から求められる「できること」でした。しかし、私にとっての「やりたいこと」は、エンジニアとして技術を磨いていくこと。そうした思いと実際の行動にギャップが生まれていたことで、自分がいまなにをするべきかを考え直すことにしました。その結果として、まずはエンジニアとして成長する時間を優先し、2016年頃からメディアへの露出も徐々に抑えるようになっていきました。きゅんくんではなく、松永夏紀として「やりたいこと」に注力することが、最良な時間の使い方だと思ったのです。

──エンジニアに専念する期間を設けたことで、変化したことはありましたか?
妄想で考えていたことに対して、技術的な根拠を求めるようになれたのが大きな変化だと思います。

私は「人間とロボットの距離がゼロになった時、人間がどんなことを感じるのか」ということを追求するためにウエアラブルロボットをつくり続けてきました。この思いは昔から変わっていません。しかし、以前までの私はやりたいこと一直線でロボットをつくっていたところがあったと思います。技術について多くのインプットができる時間を過ごせたことで、「このパーツの耐久性に問題はないか」「このチップにはどのような機能があるか」などを考えて設計できるようになりました。それと同時に、ロボットを着用した人が抱いた感情をインタラクションデータとして収集することで、ある程度の根拠を持った上で次の実験に臨めるようにもなりました。

また、私はハードウェアをメインに取り組んできたのですが、最近は「ROS(Robot Operating System)」というロボット開発に用いられるソフトウェア技術についても学んでいるところです。ロボットにはハードウェアはもちろん、内部で動きを制御しているソフトウェアが不可欠です。エンジニアとしてやりたいことを実現していくためには、その両面を知ることが大切だと考え、勉強を続けています。

エンジニアとして成長できた要因としては、複数のコミュニティを活用できたことも大きいですね。私はTwitterやInstagramといったSNSのほかに、Slack上でROSに関心のある人々を集めたクローズドコミュニティ「ROS WIP」も運営しています。「WIP」とは「途中」という意味で、ROSについて勉強したいという人たちが、年齢や職種、スキルの有無を超えて集まり、切磋琢磨する場所になっています。特定のコミュニティにだけ所属していると価値観が偏るし、視野が狭くなって新たな発見を得ることができなくなり、エンジニアとしての成長もストップしてしまう。信頼できる人たちと意見交換ができるコミュニティを意識的に持つことも、エンジニアとしての成長につながっていると感じます。
──松永夏紀さんとしては、2016年からスタートアップ企業であるtsumugにも参画されていますよね。ここではどのような活動を行っているのでしょうか?
tsumugは次世代型コネクティッド・ロック「TiNK(ティンク)」をはじめとしたプロダクトを開発している会社です。ハードウェアのほかにも、空室物件をオフィス/ワークスペースとして貸し出すサービス事業「TiNK Desk」「TiNK Office」なども展開しています。私はメカエンジニアとして参画しているのですが、経営陣の考えていることとエンジニアの考えていることをつなげる、コミュニケーターとしての役割も担っています。

コミュニケーターとして動く場合、経営陣のエモーショナルな野望をロジカルに整理して、エンジニアに伝えるためのコミュニケーション能力が求められます。そんなときには、技術を追求している松永夏紀ではなく、クリエイターとしてエモーショナルに物をつくってきた、きゅんくんとしての経験が活かされていますね。

──きゅんくんとして得た経験も、エンジニアとしての成長に活かされているのですね。
でも、きゅんくんと松永夏紀、この両者が混ざり合うようなことは避けたいと考えています。

きゅんくんは、クリエイターとしてのこだわりを大切にしていますが、松永夏紀の場合は、周囲の意見も素直に吸収し成長につなげていて、それぞれ違ったキャラを持っています。2つが融合してしまうと、クリエイターとしての軸がブレてしまうし、エンジニアとしても成長が止まる恐れがあります。「できること」と「やりたいこと」、それぞれに適したキャラクターがいるからこそパフォーマンスを最大限発揮できるし、ときには相乗効果も生まれるのだと思っています。

発展は、幾多の足跡の先にある

──ふたつの領域に1人で向き合うのではなく、最適なマインドを持つキャラクターに切り替えることが大切なのですね。こうした活動の先には、どのような未来を見据えているのでしょうか?
私の場合、未来のことをイメージするのがすごく苦手なんですよね。まずは目の前の開発に全力で取り組み、テクノロジーに携わる者の1人として、業界の発展に貢献することを心掛けています。

特定の個人の大きな一歩ではなく、数多の研究者の歩みが積み重なって発展し、社会は変化していくものだと考えています。先人たちが残した研究成果を基に新たなテーマを切り拓き、その研究成果を後世に引き継いでいく。こうした一連の流れを繰り返すことで、少しずつ前進していると思います。

私は2020年3月まで大学院に在籍し、人間とウエアラブルロボットのインタラクションについて実験を行い、研究成果を修士論文にまとめました。現在は京都にある国際電気通信基礎技術研究所(ATR)にて、研究員として実験を続けています。ロボットと人間のインタラクションについては、これまでにも数多くの研究が行われてきたのですが、ウエアラブルロボットについて研究されてる方って、まだまだ少ないんですよね。だからこそ、私はそこに特化した実験を続け、ウエアラブルロボットによって人々にどのような感情が芽生えるのか、人とロボットの距離感を探求しながら、研究成果を残していく。その歩みのなかで、ウエアラブルロボットがさらに進化してくれたらいいなと思います。

──未来は個人が起こす変革ではなく、多くの人々の地道な歩みによって拓かれる。技術者として、研究者として研鑽する松永さん、そしてクリエイターとして表現するきゅんくんとして、テクノロジーの歴史にどのような足跡を残していくのか、今後も追いかけていきたいと思います。本日はありがとうございました!
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