──本日はありがとうございます。さっそくですが、Netflixはかなり自由な社風とお聞きします。まずはNetflixのカルチャーについていろいろとお聞かせください。
Netflixのすごく特徴的なところは、基本的にルールといったものはなく、自分で優先順位やto doを決めて仕事をするということです。判断の基準は、「自分が取り組むマーケティング活動が、自社の発展に貢献するのかどうか」というシンプルなことです。自由度も高いですが、その分責任も同時に求められている、というのが社員一人ひとりの共通認識です。

──想像以上に裁量のある社風なんですね。
結局、ビジネスを成長させるには優秀な人材をいかに集めるか。そしてそれぞれの分野でプロの人材に対し、自由で闊達なアイデアと個々の意思決定を尊重することで、会社を成長させることができるというユニークな考えがある会社です。

──そのあたりに惹かれてNetflixに転職されたんですか?
そうですね。ただやはり、最初は大変でしたね。そんな優秀なメンバーの中で自分が活躍できるのか最初は不安もありました。2015年6月に入社したのですが、日本でのサービスのローンチは9月で、準備期間が3カ月しかありませんでした(笑)。そのような中で、入社して1日目にいきなりカリフォルニアの本社に出張して、本社のマーケティングチームの会議に放り込まれました(笑)。

──入社初日にですか!? ハードですね(笑)。
アドテク関係についてはアメリカから学ぶことも多く、とくにNetflixのプログラマティック広告の手法はとてもユニークだったので、2週間かけて、いろんな人からひたすら吸収しようと必死でした。当時はとにかくいろんな仕事をマルチにこなしながら、なんとか日本でも無事にサービスをローンチすることができました。サービスローンチの記者会見当日も、会場の現場で、本社メンバーと連絡を取り合ったりしてバタバタでしたけどね。
それから、この会社ならではの特徴的なカルチャーの一つに、「フィードバックカルチャー」というものがあります。「フィードバックカルチャー」は、社員同士がお互い改善点を正直に指摘しあう、というものです。ローンチ前は社員も少なかったので、担当のデジタルマーケティング以外の分野にも会議などで口を出すことが多かったんです。入社したばかりで、こんなに口を挟んでいいのだろうかとやや心配もしていたのですが、その逆で、「君はすごく良いことを言っているから、もっと口を挟め」とフィードバックがありました。それで自分は間違っていなかったんだなと。そこからは、どの会議でもたくさん口出しをしています。その結果かはわからないですが、いまではマス領域含めて、さまざまな業務に携わっています。

──いまはもう、デジタルマーケティング担当ではないんですか?
いまはマーケティング全体の戦略や企画の立案をしています。先日実施した明石家さんまさんのキャンペーンなども担当しました。

──あのキャンペーンは話題になりましたね。では話を少し遡るのですが、Netflixの前はRed Bullに所属していたとのことですが、当時はどういったことを手がけていたのでしょうか?
Red Bullは2つのビジネスがあって、ひとつはエナジードリンクという缶を売る事業。もうひとつは、自分たちでスポーツや音楽のイベントを主催・共催して、コンテンツをつくるメディアハウス事業。私は後者のデジタルチームに所属していました。だから、Red Bullではオウンドメディアを、そしていまのNetflixではペイドメディアを担当していたことになります。

──全然違うんですね! Red Bull時代で印象に残っているお仕事はありますか?
2014年に開催した「Red Bull Music Academy Tokyo」ですね。世界中のトップクラスのアーティストが集まって、講義や音楽を奏でるイベントです。このイベント自体は、他国で何度か開催されているもので、それが初めて東京に、という話でした。

──私も当時観ていましたが、そうそうたるメンバーでしたよね。
だからこそ、はじめてのプロジェクトの裏側はとても大変でした。特に新宿・歌舞伎町のカラオケ館を貸し切って実施した「Lost in Karaoke」。全世界に向けてライブ配信をするということで、地下の配信エリアから各カラオケルームに太い配線ケーブルを引っ張って、夜な夜な設営しました。これが思った異常に大変で。かつ生配信のイベントだったので、イベント中の電力の問題も怖くて。逐一スタッフルームの電気を消したり(笑)。

──かなりバタバタな裏側だったんですね。当時の貴重なお話、ありがとうございました。Netflixといい、Red Bullといい、スリル満点な仕事をされていらっしゃったんですね。では改めて、キャリアの最初から、学生時代からお聞きしていいですか? 
慶應義塾大学の環境情報学部にいたのですが、インターネットなどの新しいメディアに関心があって。それと、なにかをつくる仕事がしたかったので、就活は広告をメインに、最終的には電通に入社しました。最初の配属は、東京ではなく関西支社のインタラクティブ・コミュニケーション局でした。関西は土地勘もなく、当時はすごく戸惑いました、若手にもいろいろと任せてくれて、最終的にはとても良い経験になりました。

──具体的にどのような業務をしていたのでしょうか?
SEM(Search Engine Marketing)など当時はまだ主流ではないメディア領域の業務を担当していました。周りの社員からは「そんな細々したものやらんと、バナー広告売れ!」などと言われていました。でも僕は、すでにあるスペースを売るという、既存の広告の延長線上の仕事とは別のことをしてみたいと思っていました。全然インターネットの特性を活かしきれていないのではないか、と当時生意気にも思っていたのです。SEMはまだその当時は主流ではなかったものの、本来のインターネット広告のあるべき姿ではないだろうかと考えていました。あの頃はまだまだ未開拓な分野だったので、広告の入稿マニュアルの説明も自分で用意していました。Googleアドワーズは、タイトルにビックリマークを入れられないからどう対処するとか。でも、これらは、はたから見るとすごい細々しているかもしれませんが、インターネット広告の目的に対して仮説を立て、実行して、そしてすぐに結果が見える過程が私にとってはすごく楽しかったんです。当時苦労した経験は、まったく違う分野ですが今の仕事にもとても役立っています。

──たしかにそれはネット広告の魅力ですよね。でも当時の電通では、かなり異色だったのではないでしょうか?
狙ったわけではないのですが、今振り返るとそうだったかもしれません。やっぱりクリエイティブというと、華々しいイメージを持たれると思うのですが、私にとってはSEMもクリエイティブなことだと思っていたんです。

その後、インターネット広告に加えて、グローバルの領域にも興味が出てきたので、上司に相談していたら、インドでデジタル分野の業務でご縁があり、現地の電通グループ企業に数年出向しました。その頃はインドに限らず、ベトナムや中国などアジア全域のデジタル支援を行っていました。

──その後、電通からRed Bull、Netflixと転職されるわけですが、なぜでしょう?
クライアントにいろいろと新しい施策を提案するのですが、なかなか実現できないケースも多くて。それならいっそクライアントサイドに、自分たちで広告運用する側に行きたいなと思って。そんなタイミングでRed Bullがオウンドメディアの運用チームで募集していて転職しました。Red Bullの姿勢がインターネット的だと感じたんです。プッシュ型ではなくプル型というか、企業側が消費者を後押ししていく、コンシューマーファーストな姿勢に惹かれました。つまり、直接Red Bullを買ってくださいといった訴求ではなく、東京の音楽シーンをサポートして関係をつくり、その先にシーンのファンがRed Bullに対してエンゲージメントを高めてくれればいい、という考えです。

──たしかにRed Bullさんはユニークなマーケティング手法ですよね。その後、Netflixへ移ったのはなぜでしょうか? 
私がRed Bullへ入社を決めたのが、2013年頃なのですが、Red Bullが日本に来たのが2004~2005年ぐらいでした。このため私が入社した2013年にはある程度マーケットができていて。でもRed Bullが日本に上陸した当時は、誰もRed Bullのことを知らないし、エナジードリンクなんてカテゴリーすらなかったんです。そんなエピソードを立ち上げ時からいたメンバーに聞いて、すごく羨ましかったんです。初期のチャレンジを聞くとすごく面白そうだなと。そう思っていた矢先に、Netflixが日本に上陸するという話を聞いて。
──ゼロイチの挑戦がしたかった、ということですね。
こうして昔のことを振り返って改めて気づいたのですが、インターネットって20年先のことなんてわからない分野じゃないですか。だからこそ、自分を成長させてくれるもの、面白いと感じるものをやっていくしかないと思うんです。0から1への立ち上げはとてもチャレンジングで、自己成長にもつながりましたし、楽しんで仕事にも取り組めました

──たしかに動画見放題サービスをサブスクリプションモデルで日本に定着させるというのはチャレンジングですし、唯一無二な経験になりますね。本日はお話ありがとうございました。
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