バズではなく、その地域のためになるPR企画を

──早藤さんが携わった長野県佐久市「リモート市役所」が、さまざまな賞を獲得しています。まずはこちらのお仕事について教えていただけますか。
2021年1月にオープンした「リモート市役所」は、自治体初のSlackを利用した移住のオンラインサロンです。佐久市や移住についてのリアルな情報発信、そして住民と移住希望者との気軽な情報交換を促進する、新しいプラットフォームとなっています。佐久市への移住希望者をはじめ、佐久市に限らず移住を検討している人、佐久市民、移住はしないけど佐久市を応援したい人など、あらゆる人が参加できます。

さらに、積極的に関わりたい人は、リモート市役所の「課長」「職員」として運営に参加できます。佐久市や移住の課題に対するディスカッションもでき、課題解決につながるアイデアは、実現に向けて随時取り組んでいます。例えば、リモート市役所内の投稿から着想を得て企画したサービス「Shijuly(シジュリー)」は2021年7月にサービスを提供開始しました。これは「試住」、つまり、お試し移住にまつわるさまざまなタスクを見える化した支援サービスです。試住に関する必要なタスクが整理されたWebサイト上で、情報収集から補助金申請まで完結できるサービスとなっています。

ほかにも、「リモート市役所課長」というオンラインサロンを盛り上げる役職の方を一般公募したり、オンラインイベントを実施したりと、新しい取り組みを「リモート市役所」という枠組みの中で続けています。

──佐久市との仕事について、スタート当初のお話も聞かせいただけますでしょうか。
佐久市の仕事は、まずは戦略策定からスタートしました。

多くの地方自治体が持つ課題の1つが、少子高齢化に伴う人口減少です。これは、税収減につながり、街が成り立たなくなってしまうことにもつながる深刻な課題と捉えています。ですので、多くの自治体では、まず、話題化による認知度向上を狙って、シティプロモーションを実施する場合が多いです。こうすることで、移住者はもちろんのこと、観光客や関係人口など、その街と関わり合う人を増やし、将来的な人口増加につなげることを目指しています。

そこで、佐久市においても、初年度はシティプロモーションを取り組んでいくため、移住希望者のニーズや市民の現状を把握するための戦略策定を行いました。しっかり調査を行い、移住希望者の悩みや、移住を決めるまでの過程についてデータを集めたのです。すると、実際に移住した人の中には、移住先を決めるにあたって現地に訪れずに、オンライン上の情報だけで決めた人が、意外と多くいることがわかりました。

──確かに意外です。そうなると、オンラインでの情報発信の質と手段が重要になりますね。
そうですね。さらに、具体的な企画を練り、新たなプロジェクトが始まった頃、新型コロナウイルスの感染拡大が起こりました。佐久市も、「直接来てもらえなくても、佐久市のことを知ってもらうためにはどうすればいいか」という課題をより強く抱えることになったのです。オンライン上には膨大な情報がある中で、佐久市を移住先として選んでもらうためには、どんな情報を、どう発信すればいいのかと考えました。

そこで、参考にしたのが、初年度に行ったインタビュー調査の結果です。移住希望者のニーズは、多くの自治体の移住ページで見かける街の魅力や助成金の制度も大事だけれど、住んでみて辛いことや大変なことなど、ポジティブな情報だけでなく、ネガティブな情報も含めてリアルな声が知りたいということでした。さらに、ゴミ出しの情報やWi-fiが使えて仕事ができるカフェの場所、子どもが遊びやすい公園など、住む人の肌感覚がわかるようなリアルな情報も求められていたのです。

こうした情報や、「現地に行ってわかるリアル」をオンラインで伝える方法を模索し、移住のオンラインサロンをつくる案に至りました。

──アイデアはどのように生まれたのですか?
佐久市のプロジェクトには、ブルーパドルの佐藤ねじさんに参画いただいています。アイデア出しや企画の具体化はプロジェクトメンバー全員で行い、オンラインサロンという形になりました。企画の方向が決まったあと、クライアントや協力いただく市民やKOL(Key Opinion Leader)などのステークホルダーの方々との折衝は私が担当しました。

また、この企画を立ち上げる前の段階から、佐久市が半永久的に継続し続けられる企画をしたいと思っていました。一時期の話題だけで終わらせず、オンラインサロン参加者と佐久市が協力しながら、なにかをつくっていけるようにしたかった。佐久市もその考えを共通認識として持っていて、だから、Shijulyやリモート市役所課長の一般公募、オンラインイベントの実施も、「リモート市役所」という傘の中で行っていく企画として進めていきました。

──プラットフォームとして、Slackを活用されていますね。
地方自治体が運営するオンラインサロンは、当時もちらほら見受けられましたが、Slackを使ったものは国内に見当たりませんでした。また、企画が立ち上がった2020年ごろ、Slackはいまほど一般化しておらず、主な利用者層はデザイナーやエンジニア、IT企業に務める人が中心でした。これが佐久市の移住促進のターゲット層と近かったこともあり、Slackを活用した移住のオンラインサロンを提案したのです。
「リモート市役所」画面
「リモート市役所」画面

地方自治体のPRに抱いていた課題感

──早藤さんのなかで、「継続」がポイントになっていたのでしょうか。
私は新卒でオズマピーアールに入社したのですが、初年度の配属が地方自治体とのお仕事が多いチームだったんです。その経験から、地方自治体との仕事において、打ち上げ花火的なわかりやすくて派手な施策が選ばれがちであることがわかっていました。

その背景として、1つは予算との兼ね合い、もう1つは人事制度があると考えています。基本的に予算は単年で完結するよう組まれるため、継続的な企画は必要性の高い事業でない限り、実施が消極的になる場合が多いように感じます。そして、人事制度においてですが、民間企業の広報担当者やマーケティング担当者の場合は、興味や適性があっての配属が多く、専門職としての知識を身につけていることが大半です。しかし、地方自治体では3年程度でジョブローテーションが行われるのが一般的なため、担当者が広報・宣伝業務に関心を持って深く学び、経験や知識を溜めていくのが難しいように感じています。

よって、動画制作などの成果物がわかりやすいPR企画の方が担当者にもその上司にも理解しやすく、承認を得やすくなります。しかし、数百万円もかけて動画を制作してもごく短期間しか活用できなかったり、バズを狙った企画で話題になっても、すぐに忘れられてしまうこともあります。もちろん瞬間的なバズで記憶に残すことも大事ですが、長期的に見た時に、それはクライアントのためにならないのではないかと思っていました。

──地方自治体のPRにおける課題感を持たれていたのですね。
地方自治体との仕事に限った話ではありませんが、クライアントと同じ温度感で伴走ができると、とても良い仕事ができると感じていました。

佐久市の担当者さんとは、そんな協力体制ができていたように思います。例えば、「Slackを使った移住のオンラインサロン」というアイデアの提案は、担当者さんのおかげで比較的スムーズに通りました。決裁者に企画を理解してもらうには、まずはSlackについて説明する必要があると思われたそうで、デモ画面を開き、機能や使い方を説明してくれていたんです。

一方で、苦労したのはネーミングでした。「リモート市役所」という名称からは、「佐久市役所がリモート勤務となる」など、実際の企画とは異なるイメージが想起され得るという点に不安の声が上がったのです。しかし、初めてやること、初めて聞く名前には、「初めて」のものだけが持つ可能性や話題性があります。懸念を受け止め、検討した上で、それでも「リモート市役所」という名前を使う価値があるとお伝えし、納得いただきました。

行き詰まった3年目、自主提案でようやく切り開いた道

──これまでのお話についても伺いたいです。就職活動時は、PR会社を目指していたのでしょうか?
広告会社を中心に、PR会社も視野に入れて就職活動をしていました。自分のアイデアを企画にし、形にしていく仕事がしたかったんです。結果として、選考がスムーズに進んだのがPR会社でした。

また、大学時代に地域のイベント運営をしており、PRイベントの企画・運営業務のイメージは持てていました。こうした興味や理解の度合い、それから自分の性格と、業務内容や社風が最もマッチしていたのがオズマピーアールだったんです。

──入社してからは、どのような仕事をしていましたか?
先述の通り、最初に配属されたのは主に地方自治体をクライアントとする部署でした。当社は、クライアント対応とメディア対応の両方を1人が担います。その中でも、たまたまですが、私は新卒1年目から得意先としっかりやり取りし、企画立案から運営まで対応する機会に恵まれていました。具体的には、農林水産省をクライアントとして、海外での日本食のPRイベントを担当しました。美食の街と呼ばれるスペインのサン・セバスチャン現地でのイベントディレクション、関係者との折衝、クライアント向き合い、メディアプロモートなど、包括的な対応を経験しました。

この案件は、社内で担当者が公募されていたんです。そこで「やりたいです!」と手を挙げたんですが、あとから先輩に聞いたところ、新卒1年目の社員が担当できるような案件ではなかったらしくて(笑)。ハードで難しい仕事でしたが、やり遂げたことは大きな学びになりました。

また、2年目に、岐阜県関市のシティプロモーションで、「刃物まつり」開催50周年を記念した話題化施策を担当しました。関市は、日本刀の作刀流派「美濃伝」発祥の中心地であり、日本刀の技術を受け継ぐ優れた刃物を製造する世界三大刃物産地のひとつです。この時に行ったのは、『スター・ウォーズ』シリーズ最新作との企画、「ライトセーバーと関鍛冶」展の開催。その目玉は、伝統を受け継ぐ刀匠に製作いただいた日本刀「来人勢刃(ライトセーバー)」でした。

実は、企画会議では「面白そうだけど、実現は難しいだろう」という評価でした。想定していたように、企業との調整や確認など、進行中には、はらはらする場面もありましたが、なんとか実現にたどり着きました。

──チャンスや難しい場面をご自身の経験に変えられたのですね。
好奇心旺盛な性格もあり、幅広い経験ができたように思います。一方で、3年目を迎えた頃に少し行き詰まった時期がありました。

1~2年目の働きを見て、社内で「企画や提案が得意」という印象がついていたようで、3年目には新規クライアント獲得が中心の部署に異動になりました。しかし、多数の提案に参加したものの、まったく結果につながらなかったんです…。その理由すらも掴めない苦しい時期の中で、唯一獲得できたのが、最初にお話した長野県佐久市の案件でした

その後、2度の異動を経て、現在は「統合コミュニケーション戦略部」に所属しています。

「これは私の仕事だ」と思える、長く残っていく企画を目指して

──早藤さんの思うPRのやりがいについてお聞かせください。
PRプランナーに限らず、いまのプランナーの多くが、時流や社会課題を把握し、その文脈に則って、生活者との良好な関係づくりを考える「PR視点」を持っていると感じています。そんな中で、PR会社で働く私が思うPRの仕事のやりがいは、課題解決に直結した企画ができることだと思っています。

また、一気通貫の業務スタイルも手伝って、自身がつくり上げた企画に対する世の中の反応を自分ごととして受け取ることができるのもやりがいだと考えています。報道に乗るか、SNSをはじめとする世間での反響はどうか。自分の仕事の結果をストレートに受け取ることができるのです。

──それでは、今後の目標についてお聞かせください。
目標は2つあります。1つは、長く人の心に残る企画をすること。注目を集める企画と人の記憶に残り続ける企画は違うと思っています。情報が溢れる現在では、どれだけ話題を集めても、注目されるのは一時期だけのことです。それでは、1年後には忘れられてしまう。だからこそ、「これは自分の仕事だ」と胸を張って言える、長く記憶に残るような企画を模索していきたい。それは例えば、システムとして定着させることで可能かもしれません。リモート市役所は、それを強く意識した企画でした。

もう1つは、自分なりの「PR視点のクリエイティブとはなにか」の答えを見つけることです。例えば、キービジュアルを依頼する時。どのようなクリエイティブであればPR視点があると言えるか、どこがポイントで、どのようにディレクションすればいいのか…。いろいろな人に意見を聞いて試行錯誤していますが、まだ自分の中で明文化できていないんです。正解はないのかもしれないし、正攻法を見つけるのは難しいのかもしれません。だけど、自分の視点で、自分なりの解を見つけたいと思っています。

──継続的なクライアントの課題解決につながるプランニングを実践し、それが社会にどのように発信され、受け止められるのか。その一連にやりがいを持って取り組む早藤さんの姿勢に感銘を受けました。本日はありがとうございました!

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