フォーリンデブはっしー、電通から独立。「食のエンタメ化」をライフワークに フォーリンデブはっしーさん
ゼネラリストか、スペシャリストか
──はっしーさんは「グルメエンターテイナー」としての活動だけでなく、電通のプロモーション・プランナーでもあったのですね。なぜ、このタイミングで独立することを決意されたのでしょうか?新卒入社から16年間、電通には大変お世話になりました。もともと食の発信はプライベートの趣味から始めましたが、電通という会社の懐の深さがあったからこそ、多くのことにチャレンジさせてもらえて、成長できたと思っています。
独立を決めたのには、いくつか理由があります。一番大きな理由としては、しがらみなく、食の活動に全力を投じるために、社会に羽ばたいていきたいという思いが強まったからです。会社では実績と年次を重ねていくなかで、次第にスペシャリストよりもゼネラリストとしての働きを求められるようになりました。大企業の組織で仕事をする以上、チームマネジメントも重要な役割ですし、ゼネラリストとして「食だけではなく、なんでも屋になれ」と言う上司の意見も一理あるのかもしれません。
ただ、私は「食」のスペシャリストとして成長し、一点突破で仕事を追求していきたいという思いがありました。食を愛しているからこそ、食に恩返しをしたい、食でより多くの人の笑顔をつくっていきたい。この考えから、食の道に邁進するために独立を決意しました。
──はっしーさんは、あくまで「食のスペシャリスト」でありたいのですね。
電通自体も社会変化のなかで「変わる」ことを求められていますが、新たな時代を切り開けるのは、なんでも屋のゼネラリストではなく、一点突破のスペシャリストだと私自身は思っています。
美味しいごはんは、無条件に人を笑顔にさせてくれますし、前向きな気持ちにさせてくれます。だからこそ、自分は食のスペシャリストとしての道を歩みながら、誰もが「食を通じて笑顔になれるエンターテインメントな企画」を手がけていくことで、世の中に新たな価値を創出していきたい、そう考えるようになりました。
とはいえ、自分で考案した食の企画にチャレンジさせてくれた電通には、感謝の気持ちしかありません。だから、これは人生のフェーズが変わっただけ。「会社と一緒に成長する」から「独立して羽ばたく」ステージに移行したのだと捉えています。
救ってくれたのは“食”
──食の活動を始めたキッカケを教えていただけますか。実は、電通での体験が大きく関わっています。もともと学生時代は体育会柔道部で、食べるのも練習のうちだったので、電車賃を削って渋谷~三田間を毎日のように歩いては、路地裏にある安くて美味しい定食屋を見つけて食べていたほど、食欲旺盛でした。ただ、当時はまだ食の仕事に就きたいとは思っていませんでした。
ターニングポイントになったのは、新入社員のとき。縁もゆかりもない名古屋配属になり、テレビの担当になりましたが、それが当時は本当にすさまじく過酷な環境でした。ここで詳細を話すことがはばかられるくらい、肉体的にも精神的にも追い込まれたんですね。正直、冗談ではなく、このままマンションから飛び降りたら楽になるかな、ということが頭をよぎったくらい、ハードな環境でした。
今思えば、きっと自分にも不器用なところがあったんだと思います。体育会出身だったので、理不尽な上司が言うことをすべて正面から受け止めてしまい、死に物狂いでやりとげようとしていました。そのようなマインドだったので、鬱になるほど追い込まれていきました。 そのときの自分を救ってくれたのが、美味しいごはんでした。友人と一緒に名古屋で夜ごはんを食べていたときに、おたがいにグチばっかりで悲壮感が漂っていたものの、いざ料理が出てきて食べると「あれ! これ美味しいじゃん」とか「これも食べてみようよ!」とか、自然と会話とお腹が弾み出したんです。そして、本当は翌日出社するのも嫌だったはずなのに、「悔しいけど明日からまた頑張ろう…」という気力が湧いてきました。
そのときに気づいたんです。美味しいごはんは「人を無条件で応援してくれるパワー」があると。だからこそ、自分を救ってくれたごはんに恩返しをしたい、そして当時の自分のように人生をもがいて苦しんでいる人たちをはじめ、より多くの人に「食を通じて笑顔に」なってもらいたいと考え、そこから人生のベクトルが定まりました。
ちなみに余談ですが、そのときのお店は、名古屋では有名な台湾料理の「味仙」です。名物の台湾ラーメンも良いですが、ビールにぴったりな青菜炒めやガツ炒め、そして香ばしく揚げた肉団子が忘れられませんね…。
──そこから「グルメエンターテイナー」としての活動がスタートしたのですね。
料理研究家、料理評論家、飲食店経営など、「食」に関する活動にはいろんな選択肢があり、はじめになにをすべきか悩みましたね。時間を掛けて模索してたどり着いたのが、情報発信者であるインフルエンサーでした。より多くの人に美味しいグルメ情報を届けて、笑顔になってもらいたいという展望でした。
最初に、当時すでに流行っていた「ブログ」をツールとして選択しました。私は昔から食べ歩くことが趣味で、毎日20件のグルメブログをチェックして情報収拾していたほどのグルメオタクでした。だからこそ、見る側の気持ち、見る側の視点を大切にした、誰もがハッピーな気持ちになれるエンタメ性と、シンプルでわかりやすい情報性の、両方を担保したグルメ情報を発信したいと考え、2009年にグルメブログをスタートさせました。 ブログをはじめたころは、名古屋支社から東京本社へ異動していましたが、当時の営業部署が温かくて、上司や同僚たちは私の活動を応援してくました。一緒におもしろがって、穴場のお店に連れて行ってくれたり、深夜にすべての牛丼チェーンをハシゴして食べ比べしたり(笑)。そのあと帰宅してから朝方までブログを書いていたので、それはそれでハードでしたが、楽しかったですね。
──いまでは日本一のグルメブロガーと呼ばれ、Instagramのフォロワー数も23万人(2020年3月時点)を超え、大きく飛躍されていますよね。その要因はやはり「エンタメ性のある情報」でしょうか?
「食で人を笑顔に」が原点なので、表現方法も小難しくならないように気をつけています。上から目線の批判的なことは書いたりせずに、読者と同じ目線で食事を楽しむことが大切だと思っています。それぞれのシチュエーションに合ったお店選びができるよう、必要な情報をわかりやすく、簡潔にまとめるようにもしていますね。
さらに、「野菜を食べたら痩せちゃう!」といった「デブキャラ」としての私自身も、エンタメ要素のひとつとして見てもらうことで、より楽しくごはんと接してもらえたらいいなと思っています。おかげさまで多くの人にブログをご覧いただき、グルメブログのアクセス数ランキング1位を長年継続したことから、テレビなどのメディアでは「日本一のグルメブロガー」と呼んでいただけているのは、ありがたいことですね。 いまは時代に合わせてInstagramが主軸ではありますが、実はブログが跳ねたタイミングでも一度独立を考え、上司や関係部署に相談したことがありました。すると「培ってきた『食』のスキルとネットワークを、会社というフィールドでも活かしてみよう!」という話になり、そこからプロモーション・プランナーとして、さまざまな「食」の企画プロデュースを手掛けるようになっていきました。
会社員として新たなビジネスモデルの開拓も
──個人で実績を積み上げたことによって、会社でも「食」の企画を手掛けるようになったのですね。具体的にはどのような案件を開発されたのですか?忘れられないのが、2017年にアルバイト情報サービス「an」と実施した「an まかないフェス」です。私は総合プロデューサーとして、この企画の全体監修をしていました。
飲食業界では人手不足が長年の課題で、バイト求人を出しても人が集まらない状況でした。だからといって無理に時給を上げようとすればお店の経営が危うくなり、さらに人を集めにくくなるという、負のスパイラルに陥っていたんです。この状況を打破すべく目をつけたのが「まかない」でした。時給以外のインセンティブとして「美味しいまかない」を提供することで、バイト応募を集めるキッカケにすることが狙いでした。
「まかないフェス」と題したグルメイベントを開催し、私が主宰するグルメユニット「食べあるキング」が人気店を集め、各店がまかない飯を500円で提供。イベントを打ち上げ花火のように話題化させると同時に、「an」のサイト上で「まかない求人特集」という、まかない飯からバイト先を選んでもらえる受け皿をつくりました。その結果、応募率を3.8倍に伸ばすことができ、まかないが求人のフックになるということを証明できました。はじめは東京だけで開催したイベントでしたが、好評だったことから翌年には東京・大阪・名古屋の3会場で約20万人を動員。経済産業省の年間イベントアワード優秀賞にも輝き、クライアントと電通チーム一同が協力したからこそ、大規模な企画で成果を出せたのだと思います。総合プロデューサーでありながら、コスト削減目的で、全ステージで自らMCを務めたのも楽しかったですね。 ──「時給」を重視しがちなアルバイト求人に、「まかない」という新たな魅力をもたせたことで突破口を開いたのですね。
もうひとつ良い経験になったのは、2年に一度開催される日本最大のイベント「東京モーターショー」で、3期連続のグルメ総合プロデューサーを務めさせてもらったことです。
昨年末に開催したこのイベントでは、全体で130万人が来場し、私が担当したグルメも驚愕の28万食を売り上げるなど、盛り上がりに寄与させていただきました。コンセプトの設計から、お店の選定、告知集客、そして運営のオペレーションまで、かなり専門性が必要なので、自分が培った知見も存分に活かせました。
ちなみにこのイベントでは、新たなビジネスモデルも開発しました。広告会社は従来、クライアントからの「受注」によって仕事が成り立っているケースが大半ですが、こういった大型イベント催事のビジネスでは、売り上げの一部をロイヤリティ収入にすることができます。だからこそ、BtoBのクライアント受注に頼らない、BtoCのマネタイズを確立できたのも新しかったかと思います。広告業界では「クライアントの真のパートナーになる」ということが叫ばれていますが、それは下請けの広告受注だけではなく、クライアントの事業に寄り添いながら、おたがいにWIN-WINになれるビジネスモデルを構築することではないかと、私自身は考えています。 ──広告会社としての新たなビジネスモデルも切り開いたと。
「食」は誰でも楽しめる最強のエンタメコンテンツだからこそ、異なる領域と掛け合わせることで絶大な威力を発揮します。
「東京モーターショー」でいうと、「車」という要素に「食」が掛け合わさることで、「車で行きたい全国の名店が集結」のように親和性を持たせられれば、間口を広げてエンタメ化できます。車ファンの方々だけではなく、ファミリー層も掴むことができます。私が親膳大使を務めているJリーグも同様で、地方遠征まで行ってくれるサポーターはコアファンだけになりがちなところ、スタグルと呼ばれる、スタジアムグルメで地元の名店グルメも食べられる、そして帰りに温泉にも入れる、こういった合わせ技にすれば、遠征してみようかなという魅力を高めることができるんです。
異なるジャンルの組み合わせから「総合レジャー」として楽しませる企画は、これからの時代にますます需要が高まると思います。そして、どんなジャンルとも柔軟にコラボできる懐の深さは、「食」だからこその大きな魅力ですね。
ちなみに、イベントの話が中心になってしまいましたが、マルちゃん焼そばやネオソフトなどでコラボレシピを開発したり、地方自治体と組んで街おこしの企画をつくったり、「食」を起点にいろいろなことをやらせてもらいました。
世間的には電通が絡むと、なんだか「お金の臭いがする」と嫌がられる傾向にある気がします(笑)。しかし、クライアントも生活者もみんながハッピーになれる企画を私は目指しているので、それを成し遂げるためにどのようにマネタイズするかという意味で、お金が絡むのは仕方がないことだと思います。もちろん、大嫌いなステマは絶対にやらないですし、決して騙そうとしているわけではないので、好意的に受け止めてもらえると嬉しいですね。
「食のエンタメ」を本業に
──最後に、はっしーさんは電通から独立して、「食」のスペシャリストとして今後どのような活動を行っていくのでしょうか?
いままでの活動は、Instagramやブログ、そしてメディア出演などで美味しいグルメ情報をお届けする「インフルエンサー」としての顔と、自治体や企業などとコラボして企画開発して実行する「プロデューサー」としての顔がありました。そのふたつに共通しているのは、「食を通じてより多くの人に笑顔になってもらいたい」という思いからの行動です。
それを一言で言うならば、「食のエンタメ化」ですね。決して、SNS映えグルメを追求するといった狭義の意味ではなく、誰もが食を気軽に楽しめるようにという広義の意味でのエンタメ化です。たんにセレブな高級料理を求めるのではなく、チェーン店の牛丼だってアレンジの仕方次第でより美味しく楽しめると思います。人それぞれに合った食体験の価値向上、そしてその先にある人生をふくよかにしてもらうことが、私自身の目指しているところです。だからこそ、今後もさまざまな手法を用いながら「食のエンタメ化」の世界を切り開いていきたいという目標設定の意味も込めて、「グルメエンターテイナー」いう肩書きを名乗っています。
まだまだ自分の人生の目標には30%くらいしか到達できていないと思っているので、ぜひ今後も信念を持って広げていきたいですね。食で笑顔とお腹の輪を広げる「ウエストワイドストーリー」を、ぜひご一緒に!
──「食のエンタメ化」への道のりは、これからが本番ということですね。後編では、「会社員」と「グルメエンターテイナー」の両立から見出した、はっしーさん流の「好きを仕事に」する思考法についてお話しいただきます。
この記事は前後編です:後編はこちら
「『強み』の掛け合わせで、自分なりのNo.1をつくる。フォーリンデブはっしーが考える、好きを仕事にする思考法」