「Be different」を胸にキャリアを歩む Haleonジャパン マーケティング マーケティングディレクター、ノースアジア 齋藤朋子さん
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Haleonジャパンはオーラルヘルスケア「シュミテクト」「ポリデント」や一般用医薬品「コンタック」などのブランドで知られる、コンシューマー・ヘルスケア事業を展開する企業です。英Haleonが、製薬企業であるグラクソ・スミスクラインから事業分離したことを受けて日本法人でも、2024年9月、Haleonジャパン(ヘイリオンジャパン)へと社名変更しました。同社がよりHaleonとしてのブランディングを強化するなかで、マーケティングチームを率いているのが、齋藤朋子(さいとうともこ)さんです。これまでユニリーバ・ジャパン、ダノンジャパンと外資系企業でマーケティングのスキルを磨いてきた齋藤さんに、これまでのキャリアを伺いました。
英語力に私だけの価値を見出した
──大学を卒業後、日本リーバ(現在のユニリーバ・ジャパン)に就職されました。経済学部での学びを活かしたかったとか、そういう志望動機だったのですか?いえ、実は経済学はあまり関係なくて(笑)。
「Be different」。これは、中学時代に英語の先生から贈られて、ずっと心に留めている言葉です。ダイバーシティの尊重が意識される今と違って、当時は画一であることが求められていました。制服の着方も髪型も細かく校則で決められていて。そんな時代の空気の中、先生が放ったこの一言が、ものすごく私の心に刺さりました。「他の人にない、あなただけのユニークな価値を生み出しましょう」というメッセージだと受け止めた私は、「自分ならではの価値」について強く意識するようになりました。当時はまだ仕事につなげることは考えていませんでしたが、とりあえず大好きな英語の力を伸ばしていこうと勉強を続けました。
将来進む方向が見えたのは、大学のゼミに入ったときです。指導教授は国際経済学の専門家でしたが、教えられたのは、英語力とディベート力を磨く大切さでした。「成長がしたいなら、海外で働く可能性も考えて、専門知識より教養や語学、議論できる力をまず身に付けた方がいい」という考えを持った人だったんですね。
その時、子どもの頃から好きだった英語力と教授の教えがつながって、なんとなくですが「国際社会で通用する人材になりたい」と考えるようになったんです。
──それで、外資系企業への就職という選択をしたわけですね。なかでも日本リーバを選んだ決め手は何だったのですか?
日本リーバが1998年当時から、「グローカル」というコンセプトを掲げていたことです。グローバルの視点を持ちながら、ローカルのマーケットに合わせた事業を展開するという意思表示をしていて、すごくいいなと思ったんです。画一性ではなく、多様性が大切にされている、まさに「Be different」だと思いました。
──実際はどうでしたか?
各ブランドもグローバル共通のルールはある程度ありながらも、ローカルに合わせた展開をリスペクトする、柔軟な雰囲気がありましたね。
私がスタイリング剤を担当した際、日本独自の施策として、カフェでのサンプリングを実施したことがあります。「友達と出かけたカフェのお手洗いで鏡を見るとき、自分の髪形を意識しやすいかもしれない」と考えたんです。当時、カフェでのヘアケア製品のサンプリングは割と新しい手法でしたが、取り組ませてもらえました。
──「国際社会で活躍したい」という希望はかなったのでしょうか?
日本リーバには12年間在籍して、その半分はタイのバンコクで海外赴任をしていました。社内公募に手を挙げて、マーケティングマネージャーとして東南アジアやオーストラリアのリージョンを担当していたんです。
日本やタイなどの海外拠点は、イギリス本社が考えたブランド戦略マスタープランに沿うのが原則です。ただ、実際に現地に行ってみると、例えばグローバルの広告をそのまま使えることは案外少ない。国によって文化や根付いている言語のニュアンスもあるので、当然と言えば当然です。グローバルのプランの中からブランドとして外せない要素を取り出し、ローカルのマーケット向けにアレンジする必要がありました。
マネージャーである私の役割は、拠点の人たちとイギリス本社の間に立ち、双方の意見を1つにまとめること。ローカルでは100年以上の歴史を持つブランド「POND’S」を任されたこともありプレッシャーが大きく、マネージャーとしてうまく立ち回れるようになるまで、年月がかかりました。
でも、ずっと大切にしてきた「Be different」という言葉が支えてくれましたね。グローバル、ローカル、そして日本人マネージャーの私、それぞれの役割もブランドへの思いも、バックグラウンドもさまざまなのだから、異なる意見があるのは当たり前です。多様な人たちと意見を出し合いながら、1つになって困難を乗り越えようと頑張りました。信頼関係を築くのは大変でしたし、人一倍勉強もしましたが、仕事は楽しかったですし、結果を出すこともできました。その時のメンバーとは、今でも東京やバンコクでご飯を食べるぐらい仲良しです。
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日本へ帰国し、新しい商材に挑戦
──ダノンジャパンに転職したのは、どのようなきっかけがあったのですか?出産というライフイベントがあったんです。赴任先のタイで出産して産休・育休を取得したのですが、子どもが1歳半のときに日本に帰ることになりました。その頃にはヘアケアのカテゴリーマネージャーになっていたのですが、子どもが幼いうちは育児を中心に考えたい気持ちもあり、働き方のフレキシビリティを優先することに。職位にはこだわらず、ブランドマネージャーとして2013年にダノンジャパンに転職しました。
ダノンと言えば、飲料水事業です。「ボルヴィック」を担当することになりましたが、ナチュラルミネラルウォーターは、パッケージやブランドイメージ、プロモーションの工夫が重要になります。マーケターの腕が試される、やりがいのある事業だと感じました。
でも、実際にやってみると難しかったですね。特に、若い世代の需要を伸ばすのに苦労しました。ミネラルウォーターのテレビCMって、「爽やかなタレントが大自然の中でおいしそうに飲む」という演出が定番ですよね。わかりやすさや、定番ならではの安心感はありますが、需要を跳ねさせるには心を動かすアイデアが必要でした。
──確かに、「水のCMといえばこう」というイメージが強い分、別のアイデアを出すのは難しそうですね。
私たちが考えたのは、若者の間で爆発的な人気を誇るアニメクリエイターの力を借りて、「ボルヴィック」のアニメCMをつくることでした。それが、小原秀一氏にディレクション、大友克洋氏にキャラクター原案を務めていただいたCM『飲む自然』篇です。
アイデアは良かったものの、実際の制作はすごく大変で(笑)。タレントさんが出る通常のCMなら、素材を切ったり順番を変えたりと編集ができます。一方、アニメは一度つくったら、簡単に書き足したり削除したりすることが難しい。初めての挑戦で苦労はしましたが、若い世代からも大きな反響を得て、他のブランドにはない世界観を訴求することができたと思います。
──商材がコスメや化粧品から食品へと変わりましたが、大きく変わった点などはありましたか?
ダノンジャパンはヨーグルトも定番商品で、私も「デンシア」や「オイコス」を一時期担当していました。ブランドのイメージや売り上げを上げる点は日本リーバ時代と同じでも、特にデンシアのような栄養機能食品は、お客さまに健康意識を持ってもらうための啓発活動に力を入れなければなりませんでした。
デンシアは「骨から健康」を掲げ、1日に必要なカルシウムやビタミンDを手軽に摂取できるヨーグルトです。骨の代謝能力や骨量が低下しがちな50代以上のシニア女性をメインターゲットとしていましたが、そもそもそのファクトをよく理解している人は多くありません。そのため、骨の専門家の方と一緒に、簡単な質問に答えるだけで健康状態がわかる、カルシウムチェックのプロモーションプランを組んだり、アクティブシニアの間で盛んなウォーキングの大会を主催してサンプリングをしたり、まずお客さまの健康意識を上げてもらうことに努めました。
今振り返ると、現職のHaleonジャパンでの事業にもつながる、より多くの人を健康にするための活動というのは、ダノンジャパンで多くを学ばせてもらいましたね。
──後編では、Haleonジャパンでのキャリアと、個性を活かしたチームづくりについて、伺います。
この記事は前後編です:後編はこちら
「『最強のチームをつくりたい』人を知り、人を活かすマネジメント」