──陳暁さんと言えば、発信力の高いTwitterが度々注目を集めていますが、自己紹介に「ラッパー」と書かれていますよね。どういった意味があるのですか?
ひとつは、肩書きでバイアスを与えたくなかったからです。例えば、広告業界の人が書いていたら「広告業界人が言う○○」というように、私が発信する内容がその肩書き起点で読まれてしまうのが嫌だったんですよね。日本だと、無意識に年齢や職業で人をカテゴライズする習慣があると感じていて、女性だから・若いからいう理由だけで立場が下に見られることが多くありました。そういう無駄な固定概念をぶち壊して純粋に思考やコンテンツで評価されたかったんです。なので、文字で勝負できるTwitterというプラットフォームを選び、肩書きなし、顔写真もなしで始めました。Twitterは文字がベースにあるので、第一印象が外見ではなく思考じゃないですか。だから、肩書きがすごい人でも、内容がつまらなかったらフォロワーは増えないですよね。「こういう情報の出し方をすると1000RT1000いいね以上いく」とかはある程度予想できるようになりました。内容的にはかなり感度の高い話をするようにしていたので、エンゲージメントも他のアカウントに比べてかなり高いと思います。陳暁夏代という人が考えていることをTwitterですでに知ってもらえることで、もう初対面でナメられることもなくなったので、真面目にやったかいがあったなと思います。だから今は顔写真も出しますし、登壇や取材も受けるようになりました。
ブランドFR2の「No Photos」を着て取材対応する陳暁さん。撮影は和やかに対応いただきました。
ブランドFR2の「No Photos」を着て取材対応する陳暁さん。撮影は和やかに対応いただきました。
──「ラッパー」にはそんな深い思いがあったのですね……。
半分はギャグでもありますけどね(笑)。もうひとつ、何がいいかなと考えたとき、「ラッパー」って個人の意思や社会へのアンチテーゼを音楽に乗せて伝える役柄だと思っていて、そういった部分を重ねています。幼少期からセンシティブな両国に挟まれてきたので、社会問題について考えることが多い人生でした。そういう内容ほど真面目なやり方だと絶対に解決できなくて、エンタメのような軽いものに変換して伝えないと、より多くの人には届けられないと思っています。例えば、同じテーマを経済評論家が経済誌で論じても意味不明だけど、タレントが言うと話題になるみたいな。一般人のレベルに合うので当事者意識が芽生えやすいからだと思います。だからTwitterでも、中国の話は当事者意識を重ねやすいトレンドやエンタメネタを中心にしています。政治・経済の話から入ると、そこに興味関心のある大人しか見ないけど、そうでない部分から紹介することで、自ずと社会問題にも目が向くのかなと思っていて、その入り口を変えるということをやっています。

──卒業後は中国の芸能事務所で働いていたそうですが、それも今お話しいただいたような理由からでしょうか。
そうですね。あとはそもそも人が熱狂するエンタメが好きで、より多くの人に影響を与えられる業界へ入ることに迷いはなかったです。当時は上海の芸能事務所で、日中間のイベント企画や運営をやっていました。

2大ビッグイベントを目の当たりにして

──中国と日本、両国のバックグラウンドをお持ちですが、当時、日本の企業で働く選択肢はなかったのでしょうか。
私がちょうど中国にいたころ、2008年に北京オリンピック、2010年に上海万博と、世界中から注目される大型イベントが矢継ぎ早に開催されました。オリンピックでは通訳、万博では運営チームと間近で関わっていたのですが、「列に並ぶ」や「ポイ捨てをしない」など日常レベルで国民の意識の変化があり、国が大きく変わろうとしている過程を肌で感じました。今の中国はこの二次変化だと予測していますが、私はその変化の序章に立ち会って、体感して、この成長をもっと間近で見ていたい、この変化の渦の中心から離れたくないという思いで中国に残っていました

──そのほかに中国に住む人たちの意識の変化はありましたか?
中国人の上昇志向が徐々に強くなっていったと思います。当時は中国全体のコンプレックスが強く、世界における自分たちの地位が低いという自覚がありました。そこから自分たちが1位を獲るんだという反骨精神がありましたね。国民全体の成り上がってやろうという気概が高まっていたと思います。国のプロパガンダもそういう軸で展開していたので、一体となって上を目指そうという状況でした。その意識転換は2014年から2017年ごろまでがピークでしたね。新しく生まれるものも生まれきって、変われる部分も変わったかなと。ここ数年で中国は急な成長を遂げたので、これからの2~3年は、国内のさまざまな仕組みを整理整頓する時期に移行していくと予想しています。

広告会社の営業が第一志望だった

──その後、日本の大手広告会社で働かれていますが、なにがきっかけだったのですか?
実は、私がいた芸能事務所がいろんな原因でなくなってしまって、中国に残る選択肢もあったのですが、ちょうど対日本の仕事をよく対応していたので、これを機に、久しぶりに日本へ戻ろうかなと。そこで、せっかく日本で働くのであれば、日本国内の商流、お金の流れや社会の仕組みを学びたいと思い、ドメスティックな大手企業で働きたいと思っていました(笑)。あとは短期間でいろいろな業界を見ることができ、エンタメ領域にも明るいのは総合広告会社だとう、ということで入社しました。私はクライアントのオリエンからどのような流れで企画全体が決まっていくのか、お金がどのように動いていくのかを見たかったので、全体を俯瞰できる営業志望でした。クライアントに一番近い立場ですべてを見たかったので、どうしても営業に行きたかったんです。けれども配属は希望通りにはならず(笑)。プランナー、マーケなどを経て、3年後にようやく営業部門に行くことができました。
──広告会社ではどのような学びが得られましたか?
結局4年間在籍していたのですが、その間に3つの部門をまたいだことで、さまざまな角度からの考えや問題点が見えて、広告会社を俯瞰できるようになったと思います。現職の人に聞いても自分の視点からしか話せない人が大半ですが、それだと弱いと思うんですよね。全体が見えていないから問題提起も単一視点になってしまい、会社の危機にも気づかない

──各部署それぞれ1年ほどしか経験されていないと思いますが、短期間でそういった視点を身につけられたのは、陳暁さんの勘の良さもあるんでしょうね。
私は仮説を持って、物事を俯瞰から細分化して考えるので、基本的に脳内には常に全体像がある状態なんですよ。逆にそれが見えないと気持ち悪かったですね。念願の営業に配属されてからは、とても楽しかったですね。クライアントから依頼が来ると、その仕事を誰にどんなふうに割り振るかを営業で一度検討するのですが、そうやって全体像をとらえることに面白さを感じていました。

中国の成長の速さに焦りを

──その後、商流を十分に理解できたので、独立しようと思われたのでしょうか。
前職では国内業務がメインで、中国案件の対応ができそうにはない状況だったこともあります。私が広告会社に在籍していたのが2013年から2017年ごろです。中国が一番成長した時期で、2014年に「中国人の爆買い」というキーワードが日本でバズったことはみなさんの記憶に新しいことかと思いますがが、WeChatやWeiboなどのSNSやキャッシュレスが始まったのもそのころです。毎年中国には数回帰っていたのですが、それでも追いつけないほどに成長スピードが早くて、帰るたびにいつも焦りを感じていました。

最終的な決め手となったのは、2017年に行った音楽フェスですね。音楽が昔から好きで、毎年夏は世界中のフェスに行っているのですが、上海のStorm Electronic Music Festivalで、QRチップで入場して、そのチップで会場内のビールを買って、最終的にはスマホに明細が送られる。キャッシュレスや位置情報などを駆使したテクノロジーが満載で最先端だったんです。DJも来日しないような豪華なラインナップだったり、協賛も大規模だったり、アフターパーティーも魅力的だったりと、圧倒されました。普段の生活シーンでも十分に変化を感じていたのですが、私が一番好きな音楽シーンでその劇的な変化に直面して衝撃を受けたんです。それで思わずフェス会場で大泣きしてしまって(笑)。The Chainsmokers & Coldplay の「Something Just Like This」がちょうどかかっていたのですが、はたから見るとただの音楽バカに見えていたと思います。実際は中国の変化への戸惑いや、自分の将来や日本への憂いで、いっぱいいっぱいになっていたのですが。そんな理由でフェスで大泣きしている大人がほかにいたら教えてほしいです。仲良くなれそう。それで、そのあと帰国してすぐに辞表を出しました
──急ですね(笑)。その後、DIGDOGを立ち上げたというわけですね。
2014年に「爆買い」が日本で広まり、個人的にいろいろな方から相談を受けていました。非常に需要があると感じていたので、それをきちんと仕事としてお手伝いしたいと思ったんです。たぶん私がいま目立っているのも、時代の変化の当事者である若年層で、中国市場の知見を持ったマーケティングやプランニングができる人材がいないからだと思っています。実際にそういう会社はあるし、それができる中国人もいます。いろんな人に私も会いましたが、若年層狙いで、日本語ネイティブで、日本人にわかりやすく噛み砕いて説明できる、かつお互いの需要と懸念を理解しているのは、おそらく私しかいないのではと思います。それが、いま私が必要とされているポジションだと理解し、会社を立ち上げました。

中国マーケットの正しい認識を

──中国事情を日本人にわかりやすく伝えるということですが、具体的にはどういったお話をされているのですか。
日本に伝わっているさまざまな誤報を紐解くことが私のミッションだと思っていて、言葉の定義ひとつをとってもそうです。例えば、「インフルエンサー」と「ミレニアルズ」の誤解。「インフルエンサー」というワードは、日本ではフォロワー数の多いインスタグラマーを指します。中国では類似した言葉としてKey Opinion Leader(KOL)がありますが、インフルエンサーとKOLは似て非なるもので、「個人単位のインフルエンサー」、「組織単位でECも付随するメディアのようなKOL」という違いがあります。「ミレニアルズ」というワードも、日本では20~35歳くらいの世代をざっくり指していますが、範囲が広すぎるんですよ。もちろん、日本と中国とでは状況が違い、日本は変化が穏やかでそのようなくくりで問題なかったという事情もあるかと思いますが、中国では90後(1990~1994年生まれ)、95後(1995~1999年生まれ)、00後(2000年以降生まれ)というように年齢や、さらには都市やペルソナごとに分けられるので、マーケティングの前提条件が違ったりします。総じて日本のマーケティングは単語でくくりがちで、「ミレニアルズ向けのインバウンド事業」とかよく聞くのですが、それは誰のことを指しているのか?という議論をいつもクライアントとしていますね。それを噛み砕いて、じゃあこういう人ですねというものを抽出する。日本と共通する部分もあれば、違う部分もあるので、そういったことをきちんと教えるという作業をやっています。

──なんとなく「中国ってこんなものだろう」という捉え方ではダメで、きちんと因数分解する必要があるんですね。
それを中国にいるマーケターはできるんですよ。でも日本にいるとその領域までたどり着けないから圧倒的に少ない。何か言われても知見がなさすぎてそれが本当かどうかを判断することもできないですよね。いまみなさんが見聞きしている“中国”はここ5年くらいの中国で、10年前に中国で働いていた人はお手上げ状態なんですよね。社会変化が激しいこの時代、現地にいる人しか最新情報を知りえないんですよ。それなのに、教える人が適当に教えて、受け取る人も適当に受け取っているということがあまりにも多く起こっている。それをうのみにしてフォロワー数が多いインフルエンサーにとりあえず商品告知をしてもらったり、逆にテストマーケで小予算だけ動かして終わりなど、本質的でないビジネスを展開している人が多すぎる。そうじゃないということを私は伝えたいんです。

そうしたときに、1 to 1のコンサルティングだと私が対応できる範囲に限界があるし、もったいないと思ったんですよね。私がコンテンツプレイヤーもしくはメディアになれば、1 to Nで伝えることができると。先日、私がCHOCOLATEにジョインしたというリリースも出ましたが、「コンテンツメーカー」という思想への共感や、「同じ曲が好きなら国は関係ないよな」みたいなことを、映像や商品でつくることができたら、もっといろんな人を感染させられる。CHOCOLATEではそれを目指していこうと思っています。

──陳暁さんの使命がたくさんありますね。DIGDOGも、豪華なコンテンツメーカーが勢揃いしたCHOCOLATEも、今後の動向に目が離せないですね!
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