Vol.46 マーケティングのスキルはあらゆるビジネスに活用できる「火種」 キャリアアップナビ
キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、カシオ計算機で執行役員 デジタル統轄部長を務める石附洋徳さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!
──マーケティングとの出会いを教えてください。
実は子どものころから化学が好きで、大学院では金属メッキの研究をしていました。ただ、研究を仕事にするのはちょっと違って。もっと世の中とのつながりを感じられる仕事がしたいと思っていたんです。
そんなあるとき、マーケティングという職種を知りました。製品やサービスを通じて世の中に新しい提案をし、生活者の価値観や行動を変える仕事だと教えてもらいました。何かを深く洞察し、仮説と戦略を導き出し、手段を考えて実行する。この流れは、研究のプロセスと似ているなと思い、興味を持ちました。
2004年に博報堂に入社し、ストラテジックプラナーになりました。配属は関西支社。関西には縁もゆかりもないのに…と最初は戸惑いました。ですが、営業と一緒に顧客の悩みを聞き、仮説を立て、市場調査をし、コミュニケーションプランを考え、クリエイティブと一緒に実行して効果を検証する。比較的小規模な組織で、すべてのプロセスに関わることができ、とても楽しかった。若手ながら、プロジェクトをリードする経験もさせてもらいました。
一言で言うと、フィーで稼ぎたくなったから。今では日本の広告会社もフィー制を導入していますが、当時はまだ、広告メディア取引の額に応じたマージンを得るコミッション型のビジネスが中心でした。マーケティングプランニングは、このマージンに含まれるサービスという扱いです。そのため、私のアイデアやプランに対価が支払われるビジネスの場で、自分の力を試したくなったのです。そこで自ら手を挙げ、フィー型のビジネスを成功させるという方針を打ち出していた、博報堂ブランドデザインに参加しました。
特に没頭したのは、医療用医薬品市場の仕事です。ある外資系製薬会社の日本支社が、私たちの提案に興味を示してくれたことに手応えを感じ、メディカル領域に詳しい同僚と一緒に新規顧客を開拓していきました。それが結実し、欧米と違い日本の製薬会社は十分なブランディングができていなかったので、複数の大きな仕事を得られました。さらに、当時は医薬品メーカーが疾患啓発に力を入れ始めた時期。事業を軌道に乗せられる十分な市場性があると経営層に提案し、博報堂メディカルを2011年に設立しました。提案者の責任として、私も博報堂から出向してマネジメントに携わることに。新規顧客の獲得と、会社の成長に心血を注ぐ毎日でした。
──15年勤めた博報堂をなぜ辞めたのでしょうか。
2019年に退職するまでの最後の3年半は、本社に戻ってストラテジックプラナーをしていました。
大手企業を担当するうちに、マーケティングやコミュニケーションの域を超え、事業を成長させる仕組みづくりに関わる仕事が増えていきました。例えば、自動車メーカーがグローバルで展開する新製品のブランディングの仕事では、製品企画の段階から参加し、市場拡大のためにヒト・モノ・カネを有効に活用する流れを考え、実現に向けたガバナンスと仕組みをつくるとか。それも、この時代らしく、デジタル技術やさまざまなソリューションを駆使して、です。事業を変革していく仕事はとても楽しかったですし、戦略はもちろん、その先の実行が大事なのだと再認識しました。
カシオがマーケティングのDXを推進するという話を耳にしたのはそんなときでした。私にやらせてほしいと思いました。パートナーとしてクライアントを支援する仕事も楽しかったのですが、事業会社で仕組みをつくる経験がしたかったからです。
──マーケターからステージが上がったわけですね。
現在はデジタル統轄部長として、マーケティング領域にとどまらず、全社のDX推進を担っています。それでも、私のコアコンピテンシーは今もマーケティングだと思っています。学ぶべきことは多いですが、まったくの畑違いではありません。 カシオが実現しようとしているのは、バリューチェーンを「製品中心」から「ユーザー中心」に設計し直すことです。従来の「つくったモノを売る」というメーカー都合の工程では、ユーザーとの距離は遠くなるばかり。企画開発から生産、カスタマーサポートまでを一括管理し、各工程でユーザーと直接つながって素晴らしい体験を提供する。そしてカシオブランドに愛着を感じていただくことを目指しています。
マーケティングのスキルはとても汎用性が高いものです。その根幹にあるのは、人の心を動かし、態度変容を促し、それによって物事をより良い方向に導くこと。その意味では、マネジメントにも生きています。
若いマーケターの皆さんには、自分でそのスキルの活用範囲を限定せず、あらゆるビジネスに広がりうる火種を自分の中に養っていると思っていただきたい。「今やっているその仕事から未来が広がっていくよ」と伝えたいですね。
実は子どものころから化学が好きで、大学院では金属メッキの研究をしていました。ただ、研究を仕事にするのはちょっと違って。もっと世の中とのつながりを感じられる仕事がしたいと思っていたんです。
そんなあるとき、マーケティングという職種を知りました。製品やサービスを通じて世の中に新しい提案をし、生活者の価値観や行動を変える仕事だと教えてもらいました。何かを深く洞察し、仮説と戦略を導き出し、手段を考えて実行する。この流れは、研究のプロセスと似ているなと思い、興味を持ちました。
2004年に博報堂に入社し、ストラテジックプラナーになりました。配属は関西支社。関西には縁もゆかりもないのに…と最初は戸惑いました。ですが、営業と一緒に顧客の悩みを聞き、仮説を立て、市場調査をし、コミュニケーションプランを考え、クリエイティブと一緒に実行して効果を検証する。比較的小規模な組織で、すべてのプロセスに関わることができ、とても楽しかった。若手ながら、プロジェクトをリードする経験もさせてもらいました。
──東京に戻られた理由は何でしょうか。
一言で言うと、フィーで稼ぎたくなったから。今では日本の広告会社もフィー制を導入していますが、当時はまだ、広告メディア取引の額に応じたマージンを得るコミッション型のビジネスが中心でした。マーケティングプランニングは、このマージンに含まれるサービスという扱いです。そのため、私のアイデアやプランに対価が支払われるビジネスの場で、自分の力を試したくなったのです。そこで自ら手を挙げ、フィー型のビジネスを成功させるという方針を打ち出していた、博報堂ブランドデザインに参加しました。
特に没頭したのは、医療用医薬品市場の仕事です。ある外資系製薬会社の日本支社が、私たちの提案に興味を示してくれたことに手応えを感じ、メディカル領域に詳しい同僚と一緒に新規顧客を開拓していきました。それが結実し、欧米と違い日本の製薬会社は十分なブランディングができていなかったので、複数の大きな仕事を得られました。さらに、当時は医薬品メーカーが疾患啓発に力を入れ始めた時期。事業を軌道に乗せられる十分な市場性があると経営層に提案し、博報堂メディカルを2011年に設立しました。提案者の責任として、私も博報堂から出向してマネジメントに携わることに。新規顧客の獲得と、会社の成長に心血を注ぐ毎日でした。
──15年勤めた博報堂をなぜ辞めたのでしょうか。
2019年に退職するまでの最後の3年半は、本社に戻ってストラテジックプラナーをしていました。
大手企業を担当するうちに、マーケティングやコミュニケーションの域を超え、事業を成長させる仕組みづくりに関わる仕事が増えていきました。例えば、自動車メーカーがグローバルで展開する新製品のブランディングの仕事では、製品企画の段階から参加し、市場拡大のためにヒト・モノ・カネを有効に活用する流れを考え、実現に向けたガバナンスと仕組みをつくるとか。それも、この時代らしく、デジタル技術やさまざまなソリューションを駆使して、です。事業を変革していく仕事はとても楽しかったですし、戦略はもちろん、その先の実行が大事なのだと再認識しました。
カシオがマーケティングのDXを推進するという話を耳にしたのはそんなときでした。私にやらせてほしいと思いました。パートナーとしてクライアントを支援する仕事も楽しかったのですが、事業会社で仕組みをつくる経験がしたかったからです。
──マーケターからステージが上がったわけですね。
現在はデジタル統轄部長として、マーケティング領域にとどまらず、全社のDX推進を担っています。それでも、私のコアコンピテンシーは今もマーケティングだと思っています。学ぶべきことは多いですが、まったくの畑違いではありません。 カシオが実現しようとしているのは、バリューチェーンを「製品中心」から「ユーザー中心」に設計し直すことです。従来の「つくったモノを売る」というメーカー都合の工程では、ユーザーとの距離は遠くなるばかり。企画開発から生産、カスタマーサポートまでを一括管理し、各工程でユーザーと直接つながって素晴らしい体験を提供する。そしてカシオブランドに愛着を感じていただくことを目指しています。
マーケティングのスキルはとても汎用性が高いものです。その根幹にあるのは、人の心を動かし、態度変容を促し、それによって物事をより良い方向に導くこと。その意味では、マネジメントにも生きています。
若いマーケターの皆さんには、自分でそのスキルの活用範囲を限定せず、あらゆるビジネスに広がりうる火種を自分の中に養っていると思っていただきたい。「今やっているその仕事から未来が広がっていくよ」と伝えたいですね。