エージェントと人とのインタラクションを豊かにする「エモテク」

──まずはエモテクJAPANを立ち上げたミライの事業室について教えてください。
ミライの事業室は2019年4月に発足した、博報堂の新規事業推進組織です。2022年4月時点で約40名が本所属し、別の組織と兼任しているメンバーを合わせると全部で約60名の組織になります。

この事業室では、スタートアップや大学の研究室など多様なパートナーと連携してプロジェクトを行うことが多く、新しい技術の研究や市場の創造を推進して、社会課題の解決を目指しています。

──エモテクJAPANを立ち上げた経緯についても教えていただけますか。
僕はミライの事業室が発足する前、monom(モノム)という博報堂内のクリエイティブチームで、子ども向けデバイス「Pechat(ペチャット)」の企画・開発に携わっていました。これはぬいぐるみにつけるボタン型スピーカーで、まるでぬいぐるみと喋っているかのような体験ができる製品です。2016年12月に発売された当初は、スマホアプリから入力した言葉がスピーカーから出力される、いわばデジタル腹話術ができるプロダクトだったのですが、操作しなくてもAIで自動会話ができるように、子どもとの対話に特化した会話エンジンの研究を始めました。発達心理学、発達言語学、教育学などさまざまな先生をお招きして研究を進め、2021年の11月にようやく「ほぼ自動おしゃべりモード」の実装に至りました。
 
こうしたPechatでの取り組みのなかで、これからエージェントと人が対話する機会が増えていくと、コミュニケーション上の課題が発生することを感じていました。僕らが「どうやったらAIと子どもがうまく会話できるだろうか」と悩んだ課題は、AIと大人との会話のなかでも起きてくる。そうした課題を解決するためにエモテクJAPANを立ち上げたというのが経緯です。
 
──コミュニケーション上の課題を解決するために生まれたのですね。
そうですね。AIとの対話に関していえば、自然言語処理の技術は、Googleが2018年の秋にBERT(バート)というモデルを発表したことで爆発的に伸びています。ここから本当の意味でエージェントが活用される社会に行きつくためには、正確な対話ができることに加えて、人とより良い関係性をつくったり、心を通わせたりするインタラクションの豊かさが必要になってくる。そこで僕らは、そのインタラクションの豊かさを叶えるテクノロジーを「エモテク」と名付けて、そのノウハウの研究や、普及に向けた活動をしています。
──正直に言うと、AIと聞くだけでどこか怖さを感じてしまうのですが。
そうですよね(笑)。ただ、「AIが怖い」というイメージがあるのは、全知全能のAIが人の能力を超えてしまい、なにか不幸なことを起こすのを想像してしまうからではないでしょうか。そこでエモテクによって、AIは全知全能ではなく、コミュニケーションの取りやすい存在だと伝えることができればいいなと思います。

──実際にAIのエージェントが人と心を通わせることはできるのでしょうか。
Pechatの開発を通じてわかったのですが、人は命がないものだとわかっていても自己開示することがあります。子どもがぬいぐるみを大切にすることもまさにその例です。命のないものにも寄り添いの気持ちを感じることがある。だから、エージェントもぬいぐるみのように心を通わせる存在になりえると思っています。
 
──人ではなく、エージェントだからこそできるコミュニケーションというのもありますか?
あると思います。エモテクに参加する大学の先生に教えていただきましたが、人は自己のネガティブな情報を話すとき、人間よりも、エージェント相手に言う方が、抵抗感がなくなるそうです。また、エージェントをあえてヒト型ではなく、キャラクターのようなか弱い見た目にすることで、自己開示が進んだり、本音を引き出せたりする傾向もあるそうです。
 
ほかにも、人と人のコミュニケーションを仲立ちするエージェントの使い方もあります。Pechatでは子育てでストレスを感じているお母さんが、Pechatがいることでイライラしなくなるという体験談がありました。一対一の関係だったものが、もう一人発話するエージェントがいることで、その場のコミュニケーションが変わるそうです。このように、人と人の間にエージェントをどう介在させるかも、今後のエモテクの面白いテーマだと思っています。

マーケット拡大の鍵はユースケースの発見

──ウェルビーイングテクノロジーに近いですね。博報堂の生活者発想やコミュニケーション領域での知見が活きそうです。
まさに、コミュニケーションについては、自分たちがこれまで広告業界のなかで磨いてきたクリエイティビティが応用できる領域だと思っています。博報堂はロボット技術の会社ではないですが、生活者の視点からエージェントを見ることができます。本当の意味でユーザーに寄り添っているかや、ユーザーの課題解決につながっているかを掘り下げて考えることができるので、そこに広告会社が参加する意義を感じています。
 
──エモテクによって、エージェントがただのマシーンにはならないことがよくわかりました。エモテクJAPANの具体的な活動内容についても教えていただけますか?
エモテクJAPANは、オープンなコンソーシアム型(共同事業体)のプロジェクトです。博報堂が主幹事として運営し、大学などの研究機関や、合成音声・会話エンジン・ロボット技術の会社とともに実証実験を行いながら、エモテクの市場を大きくするための活動をしています。

市場を大きくするための活動にはいくつかありますが、一番大切なのはユースケースの発見です。エモテクがうまく活用されたエージェントの事例をつくり出すことで市場の活性化につなげていく。優れたキラーユースケースが発見されると、一気にマーケットが広がる可能性があります
 
──現在、考えられているエモテクのユースケースを教えてください。
具体的に発表できるものは少ないのですが、例えば仮想空間のなかでエモテクを用いることを考えています。仮想空間では人がアバターとなって現実世界のように社会的な営みを行いますが、人がいないと過疎ってしまいます。そこで、エージェントもアバターとなって仮想空間を盛り上げ、新しいインタラクションを生み出す。そこにエモテクの技術が利用できます。
 
将来的には、仮想空間上に企業が店舗を持ち、その店員をエージェントが務めるといったこともできるかもしれません。顧客とのタッチポイントで、エージェントが企業の顔として機能していく可能性があります。
──新しいビジネスが生まれる可能性がありますね。ほかにも発表できるユースケースはありますか。
医療領域での利用にも注目しています。医療従事者の人手不足が深刻化していますが、エージェントに任せられる部分が増えれば、人は、本来人が行うべき仕事だけに集中できるようになります。医療は人に寄り添うことが本当の意味で求められる世界ですので、エモテクによって大きな社会課題の解決ができるのではないかと思います。
 
──エモテクが応用できる領域は広そうです。
アニメや漫画に幼少期から親しんで育つ日本人は、キャラクターを受け入れる感受性が強いです。先ほど、エージェントはあえて人と同じ姿をさせない方がコミュニケーションはうまくいく場合もあると話しましたが、そうしたキャラクター化されたエージェントが受け入れられやすい土壌があります。エモテクが発展しやすい環境だと思うので、さまざまな場面で応用ができると思います。

人とエージェントが心を通わせる、未来の生活体験

──エモテクとの相性がいい文化があるのですね。
もう一つ、日本とエモテクの相性の良さを感じることがあります。全知全能のAIのイメージが怖いと言いましたが、全知全能というのは一神教的な世界観です。でも日本には、八百万の神、多様な神という観念が古くからあります。

僕たちはAIにも多様性があるべきだと思っていて、さまざまな役割のエージェントがあちこちに存在するといいと思っていますが、それは八百万の神の在り方に近いともいえます。それを受け入れる価値観も、エモテクとの親和性を感じています。

──もしかしたら、エモテクは輸出産業になるかもしれません。
そうなるといいなという話は、プロジェクトメンバーともよくしています。エモテクJAPANに「JAPAN」をつけているのは、日本の文化や産業の強みを活かせると考えているからです。日本には、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』や『攻殻機動隊』を見て、研究者になる人もたくさんいます。この国ならではの優れた技術、優れたクリエイティビティがありますし、独特な感受性もある。人とエージェントが心を通わす社会は、日本だからこそ生み出せた未来の生活体験の姿なのだと、世界に打ち出していけたらいいと思っています。
 
──エモテクによって、エージェントが社会的存在として定着する日はそう遠くないのかもしれません。非常にワクワクしますし、マーケットの創造やユースケースづくりから行うと聞いて、広告会社も変わっていくのだなと思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました!
写真
黒澤晃
元博報堂 クリエイティブディレクター
横浜生まれ。1978年、広告会社・博報堂に入社。コピーライターを経てクリエイティブディレクターになり数々のブランディング広告を実施。受賞多数。2003年から博報堂クリエイターの人事、採用、教育を行う。多くの優れた若手クリエイターを育成した。2013年退社。黒澤事務所を設立。さまざまなライティング、プランニングの領域で活躍している。東京コピーライターズクラブ(TCC)会員。最近の著書「20歳からの文章塾」「これから、絶対、コピーライター」など。ツイッター#ツボ伝ツイート。note「3ステップ・ライター成長塾」。
SHARE!
  • facebookfacebook
  • twittertwitter
  • lineline