──WAB宣言が発表されましたね。こちらはどういう意味なのでしょうか?
5GやIoTの普及浸透など、生活者にとってデジタルやオンラインを意識せず、当たり前に使いこなす社会が到来します。そういった時代に、マーケターもデジタルやリアルという枠組みで分け隔てることなく、生活者の期待を超える顧客体験を提供するべきだと、Web広告研究会では考え、「Web/デジタルの枠を超えて、顧客の期待を超える体験を」という宣言になりました。私自身の実感としても、ここ数年でデジタル担当者の活躍の場は一層広がってきたと思います。

──では、中村さんご自身もデジタルとリアルの枠組みにとらわれず越境してきたのでしょうか?
なかなか自分で枠を超えてきたとは言い難いですが、振り返るとデジタルだけでなく横断的な施策にも多く挑戦させてもらいました。職種としては、前職のコニカミノルタや現職のポーラで、営業、事業マーケティング、事業中期計画、ブランディング、デジタル、社内広報、新規事業立ち上げといろいろと経験してきましたが、任せられたミッションをやろうとすると、どうしても組織や業務の枠を超える必要があって、結果的に新しいチャレンジができたように思います。

──改めて中村さんのキャリアを一つずつ追っていきたいです。最初はコニカミノルタに入社され、なにをしていたのでしょうか?
ビジネスの根幹を知りたくて、最前線で顧客と対峙できる営業職からキャリアをスタートしました。ただいつかはコミュニケーション関連の業務に就きたいと考えていたので、宣伝会議の養成講座に自腹で通ったりもしていました(笑)。
──そうだったんですね! その後はどのようなキャリアを積まれたのですか?
営業として働きながら、当時使っていたCRMに不満を感じて、会社に改善提案をしていました。営業が忙しい中データをインプットしているのだから日々のセールスの役に立てたい、マーケティングサイドも活用するならこうするべきだ、と。若気の至りでしたね。すると、「ではやってみなさい」と任せられ、営業時代からCRM業務に携わることになったんです。当時は営業をしながら、CRMの再構築も担当していました。その後、販売企画部門へ異動し、新規事業の立ち上げを担当しました。大きな転機となったのが入社7年目で、社内公募制度によって本社の広報ブランド部門からソーシャルメディア担当の募集が出たのです。そこに手を挙げたのがきっかけで、コミュニケーション領域に関わるようになりました。

──社内公募をきっかけに、デジタルコミュニケーションに関わるポジションに就かれたんですね。
そうです。ちなみに日本アドバタイザーズ協会のWeb広告研究会(Web研)には、その時に出会いました。ソーシャルメディア委員会のセミナーに参加し、そこで当時代表幹事だった花王の本間充さん(現在はアビームコンサルティング所属)と話したことがきっかけです。Web研で得た情報や出会いを通じてコミュニケーション業務のイメージが広がり、SNSだけでなくデジタル領域全般でコーポレートブランディングに携わっていこうという意識になりました。また宣伝部門のリーダーと一緒に、年度方針策定やブランド調査などにも携わり、コミュニケーション全体を考えるようになったことで、最終的にはマス媒体も含めた国内の企業ブランディングを担当することになりました。その後はデジタル組織のリーダーをしながら、社内報の作成などインターナルコミュニケーションにも関わりました。組織トップや社員へのインタビューをコンテンツ化することや、中期経営計画などに関連するコミュニケーションの展開を通じて、経営に近いところで業務ができたのは自分にとって良い経験でした。さらにこれらの業務と並行して、R&D部門の傘下で新規事業立ち上げチームのリーダーもしていました。本当に矢継ぎ早というか、同時並行でいろいろな仕事をしてきたので、改めてこうしてお話しするとあれもこれもと胡散臭くなってしまうのですが、新しい仕事に貪欲に、自分の守備範囲を広げるようにしてきました。自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃ働いたと思います。
──守備範囲が凄まじいですね…。もう少し具体的な業務についてお伺いしていきたいのですが、デジタルマーケターとしてどのようなことをされてきたのでしょうか?
ソーシャルメディア担当として最初はグローバルでコーポレートアカウントの作成や、ランニングプロジェクトというランナー向けのブランドコンテンツのソーシャル化などを行っていました。その後はデジタル領域でのグローバルキャンペーン、マス媒体も含めたコーポレートブランディングも担当するようになりました。コニカミノルタを退職前の2年間は、グローバルのデジタル統括チームのリーダーとして、マーケティング推進やガバナンス業務を担当し、50以上の国と地域で運用されていた企業サイトの統合を推進していました。あれはメンタル的にもハードな仕事でした。統合といえば聞こえはいいですが、各国のデジタルマーケターの縄張りを奪うことを意味します。海外メンバーから合意を取り、変革を進めることはとてもハードでした。口が裂けても完璧にできたとは言えませんが、心から学びの多い仕事だったと改めて感じます。今でもすごく覚えているのが、海外との調整がうまくいかずプロジェクトが暗礁に乗り上げた際に、社長から「ビジョンを関係者に腹落ちさせられているのか」という言葉をかけられたことです。大きなプロジェクトであればあるほど、関係者それぞれの役割や立場から利害対立は生まれやすく、大義がしっかり腹落ちしていなければ進められないということを、身にしみて感じました。

経営戦略に寄り添うポジションに

──意識するポイントが現場レベルから経営レベルへ変わっていったのですね。
経営レベルで物事を捉えられているわけではありませんが、インターナルコミュニケーションに関わり、トップの想いや経営戦略をどう伝えるかを考え、またどうすれば社員が会社に誇りを持ってもらえるかを考えるには、視座を変える必要がありました。そういった仕事を機に、特定領域だけではなく会社全体をトランスフォーメーションしていくような仕事に魅力を感じるようになりました。

──それが転職を意識されたきっかけだったのでしょうか?
業務が一旦落ち着き、自分自身の成長について考える時間が少しできたことがきっかけです。今の場所でチャレンジを続けるのが良いか、新しい場所へ飛び込んでチャレンジをするのが良いか。社内異動も視野に考えていたので、転職ありきで考えていたわけではありません。ただ、大きなプロジェクトを終えたこともあり、コンフォートゾーンを早く抜け出さなければと焦りを感じ始めていたんです。改めて自分が経験してきた仕事を振り返り、幅広い職種の経験とスキルを活かしてビジネスに大きく寄与したいと思い、マーケティング、事業、経営の3本の領域と密接かつ横断的に関わりながら推進する新たなチャレンジを探すようになりました。

──それで現職のポーラへ転職されたのですね。なぜポーラだったのでしょう? 
これまで身につけてきたスキルを総動員するようなチャレンジをしたかったので入社しました。会社から「これから変わっていく」強い意志を感じ、そこに惹かれた部分もあります。入社後からは新設されたCRM戦略部において、事業横断的にお客さまとのコミュニケーションを進化させることをミッションに活動しています。点在する顧客接点をつなぎ、一貫性とストーリー性を持たせるための仕組みやコンテンツをつくっていくことが私のチームの仕事です。事業や組織間の橋渡しのような役割を担っており、私自身の役目としては、社内をタテ・ヨコ・ナナメに動き回り、事業や部門を横断して、プロジェクトを推進することです。

次世代マーケターへタスキをつなぐ

──横串を刺しながら、全社の変革を促す。まさにマーケティング・事業開発・経営戦略の社内外発信と関わってきた中村さんだからこそできることですね。それでは最後に、マーケターの未来についての考えをお聞かせいただけますか。
マーケターを取り巻く環境の変化は激しく、任される役割や期待も複雑になり、そして現在進行系でさらに拡張していると思います。顧客に向けたマーケティングコミュニケーションはもちろんのこと、経営や事業運営、IT領域などもマーケターの業務範疇になりつつあります。ゆえに、自分の仕事の枠を決めすぎず、自分の軸を持ちながら枠を超えていくマーケターが、今後チャンスを切り開いていけるのではないかと考えています。

──まさに中村さん自身が実践してこられていますよね。
まだまだやれているとは言い切れませんが、本当に目まぐるしくいろいろな仕事をさせてもらいました。だからこそ、人とはちょっと違うスキルを身につけられたように思います。Web/デジタル担当者も、視点をデジタルだけに絞らないほうがいいと思っています。2016年のWAB宣言で「デジタルの変化に対応できないマーケターは淘汰される」と示されたように、マーケターはデジタルと冠せずとも、当然のごとくデジタルを理解している必要があります。2019年のWAB宣言で「Web/デジタルの枠を超えて、顧客の期待を超える体験を」と発表しましたが、Web研としても時代に即して、枠を定めずに組織を発展させていきたいと思っています。

私自身、Web研からたくさんの恩恵を受けたように、次世代のマーケターにとって価値があり、学びとなる団体にしていきたいです。私は今年で39歳になりますが、最初からマーケティングの仕事をしていたわけではないので、これまでWeb研や業界を黎明期から支えてきた先輩マーケターと、今後どんどん輩出されるであろうデジタルネイティブな若いマーケターにとって間を取り持つような存在になるのではないかと思っています。だからこそ、脈々と続いてきたタスキを受けたからには、次世代につなげていきたいと思っています。
──Web研の活動を通して後進を育てていくのですね。中村さんが体現してこられた、枠を超える、枠を広げることは、今後のマーケターの道標になりそうですね。今回はWAB宣言の発表などでお忙しい中ありがとうございました。
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