企業の基本的なメカニズムをわかっていなかった

──埼玉新聞、読売新聞での20年にわたる記者生活に区切りを付け、2016年に日立製作所に入社されました。記者としてたくさんの企業を取材した経験をもとに、すんなりとなじむことができましたか?
今振り返ると、安易に考えていたと思います。取材する側からされる側の立場に変わるだけだよなって。それまでのメディアの経験を活かして、十分やっていけると思っていました。

ところが、それ以前の問題があったんです。記者という個人商店のような仕事の仕方に慣れていた僕は、日立の、巨大企業ならではのしきたりに戸惑いました。ハンコは全部同じでよかったのが、日立に来たとたん、いろんなタイプのものを渡されて。ここは赤いインクで、こっちは黒だとか。日立ではすでにハンコ文化はなくなりましたが、ルールを覚えるだけでもものすごく大変でした。

──同職種間での転職でも、そこは苦労するところですから、記者の方が一般企業に入ったとなると、さぞかし大変だったでしょうね。
記者時代、取材先にコメントを求めると、回答に2、3日かかるわけです。当時は「遅いなぁ」なんて思っていましたが、今なら理解できます。企業規模が大きければ大きいほど、ガバナンスをきちんとしなくてはいけない。2、3日でコメントをもらえたのは、むしろ早かったのだと。

新聞記者として、企業を理解している気になっていましたけど、企業のそんな基本的なメカニズムもわかっていなかったことを、ものすごく反省しました
──2020年には広報部長に就任されました。文化やルールの違いに苦しみながらも、取り組みがしっかり評価されたということでしょうか。
僕自身はよくわかっていないというのが正直なところ。だって、入社当時は年間200万回に相当するくらい「辞めたい」って思いながら仕事をしていましたから(笑)。

──そんなに。
文化やルールの問題もありましたが、それよりつらかったのは、社員になかなか信用してもらえなかったことです。当時、中途入社の社員はまだ珍しかったからか、日立にとってマイナスの記事が出ると、「森田がリークして書かせたんじゃないか」なんて囁かれていたこともあったようで…。でも当時は、「俺だって誘われたから来ただけ」って、良くも悪くも開き直って、グッと踏ん張っていたと思います。

──その気持ちを切り替えるきっかけとなった出来事があったのですか?
はい。日立は、2017年5月にWannaCryと呼ばれるサイバーウイルスの攻撃を受け、社内システムの一部で不具合が出るという被害に遭いました。会社としても初めての経験ですし、そのような状況での広報対応なんて誰もやったことがありませんでした。

僕はコーポレート担当課長でしたから、四の五の言ってる場合ではありません。「自分がやらなくちゃ誰がやる」とラストマン的な意識で覚悟を決めた。対策本部に乗り込んで情報をかき集め、メディアの対応を全部やりました。メディアがどういう動きをするのか、どんな情報を欲しがっているのか、僕には予想がつきましたから、対応策も考えられました。

未曾有の事態に逃げずに向き合ったことで、僕への風向きが変わった気がします。「最後までやり切る、信頼できる人間だ」と見てもらえたのかもしれません。

──広報の業務のなかで、危機管理広報は最も難しい仕事ですよね。
もう1つ、2018年に故・中西宏明前会長が日本経済団体連合会(経団連)の会長に就任したときの出来事も、僕の気持ちを前向きに変えました。

経団連の会長に就任すると、経団連の仕事のために自分の会社からスタッフを何十人も引き連れていくことが慣例になっています。中西さんはそれをやらず、日立の仕事と兼務できるように、バーチャルチームをつくるといううわさがありました。それなら是非、自分がやってみたいと思いました。

会長室でのある打ち合わせの後、中西さんと2人だけになったとき、「最後によろしいでしょうか」と切り出した。「経団連の会長をおやりになるのでしたら、その広報の役割をぜひ僕に任せてください」と直談判したんです。中興の祖のような相手ですから、ものすごく緊張しましたね。中西さんにはどう映っていたのか、「あ、そう」みたいなあっさりした反応でしたが、任せてもらえることになりました。

経団連会長の広報担当には、視野の広さが求められます。僕は記者時代に政治、経済、スポーツと幅広く追いましたから、どんな話題でも必死に対応しました。結果として、社外のさまざまな方面にネットワークを広げることができました。それはすごく広報担当として自信につながりましたし、社内からも評価してもらえたんじゃないかと思います。

「広報パーソン」という仕事はいずれなくなる

──日立に来た当初は辞めたいと思うことも多かったそうですが、8年経った今はどんなことを感じていますか?
人とのコミュニケーションが仕事の基本であることは、記者も広報も同じなんだなと思います


記者は特ダネをとるのが仕事です。これは非常にハードルが高い。時には、本来話してはいけないことを話してもらい、見せてはいけないものを見せてもらわないといけないわけですから。

こちらが欲しい情報を、丁寧にまとめて紙で渡してくれる人なんていません。それはもう、コミュニケーションして情報を取っていくしかない。自分をさらけ出し、相手のことを理解しようと努めて、やっとぽつぽつと話してもらえる。特ダネは、そうやって集めた断片的な情報を、パズルのように組み合わせてつくっていくものなのです。

でも、最後のピースはなかなか埋まらない。取材相手が、決定的な情報を出すことをためらってしまうんですね。そこで、心を動かすことができるかどうか。記者にはその力が求められます。書くことより、ずっと大事な能力だと思います。

今、僕は取材する側からされる側に立場が変わりましたが、仕事の本質は同じです。相手の心を動かすためのコミュニケーション戦略を立てて実行することに変わりはありません。この部分は、どんな職種でも同じだと思います。無人島で仕事をするのでない限り、人との関わりは必ずありますから。

──ある意味、相手の「心」と仕事をするんですよね。
難しいですよね。僕も最初からできたわけではありません。僕が埼玉新聞の運動部で記者をやっていた駆け出しの頃は、浦和レッズに小野伸二選手、西武ライオンズには松坂大輔投手がいて、埼玉スポーツが盛り上がっていた時代でした。僕自身もスポーツをやるし、選手にインタビューするのはすごく楽しかったです。

でも、文字にするとなると結構難しくて。「自分の投球をします」とか、よく聞くじゃないですか。でも「自分の投球」とは何なのか…。よくわからないまま書いてしまって、記事を読んだ選手に「ああいう意味で言ったんじゃないんだけど」ってお叱りを受けたこともありました。そうやって、たくさん失敗してダメ出しを受けながら、相手の真意をつかむ経験を重ねてきました。

──奔走されていた姿が目に浮かびます。今、10人以上もの次世代を担う広報の皆さんを率いていますが、どんなふうになってほしいと思いますか。
少し前までの広報活動の基本的な構造は、信頼性のあるメディアに会社のことを取材してもらって、世の中に広げ、ブランド価値を上げるというものでした。でも、10年ぐらい前からでしょうか、メディアの影響力がインターネットに押されて徐々に弱まってしまいました。昔はみんな当たり前のように新聞を読んでいたのに、今はそもそも新聞を取っていないとか、家にテレビがないなんて人もいます。それが本流になっていくと、広報のあり方もどんどん変わっていくと思うのです。

だから、報道対応に特化した「広報パーソン」っていう仕事はいずれなくなるかもしれません。僕がチームの若手に求めるのは、コミュニケーションのプロになることです。もはやマスメディアだけ相手にしていれば仕事が成立する時代ではありません。SNSもあるし、オウンドメディアもあります。コミュニケーションを受け取る側の変化に合わせて、出す側もこれまでのやり方を柔軟に変えていかないといけないのです。

だから、世の中の人たちが、どういうふうに情報を得て物事を判断しているのか、よく見てほしい。もっと言えば、2、3年先にどうなるのか想像してほしいと思います。その最適解は、机上で導き出せるものではありません。いろんなところへ行って、いろんなものを見て、いろんな人と話して、失敗してもいいから新しいことにチャレンジしてほしい。世の中がどうなっているのかを自分で体感しなければ、コミュニケーション戦略なんて立てられません。

うちのメンバーには、仕事だけで消耗せず、プライベートも楽しむ「リア充」であってほしいんですよ。だってそういうコミュニケーションパーソンとのほうが、一緒に仕事をしていて楽しいですからね。

──新聞記者だった森田さんだからこそ、「マスメディアと付き合うだけでは仕事にならない」というお話に説得力があります。今後、日立製作所の広報チームが展開していく、柔軟で新しいコミュニケーション施策に、ぜひ注目したいと思います。本日はありがとうございました。
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【聞き手】
荒川直哉
株式会社マスメディアン
取締役 国家資格キャリアコンサルタント
荒川直哉
マーケティング・クリエイティブ職専門のキャリアコンサルタント。累計4000名を超える方の転職を支援する一方で、大手事業会社や広告会社、広告制作会社、IT 企業、コンサル企業への採用コンサルティングを行う。転職希望者と採用企業の両方の動向を把握しているエキスパートとして、キャリアコンサルティング部門の責任者を務める。「転職者の親身になる」がモットー。
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キャリアアップナビ
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