自由を求め、無名だったスパイスボックスへ

──新卒で入社した広告制作会社で、いきなりプランナーに配属されたと伺いました。
2002年当時の広告業界はデジタル化の兆しが見え始めたころでした。広告会社や制作会社は、デジタルに対応できる社内体制をつくろうとしていました。とはいえ、SNSやスマホが登場する前のこと。広告の主流はまだテレビやラジオ、新聞、雑誌のマス媒体で、僕が入った制作会社にはデジタル領域の企画ができる人がいませんでした。それで僕がやることになった。「若いからデジタルできるでしょ」というのが抜てきの理由でした(笑)。

プランナーとしての活動を始めたら、Webサイトやキャンペーンコンテンツをつくる仕事がすぐに増えていきました。新しくWebデザイナーやコーダーが入ってきて、僕はプロジェクトマネージャーとして制作現場をまとめる立場に。入社2年目にはプロデューサーとして、担当プロジェクトのすべての決裁権を持つまでになりました。
──順調すぎるほどのキャリアアップだと思いますが、なぜ転職することにしたのでしょう。
プロデューサーとして俯瞰的にものを見るようになると、もっといろいろなことがやりたくなったんです。クライアントの課題を、表面的にではなく本質的に解決したくなった。そのために、社外のクリエイターや、広告業界以外のいろんなクリエイターたちと仕事をしたい、広告制作だけではないプロデュースがしたいと思い始めたんです。

──それで転職先を探したわけですね。
「自由なプロデュースがしたい」と思ったので、小規模でイケてる会社がいいなと。当時は、デジタルのクリエイティブの大御所といえば、福田敏也さん(現トリプルセブン・クリエイティブストラテジーズ代表取締役)だったのですが、その福田さんがスパイスボックスというデジタルマーケティング支援企業の社外取締役をしている(当時)ことを知って。創業3年目の、社員が20人くらいしかいない知名度の低い会社でしたが、だからこそ自由に仕事ができそうな気がしました。

──ほかにも選択肢があったと思いますが、スパイスボックスに飛び込んだ。決め手はなんだったのでしょうか。
1次面接の面接官がいきなり社長だったのですが、終わって最寄り駅に向かって歩いているとき、その社長から電話がかかってきて「内定です」って言われたんです。まだ駅にも着いていないんですよ? 「めちゃくちゃフットワークが軽いな」と。即断即決。その社風にすごく惹かれました。ほかの大手企業からも内定をもらっていましたが、直感で「ここだ」と思いましたね。

──その直感は当たっていましたか?
まだ本当に小さい会社でしたから、案の定、あらゆる点が発展途上。やりたい放題できて、すごく楽しかったです(笑)。案件ごとに最適な社外のクリエイターをアサインしてチームビルディングする、「自由なプロデュース」が思う存分できるようになりました。

自分が褒められるより、会社が褒められる方がうれしくなった

──それが27歳のころのことですね。
はい。一般的に最初の役職に就く年齢だと思います。僕もそうでした。入社して2年目にはプロデュース局のなかで自分のチームを持ちました。

実は当時、マネジメント業務には興味がなくて。超が付くほどの個人主義者でしたから、それまで人のことなんておかまいなしでやってきたんです。周りの社員も僕と同じようなタイプばかり。それぞれ個人で成果を上げることに執着していました。そんなカルチャーのなかで人の面倒を見るなんて、最初は全然うまくいかない。失敗ばかりでしたね。

その後、チームリーダーから局長代理になりました。自分が主担当として案件を持つことが一切なくなって、トラブルやうまくいっていない案件のフォローをしていました。局長になると、さらに責任領域が拡大した。そうやって徐々にマネジメントの仕事の比率が増えていく過程で、自分の成長と会社の成長がリンクしていく感覚を覚えるようになったんです。わずか20人の会社からどんどん大きくなっていくスパイスボックス、そして、超個人主義からプロデュース局が関わるすべてのクライアントワークを考えるようになった自分自身。会社と自分の成長が交わっているという実感は、僕の心境を少しずつ変化させていきました

──どんなふうに変わったのでしょうか?
いちプロデューサーとしての立ち位置だと、自由を謳歌できるし、案件が成功したら自分の成果になります。クライアントから感謝され、会社が褒めてくれる。もちろんそれも嬉しいことです。

誰しも承認欲求を持っていると思いますが、僕はそれが強いんだと思います。個人が認められるだけでは飽き足らず、スパイスボックスという会社ごと褒められたくなった。自分だけではなく、周りのみんなが活躍して会社として成果を出し、世の中に認められる。その方が僕にとってはインパクトややりがいがあるんじゃないかと思うようになりました。

だから、会社に資することをやろうと決めました。それで入社から10年後、事業開発の仕事をするようになったんです。事業統括責任者に就任したことが明確なスイッチとなって、「個人ではなくスパイスボックスの強みを開発し、会社全体の豊かさに貢献しよう」という気持ちに切り替わりましたね。

──そのときの思いは、実際に事業のトップになってみて実行できましたか。
いや、つまずきました(苦笑)。それまで、僕の仕事人生は結構うまくいっていたんです。何をやっても高い評価をもらえるし、毛嫌いしていたマネジメントも、真剣に取り組むようになってからは成果を出してきました。

でも、トップに立つというのは、過去の経験がまったく活きない。別物でした。何もかもうまくいかなくて。そのとき初めて「仕事がつらい」と思いました。

──入社10年以上経って初めてつらさを覚えたというのは、その分ダメージが大きかったのではないかと思います。どのようにして状況を抜け出したのでしょうか。
1年間、専属のコーチを付けました。丸裸になって話せる、この会社とはまったく関係ない人にお願いして。僕がどういうスタイルでありたいのか、自分の考えが整理できるまで、ずっと話を聞いてもらいました。

そのときにわかったことが、「トップに立つ人間は正解を探してはいけない」ということです。探すのではなく、先に「解」をつくる。それを正解にしていく努力をするのがトップの仕事だと。僕は正解を求めてさまよってしまっていたのです。そんなものは自分のなかにしか存在しないのに。このことに気付けてからは、腹をくくってトップという仕事に向き合えるようになりました。

辞めなかったのは、会社と自分の価値観が同じだったから

──2021年には、事業統括責任者との兼務で取締役副社長に就任しました。どのような点が評価されたのだとご自身では考えていますか。
経営に携わる者は、短期的ではなく長期的、局所的ではなく大局的な視点を持っていなければなりません。足元のことにとらわれ過ぎず、持続的に会社組織を強くすることを考える必要があります。当然、自らが退陣したあとの将来も含めてです。僕が副社長を任されたのは、担当した案件一つひとつの実績ではなく、このように意識が変化してきたことが評価されたのだと思っています。そして、それを社内に浸透させていくことが期待されているのだと思います。

──すでに取り組んでいることはありますか。
何が人を成長させるのかというと、ヒリヒリするような経験です。僕がトップに立ち、ガラリと変わった環境のなかで味わった緊張感のような。そのとき、悩みながらも自律的に動いて突破口を見つけようと努力することが、人の成長に大きなインパクトをもたらすのだと思います。

だから、みんなにも同じような機会を提供したい。主力事業が幾つかあるのですが、事業ごとに部門を分けてリーダーを置いています。その人が収支の責任も負う。経営者目線で取り組むことは、必ず成長につながります。これをできるだけ多くの社員が経験することが、会社全体の人材の底上げにもなる。そして主力事業を将来にわたって盤石なものにします

子会社の「No Company」は、もともとスパイスボックスの社員だった秋山真が立ち上げた会社です。スパイスボックスのSNSデータを活用したマーケティング支援のノウハウを活かして、採用広報支援を行っています。2022年10月に1周年を迎え、初年度の売上高を見ても成功していると言えます。ゆくゆくは、このNo Companyのように、当社の強みをベースに別の事業を立ち上げ、人材とともに成長させていく事例を増やしたい。目指すのは「多様な人材が自律的に多様な活躍をする組織」。これこそが、スパイスボックスが長期的に繁栄していく姿なのだと考えています。
──入社して16年。出入りの激しい広告業界において、長く勤めてこられた理由を教えてください。
僕は「自由なプロデュース」を求めていました。もともと描いていたキャリアプランでは、個人的な実績をどんどん残して、30歳を過ぎたら独立しようと思っていました。経営に興味があったわけではありません。とことん自由に仕事がしたかったからです。

でも独立はしなかった。

僕が自由にこだわっていたのは、納得がいく仕事をしたかったからなのだと、最近になって当時の気持ちが整理されてきています。クライアントに対してうそをつかないとか、ちゃんと成果を出せる自信がある企画を提案するとか。前職を辞めたのも、冒頭でお話したように、クライアントの課題を、表面的にではなく本質的に解決したかったからです。

スパイスボックスという会社には、その精神がある。創業メンバーである経営陣の間では、「誠実」という意味の「genuine」という言葉をよく使います。僕が副社長になって、この言葉に出会ったとき、自分のなかにずっとあった譲れない思いは「genuine」だったのだと気付きました。この言葉で、僕と会社はずっと共鳴していたのだと。だから独立するという選択をする必要がなかったのです。

──会社と個人の、ありたい姿が一致していたということですね。社員の皆さんに、それを展開させていく仕組みはありますか。
スパイスボックスには「個のビジョンを実現するプロセスで、会社のビジョン遂行を全力で楽しむ」という人事理念があります。Win-Win Collaborationを略して、通称「WinC(ウィンク)」。会社が成し遂げたいことと個人が成し遂げたいことが、できるだけリンクする努力をし続けるという考え方を表しています。この業界にとって、人材の入れ替わりが激しいことは別に悪いことではありません。スパイスボックスとしても、それはある程度受け入れていますが、やはり優秀な人材には長く居てほしいですからね。

──優秀な人材とは?
いまのスパイスボックスに必要なのは、20代のころの僕のような、個人のハイパフォーマーだけではありません。会社の繁栄と自分の成長をリンクできる人、さらにチームメンバーにもそれを浸透させて局面を打開することができる人です。

そういう意味では、いまの若手のマネージャーは優秀です。よくそんなに上手に人を束ねられるなって。僕が彼らの年齢のころには、とてもできませんでしたからね(笑)。尊敬します。

──会社と共鳴している「幹」となる人を育て、その思想をさらに社内に広げていく。「エンゲージメント・コミュニケーション」企業らしいやり方だと思います。本日はありがとうございました。
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