最先端の通信キャリアでマーケターとしてデビュー

──大学は法学部を卒業されています。どのようなきっかけでマーケターを目指すようになったのですか?
実は法律は訳がわからず、正直言ってまったく興味が持てませんでした(笑)。それで、学内で「面白い」と有名だったマーケティングのゼミに入ったのです。将来なんとなく役に立ちそうでしたし。先生は、現在グーグル日本法人のバイスプレジデントでマーケティングの責任者をされている岩村水樹先生。岩村ゼミの授業は新しい発想にあふれていて、すごく刺激的でした。そのおかげでマーケティングが好きになって、職業にしたいと思うようになりました。

でも、そのころは超が付くほどの就職氷河期。エントリーシートは100枚以上書きました。まだ手書き文化の時代でしたから、まさしく必死に書いたのですが、どこも受からなくて。腹を決めて大学院に進学して、マーケティングの研究の道に足を踏み入れることにしたのです。

入試の時点でフィリップ・コトラー(「近代マーケティングの父」と言われるアメリカの経営学者)の分厚いテキストは頭に叩き込み、大学院では消費者行動論という消費者の行動や心理分析をテーマとする研究分野を専攻、アカデミックなマーケティング理論や手法を徹底的に勉強しました。いまの私のマーケターとしての思考や行動は、この2年間に学んだことが土台になっています。あのとき就職活動に挫折して良かった…とまでは言いませんが(笑)、大学院に進んだことは結果的に正解だったと思っています。

──学生時代にマーケターになる準備ができて、就職活動もうまくいったようですね。
「広く社会に貢献している会社に入りたい」と漠然と考えていました。幾つかのインフラ企業から内定が出て、どこを選択するか悩んでしまい、かつての恩師である岩村先生に相談をしたところ「より自分をアップデートできるところがいいんじゃない?」とアドバイスをもらいました。それでKDDIに入ることを決めた。「自分をアップデートできるところ」と言われてもぴんとこなかったけれど、「とりあえず時代にとって新しいことに挑んでいる会社に行けばいいんだな」って自分流に解釈したんです(笑)。
配属されたのは名古屋にある中部支社で、代理店営業、つまり販売店のauショップなどを回って販売支援をするのが仕事でした。いずれマーケティングの部署に行きたいと思っていたので、店頭POPをほかの人がつくらないようなデザインにしてみるとか、自分なりに工夫を続けていました。そんな自己アピールがプロモーショングループの課長の目に留まったのか、引き抜いてくれました。大学院でマーケティングを学んだことも考慮されたのでしょうが、「営業経験者こそ、エンドユーザーと販売店の双方が喜ぶ施策を考えられる」という考えもあったようです。

中部支社のプロモーショングループには十数人のメンバーがいて、明確な役割分担がありました。でも、私だけなぜか「全部の担当」(笑)。イベント開催やメディア向けの記者発表会もやるし、店頭ツールやノベルティの制作、マス広告、景品表示法のチェックまで。プレゼントキャンペーンを企画して自ら事務局となり、当選者選びからお客さま対応まですべて自分でやったこともあります。「さまざまなチャネルを使ってお客さまに情報を届ける」というマーケティングコミュニケーションの基本を経験できたのは、本当に大きな収穫だったと思っています。

顧客に「売りつけている」という罪悪感から解放されたくて

──念願だったマーケティングの仕事に就いた。経験を積んで、ゆくゆくは本社への異動の道もあったと思います。なぜ転職することになったのですか?
新卒入社から10年弱が経ち、そのころにはスマートフォンの市場が確立して、通信キャリアの間では「画素数戦争」や「防水・防塵戦争」が激しくなっていました。だんだんと製品が画一化していくなか、どのキャリアもこれらの数字にこだわって、ほかとの違いをアピールしていたのです。

でも私は、競争が激しくなるにつれ、「これは過剰な機能ではないか」と思うようになりました。「日常生活に2000万画素もいらない」、「海水浴でそんなに深く潜る人はいない」と。その本音を隠して「素晴らしい機能です」とアピールしなければならないことに、私はすっかり疲れてしまいました。マーケティングが誕生した米国にあるアメリカ・マーケティング協会が策定したマーケティングの定義の一節に「顧客、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達するための活動」とあります。お客さまが求める価値を届けることがマーケターの仕事です。会社としてはもちろん正しいこと、社会のためになることを推進していたことは間違いありませんが、あるべきマーケティングの理想像にとらわれすぎた自分の捉え方が影響して「自分はマーケターでありながら、必要のないものを売りつけていないか」という感覚に襲われるようになってしまったのです。

そんな状態のとき、漁業の仕事を紹介されました。最先端の業界から、当時最も遅れていると言われた業界へ転職することに抵抗はなかったのか、とよく聞かれます。そんなことが気にならないくらいに疲れていたというのもありますが、漁業つまり「食は人が生きていく上で絶対に必要なもの」ということが、価値あるものを社会に伝達するマーケターでありたいと考えていた私にとっては理想的なフィールドに思えたのです。

──未知の世界だった漁業に飛び込んで、実際はどうでしたか?
私が入ったのは、全国漁業協同組合連合会(JF全漁連)という、漁業者によって組成される漁業協同組合の全国代表組織です。国と交渉して国内に約15万人いる漁師の声を政策に反映させたり、漁業者の経営や事業を支援したりする活動をしています。

私の仕事は、担当エリアである九州の漁業者の方々に儲かっていただけるようにサポートすることでした。東京から定期的に出張して九州のさまざまな漁村地域を訪れる。そしてその地で獲られている海産物や水産加工品に出会い、それらが獲られつくられたストーリーをヒアリングし広報活動としてメディアの方々に紹介して、地域ブランド化を支援するのです。

例えば、全国で獲れる海藻の「アカモク」は、船のスクリューや漁網にからまる厄介者でした。福岡でも以前は捨てられていたのですが、おいしくて栄養価も高いことがわかり、地元では食用として販売されていました。私はそれを東京に持ち帰ってメディアに売り込み、全国新聞で取り上げてもらう取り組みを進めました。そうやって地域にお金が落ちるフローを考え、漁業を活性化させていけることが、すごく面白かったです。
──漁業って、マーケティングとは無縁の業界だと勝手にイメージしていました。
確かに全漁連の中で「マーケティング」という言葉を使うことは珍しいかもしれません。でも、Webサイトを運営する担当者はいたし、もちろん販売促進担当もいました。それぞれの仕事のなかで、ターゲットに合わせてチャネルを組み合わせたり、表現を変えたり、漁業者や消費者にとって価値ある情報を届けるための創意工夫は当たり前のように行われています。これは、マーケティングの考え方そのものだと思うのです。私にとっては、商材が携帯電話から魚に変わっただけ。それを欲しいと思っている人、必要としている人にどう届けるのか、考え方のフレームワークはKDDIにいたころと変わりませんでした。

ただ、予算のかけ方はまったく違います。KDDIのときには困りもしませんでしたが、新聞社に「こういう者ですが」と飛び込み訪問したり、まめにニュースレターならぬニュースファックスを流したりと、お金をかけずにできることを1つずつやっていきました。

マーケティングは、消費者との距離を縮めていく作業なのだと思います。お金を使えば一気に縮められる可能性があります。お金をかけられないのであれば、その分、地道な努力をして縮めていく。やり方の違いだけであって本質は同じなのだと、漁業の仕事を通して学びましたね。

マーケターとして、もっと漁業に貢献したいから漁業を辞めた

──その全漁連から現在のLaboro.AIへ。前回の転職のときと同じで、また真逆の世界に進んだのですね。
意外に思われるかもしれませんが、「漁業に貢献したい」という気持ちがより強まったからこその決断でした。私は中途採用だったこともあり、生粋の漁業者気質をもった職場の同僚と違って魚のことがよくわからない。魚はさばけないし、いろんな漁法、例えばアジを獲る時に最適な網の種類も知りません。全漁連に入って5年が経ったころ、魚の知識がない自分がもっと漁業に貢献するにはどうすればいいかを考えるようになりました。

そして出した答えが、先端のテクノロジーを使ったソリューション開発やコンサルティングをしている会社に転職して、外部から漁業者の支援をすることだったのです。KDDIに長くいたおかげで、先進技術には抵抗がありません。そのマインドを活かして漁業を活性化させることが、ほかの漁業関係者たちとは違う、私らしい貢献の仕方ではないかと思いました。

もう1つ理由があります。漁業は工夫次第でまだまだ可能性はあるし、近年はSDGs(持続可能な開発目標)に向けた取り組みをするのにうってつけの環境にも見える。だから、大手企業が先進技術を使って支援しようとやって来ます。でも、多くが失敗して、ものすごく大がかりな機材が大量に置きっぱなしになっている漁村が少なからずある。漁業の実際の現場と課題を理解せずに参入するから、そういう悲惨な光景を生んでしまうのだと思います。だったら、私のようにある程度わかった人間が業界の外に出ていくことで、適切なテクノロジーを用いてあるべき支援ができるのではないかと思ったのです。

──新しいテクノロジーを提供する会社がいろいろとあるなか、なぜLaboro.AIに入社することを決めたのでしょうか?
2010年代にAIの手法の1つであるディープラーニング(深層学習)という新しい技術が登場し研究開発が進み、第3次AIブームに入りました。私が転職先を探していた2018年には、ビジネスにおけるAIの活用が始まっていて、至るところで話題に上がっていた。転職するなら、「『漁業×AI』でなにか実現できるところがいいな」と考えていました。

そんなときに目に留まったのがLaboro.AIです。「効く、AIを。」「カスタムAI」というキャッチフレーズを掲げ、顧客ごとにオーダーメイドでAIを開発、提供するとうたっていました。ほかのAI企業とは違い、特定の領域に偏らず、広くいろんな産業を支援するというスタンスがいいなと思った。ちょうどマーケティング職の募集も出ていましたし、ここなら自分の強みを活かしながら、「漁業×AI」が実現できるのではないかと思いました。現時点で漁業に関わるプロジェクトはまだありませんが、気持ちは入社時から変わっていません。AIの技術を使って、いつか漁業の役に立ちたいと思っています。

決めているのは「マーケティングをやりたい」ということだけ

──Laboro.AIの場合はすべてカスタムメイドです。そういうもののマーケティング活動って、すごく難しそうですね。
それについては、いつも試行錯誤をしています。モノを見せられない、事前の体験もできない、オーダーメイドだから価格も伝えられない。ものすごく不確実性の高い、無形財の最たるものを売っているわけですからね。

だから、いま取り組んでいるのは、会社の思想や価値観、ビジョンを「見える化」することです。自分たちはAIの技術を使ってどういう産業の姿をつくりたいのか、どういう社会をクライアント企業と創造していきたいのか、メディアへの寄稿もその一つですが、形あるものではなく、形のないものを言葉に変換してメッセージとして届けるコミュニケーション活動に力を入れています。モノがない分、未来へのビジョンが自分たちの商品だと思ってやっています。

──ご自身の専門であるマーケティング領域でのAI活用について書かれた記事を幾つか拝見しました。マーケティングの4P(製品、価格、流通、販促)のうち、特に販促にまつわる発信が多いように見えます。
AIには学習させるためのデータが必要です。インターネットのようにデータを集めやすい環境だと、AI技術は比較的簡単に機能しやすい素地が整っていると言えます。だから、マーケティング活動でのAI活用といっても、まずは販促、それもデジタルプロモーションの領域から進んでいくというのは自然な流れです。グーグルの検索エンジンにはAI技術が取り入れられていますし、リスティング広告の運用、管理をAIに任せることも増えてきました。

一方、実際に製品が置かれている実店舗とか、トラックが走る流通経路などのリアル環境ではAI活用はまだ道半ばです。でも、AIは本来、そういった物理的な現場で力を発揮する技術なのです。極端な話、カメラを1台設置すれば、その前を通った人の性別や年齢層を解析してデータとして取得することができる。これまで未取得であったリアル環境でのデータ収集が進めば、製品開発や価格設定、流通の最適化などの施策に活用できるのです。私はリアルな環境こそ、AIの真の力が活きるところだと思っています。

──そういった領域にAIの活用が広がった未来では、マーケターの役割も変わるのでしょうか。
「AIが仕事を奪う」といった文脈で世間を賑わすこともありますが、実際にはあまり変わらないと思います。AIは、人が使うツールに過ぎないからです。1から100を生み出すことはできても、0から1を生み出すことはできない。「なんでもできちゃうんでしょ」と思われがちですが、そんなことはないのです。人がいかに使っていくかを考えて設計すること、その上で、どれだけビジネスにメリットがうまれるのかを検証して、導入するかどうかをしっかりと判断することが大事だと思います。

AIだけが特別ではありません。新しい技術なんて、これまでもたくさん出てきましたよね。インターネットやスマホ、SNSのような新しいメディア。さかのぼれば活版印刷だってそうです。たしかに以前あった仕事を“奪った”とも捉えられるのかもしれませんが、それらを受け入れ、使いこなすことでこれまでの仕事のやり方やアウトプットを進化させてきたわけです。どの技術を取り入れ、どう使うかというのは、昔からずっとマーケターがやってきたこと。そうした大局的な視点で見れば、マーケターの仕事はこれからも変わることはないと、私は思っています。
──和田さんのキャリアはすごく振り幅が大きいですね。
大学院を出て通信キャリア、漁業、AIスタートアップ。経歴だけを見ると、確かにすごくふらふらしているように見えますよね(笑)。でも、私自身はそんなふうに思っていないのです。私たちの時代の就職活動って、3年後、5年後、10年後はこうなっている、というキャリアの計画をしっかりと立てるように指導されました。多くの人は将来に向かって1本の道を描いたんです。あまりにくっきりと描くものだから、少しそれただけで「キャリアを転換した」ということになってしまいます。

私は、その「1本の道」を描かなかった。その代わり、「錨(いかり)」を1つだけ下ろしました。それが「マーケティングをやりたい」という思いです。キャリアを選択する上で、これだけは絶対に妥協しない。でも、そのほかは自由に考えて行動しようと決めていました。だから自分のなかにはぶれているイメージがまったくない。ターンも転換もせず、最初からずっと同じ思いを持って進んできているつもりです。

これからもマーケティングをやり続けたいと思います。アカデミックな理論とAIという先進技術の両方を駆使して、新しいインサイトを発見する。これまで積み重ねてきたことをすべてつなげて、オリジナリティーのあるマーケターになれたら最高だなと思っています。

──キャリアプランは、進むべき道を迷いなく選択できるという安心感につながります。でも、私たちはコロナ禍を経験して、環境は一瞬にして激変するものだと学びました。流動的でつかみどころがない時代には、プランを固めすぎると自らを苦しめることになるのかもしれません。和田さんが「マーケティングをやりたい」というシンプルな思いだけで進んできたように、余計なものをそぎ落とし、どうしても譲れない軸を見つけることができると、私たちはもっと自由に働けそうな気がします。本日はありがとうございました。
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