他者利益と信頼ベースで動くことが、コミュニティを強く大きくしていく

市原:高須さんはコミュニティの運営もプライベートでずっとやられていますよね。

高須:そうですね。「ニコ技深圳コミュニティ」という組織を何人かで立ち上げ、今も共同創業者をしています。これは深センまわりでもっともアクティブな組織だと自負しています。現在、Facebookグループに2500人が入っていて、月一回の頻度で行う深センでのミートアップなど、多様な活動をしています。メンバーには僕みたいなオタクもいれば、起業家、エンジニア、研究者など、さまざまなフィールドの専門家がいます。メンバー全員、ここから給料はもらわない、ここにお金は払わない形で今のところ活動していて、完全にボランタリーなコミュニティです。
ニコ技深圳コミュニティ
ニコ技深圳コミュニティ
市原:無償、ボランタリーなんですね。高須さんがそこから得られたものが気になります。

高須:僕自身も、結果としてこの活動のおかげで今の仕事ができています。だからコミュニティの人たちから月額で参加費をもらう必要はない。直接お金をもらわなくても、人脈、信頼、紹介、なにより知識といった形で還元されてくるから。しかも運営のコアの200人ぐらいは全員これまでなにかしらのイベントやツアーを一緒にやったことがある人だから、お互いの力もわかるし信頼関係が築かれている。オンラインサロンみたいにお金を払ってもらうと「お客さん」になってしまうので。僕はコミュニティという曖昧なものを、ふわっとやっているだけ。結果として年々、僕個人を押し出さなくても回るようになっていきました。

市原:コミュニティとしての箱が盛り上がれば自分の名前を出さなくても利益が還元されてくるのか。私が真似できるアプローチではない気もしますが、真似できるところは是非したいです。
高須:その他に重要な運営方針として「高須のコミュニティ」には極力したくないというのがあります。僕の存在を前面に打ち出しまくり、最終決定や承認もすべて僕がやるコミュニティだと、自力でできる人の不満が膨らんで、どんどんやめてしまうから。だから、コミュニティ内で発生したプロジェクトは発起人で実際に動いている人を全面に押し出すし、全力でサポートもする。僕が自分のために動くのが苦手だからということもあるのですが、他人や全体がよくなることを考えて動いていったほうが、結果として僕も得をするんです。この形だと、巡り巡ってお金もまわるし、コミュニティがサステイナブルに成長する。

ここの良いところは全員を信頼し、それぞれの自分のプロジェクトに対して自己決定すること。コミュニティで会議をやったことは一回もなく、目的別に主担当がグループをつくって、決定はすべて個人が行っている。「やらないほうがいいのでは」と個人的に感じる活動もあったけど、うまくいかないだろうと思っていたことの何割かは大成功してる。だから僕は基本的に何も言わないし、相談もなくてOK。コミュニティの中では情報共有が活発で、試しに手を動かしてみてプロダクトの開発することも多いです。例えば、深センのメイカースペースにいたフランス人のエンジニアと、日本のエンジニアが一緒にプロダクトをつくって、米国のクラウドファンディングサービスIndiegogoで公募した事例とかもあります。

現地に知り合いゼロ、英語も苦手な日本人ギークが海外でプレゼンスを向上させるまで

市原:高須さんは2014年頃、現地に知り合いが誰もいない東南アジアに赴任し、そこからみるみるうちに世界中のメイカームーブメント界隈でプレゼンスが高まったようにお見受けしています。めちゃくちゃメンタルがタフだなと思うのですが、どういった経緯だったのでしょうか。

高須:2014年に前職で海外赴任になって、インドネシアのジャカルタに拠点が移ったのがすべての始まりですね。そこでの3カ月は友達もいないし非常につらくて、同じ年にシンガポールに移動しました。でも、ジャカルタ時代のつらかった経験が原点かもしれない。当時のインドネシアはギークが少なくて、ギークカルチャーが大好きな僕は本当に塞ぎ込んでしまって。「Maker Faireにいかないと死ぬ」と本能的に感じて、現実的に一番近い距離のMaker Faireを探したら中国の深センだった。どんな街か全然わからないし、「カルチャーが全然なくてつまらないよ」と知り合いに言われたけど、当時はとにかくテクノロジーに飢えていたから、2014年のMaker Faire Shenzhenに行きました。

現地に行って驚いたのですが、Maker Faire Shenzhenはそれまで小さなイベントだったのに、その年から行政のお金も入って超巨大イベントに成長していたの。しかも当時は誰も深センを知らなくて人気がないから、プレゼン枠が空いていた。そこに応募したら通って、当時の僕の英語力はゴミみたいなものだったけど、ジャカルタで通っていた英会話教室で先生の前で何回も必死にプレゼンの練習をして、原稿丸覚えに近い形でプレゼンをしました。
市原:人前でしゃべるという超ハードルが高いところから英語の勉強を始めたんですね。「ギーグのための英語学習」についてはブログでも書かれていましたが、普通の会話ではなく、いきなりプレゼンから始めたのはすごいですね……。

高須:英語が苦手だったから、ツカミにブルース・リーの「Don’t think, feel」というフレーズを入れて、中国向けのローカルネタも仕込みました。前職のチームラボはその当時中国でそこまで知られていなかったから、みんな初めてこういうものを見てたまげまくった。初海外プレゼンがめちゃくちゃウケたんですよね。CSDNという中国で一番大きいテクノロジーメディアに「日本から来たメイカー、高須正和」と取り上げられ、別のページに僕のプレゼンテーションが全文掲載されて。それで僕、深センが大好きになってしまいました。
市原:いきなり大ヒットじゃないですか。その後はどうやって現地とのリレーションを継続させていったのですか?

高須:深センってイベントがないと何もないから、出張とか用事を入れないと来る機会がない。来場者は「ありがとう、また深センに来るね!」ってお別れするけど、Maker Faire Shenzhenの運営チームは深セン側がお金を出さないと来ないことを知っている。ただ、僕だけ深センを異常に好きになったから「絶対にまた来る」って別れて、Facebookでオープンに募集をかけて、現地集合&現地解散、全員自腹の深センツアーを企画しました。そうしたら、日本から猛者たちが30人ほど集まったね。

市原:有言実行すぎる。

高須:深セン側も「用もないのにプライベートで深センに来るの!?」とびっくりして。現地側も全面バックアップ体制になり、現地のツアープログラムも向こうと話し合いながら決めました。そうやって第一回「ニコ技深セン観察会」が行われ、深セン側と日本側、双方にとってアメージングな出来事になりました。日本から視察に行ったのは、著名なSF作家、プランナー、ハードウェアスタートアップ数社の代表など、そうそうたるメンバーで。ほとんど初対面の人ばかりだったけど、現地のメイカーや工場などを訪れて親交を深めました。この時に現在のニコ技深圳コミュニティのガイドラインがある程度決まって、参加者と継続してコミュニケーションをするためにFacebookグループが必要だと感じました。みんな多忙だから常にアテンションを入れないと離れてしまう。だから、年2回のペースでこのツアーを実行し続けたんです。

2015年にはさらに深センが大好きになりすぎて、深センのMaker Faire運営チームに「僕も運営を手伝う」と立候補して、1カ月毎日ずっと無償で働いていました。2015年のこのイベントは世界で一番大きなMaker Faireで。その運営グループにジョインしたことで、明和電機とショーができたし、さらに過去最大規模のAkiparty(編集部注、高須氏がマルチネレコード代表のTomad氏と共同運営している「ギークのギークによるギークのためのダンスパーティー」をスローガンしたクラブイベント。今年は8月10日に秋葉原MOGRAで開催予定)もできた。
市原:スケールがでかい! ここまで大きいとちょっとしたフェスですね。これもボランタリーなんですか?

高須:完全にボランタリー。僕は本番中やることないからステージ上からスマホで映像を撮っていたんだけど、今こうして動画を見返すと、日本のクリエイターや、深セン・アメリカ・台湾それぞれのMaker Faire運営チームが、みんなが一緒に踊って楽しんでいて、最高に楽しい現場だったな。
アンコールの「We are the world」の後がやばくて、深夜の時間帯になると運営のコアメンバーしか残っていなくて、全員クタクタに疲れてるんだけど、テンションがおかしくなって、どんどんメンバーがステージに上がって、アジアのメイカーたちのスターであるエリック・パンが「We are the Future!!」って叫びだしたの。最後はDJ WILDPARTYがフロアを盛り上げて、こんなイベントは深センで後にも先にもないと思う。
市原:激アツじゃないですか……。こういった活動を通して高須さんは海外でプレゼンスを高めていったんですね。

高須:はい、今の僕の活動はすべてシンガポールと深センで培われたんです。この時の経験を人に伝えたくて、でも日本人は中国や深センに対して偏見を持っているから、ちゃんと人に説明しようとすると2時間ぐらいかかっていた。しっかり伝えるにはブログでは無理で、本を書かないといけないと思い、コミュニティのみんなに声をかけて共著として、『メイカーズのエコシステム 新しいモノづくりがとまらない。』という本を出版しました。

この本は2016年に出版したんだけど、日本にいる中国研究コミュニティの人たちに大きなインパクトを与えて。日本のどこの大学にも中国研究者の人がいて、中国研究に関して世界で一番優れているらしい。あと、中国は現地語が喋れないとなにもわからない国だから、中国語を話せない人が書く深センの記事って、話せる人たちからすると信用できないものばかりだったの。でも、この本を通して、これまで研究してきた分野外の中国の面白い情報がドカンと入ってきて、中国研究コミュニティからすると相当大きなニュースだったらしい。

市原:確かに、文化人類学的にもヤバそう。高須さんは現地調査やフィールドワークをめちゃくちゃ実践的にやっているから。
高須:実は僕の大学時代の専攻はそのあたりなんです。それで、急にガチな中国研究クラスタから一緒にワーキンググループをやろうと誘われるようになり、いま僕はJETROの「アジアの起業とスタートアップ」というプロジェクトの研究員でもあるんです。その研究プロジェクトとニコ技深圳コミュニティの人材交流が進んでいって、僕らが今まで知らなかった情報、それこそ中国の政治に詳しくないと知りえないような情報がバンバン入ってくるようになった。逆に彼らは「メイカーってなんなの?」という情報が知りたくてしょうがないから等価交換になっている。

市原:なるほど、熱量が高い一次情報を持っておくと、お互いにトレードできるわけですね。

高須:そう、市原さんがいろんなプロとコラボレーションしているのと同じ。違う方向だけど同じぐらい高い水準のものがあるから合体できるわけじゃないですか。だから僕らが持っている深センやコミュニティへの貢献やテクノロジーへの愛というものと、学会というガチなものが、どっぷり密にタッグを組んで、猛烈な情報の共有が生まれはじめている

その結果、現在僕の周りには深センの情報が集まって、お金が回って、日本人からみても中国人からみても魅力的な状態になっている。そして僕自身の仕事にも、所属企業にも活きている。スイッチサイエンスは僕がこの活動にいくら時間を注いでも何も言わないどころか、もっとやれ、イベントのスポンサーもするぞ」ぐらいの勢い(笑。JETROの研究者の方々も同様で、「サンフランシスコのMaker Faireに行くからこの会合には行けないです」と言っても、「それならしょうがないですね」と許してもらえる。自由にやりたいことができて、なにかをやる時に誰かがサポートしてくれる、とてもありがたい状態になっています。

市原:いいですね、自分のやりたいことを突き進むことが、さまざまな関係者の利益にも還元される。そういう理想的なサイクルを目指したいですね。高須さんとは同じ時期にニコニコ学会という組織に所属していましたが、こんな風に当時の活動が育っていったとは……。私は個人のプレイヤーとして活動してきましたが、他者利益でコミュニティに還元していくモデルを今回知ることができ、とても参考になりました。まさに現代のわらしべ長者ですね。高須さん、ありがとうございました!
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【ナビゲーター】
市原えつこ
メディアアーティスト、妄想インベンター。1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系卒業。2016年にYahoo! JAPANを退社し独立、現在フリーランス。日本的な文化・習慣・信仰を独自の観点で読み解き、テクノロジーを用いて新しい切り口を示す作品を制作する。 主な作品に、大根が艶かしく喘ぐデバイス《セクハラ・インターフェース》、家庭用ロボットに死者の痕跡を宿らせ49日間共生できる《デジタルシャーマン・プロジェクト》等がある。 第20回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞を受賞、総務省異能vation(独創的な人特別枠)採択。2018年に世界的なメディアアート賞であるアルスエレクトロニカInteractive Art+部門でHonorary Mention(栄誉賞)を受賞。
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