プレイヤーとして成長の角度が鈍化していくのを感じて

──新卒でJTBに入社したのは、もともと旅行業界に関心があったからでしょうか?
実は、JTBに勤めていた祖父の影響を受けた、というのが正直なところです。でも、もちろん興味はありました。「ハレ」に携わりたいと思っていたので、人が楽しむ場所を用意する旅行会社の仕事は魅力的でしたね。

──JTBではどのような業務を?
僕はアカウントディレクターでした。顧客企業に、旅行やイベントを企画提案する仕事です。例えば製薬会社がドクターを集めて開く学会など、移動や宿泊を伴うイベント、カンファレンスの企画から運営が主な仕事でした。僕のお客さまは海外でイベントをやることが多かったので、3カ月に1回は海外に行っていました。ラスベガスとか、あとタイの遺跡を貸し切ってイベントをやったりもしました。
だから、実は個人向けの旅行にあまり詳しくないんです(笑)。同僚にも、「おまえは熱海のこととかわからないだろ?」ってからかわれていましたね(笑)。

──いきなり海外での仕事ができるなんて、いまで言うなら「配属ガチャ」で当たりを引いた感じでしょうか(笑)。それなのに、転職を考えるようになったわけですね。
最初はすべてが勉強で、吸収することがたくさんありました。自分がぐんぐん成長しているのを実感できた。でも、数年経つと後輩を育てるポジションになり、管理職が視野に入ってきて。まだまだ成長したいのに、マネジメントに意識と時間を割かなければならなくなった。プレイヤーとしての僕自身の成長の角度が鈍化していくのをすごく感じたんです。

──それで転職することにしたんですね。でも、転職先のベクトルはPR会社。なぜ異業種に?
ベクトルのことは昔から知っていたのですが、「おもしろいPR会社があるよ」て、人に勧められて初めて興味を持ちました。

それまでも、PRがどういうものかは知っていたつもりでした。ニュースリリースやプレス発表会を通じて商品情報をメディアに提供し、記事や番組にしてもらう。つまりパブリシティーですよね。

でも、ベクトルやPR業界のことをいろいろ調べるうちに、「戦略PR」という考え方が注目されていることを知ったんです。「空気づくり」なんて言われますが、世の中が関心を持ちやすいテーマと商品を結び付け、その商品を選ぶべき理由を生み出すことです。

僕が思っていたパブリシティーはPRの一部の業務に過ぎなかったんですね。PRにはモノを売るための戦略という要素も含まれているとわかり、すごくおもしろそうだと思いました。SNSが普及し、企業と消費者のコミュニケーションのあり方が変わっていくことは明らかでしたし、「PR業界には新しい波が来ている」と思いました。それでベクトルの採用試験を受けることを決意したのです。

──JTBといえば、就職したい企業ランキング上位の常連です。そんな大手から、いわば真逆のところへ転職されたわけですね。
そうです。JTBの上司から「大丈夫なのか?」って心配されましたね(笑)。ベクトルはいまでこそ大企業になりましたが、当時は300人くらいしかいませんでしたから。
──ご自身としては気にならなかった?
まったく気にならなかった、と言ったらうそになります。でも、プレイヤーとしての僕自身の成長を鈍化させたくなくて転職するのに、また大手に行ってしまったら意味がないと思って。

ベクトルでの仕事は、クライアントに対してPRの企画を立案するというものでした。異業種からの転職でしたから、なんでもゼロから覚えないといけない。年下の同僚に仕事を教えてもらったり、提案書やプレスリリースを添削してもらったり。その繰り返し。でも、違和感はありませんでした。ジャンプするためには、一度しゃがまなくちゃいけないと覚悟を決めて入りましたからね。

──では、2018年にスペースマーケットに移ったのも、自分自身の成長のため?
そうです。プライベートで、たまたま社長の重松さんと話す機会があって。同社は、スペースを貸したい人と借りたい人をマッチングするプラットフォームサービスを展開しているのですが、これが新しくて、すごくいいサービスだなと思ったんです。だって、「シェアリングエコノミー」という言葉はあったものの、普通に使われるようになったのは、ごくごく最近のことですよね。そのころは、まだ民泊がやっと浸透し始めたくらいでした。

そのようなタイミングで、重松さんから「うちでやってみない?」と誘ってもらったときはチャンスだと思いました。新しく産業が立ち上がろうとしているど真ん中に身を置くなんて、そうそう経験できることではありませんから。

──スペースマーケットではどのようなお仕事をされたのですか。
仕事は事業開発でした。もともとあったCtoC(個人間取引)のマッチングプラットフォームを活用して、企業向けの新たなサービスを生み出すんです。例えば、レンタルスペースとして貸し出されている一軒家のなかを、まるごと某北欧家具メーカーのシリーズでそろえるとか。冷蔵庫のなかをすべて某飲料メーカーの新商品にするとか。コラボ企業にしてみれば、それがタッチ&トライイベントになる。実際の家ですからね、街なかのポップアップストアでやるより、とことんリアルな体験を提供できます。スペースを借りる人も、せっかくならおしゃれな家具に囲まれたり、いち早く話題のドリンクを試せたりする方がうれしいじゃないですか。

──確かに、それはバズりますね。つまり、新しいPRのカタチを開発する仕事だったわけですね。
そうです。PRって、要するに世の中の人たちに理解してもらう活動ですよね。前職では、メディアに大きく取り上げてもらうという手法でそれをやってきました。でも、SNSの発達で誰もが発信者になれる時代に変わり、PRのやり方もアップデートしなければいけないんじゃないかと。メディアを介して情報を伝えるより、リアルな体験を提供する方が、ずっと効果が高いんじゃないかなと思うようになっていたんです。

そんなときにスペースマーケットに出会った。ここなら、まさに体験という進化したPRを追求できると思ったんです。

いま、スタートアップの「手づくり感」にすっかり魅了されている

──2年前、現在のVoicyに参加されました。どういったサービスか教えてください。
Voicyは音声配信プラットフォームで、ラジオのようなものです。ただラジオとは違い、パーソナリティーが専用のアプリを使って、スマホひとつで収録から配信まで完結できます。

いくつかあるカテゴリーのなかでも、現在はビジネスとライフスタイルが人気です。特にライフスタイルはすごく伸びている。インスタグラムや雑誌で、暮らし方について発信している執筆家やミニマリストがいますよね。そういう人気のある人たちがチャンネルを持っています。そして、インスタや雑誌では美しい写真を見せるのに対し、Voicyでは根底にある自身の価値観や葛藤、ときには失敗を赤裸々に話している。それが共感を呼んでいるんです。

──長谷部さんはVoicyのどんなところに惹かれて入社を決めたのですか?
僕はもともとVoicyのリスナーでしたし、自分でもインナーコミュニケーションの一環で社内ラジオをやっていました。さかのぼれば、JTB時代の社員旅行にもCD-ROMに焼いた音源を持っていって、レンタカーのなかでみんなに聞いてもらっていました。誰に頼まれたわけでもありませんが…。でも、めちゃくちゃ評判が良かったんですよ(笑)。

スタートアップが開発するものって、課題解決型のサービスが多いですよね。一方Voicyは、なくても誰も困らない。だけど、すごく喜んでいる人がいる。そこがおもしろいと思いましたね。

それに、音声メディアはいくつかありますが、いずれもまだ大成功しているとは言えません。Voicyもまだまだこれから。スペースマーケットと同じで、産業が全然できあがっていないところにワクワクしたんです。

──前職のスペースマーケットでの経験を活かし、いまも事業開発に従事されているのですか?
はい。パーソナリティーの放送を応援してくれるスポンサー企業を探したり、タイアップ企画を提案したりしています。

もう1つの仕事は、やはりPRです。スタートアップが世の中に知られるには、血液のようにニュースを流し続けることが必要だと思います。Voicyはニュースリリースを少なくても月に1本、多いときは5本出す。そうやって、世の中の人たちがVoicyにエントリーする接点をつくっていっています。
──事業開発とPRの2足のわらじを履いている。ご自身は、どちらがキャリアの軸ととらえているのでしょうか。
それは両方です。この2つはどちらも自分から切り離せない。というより、2つはセットだと思うんです。

「ファウンダー・マーケット・フィット」と表現されるように、スタートアップが成功するには、つくり手の思いと世の中のニーズが合致していなければなりません。でも、Voicyのような課題解決型ではないサービスの場合、世の中が求めているものをカタチにするばかりではVoicyらしさをなくしてしまう。つくり手が「これがいい」「これがおもしろい」というものを、ある意味押し付けることも必要だと僕は思っています。もちろん、振り切ってばかりでは誰からも相手にされなくなりますから、バランスが必要ですけどね。そして、つくったものを広める活動をして、「確かにこういうのがあるといいよね」と気付きを与え、惚れてもらう。そこに僕はキャリアの軸足を置いているつもりです。

──どうしたら長谷部さんのように、スタートアップで「つくって広げる」仕事ができるようになりますか?
必要なのは、アセット(資産)とアセットを組み合わせる脳みそだと思います。自社のこれと、あの会社のあれを組み合わせたらおもしろくなるなって。スペースマーケットでも、Voicyに来てからも、どことどんなコラボをしたらお互いの価値が高まるかをずっと考えてきた。僕の場合、PR会社に転職してその経験を積めたことが、いまにつながっているんじゃないかな。あのとき、もしメーカーのPRになっていたら、組み合わせの妙が成功の鍵であることを学べなかったかもしれません。

──すっかりスタートアップのおもしろさにはまった感じですね(笑)。
一度大手企業を経験していますし、いまから戻ろうと思えばきっと戻れる。でも、スタートアップっておもしろいんですよ。手触り感というか、手づくりしている感覚があって

僕たちは値決めだって自分でやりますから。例えば、すごくおいしいジュースをつくったとしても、すでに市場ができあがっているので、せいぜい160円でしか売ることができません。でも、僕たちのサービスは100円でも100万円でもいいわけです。だって、「音声×企業」のコラボがいくらかなんて、まだ何の基準もないんですからね。

新しい産業はとかくネガティブにとらえられがちで、PRにはすごく神経を使います。それでも、世の中との合意をとりながら、自分たちの手で市場をつくっていく作業が、めちゃくちゃ楽しいです。

──スタートアップを選んで良かったと。
JTBを辞めるとき、不安はゼロではありませんでした。積み上げてきたものをいったんゼロにして、リスクを背負って飛び込む覚悟でした。でも実際はリスクなんてなかった。いまとなっては、何をあんなに心配していたんだろうと思います。だから、迷っている人には「大丈夫だ」と伝えたい。ちょっとでも興味があるなら、ぜひ飛び込んでみてほしいです。

──スタートアップは、見過ごされがちな課題が解決するなど、誰もが生きやすい社会づくりに不可欠な存在です。そういった課題解決型ばかりではなく、Voicyのようにエンタメ分野で新たな価値を生んでくれるスタートアップがもっと増えていくと、より楽しく豊かな世の中になりそうな気がします。でも、「まだ世の中にないもの」を浸透させていくには、いく重ものコミュニケーションの壁が立ちはだかる。そこを突破していくものこそ組み合わせの妙であり、アイデアなのだとお話を伺って思いました。本日はありがとうございました。
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