広告会社で学んだカタチがないモノの価値

──いつから家業の大川精螺工業を継ぐと決めていたのですか?
2代目社長だった祖父が、正月になると社員を集めてマージャン大会をやっていたのです。僕は子どものころからそれを見てきて、「社員の人たちと家族のように付き合って、一緒に未来へ向かっていくのが会社なんだな」と気付きました。それが原体験となり、経営者になりたいというよりは、社員のなかにそういう関係性をつくる立場に興味がわきました。

──大学を出てすぐには家業に入らず、電通に入社されていますね。
はい。就職活動では、ほとんどすべてと言ってもいいくらい、たくさんの会社を受けて、実はたくさん内定をいただきました(笑)。そのなかから電通を選んだのは、アイデアやカタチのないこと、つまり無形価値を生み出す事業をしているからです。いつかは家業を継いで、モノづくりという有形価値の世界に行くことを決めていましたので、それまでは、まったくの対極にあることをやっておきたいと考えました。

担当した通信会社のマーケティング活動で生活者調査をやったり、デジタルの仕組みを使ったキャンペーンプランニングに携わったりするうちに、「デジタルって面白い世界だな」と思うようになりました。それで、電通にいた8年間の後半は、IPG(当時の社名はインタラクティブ・プログラム・ガイド)という、電子番組表Gガイドで知られる電通の子会社に、デジタルビジネスの修行に出たんです。そのころは、デジタル広告なんてまだ全然ない。SNSといえばmixiで、「Web2.0」なんていう言葉が流行していた時代です。

IPGでは、番組情報に付帯するメタデータをどうやって新しいビジネスにつなげるか、ということに取り組んでいました。例えば、関西テレビが制作したドラマ『リアル・クローズ』にシステムを提供して、主演の香里奈さんら出演者が身に着けた服やアクセサリーを、その場でECサイトから購入できるようにしました。テレビを見るという行動に、「同じ商品をオンタイムで買える」という新しい体験を加えたのです。のちのちプラゴを立ち上げることになるわけですが、このころの経験でスタートアップを経営する面白さを知りました。

──そして、いよいよ家業を継ぐことに。
2008年にアメリカで起きたリーマン・ショックの影響で、自動車の販売台数が大幅に減少しました。当然、部品メーカーもあおりを受け、大川精螺工業も売り上げが激減してしまいました。そのときは父が3代目として経営していたのですが、みるみるやせてしまって。いつかは継ごうと思っていましたし、いまこそそのタイミングかなと決意しました。

営業で世界を飛び回る日々を送るなか、北米大陸には大川精螺工業の主力製品の1つであるブレーキホース継手金具のメーカーがないことを知りました。北米には日系自動車メーカーはもちろん、かつてのBIG3(クライスラー、フォード、ゼネラルモーターズ)や欧州の自動車メーカーもありますから、そういったところに販路を拡大していこうと。それで、アメリカに近いメキシコに現地法人を立ち上げ、工場をつくることを考えました。最初に視察に行ったとき、ラテン系の人たちの明るさや親日ぶりに触れ、「ここならビジネスができそうだ」と感じましたね。その帰りの飛行機のなかで、さっそく事業計画を書いたんです。2013年に僕を含めて5人でメキシコに移り住み、本当にゼロから、土地を買って人を採用することから始めました。
──そのとき初めて会社の社長になられたのですね。社員は現地の方ばかり110人と伺いました。大変だったのではないですか?
それはもう(笑)。時間の感覚が全然違って、遅刻は当たり前のようにするし、仕事の納期も守らない。責任感もけっこう違います。

僕は、言語のギャップは大した問題だと思っていなくて。それよりも、育った環境による価値観と言いますか、もっと根本のところのギャップが大きいと感じました。でも、社員と一緒に1歩ずつ前に進めていくのが会社です。かつての祖父の姿を思い出しながら、ひたすらインナーコミュニケーションで「ひとづくり」をやり続ける毎日でした。

例えば「ありがとうコイン」。ありがとうの代わりにコインを渡して、社員同士が感謝の気持ちを伝え合うというものです。会社の自動販売機で実際に使えるのがポイント。それから「朝礼BOOK」もつくりました。毎日の朝礼でフィロソフィーやビジョンを伝えるために使うツールです。

文化が異なる人たちの心を動かし行動を促すのに、言葉を尽くすというのは難しいことです。でも、経営者としてはビジョンを描くなどして、方向性を示す必要があります。それにはデザインの力を借りて、クリエイティブに仕掛けることが有効だと思いましたこれって、すごく広告的ですよね。かつてのキャンペーンプランニングの経験が活きたんじゃないかなと思います。

EV充電の不便さを実体験して

──2018年にプラゴを立ち上げました。どんなきっかけが?
メキシコに5年ほどいて、事業を軌道に乗せ安定させるところまでもっていくことができました。それで帰国して、日本の代表取締役に就いたのです。

EV(エレクトリック・ビークル)、つまり電気自動車の時代が到来しつつあるころで、僕も試しに乗ってみることにしました。ある日、子どもを連れて軽井沢へ行ったのですが、高原地帯ですから登り坂も多いので激しく電力を消費し、電池残量がガクッと落ちます。ほぼ満充電にして東京を出発したのに、軽井沢に着いたら残り1パーセントという状態でした。でも、宿泊先のキャンプ場に充電器がなくて。翌朝、不安な気持ちで運転しながら町役場に行って充電するしかありませんでした。しかも、設置されていたのはたったの1台。僕の前に順番待ちをしている車が2台いて、結局そこに1時間半も滞在するはめになってしまいました。

なんでこんなに不便なんだろうって思いましたよ。キャンプ場とかホテルとか、行った先で充電できれば楽なのにって。それで自分なりに調べてみたら、日本には充電器メーカーは数あるものの、EV向けに充電サービスを提供している会社がものすごく少ないことがわかりました。海外だと、アメリカはChargePoint(Coulomb Technologies)やEVgo、スペインにはWallboxといった会社が上場しているのですが、日本には全然ない。これはもしかしてチャンスでは、と思ったのがプラゴを創業したきっかけです。

──大川精螺工業の事業をやりながら、新しいことを広げていきたいという思いがあったということでしょうか。
それはずっとありました。自動車業界はいま、「CASE」(Connected:コネクティッド、Autonomous:自動運転、Shared & Service:シェアリングとサービス、Electric:電動化)という新しいキーワードが象徴するように、大変革の時代を迎えています自動車部品メーカーも生き残りをかけた対応が求められますが、そんななかでも大川精螺工業は安定的に事業を続けることができると思っています。ブレーキやエアバッグなど、重要保安部品といわれる、代替されにくくEVでも必要な部品だからです。

ですので、1円でもコストを下げるなど、絶え間なく改善活動をしていけば利益を出すことができるでしょう。でも、経営学者のオライリーさんは『両利きの経営』のなかで、既存事業を深掘りする「知の深化」と同時に、「知の探索」も大事だと言っていますイノベーションを起こして、新たな成長を追求していくべきだと。僕はもともと新しいものをつくったり、未知の分野にチャレンジすることが好き。自動車業界が大きく変わろうとしている流れをとらえて、「深化」より「探索」をやってみたいなと、ずっと思っていたんです。だから、軽井沢の出来事があってすぐにスタートアップをつくることに決めました。大川精螺工業の資本だけでは難しいので、ベンチャーキャピタルからも資金を調達、エンジニアなどの人材は業務委託をして、半年後にはプラゴを立ち上げていました。

──今年(2022年)の1月には、大川精螺工業の代表取締役社長を退任されました。プラゴの経営に専念するためですか?
はい。「探索」の方に絞るなんてよく決断したね、と同業他社の人たちにはすごく驚かれました。でも家業のことは心配していないのです。2018年に社長に就任から組織と経営の改革を進めてきましたが、だいたい見通しが立ってきました。そしてなにより、後任として就任した弟は工場勤務経験があり、僕より「深化」に長けています。任せて大丈夫だという確信をもっています。

──EV向け充電サービスに商機を感じてプラゴを立ち上げ、すでに「PLUGO WALL」や「PLUGO BAR」といったEV用充電スタンドの企画、製造、販売をされています。これらを紹介するときに「EVユーザー向けおもてなしサービス」と表現されますね。この「おもてなし」とは、どういうイメージなのでしょうか。
僕の軽井沢での体験もそうですが、レジャースポットや宿泊施設は充電スタンドを設置していないところが多い。お客さまを迎え入れる側として、EVユーザーをおもてなしできていない状況だと思います。

いま充電スタンドの多くは、「経路充電」といって目的地に行く途中で充電することをイメージして設置されていますEVユーザーは道すがら、高速道路のサービスエリアや道の駅など充電できる場所を探さなければなりません。さらに、充電時間を短くするためにハイパワーな急速充電器が使われていますが、それでもガソリン車の給油よりずっと時間がかかります。充電待ちの行列ができて、目的地ではない場所に足止めされてしまう。せっかくの旅の途中にむだな時間を過ごさなければならないのです。

「PLUGO」のシリーズは、そういった経路充電用ではなく、行った先のレジャースポットや宿泊施設に設置するための充電スタンドです。この「目的地充電」が推進されれば、途中むだな時間を過ごすことなく、目的地に滞在する間に充電できて効率がいいまた、100パーセント再生可能エネルギーで充電することができるため、EVユーザーのニーズが高い、地球に優しい「エシカル消費」を実践できます。さらに、パソコンやスマホアプリから充電スタンドの予約と決済ができるようにもしました。着いたら「あなたの充電スタンドのご用意ができています」というわけです。

このように、充電を「点」でとらえるのではなく、予約や決済といった前後の手続きも含めて「面」でとらえて、シームレスに快適にしていくそうすれば、EVユーザーにとっての充電は、面倒なことから特別な「体験」へと昇華されます。
 
よく「EVシフトには自動車が先か、充電器が先か」という論争が起きますが、本質はそこではありません。この「体験」を個々の施設で提供することにどまらず、地域全体に広げ、インフラとして社会に実装していくこと。つまり「EVのあるライフスタイルに変えてよかった」と思える新しい社会にしていかない限り、どんなに優れた自動車や充電器をつくってもEVシフトは進まないのです。

いま埼玉県長瀞町と包括的連携協定を結んで取り組んでいるのが、まさにこの「体験」を社会実装する実証実験です。単に地域内の充電器を増やすのではなく、EVユーザーが訪れたくなる街づくりを目指し、EVユーザーに対する広義のおもてなしのカタチを探っていきたいと思っています。

──2021年にプラゴデザインセンターを設立し、共同創業者の山﨑晴太郎さんが代表に就任されました。プラゴのデザイン拠点ということですが、どういう役割を担うのでしょうか。
彼には大川精螺工業でプロダクトデザインを依頼したことがあって、「社会インフラをデザインの力で変えたい」という思いをもっていることを知っていました。僕が構想した事業は、まさに新しい社会インフラをデザインするということだから一番に彼に相談したんです。

センターでは、ハードウエア、ソフトウエア両方のプロダクトデザインを手がけます。でもそれだけではありません。今後、EV充電スタンドが街の中に増えることは確実で、このままいくと景観の悪化を招きます。電線や電柱が乱立して、視覚的なノイズになっているのを見れば、容易に想像できますよね。そうならないためには、その空間になじむ意匠性の高いデザインを追求しなければなりませんし、もっと踏み込んでランドスケープ(都市計画)の提案もしていきたいと思っています。

実は、そういったニーズが実際にあります。インド政府からも相談を受けていまして。インドの街には、二輪や三輪のバイクタクシーがたくさん走っていて、排気ガスが社会問題になっています。そこで、国策として電動化を進めるにあたり、充電規格や充電ステーション、さらにはランドスケープのデザインを考えたいというオリエンテーションを受けました。

いま日本は技術の輸出を盛んに行っていますが、ユーザー体験のデザインを輸出することだってできるはず。インドに限らず、東南アジア各国もこれからEVの社会インフラをつくっていくフェーズにあります。単に充電器を設置するのではなく、ユーザー体験のデザインでサポートしたいと考えています。
 

「移動」の概念が変わる未来にできること

──EVが普及した先の未来を、大川さんはどんなふうにイメージされているのでしょうか。
自動運転の社会になると、「移動」の概念がすごく変わると思っています。ユーザーが「移動」に求めるのは、従来の操作性や安全性ではなく、運転から解放されて自由になった時間と空間の設計です。そこにどんなコンテンツを提供できるのかというビジネスが展開されていきます

僕たちもそれを視野に入れ、現在の「目的地充電」とともに、自宅に設置する「基礎充電」も手がけていきたい。つまり、人の移動の「出発地点」と「到着地点」の両方の点を押さえるということです。そうすれば、移動中の時間と空間に提供するコンテンツや体験を、すぐにでもデザインできると思います。

極端にわかりやすい例でいうと、例えば旅館に泊まりにいくとします。従来は到着してからチェックインして、館内の説明を受けたり、夕食のメニューや時間の希望を聞かれたりします。でも、自動運転の世界では、そういったことはすべて車内でやってもいいと思うのです。家を出た瞬間から非日常を味わえますよね。逆に、到着地点を「新しい玄関」ととらえれば、車室は自宅と地続きの場所として過ごすことができます。

プラゴのビジョンは「続けたくなる未来を創る」です。「続く」ではなく「続けたくなる」。極めて能動的な表現です。世の中の人たちがプラゴの充電サービスをきっかけにEVに乗ってみたら、便利で楽しくて、心が動いて、この体験がずっと続いていくことを願う。そういう能動的な行動の結果として持続可能な未来を創りたいのです。というより、絶対できると確信しているんですよ。

──最近「持続可能な社会をつくろう」というメッセージに包囲されている気がして、正直へきえきしていたところです。この気持ちの正体は、自分ゴト化できていないことだったんですね。「充電が大変そう」という先入観がありましたが、お話を伺ってEVにがぜん興味がわきました。それと、これからはEV用充電スタンドの有無で、その施設のおもてなしマインドをチェックしてしまいそうです(笑)。本日はありがとうございました。
SHARE!
  • facebookfacebook
  • twittertwitter
  • lineline